三十八、荒野の明後日
目が覚めて、最初に視界に飛び込んできたのは白い天井だった。
「ここは……」
「ああ、良かった。お目覚めになりましたか」
「は、はい。その、私は一体……」
「天女様は熱がおありのようです。この日照りの強い中、だいぶお歩きになったのではないですか?」
彼女の顔には見覚えがあった。
紅砂海に出発する際、私を馬に乗せてくれた隊士だ。
「もうしばらくお休みください。夜が明ければ救援の者たちがやって来る手筈になっておりますから」
「あの、皆さんご無事なんですか? 私、流砂にはまってしまって、抜け出して戻ってみたら水場に誰もいなくて……」
「ご安心ください。全員無事です」
彼女が語ることには、私が流砂にはまっている間、夜営の準備をしていた隊士たちは突然、禍人に襲われたらしい。
砂から這い出たサソリのような禍人は、まず熹貂ちゃんを刺そうとした。
それを何とか食い止めると、彼女の案内のもと、この集落跡まで逃げ切ったという。
「案内人の方も無事なんですか?」
「照隠殿もご無事ですよ。食料調達のため水場を離れていたとのことでした。この集落跡は、照隠殿が熹貂様に有事の際、避難するよう教えていた場所だそうです」
「そうですか……」
私たちのことも説明した方がいいだろうかと思案していると、余計礼烽さんがどうしているか心配になった。
私が不安げな表情をしていたのが引っかかったのか、彼女は困り眉でこちらの顔を覗き込んできた。
「そんなご不安にならずとも心配いりません。避難後、待機組と救援組に分かれて、城に応援を呼びに行っておりますから」
「それはありがたいお話しなんですが……今は礼烽さんのことが心配で……」
「隊長の?」
「皆さんがいなくなった後、突然砂嵐に襲われて礼烽さんも私もはぐれてしまったんです。城にたどり着けていたらいいんですが、もしそうじゃなかったら……」
「……隊長は、そんな簡単に倒れるような人ではありません。皆、隊長のことを信じています。だから、我々は今やるべきことをやることができるのです。天女様も、まずはしっかりお休みになってください。それから色々と考えていきましょう」
彼女はニコッと微笑んだ。
きっと隊士の方々は、隊長である礼烽さんに、絶大な信頼を寄せているのだ。
礼烽さんもそうだったのだろうか。
だから、部下や仲間を探すより、応援を呼んだ方が早いと言い切れたのだろうか。
私もあのとき、礼烽さんをもっと信じれば良かったのかもしれない。
後悔しても遅い。
過ぎてしまったことは仕方がない。
とりあえず今は休んで、動けるようにならなくてはいけない。
「お言葉に甘えて、私は少しお休みさせていただきますね」
「承知しました。夕餉の時間になりましたら参りますね。それまでに何かございましたら、この周辺にいる者にお申し付けください」
私はお辞儀をして彼女を見送った。
薄い布を体にかけて横になる。
まぶたを閉じると、脳裏にはこれまでのことが思い浮かんでは消えていく。
腑に落ちないのは、熹貂ちゃんの態度だ。
何か伝えようとしていることがあるのは、確かなように思う。
しばらく考え事をしていると、だんだん思考に霞がかかってぼんやりとしてくる。
そのうち私は船を漕ぎ出した。
ふいに目覚める。
一時間か二時間か、はたまたそれ以上眠っていたのか定かではないが、誰も呼びに来てはいないので、おそらくまだそんなに時間が経っていないのだろう。
それでも、幾分かマシな体調になったように思えた。
体も少しクールダウンしたので、寝る前に気になっていた熹貂ちゃんに、話を聞きに行こうと思って外へ出た。
テントの外には数人の隊士が点在している。
広くない集落跡のはずだが、少女の姿はどこにもなかった。
叔父と一緒にどこかに行っているのかもしれないと思いつつも、近くにいた隊士を一人捕まえる。
