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二十六、水と油と界面活性剤

「此奴が火ノ処の処人、朱雀隊を任せている礼烽だ」


 礼烽と呼ばれた男性は丁寧に頭を下げた。


「朱雀隊が長、礼烽と申します。ご足労いただき感謝し申し上げます。すぐにでも助太刀したいのですが、私は火ノ処の一部隊を率いる身。今お任せいただいている職務を全うした後、貴殿らの旅に加わりたいと考えております」


 口調は丁寧だが、顔はツンとすまし顔だ。

 軍人という職業的背景もあるし、にこやかに話すわけにもいけないのかもしれない。


「お聞きのとおり、礼烽に一つ仕事を頼んでいてな。二、三日ほどお待ちいただけるだろうか。その間、貴殿らの衣食住の世話はこちらで引き受ける故」


「ありがたきお言葉に感謝致します。しかしながら、そのお仕事とおっしゃいますのは—–」


「水ノ処の神官殿には関係のないことです。ご心配なく」


 突き放すような言い方に、智漣さんはグッと眉間にしわを寄せた。

 以前仁萸さんが、智漣さんは温和で、礼儀礼節も弁えているが、決して怒らないわけではないと言っていたのを思い出す。

何より愛郷心があるので、智漣さんは出身地についてとやかく言われると、不満が顔に出やすい。

 せめて喧嘩だけはしないでくれと祈るように二人を見ていると、仁萸さんが口を開いた。


「失礼ながら、燐玉殿。こちらに参ります途中、市場で物資を集めていらっしゃることを耳に入れました。そして、その物資を紅砂海への遠征にお使いなさるとか」


「いかにも」


「紅砂海といえば、火ノ処の王侯貴族方がいらっしゃる場所。そのようなところに、何故朱雀隊が派遣されるのでしょう。王室にご挨拶しに行くにしては、少々仰々しいと思われるのですが」


「それが何か?」


「広大な砂漠に大量の物資と部隊。まるで長期間の戦争でもするようだ。しかし、武器の輸入はしていない」


 仁萸さんの言葉で、智漣さんは何か思いついたように目を開いた。


「まさか、禍人……」


「禍人がどうしたんですか?」


「武器の輸入がないということは、既存の兵器の数で対応が可能ということか、そもそも兵器が必要がないかのどちらかと予測されます。禍人相手ならば、処人の能力が主戦力となるため、必要以上に武器を揃えても意味がありません」


「処人の彼がわざわざ赴くということは、紅砂海に禍人が出た可能性が高い。商人たちがそのことを知らなかったのは、禍人が出現したことで混乱するのを防ぐために、情報統制を行なっていたからではないですか」


 智漣さんと仁萸さんに畳み掛けられた燐玉将軍は、面白そうに笑むと礼烽さんの方を向く。


「お二人はお気付きになられたようだ。礼烽、手伝っていただけばどうだ?」


 礼烽さんは何も言わずに眉をひそめた。

話についていけない私はおずおずと手を挙げる。


「あの、一体どういうことなんでしょうか?」


「お二人の言う通り、紅砂海に禍人が出たと報告を受けていてな。一人が行方不明になったという。王室の方から処人の派遣を要請されて、礼烽を遣るところなのだが……貴殿らには黙っていてほしかったようでな」


「それはどうして……」


「これは火ノ処の問題ですので、他処の方々に申し上げなくてもよいことです」


「しかしながら、礼烽殿お一人より我々も手助けした方が早く解決するでしょう」


「お気持ちだけいただきます。お話はここまでにして、貴殿らを客間までご案内致しましょう」


「……お前がよいのならば、私は何も言わないがな。よろしく頼んだぞ」


「はっ」


 重苦しいムードのまま将軍のもとをあとにする。

足元の悪い階段を下りて城を出るまで、誰も何も喋ろうとしない。

空白に耐えられなくなって思わず口を開いたのは、私が最初だった。


「あの、礼烽さん」


 前を歩いていた礼烽さんは、こちらを振り向くことなく歩き続けた。

声が小さかったのだろうかと、もう一度大きな声で呼びかける。

 礼烽さんはようやく気付いたと見えて、横目に私を見るとただ一言、


「何だよ」


 とぶっきらぼうに言った。

まさかそんな威圧的に来られると思わなかったので、言葉に詰まってしまう。


「えっと……」


「用がないなら呼ぶな。時間の無駄だ」


 反射的に何か言わなければと思ったが、うまく言葉が出てこない。

確かに重要な用件で話しかけたわけではない。

自己紹介をしようと思っただけなのだ。


「……失礼ですが、礼烽殿。いささか言葉が過ぎるのではありませんか」


 私が発言するより前に、智漣さんの口が開く。

明らかに声のトーンが低い。

ただでさえ良いとは言えない空気だったのに、更に険悪なものになってしまった。


「『神官殿』か」


「いかにも、私が水ノ処の神官を務めております、智漣ですが」


 こんなピリピリとした自己紹介を見たことがない。

チラッと仁萸さんを見たが、彼も彼で穏やかではない表情をしていた。

会って数分で一触即発になると誰が予想できただろうか。

話しかければ良かったと後悔したが、あとの祭りである。


「はっ! 他処の処人なんて興味なかったが、まさかお坊ちゃんたちが訪ねてくるとはな。まあ、水ノ処と木ノ処にはお似合いか」


「弱い奴ほどよく吠えるというけれど、あれは本当なのかもしれないねぇ」


「……何だと?」


「礼節を弁えているのは主人の前だけなのかい? その、人を見下したような態度はいただけないな」


「俺がこの女を見下したって言いたいのか? それは違うな。この女がぐずぐずしているから時間の無駄だと思った、それだけだ」


「礼烽殿、それ以上の狼藉はおやめいただきたい。第一、彼女は天女であらせられるお方です。そのような呼び方で彼女を呼ぶのは失礼でしょう」


「俺はそういう肩書きを盾にする奴らが嫌いなんだよ。天女だろうが何だろうが、権力の上に胡座をかいている奴を見ると気分が悪い」


「随分言ってくれるねぇ。燐玉さんの前ではだんまりだったのにさ」


「俺は将軍の命令で動いている。あんたらの旅に同行するのも命令だからだ。わかったか? 特にそこの女。自分を主人だと思って、容易く俺に命令するんじゃねぇぞ」


「……羽衣です」


「あ?」


「私の名前、羽衣って言います。お仕事で同行してくださるということは理解しました。これからよろしくお願いします」


 ようやくできた自己紹介にホッとして思わず、握手の手を差し出してしまったが、礼烽さんは驚いたような顔でこちらに目を向けた。

握手の文化がなかったのだろうかと、智漣さんと仁萸さんの方を見たが、二人とも目を丸くしていた。

どうやら握手の文化はないらしい。


 大人しく手を引っ込めると、礼烽さんもみんなも少しの間黙っていた。

新学期早々の自己紹介でスベってしまった人みたいな気持ちになる。

 四人で立ち止まっていると、一瞬あってから礼烽さんが「行くぞ」と案内を再開した。


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