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十二、撃ちはしたいが命は惜しし

 逃げなければ—–。

 菑貴人の手を取り駆け出そうとしたが、貴人はその場から動こうとしなかった。


「菑貴人、逃げましょう!」


「こなたは……」


 貴人は震えている。

 恐怖で動けないのか。


「わかりました。私が囮になりますから、菑貴人は早く逃げて!」


 言い終わらないうちに走り出す。

整備された小道から、森林が密集した横道に飛び込んだ。

 これだけ大木が生えていると、相手の姿を視野に捉えるのが難しい。

追っ手からも私が見えないが、私からも彼らの姿が見えない。

そんな場所を逃げるのは、一種の賭けである。


 足音がしないのを確認して、登りやすそうな木に登る。

上にいれば敵襲に気がつきやすいし、反撃が行いやすい。


 気取られる前に武器を作る。

 二股に分かれた太めの木の枝を十徳ナイフで切り出す。

木の上にいるので枝は伐採し放題だ。

 Y字型の枝を手に入れた後は、二ヶ所ある先端から一センチ程下の部分に切り込みをぐるっと入れる。

 最後に、先ほどつけた傷を滑り止めにし、先端部分に髪ゴムをXの形にしてかける。

あとはこのXの部分に小石をセットして引っ張れば、簡易のパチンコになる。

 ただ、眉間のような急所に当ててしまうと致命傷になってしまう可能性があるので、威嚇射撃に収める必要があるだろう。

本来なら、人に向けることも憚られるのだが。


 パチンコで目標を打つ練習をしていると物音がした。

木の葉がかすれる音でも、鳥が羽ばたく音でもない。

人が近付いてくる音だ。

息を殺して手の小石を握りしめる。

荒い息音と共に一人の男が走ってきた。

追っ手は何人かいたと思ったのだが、分散したらしい。

 一人ならば不意打ちで勝てるのではないか—–。

男が私の真下を通過して、こちらに背を向けた瞬間、後頭部に向けてパチンコを発射すれば。

 そこまで考えて、手が震えていることに気付いた。

運が悪ければ殺してしまうかもしれない。


 私にナイフの使い方やパチンコの作り方を教えてくれた祖母はよく言っていた。


「羽衣ちゃん。このパチンコを人に向けるとどうなると思う?」


「怪我しちゃう?」


「そうよね。でもね、羽衣ちゃん。ナイフだって火だってこのパチンコだって、使い方を誤れば危険なだけなのよ。使う人間が間違いを犯さなければ、これはとても役に立つ道具なの」


 正しい使い方をすれば道具で、間違った使い方をすれば凶器だ。

長い時間を費やして創り出された叡智の塊を、ふいにする行為はできない。

 私は決心して木から飛び降りる。


「あの……」


 男は懐刀を抜き、こちらに振り向いた。

木陰でよく見えていなかったのだが、よくよく見てみると追いかけてきた男たちとは違う服装である。

上は若草色の中華服で、下は裾が広くてひだのあるズボンを穿いている。

顎先まである前髪を真ん中分けにして、背中に届くほどの後ろ髪を一本に束ねた、清楚な雰囲気の男性である。


「君、木ノ処の人間じゃないね。水ノ処の子かい?」


「どうしてわかったんですか?」


 彼は懐刀をしまい、こちらに歩み寄ってきた。


「青を基調としたその旅装束は、水ノ処の女性がよく着るものだ。生地も絹が使われている高貴なものだね。君は大臣のご息女かな?」


 どうやら追っ手とは関係のない人らしい。

 護衛の人ならありがたいのだが。


「私は神官である智漣と共に、水ノ処から参った者です。えっと……」


 天女だと言いかけてやめた。

 あの男たちが、菑貴人を狙っていたのか私を狙っていたのか定かではないが、もし私を狙っていたのだとしたら、その肩書き故に狙った可能性が高いだろう。

 目の前の男性の素性もわからない今、身分を明かして敵意を向けられるわけにもいかない。


「なるほど。わかりました。僕の名は仁萸(じんゆ)と言います。君は?」


 言い淀んでいる間に、仁萸と名乗る青年は話を進めてしまった。


「羽衣です」


「羽衣君か。悪いが、僕は今追われている身でね。僕と一緒にいると、君まで巻き込んでしまうかもしれない。君は今、一人かい?」


「仁萸さんも追われているんですか? 私も菑貴人と一緒に来たんですけど、黒ずくめの男たちに追われてはぐれてしまって」


「菑貴人と?」


「青龍園を案内してもらってたんです」


 仁萸さんは首をひねる。


「君、陛下が何者かに毒を盛られた話は知ってるかい?」


「はい」


「あの出来事以降、この青龍園に妃嬪が入ることは禁止されているんだよ」


 青龍園に入ることを禁止されている?

それならば、どうして菑貴人は、私をここに案内したのだろうか。


「どうして立ち入りが禁止されているんですか?」


「ここには、青龍の涙と呼ばれる毒草が生えていてね。陛下が飲まされた毒は、その毒草だと考えられている。ここに今入っていいのは、調査が許されている医者と官吏だけだ」


 その言葉を信じるならば、仁萸さんは医者なのかもしれない。

 役人の服装でないことは確かだ。


「菑貴人は、皇帝に毒を盛った犯人だと考えられているんですよね。それが本当かどうかはさておいて、貴人がこの事件に深く関わっていることは、間違いないと思うんですが」


「そうだね……。しかし、僕も君も追われている身の上だ。とりあえず、奴らに見つかる前にここを出よう」


 そう言って、仁萸さんは私の手を取る。

 そのとき、彼の腕にある傷跡が目にとまった。

ミミズ腫れのような痛ましいものである。


「仁萸さん、その腕……」


「ん? ああ、これかい?」


 袖をまくると、腕に赤い筋や切り傷が走っていた。


「数日前、奴らに誘拐されてね。ここの最奥に古い小屋があるのだけれど、そこにしばらく監禁されていたんだ。まったくもって手荒な歓迎だよ」


 軽い口調だったが、監禁されたうえに、拷問という憂き目にあったということらしい。

 痛々しい傷を天女の力で治そうかと思ったが、ここでその力を使えば、天女であることがバレてしまうかもしれない。

悩んだ結果、ひとまず逃げることを優先することにした。

 仁萸さんに連れられて、出口を目指し駆け出す。

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