十八、旅では兄上、余は妹
出発の日の朝を迎えた。
木ノ処から火ノ処までは徒歩で約二日ほど。
馬や輿に乗ればもっと早く着くというが……歩きで行くことになったのも深いわけがある。
「火ノ処まで歩いていくというのですか」
「そうだよ」
目をパチリと開けて、智漣さんは何度か瞬きをした。
「羽衣君を狙っている者がいるのは間違いないんだ。馬や輿で出宮すれば、狙ってくれと言わんばかりじゃないか」
「確かに目立つのは避けたいですが……歩きでは羽衣殿に負担がかかりすぎます」
「そんなに心配していただかなくても、歩くのには慣れていますよ」
「ほら、羽衣君もこう言ってくれていることだからさ。それに火ノ処までは宿場町がある道を行くつもりだから、休み休み行けば体力的にも問題ないだろう」
野宿でも楽しそうだが、宿があるには越したことがない。
「しかしながら仁萸殿。宿場町は人が多いのではありませんか?」
「木ノ処から火ノ処までの宿場町は、あまり人がいないと聞いているから大丈夫じゃないかな」
「何で人が少ないんですか?」
「最近まで僕らの処と火ノ処は戦争中だったからねぇ。休戦はしているけど、木ノ処の人間が火ノ処に近付くことはあまりないよ。あんまり仲良くないからねぇ」
「特に火ノ処は外部からの人間を嫌う傾向が多いですからね。火ノ処の人間が他の処へ出稼ぎに行くことはあっても、他の処の人間が火ノ処へ商売しに行くことは滅多にありません」
行く前から近寄りがたい情報しか聞いていない気がする。
智漣さんも仁萸さんも、これまで火ノ処と敵対関係にあった地域の人だ。
休戦中とはいえ、そう簡単に気持ちの切り替えができないのだろう。
火ノ処の処人と智漣さんや仁萸さんの仲をとりもつのは、私の役目かもしれない。
「あ、そうだ。それと羽衣君の素性がわからないように、設定を考えておきたいんだ」
「さようでございますね。私の身分や仁萸殿の身分も共に伏せておいた方が賢明でしょう」
「神官さんや皇子と旅をしているとなったら、天女だと黙っていても、関係を疑われそうですしね」
「一番いいのは裕福な商家の娘というところかな」
頭の中に越後の縮緬問屋というワードが浮かんだ。
裕福な商人のフリをして二人のお供を連れているとなると、次から次へと事件に巻き込まれていきそうである。
「私が商家の娘ですか?」
「うん。羽衣君はこの国のことに疎いからね。世間を知らない箱入り娘ということにしておこう。それを不憫に思った兄が、妹に世界を見せてあげようと一緒に旅しているんだ」
智漣さんはジーッと仁萸さんに言われて眉を寄せた。
「もしや私が羽衣殿の兄ですか?」
「そう! 二人とも水ノ処の上等な服を着てるからね。その設定なら問題ないだろう?」
「えっと、じゃあ、仁萸さんは私の何にあたる方なんですか?」
「僕? ……二人の設定を考えるのに精一杯で、僕のことは考えていなかったな」
智漣さんは薄目でやれやれと言わんばかりにため息をついた。
「仁萸さんも私のお兄さんということにしますか?」
「そうだねぇ。木ノ処に出稼ぎに来てた兄ということにしておこうかな。じゃあ、よろしくね。智漣兄さん」
「に、兄さん?! 何故、私が長兄なのですか?」
「だって智漣君の方が僕より年上じゃないか」
「それはそうですが……」
そういえば、二人の年齢を知らないことに気付いた。
別段、年齢などわからなくても困ることはない。
二人とも20代前半の若者に見えるので、年齢もそれぐらいだとは思うが、兄だという設定でいくのなら、二人の詳しいプロフィールもわかっていた方がいいだろう。
「ちなみに智漣さんは今、おいくつなんですか?」
「二十三ですよ」
「僕は智漣君より三つ下だよ」
「じゃあ、お二人とも本当にお兄さんですね」
「羽衣君みたいな可愛い妹ができて嬉しいよ。とりあえず、火ノ処の城に着くまでは、兄妹ということでよろしくね」
「はい!」
そのようなわけで仮初めの三兄妹は、仁萸さんの部下の手引きで、こっそりと木ノ処を後にし、火ノ処と向かったわけである。
宿場町まで向かう途中、仁萸さんによる演技レッスンが始まった。
智漣さんが私たちのことを「殿」をつけて呼ぶ癖が抜けないためである。
「弟や妹のことを『殿』をつけて呼ぶ兄はなかなかいないと思うよ、僕は」
「そのようなことをおっしゃられても、継承をつけずにお呼びするのは失礼にあたりますから」
「それでおかしいなと思われて、痛い腹を探られる方が困るだろ?」
「そういう設定なんですから、私は呼び捨てでも何でもかまいませんよ」
智漣さんはわかりやすいぐらい困った顔をしていた。
おそらく誰にでも敬語で話す人だ。
急に呼び捨てやタメ口で話すのは難しいのだろう。
「……仁萸」
「何だい、兄さん」
仁萸さんの和かな表情に対して、智漣さんは苦いものを食べさせられた後のような顔色だった。
「その調子で頼むよ、兄さん」
肩を叩かれた智漣さんは、さらにげっそりとした顔になった。
そうやってしばらくあれこれと兄妹のフリをする練習をしていると、ザワザワとした喧騒が聞こえてきた。
「一つ目の宿場町に着い……どういうことなのかな、これは」
先ほどまで智漣さんをいじり倒していた仁萸さんの顔が、愉快そうな顔から真顔になる。
「これってもしかして賑わってません?」
仁萸さんの口ぶりから、宿場町はシャッター街になりつつある商店街をイメージしていた。
ところが実際は、道の駅の朝市ぐらいの賑わいようである。
「人の多さもそうですが、これではどこの宿も満杯かもしれませんね」
「そうだよねぇ。二つ目の宿場町まで行くという手もあるけど、着く頃には夜だしなぁ」
「野宿しますか?」
「羽衣殿……いえ、貴女にそのようなことはさせられません。それに野宿は物盗りに襲われる可能性がありますからね」
羽衣殿と呼ぶたびに仁萸さんに怒られるので、智漣さんは名前で呼ぶことを諦めたらしい。
「とりあえず、一つ一つ宿を訪ねるしかないかぁ」
こうして、一軒一軒しらみつぶしに宿泊場所を探すことになった。




