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十六、洗った血は水よりも濃い

「菑貴人は脅迫されているんじゃないでしょうか」


 誰も何も喋らない。

私の声だけがその場に響く。


「不思議だったんです。普通、誰かを殺すならバレないようにするじゃないですか。でも、貴人は自分が犯人だと言わんばかりに振る舞っている。それが貴人の目的なんじゃないでしょうか」


 菑貴人は黙って下を向いている。

答える気はなさそうだった。


「わざと犯人のように振る舞う。それはどういうときにする行動か。ひとつは誰かをかばうときです」


 大切な人が罪を犯してしまい、自分が犯人を演じることで、その人をかばおうとするのは、推理小説でも見かけるパターンだ。


「しかし、この後宮に菑貴人と親しい人はいません。貴人は皇帝の寵愛を受けているため、他の妃嬪から妬まれているほどだと聞きました」


「それ故に、羽衣殿は菑貴人が何者かに脅迫されているとお考えになったのですね」


「はい。もう一つは何か弱みを握られて、罪の片棒を担がされている場合だと思いました。夜伽中に皇帝が毒を盛られたことも、私が貴人に案内された青龍園で襲われたのも事実ですから、おそらく菑貴人がまったくの無実ということはないと思います。だけど……」


 菑貴人が本当に悪人ならば、私と仁萸さんが襲われたことをわざわざ智漣さんに報告する必要はない。

 貴人のこれまでの行動において不自然な点は、貴人が真犯人に抵抗した結果だと思う。


「失礼だが天女殿。それは全て確証のない貴方の想像に過ぎないだろう」


 私の話を遮ったのは第一皇子だった。

そうだ。確かに証拠はない。

しかし、菑貴人が犯人ならば不自然な点が多すぎるのも事実だ。


「確かに私の推測です。しかし—–」


「待ってくれないかい、羽衣君」


 仁萸さんは軽く手を挙げて私を制した。

 そして、真っ青な顔色をした菑貴人に近付くと、耳元でそっと何かを囁いた。

みるみるうちに貴人の目に涙が溜まり、ワッと堰を切ったように貴人は跪いて泣き始める。

 突然のことに誰もが驚いて貴人を見た。


「申し訳ございません! 私めは……私めは、藐惹様に弟を人質にとられてどうしようもなく……陛下と天女様を殺めようとしたのです!」


「何を言う!」


「天女様はご存知でしょう。私めは、時折あのように藐惹様に呼ばれては、弟を殺されたくなかったら言うことを聞けと命令されておりました。この後宮には誰も頼れる者がおらず、私めはどうすることもできなかったのです」


 初めて第一皇子と菑貴人を見たあのとき。

あれは貴人が脅されている場面だったのか。


「私めは藐惹様のおっしゃる通り陛下と天女様を殺めようとしましたが……恐ろしくてできませんでした。然れども、弟を見捨てることなどできず、失敗したふりをして藐惹様の目を欺いていたのです」


「それで皇帝に飲ませる毒薬に解毒剤を混ぜて、私と仁萸さんが襲われたことを智漣さんに言ったんですか」


「はい。仁萸様のことは藐惹様から青龍園で監禁されていると伺っておりました」


「……この通りです、兄上。僕は六年前のあの日から、貴方が僕の命を狙っていることを知っていました。だからずっと、僕の私兵に兄上の行動を見張らせていたのです」


 六年前のあの日。

おそらく仁萸さんが殺されかけた日のことだ。

二人の宮人が最初は罪を否認していたのにもかかわらず、突然罪を認めたと言っていた。

 その二人も誰かに脅されていたとしたら?

家族を人質にとられて、その家族に手を出させないために自分を犠牲にしたのではないか?


 そして、その一族郎党皆殺しにしたのは皇后だ。

自分の息子が仁萸さんを殺そうとしたのを知った皇后は、息子を守るためにこの事件に憤慨したフリをしたのではないだろうか。

仁萸さんの母親である皇貴妃と仲の悪いはずの皇后が、この事件について怒りを露わにすれば、皇后の一派はこの事件と関係がないことを示すことができる。

 犯人に仕立て上げた宮人も処刑し、人質にとった家族も口を塞いでしまえば、この事件について真相を知っている者は誰もいない。


「僕は菑貴人が脅迫されていたことも知っていました。全てを知っていたうえで知らない風を装っていた。それは兄上の後ろに誰かいると睨んでいるからです」


 第一皇子は血が出そうなほど拳を握りしめて、仁萸さんの話を聞いていた。


「兄上、僕は正直言って皇帝の座に興味はない。僕が望むのは家族の幸せと民の平穏。僕が身を引くことで兄上が幸せになるのならば、僕は喜んで兄上の臣下になる!」


 仁萸さんの声には少しの怒りと悲しみの色が漂っている。


「我ら母は違えど兄弟だとおっしゃってくれたのは兄上だ! 僕は幼い頃そう言ってくれた兄上が好きだった。けれど兄上はおかしくなってしまった。皇帝の座にしか興味を持たなくなり、臣下を蔑ろにし、僕や母上や父上まで傷つけようとする! 貴方こそ誰かに誑かされているのだ! そうでしょう!」


 仁萸さんは動く方の手で第一皇子の胸ぐらを掴む。

はっきりとした怒りがそこにはあった。

 対して、第一皇子の目には冷たさしかなかった。


「言いたいことはそれだけか、仁萸」


「だったら何だと言うのです……」


 第一皇子は仁萸さんの手を払いのけると、ゴミでも見るかのような目で仁萸さんを見つめ返した。


「菑貴人が罪を犯したのは事実。極刑は免れまい。私をその共犯にしたいのであれば、そのようにするといい。だがな、仁萸。父上も倒れて、私もいなくなり、お前が皇帝の座を継いでみろ。我が母は黙っているだろうか? 皇后の生家は、木ノ処でも強い影響力を持つ家だ。政に口を出して、お前の世を崩壊へと導くかもしれぬな」


 第一皇子は皇貴妃を見やった。


「第一、私を死へと追い込めば、お前の大切な母上が意趣返しの犠牲になるかもしれんぞ。お前は家族を全て失いたいのか?」


「そこまでになさい、藐惹」


「おや、おば様を怒らせてしまいましたか? 失礼」


「いいえ、藐惹。こなたは怒ってなどおりません。ただ、貴方を可哀想に思っております。貴方の背後に誰がいるかなぞ、こなたは知る由もありませんが、こなたの目が黒いうちは、貴方の思い通りにはさせませんよ。こなたはずっとこの後宮で、貴方の母君相手に闘ってきたのです。その息子になぞ、こなたもこなたの息子も負けることはないでしょう」


 皇貴妃は仁萸さんを庇うように歩み出た。


「信頼できる者がいない貴方は、仁萸には敵わない。それがわからない貴方は不憫な子です」


 第一皇子は苦虫を噛み潰したような顔をすると、踵を返した。

「失礼する」とだけ述べると、足早に去っていく。

 嵐のような兄弟喧嘩は、一旦幕を閉じたのである。

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