十五、知らぬ顔はどちらか
青龍園を抜けると、門の前に何人かの人影を見た。
私たちの姿を捉えると、一人の女性が早足で近付いてくる。
その後を彼女の付き人であろう従者が数人、そして第一皇子と菑貴人が少し後ろに控えていた。
「仁萸」
女性は愛おしそうに名前を呼ぶ。
仁萸さんは抱えていた男を従者に預けると、その女性の前に跪いた。
「母上、ご心配をおかけいたしました」
「頭を上げなさい、仁萸。母が子を心配するのは道理。貴方が謝る必要などないのですよ」
一際豪華な服と飾りを身につけたこの女性は、仁萸さんの母親であるらしい。
ということは、彼女こそがこの後宮のナンバーツーと言われる皇貴妃なのだろう。
「しかし、母上が何故こちらに?」
「神官殿とお話ししておりましたら、菑貴人が突然こなたに会いにきて、貴方と天女様が襲われたと報告してくれたのです」
「仁萸、あまりおば様を心配させるな。今医者を呼んだから、じきに来るだろう。怪我は大丈夫なのか?」
「兄上にもご心配をおかけいたしました。この程度の傷はかすり傷ですよ」
一見和やかな家族の会話である。
私と智漣さんは少し離れたところで見守っていたが、ふとある疑問が思い浮かんだ。
「智漣さん、先ほど皇貴妃は、菑貴人が『私と仁萸さんが襲われた』と言ったとおっしゃいました?」
「はい。私が皇貴妃の宮にお邪魔しておりましたところ、怪しげな男に襲われて、羽衣殿の助けで命からがら逃げることができたと菑貴人が……」
「そこですよ。どうして、菑貴人は仁萸さんが青龍園にいると知っていたんですか?」
その言葉を発した途端、和やかな雰囲気が音を立てて崩れていくような気配を察した。
ちらっと菑貴人の顔を見ると真っ白に血の気を失っている。
第一皇子は少し口を歪めた。
皇貴妃は目を見開いて菑貴人を見た。
唯一顔色を変えないのは仁萸さんだけであった。
何かとんでもないことを言ってしまった気がする。
「菑貴人と私が青龍園で離れ離れになったのは、私が仁萸さんと出会う前です。菑貴人は仁萸さんを見かけていないはず。それなのにどうして仁萸さんもここにいると知っていたんですか?」
壊してしまった雰囲気は仕方がないので、次は菑貴人に向けて質問してみる。
貴人の顔色は白を通り越して薄っすら青くなっていた。
「菑貴人、やはり貴方が父上に毒を盛り、あまつさえ第二皇子まで毒牙にかけようと……」
第一皇子の怒りに満ちた声を制したのは、意外にも仁萸さんだった。
「おや、兄上。僕のことを心配してくれるのですか?」
その眼差しは酷く冷たいものだった。
第一皇子は眉間にしわを寄せる。
「当たり前だろう。母親こそ違うが、仁萸は私の弟だ」
「僕が連れ帰ったこの死体。僕はこの男の顔に見覚えがありますよ。兄上の私兵の一人ですね」
第一皇子は男の顔を見やって、それから静かに首を振った。
「知らんな」
「おや……そうですか。僕を監禁し、天女様を襲った男は三人いました。一人はこの男ですが、あとの二人はまだ生きているはずですよ」
「その二人も私の兵だと?」
「兄上がおっしゃらずとも、兵たちの靴裏を見れば一目瞭然でしょう。青龍園を走って逃げたとなると、青龍の涙を踏んで靴裏が青く汚れているはず。一人の男は僕が思いっきり腹に蹴りを入れていますから、腹に痣があるでしょうね。……兄上の兵を一人残らず確認してもよろしいですか?」
第一皇子は唇を噛んだ。
そして、取り繕うように笑顔になる。
「ああ。血で汚れていたわからなかったが、この男は確かに私の兵やもしれぬ。腕は立つが、不真面目な男であったからして、おおかた菑貴人に惑わされてしまったのだろう」
仁萸さんは少しだけ眉を跳ねさせる。
「残りの兵については私が見つけ次第、死罪にしよう。大事な弟を傷つけたのだからな。だが、私の兵はいわば蜥蜴の尻尾。本体を叩かなくては意味がない。そうだろう?」
「……ええ、兄上のおっしゃる通りです」
第一皇子は満足そうに笑った。
「菑貴人」
第一皇子に名前を呼ばれた菑貴人は喉を震わせて返事をした。
「貴方は父上に毒を盛り、私の兵を誑かして仁萸を襲わせたのだな」
低く威圧するような声に菑貴人は今にも泣き出しそうに顔を歪める。
「お待ちください、第一皇子殿。失礼を承知で申し上げます。皇子のおっしゃる通り菑貴人が犯人なのだとしたら、何故皇貴妃様の宮に報告されにいらっしゃったのでしょう」
智漣さんに注目が集まった。
確かにそうだ。
秘密裏に私と仁萸さんを消すつもりなら、誰にも言わずに待っていれば良かったのだ。
「菑貴人のこれまでの行動は確かに怪しいものばかりです。しかしながら、貴人は同時に助けようと振る舞っている」
それを聞いてハッとした。
菑貴人の部屋から見つかったという解毒剤。
皇帝が即効性の毒物を飲まされたのに死ななかったのは、貴人が解毒剤を混ぜて中和させたからではないか。
私や仁萸さんが、貴人の報告を受けてやってきた智漣さんに救われたのも事実。
しかし、青龍園に私を連れてきたのも菑貴人だ。
どうして菑貴人は相反する二つの行動をとったのだろう。
どうして……。
「あっ!」
思わず口から漏れた大きな声に、視線は智漣さんから私へと移る。
「どうされたのですか、羽衣殿」
「すみません……何か思いついた気がして思わず声が出てしまい……」
「何にお気付きになられたのですか?」
「菑貴人の目的と行動が一致しないわけです」
私は自分の推測を発表しようとやや前に歩み出る。
まるで小説に出てくる探偵のようだ。




