三十一、道のりは長く乗り物酔いは激し
正直言って、ここまで疲れるものだとは思いもしなかった。
紅砂海へ向かうまでの道のりで、すでにグロッキーな状態だ。
火ノ処の基本的な交通手段は馬である。
城から紅砂海までは馬で移動するのだが、私は馬に乗ったことないので、隊員の一人にお願いして一緒に乗せてもらうことになった。
私と同じぐらいの年齢であろう彼女は、それはそれは見事な腕前で馬を乗りこなした。
ところが、私は乗り物酔いの激しい体質である。
現代社会では文明の利器である酔い止めで長時間の移動をこなすのだが、ここではそう簡単にはいかない。
寝られれば幾分かマシになるものの、馬に二人乗りをしているのに寝られるほど大物でもない。
そこにきて舗装のされていない道路である。
凄まじいスピードと揺れは、寝不足の身体をどんどんと蝕んでいき、とにかく吐かないように我慢するだけで精一杯だった。
紅砂海に着いた頃には、おそらく顔面蒼白になっていたと思う。
私を後ろに乗せていた彼女は、馬から私を降ろすときにギョッとした顔をしていた。
救護係が今にも倒れそうになっていたら、それは不安にもなると思う。
優しい彼女は、出発前に少し休んではどうかと提案してくれたが、礼烽さんに足手まといと思われるのは癪だ。
申し出を丁重にお断りし、砂漠へと一歩足を踏み入れた。
「案内を務めさせていただきます、照隠と申します。この子は姪の熹貂です」
「礼烽だ。よろしく頼む」
若干癖のあるイントネーションと共に喋っているのが、今回の案内人であるらしい。
三十代に差しかかったぐらいの男性だろうか。
姪だと紹介された少女は怯えたような表情で一言も喋らない。
小学校低学年ぐらいの小柄な女の子である。
これだけたくさんの大人に突然囲まれたら、ナイーブな子であれば怖がってしまうと思う。
少女と目があったので、ニコッと微笑んで手を振ってみたが、ビクッとすると視線を逸らされてしまった。
まったくもって不徳の致すところだ。
「この子が書簡で言われていた禍人の目撃者なのか?」
「そうです。私の兄と——この子の父親ですね——と歩いていたところを禍人に襲われたようでして」
「書簡でも言ったのだが、いくら禍人について何か知っているとはいえ、まだ子どもだ。討伐に連れて行くのは危険だろう。私が口を挟めた義理じゃないが、父親のいない今、貴殿がこの子を保護する者だ。もう一度考えてはどうだ?」
「おっしゃる通り熹貂を連れていくのは反対だったのですが、本人の意志を尊重した結果でございます。私がこの子の立場でも、目の前で親を失えば、行動せずにはいられなかったと思いますから……」
「それはそうかもしれないが……口を利くことができないのだろう?」
「医者に診せたところ、禍人を目撃した際に強い衝撃を受けて、一時的に声を失ってしまったのだろうと言われました。精神的なものであるならば、なおさらこの子のしたいようにさせようと思いまして……」
「そうか……いや、わかった。できるだけこちらもこの子——熹貂か。彼女に配慮をするので、貴殿も目を離さないようにしてくれ」
「承知しました。ほら、熹貂もご挨拶なさい」
少女は礼烽さんをチラッと見ると、目があったのだろう、私のときと同じように視線をずらした。
「こら、熹貂」
「私は気にしていないから、怒らないでやってくれ。初対面の相手を警戒するのは当然だ」
ここだけ切り取ると、礼烽さんがかなりいい人に見えるのだから不思議だ。
別に悪い人だとも思ってはないのだが。
その一連の流れを見ていた私に、礼烽さんは一瞥くれると顎でクイッと私を指し示した。
「彼女がこの隊の手当を務めることになった者だ。外部の者なので貴殿らに迷惑をかけることもあると思う。救護はできるらしいので、怪我をしたら彼女に言ってくれ」
救護は、か……。
救護しかできないと言われたようで——実際そうなのだけれど——なんともモヤモヤする紹介の仕方である。
ただ救護係だと言ってくれればいいのに。
それとも、軍の訓練を受けていないから大目に見てやってくれという礼烽さんなりの配慮なのだろうか。
……考えすぎか?
こちらを向いた男性に軽く会釈をした。
男性も会釈を返すと、礼烽さんとの会話に戻った。
今度の少女は目線を外さなかった。
私をジッと見てくるので、何か言いたいことでもあるのだろうかと一歩近づいてみる。
途端、彼女は慌てたように私から目を背けた。
不思議な子だ。
打ち合わせが終わると、礼烽さんから今日のルートが説明された。
禍人が出現した場所が紅砂海の中でも外れにあるため、移動には時間がかかるという。
砂漠という地形上、夜は気温が急激に低下して進軍不可能ということなので、夕方までに最終目的地の途中にあるオアシスに泊まることになった。
馬を照隠さんらの住む集落に繋ぎ止め、代わりにラクダを三頭ほど連れて行く。
隊員は三十名ほど選抜されて来ているので、十人一班になり、各班一頭ラクダを連れて行く。
乗れるかと思って少し期待したのだが、荷物を運搬するのに使わせてもらうという。
後々聞くと、ラクダは乗るとめちゃくちゃに揺れるとかで、残念ながら乗り物酔い人間には向かない動物であった。
私は案内人の二人や礼烽さんたちと一緒に先頭を歩くことになった。
足が遅いとの理由である。
もともと祖母に連れられて山を歩いていたので、体力には自信がある方だった。
しかし、残念ながらここにいるほとんどは何年も訓練を受けている人たちだ。
運動に関するスキルについては歴然の差がある。
足が遅いと言われるのも最もだ。
それにこちらとしては礼烽さんと一緒の方が好都合である。
相変わらず礼烽さんは私に対して冷たいのだが。
それも今日までの話だ。
この遠征で活躍して、少しはできる人間だと思ってもらう……つもりだ。




