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二十三、知らぬが仏

 燎さんに夕飯の片付けをお願いして、布団を敷いてもらった。

しばらくは、湯屋に行った仁萸さんの帰りを待っていたのだが、日中歩きつめていたせいか、すっかり眠りこけてしまっていた。

 ああ、寝てしまっていたなと薄っすら目を開けると、部屋の明かりはぼんやりとした行灯の光だけで、ボソボソと二人の話し声が聞こえてきた。


「羽衣君はもう寝てしまったのかい?」


「ええ。仁萸殿のお帰りを一緒にお待ちしていたのですが……お疲れになっていたようですね」


 仁萸さんは湯屋から帰ってきたらしい。

起きているとは言いづらくて、このまま寝たふりをすることにした。


「……僕さ、思ったより順調に事が進んでいて安心しているんだ」


「……とおっしゃいますと?」


「小さい頃に僕が処人だとわかったとき、処人としての使命をいろいろと聞かされたんだ。そんなこと自分にできるんだろうかって不安だったんだけどね、思ったよりうまくやれているから」


「……さようでございますね」


「……不躾な質問なんだけどさ、智漣君は羽衣君のことどう思っているんだい?」


 突然出た自分の名前に息を飲む。


「どうとは? …… 羽衣殿のことは心優しいお方だと思っておりますよ」


「本当にそれだけかい?」


 雑魚寝部屋の布団の上でそういう話をされてしまうと、本当に修学旅行の夜のようで戸惑う。

何故だか手汗が止まらず、起きていることがバレないように息を潜める。


「それだけとは」


「智漣君は、あまり人に深入りするような人間じゃないと思っていたから」


「私が彼女に深入りしていると?」


「いや、何というか……彼女を特別な気持ちで見ているんじゃないかと思ってね」


「それは……そうでしょう。私は処人で、彼女は天女です。私には彼女を守る使命があります。特別視するのは当然のことです」


「それは僕だってそうだよ! ……いや、そう思っているだけならいいんだ。変なことを聞いたね、すまない」


 私の話題で気まずい空気になってしまい、私まで申し訳ない気持ちになってしまう。

起きていたら、仁萸さんに文句の一つでも言ってしまいたくなるほどの雰囲気だ。

 いや、起きてはいるのだけれど、もう起きていると言うことができない場の空気だということぐらいは、愚鈍な私にでもわかる。


「……仁萸殿には、私が羽衣殿を特別扱いしているように見えますか?」


「いや、そう見えることもあるけど、処人としてなら、僕だって羽衣君は特別な存在になるし—–」


「いえ、違うのです。昔、私の部下として秀滓が神官補佐になったときも、周りから言われたことがあります。『お前は秀滓を贔屓目に見ている』と」


「秀滓君を? それは、まあ、君の直属の部下になるわけだし、周りの役人や従者と同じように接することはないだろう」


「それはそうなのですが……どのように申し上げればよいのでしょうか。()()()()()()、私の弟は秀滓や羽衣殿と同じぐらいの歳になっていたはずなのです」


 声しか聞こえない。

だけど、智漣さんの悲しそうな表情が思い浮かぶ。

 出会った頃に、秀滓さんから、智漣さんはご両親と弟さんを亡くされていると聞いていた。

私を心配してくれるのは、そういった辛い経験をしているからなのかもしれない。


「時折、不安になってしまいます。私と深く関わった人間は、いなくなってしまう定めなのではないかと。両親が亡くなったとき、疫病神だと言われたことがありましたが……あながち間違いではなかったのかもしれません」


「……君はそんなんじゃないさ。何、気にすることはない。人は形の見えない恐怖に名前をつけたがる生き物だ」


沈黙だけが返答をする。


「さあ、もう寝ようか。明日も早いからね」


「さようでございますね」


「……あまり、深く考えすぎない方がいい。ひとまず、僕らは処人を集めることだけを考えよう。それじゃ、おやすみ」


「……はい。おやすみなさいませ」


 行灯の光が消えた。

布団に潜り込む音だけが狭い部屋にこだまして、もの寂しい静けさだけが充満していく。

 何故だか悲しくなった。

 智漣さんの身の上話を聞いてしまったからだろうか。

 それとも、二人が私に親切にしてくれるのは、処人と天女という関係性があるからだと聞いたからだろうか。


 いや、どちらもわかっていたことだ。

智漣さんのご家族が亡くなったことは、出会ったときに聞いていた。

二人が私に優しいのだって、理由があるのは当たり前だ。

善意だけで一人の人間を命がけで守る方がおかしい。

私だって、元の世界に早く帰りたいから二人に協力しているのだ。

 だから、悲しくなる必要なんてない。


 それなのに涙が出てしまう。

 どうして。

声を押し殺して、焼きつくような喉の痛みを堪える。

自分が酷く孤独な存在のように思えて、不安になってしまう。


 流れる涙が夜の闇に同化していくのを誰かが拭い去った。


「悪い夢でも見ているのですか」


 誰に聞かせるでもないほどの囁き。

髪をサラサラと撫でられる。

ごめんなさい、と声に出そうと思ったが、うまく口にできなかった。


「巻き込んでしまってすみません」


 贖罪の言葉と私の嗚咽だけが闇に溶けていく。

もう誰も何も言わない。

子どもをあやすように背中を撫でられると、否応なしに微睡みの中へと落ちていく。

 薄れていく意識の中で、彼は最後に何かを呟いた気がした。


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