熹貂ちゃんを見なかったかと尋ねると、彼はたちまと困った顔をした。
「彼女なら、一番端にある天幕の中にいると思いますが……」
「何かあったんですか?」
「いえ、どうにも様子がおかしいのです。余程禍人に襲われたのが衝撃だったのか、叔父上である照隠殿にまで怯えるようになってしまいまして」
「それでずっと閉じこもっているんですか?」
「はい。我々も気遣うようにはしているのですが、子どもに慣れている者がおりませんので、余計に怖がらせているみたいでして……面目ないことです」
一度ならず二度までも襲われたのだ。
怖かったに違いない。
そっとしておいた方がよいのだろうかとも悩んだが、彼女が何かを知っているのは間違いない。
一声かけてみて拒否されなければ、話を聞かせてもらおうと思い立ち、私は彼のもとを後にした。
集落跡の隅にあるテントの前に立つ。
「熹貂ちゃんいる? 救護係の——」
羽衣です、と自己紹介しようとした矢先、テントの入り口が開いた。
ひっそりとこちらを覗き込むようにして、熹貂ちゃんが立っている。
「入ってもいいかな? 熹貂ちゃんに聞きたいことがあるんだけど……」
首を横に振られるかと心配したが、意外にも彼女はすんなり私をテント内へと引き入れた。
やはり、彼女も私に伝えたいことがあるのかもしれない。
「あのね、熹貂ちゃん、昨日のことなんだけど——」
言うや否や、熹貂ちゃんは私の手を取って、手のひらを指でなぞり始めた。
「えっ! な、何?」
突然のことで驚いたが、彼女は意思の疎通を筆談で行なっている話を思い出した。
ただなぞっているのではなくて、何か文字を書いているのだろう。
「字を書いてくれてるのかな? もう一度、最初から書いてくれる?」
熹貂ちゃんは頷くと、ゆっくりと文字を手のひらに書いた。
「お、じ、が……さ、そ、り……」
おじがさそり?
……叔父がサソリ?
どういうことだろうか。
「ねぇ、それって照隠さんのことかな?」
そのときだった。
背後から「熹貂!」と少女の名前を呼ぶ声がした。
テントの布幕が上げられて、外の眩しい光が中に入り込む。
「おや、これは天女様。失礼しました、熹貂だけだと思っていたもので……」
入り口に立っていたのは叔父の照隠さんだった。
熹貂ちゃんは外の明るさを怖がるようにして、私の背後に隠れた。
「あ、いえ、大丈夫です」
軽く頭を下げると、ふと彼の右手に包帯が巻かれていることに気づく。
「それより、照隠さん。その右手どうしたんですか?」
「ああ、これですか。昼ぐらいに蠍が出ましてね。皆さんが刺されでもしたら大変だと思って、毒針を刃で切ろうとしたんですが……」
「刺されたんですか?!」
「いえいえ。うっかり手が滑ってしまいまして。刃でザクッと手を切ってしまったんですよ」
聞いただけで痛そうな話だ。
熹貂ちゃんが先ほど教えてくれた『叔父がサソリ』というのは、このことだったのだろうか。
私に治療してほしいというお願いなのかもしれない。
「よければ、私が手当てしましょうか? 傷口もすぐ塞がると思いますよ」
「とんでもありません。天女様のお力は、私にはもったいないものです」
「そんな遠慮なさらずに……」
「大丈夫ですよ。もう血も止まっておりますから。それより、熹貂。薪が足りなくなったから、少し拾ってきてくれないかい?」
「私もお手伝いしましょうか?」
「本当ですか? それでは小さいものでかまいませんので、薪拾いをお願いします。熹貂も頼んだぞ」
照隠さんはそれだけ言い残すと去って行った。
「叔父さんの怪我、治せなくてごめんね」
熹貂ちゃんは悲しげな顔をすると、テントを飛び出してしまう。
余計落ち込ませてしまったのだろう。
無理矢理にでも治させてもらった方が良かったのだろうか。




