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恋と思い出


 夏の暑さも落ち着いてきて、だいぶ過ごしやすくなってきた。

 最近は仕事も忙しさがピークを過ぎ、睡眠時間も人並にはとれてきている。ページをめくる手もなんだか軽い。


 ベンチのある空間を少し過ぎると、吹き抜けになっている場所がある。下から吹き抜けを覗くと、ラフィが手すりに座って本を読んでいる。彼女も過ごしやすい空気で読書を満喫しているようだ。


 ページに目を戻して読書に戻る。今日ものんびりと過ごせそうだ。

 

「君、ちょっといいかな?」

 唐突に声がして後ろを振り返る。ここではめったに話しかけられることはない。あっても管理人さんくらいだ。俺の振り返った先には背の高い老人が立っていた。

 歳は60から70歳くらいだろうか、髪は半分くらいが白くなってはいるが綺麗に整えられている。おそらく仕事は引退している歳だろうが、現役のサラリーマンのようにピッタリと短く揃えられた短髪が、整髪料で固められていた。

 図書館に似合わない……という雰囲気ではないし、逆に自分の方が場違いな気持ちになって姿勢を正す。

 服装もしっかりしている。アイロンがかけられたシャツと濃いグレーの上着が厳しそうな顔によく似合っている。左手には足が悪いのか杖をついていた。


「俺……ですか?」

「君だよ。突然話しかけて、驚かせてすまないね」そう言うとニコっと笑った。

 最初は厳しそうだと思ったが、笑った目は優しかった。

 何事かとラフィが降りてくるのがわかった。老人が話を続ける。


「入口で管理人さんに聞いてね。ここの本を探していると相談したら、『私はちょっとわからないな』と。その代わり、ここに入り浸っている青年がいるから、その人ならわかるんじゃないかと言われてね」

 老人がゆっくりと経緯を説明する。管理人さんは確かに名ばかりではあるけれど、よく入口の辺りで本を読んでいるのは見ている。

 直接話したことは少ないが、頻繁に顔を合わせているので、何かこの図書館を介した同志のような、妙な信頼感があった。あっちもそう思ってくれているなら嬉しい。

 まぁ、ただ面倒なことを振られただけかもしれないが。


 本を探すということなら俺も忙しいわけではないし、断る理由もなかった。なによりこっちには『図書館の妖精』もいる。


「探すのを、手伝ってくれないかな」

 老人が頭に手をやって、申し訳なさそうに言う。

 なにか人とよく関わる仕事をしていたのかもしれない。最初のきっちりした印象はあるが、話すと柔らかい人柄がにじみ出ている。どちらもとても好感が持てた。


「いいですよ。俺も暇ですから」

 な、と後ろを振り返ってラフィに目で合図をすると、大きく頷いた。今日はサイドでまとめている髪が一緒に揺れた。




「私は渡辺といいます。今は別の県に住んでいるんだけれど、今日はちょっと用事があってこの近くまで来たんだ」

 軽く自己紹介した後渡辺さんは探す本の話を始めた。場所はテーブルの並べてある吹き抜けの下の閲覧スペースに移動してきている。俺の向かいに渡辺さん、隣にはラフィが座る。

 座るといっても椅子は置いてなく、ラフィは同じ目線で浮いている。


「この図書館は私もずっと通っていた所でね、それこそ試験の前や調べものがある時以外も、随分多くの時間をここで過ごしたよ」


 俺の来るずっと前の話。まだこの図書館が現役で、人がたくさん来ていた頃のこと。

 渡辺さんは学生の時からここに通い本を読んでいた。そして、その頃に気になる女性ができたらしい。いつもその人は本を静かに読んでいて、どうしても話しかけることができなかった。


「もう卒業するときになって、最後に一度だけでも話しかけたいと図書館に行ったんだ。そしたら彼女がいてね。いつもと同じように本を読んでいた。夢中になって読んでいるものだから声もかけづらくてね。ずっと本を読むふりをして彼女の方を見ていたんだ。おかしいよね。今目の前にいたら、お前なにやってるんだ! って尻を叩いてやるんだがね」

 そう言うと渡辺さんは笑った。

 俺たちも笑ったが、気持ちはわかる。本を読んでいる時間は邪魔したくない。


「いよいよ閉館時間になって、彼女も帰る準備を始めて、ここしかないと行ったんだよ。ただ、彼女を目の前にすると頭が真っ白になってしまってね。何も話さないのも変だし、咄嗟に『その本面白い?』って聞いたら、彼女が『面白いわ。私は読み終わったので、次借りて読んでみて』って」

 夕暮れ間近の図書館、人もまばらになってきた時、本を読んでいる女の子に男の子が近づいてぎこちなく話しかける。実際見てなくても目の前に浮かんでくるようだった。


「その本なんですか?探している本なのは」


「そうなんだ。結局私もそれからこの街を離れてしまってね。図書館に来ることはないままで」

 渡辺さんが残念そうに遠くを見る。

「ずっとどこかで引っ掛かってたのかな、いつか来よう、いつか来ようと思って、やっと来ることができた」

 そう言う顔は、学生時代に戻っているかのようだった。


「いいですよ。俺もその本読んでみたくなったし。探しましょう」横でラフィもうんうんと首を縦に振る。声を出しても聞こえることはないのだが、彼女なりに俺が反応しないように気を使っているようだ。


「ありがとう。助かるよ。ところで……君は今恋人や好きな子とかはいるのかい?」

 唐突な質問にびっくりする。

「え……いや、あの……」

 最近忙しくてそんなことを考えたのも久しぶりだった。そもそも女の子とも関わることが少ない……というか最近はラフィくらいしか……

 そう思って隣をチラッと見るとラフィも不思議そうな顔でこっちを見ている。

 ラフィは良い子だし、可愛いけれど……俺はどんな位置づけで彼女と関わっているんだろう。


 しばらく答えに詰まってると渡辺さんが笑った。

「いやいや、ごめん。ちょっと聞いてみたくなってね。自分の恋の話だけするのも恥ずかしくて、君の方にも振ってしまった。すまんすまん」


 

 

 そして本を探し始めたのだが、これが難問だった。


 まず題名がわからない。渡辺さんが覚えているのは、その本が青めのカバーで、刺繍のようなデザインがされていたこと。映像のように覚えているから、見ればすぐわかるのに、と言って悔しがったが、わからないものは仕方がない。


「これ……はどうです? これとか?」

 何冊か目についた物を持って行っても、一瞥して違うと言うだけだった。


「見た目はそれっぽいのもあるけど、この図書館1つとなるとなぁ」

「そうですね。私も似たものは覚えてましたが、どれも駄目でした……」

 渡辺さんから見えない所で小声で話す。さっきからもう1時間は探している。ラフィが探した本も俺が確認に持っていったが、大量に返品されただけだった。


 渡辺さんはというと、杖で歩きながら、棚を一冊ずつ丁寧に見て回っていた。たまに周りを見渡して、少しため息をついている。

 その姿をラフィも見ているようだった。ラフィと顔を合わせて頷く。


 誰かのために本を探すというのはしかし、新鮮な作業だった。いつもは自分の好みのものを無意識に判別しているのかもしれない。ここにこんな本が、という驚きがあちらこちらに隠れていて、読みたい欲求が襲ってきた。そのたび、後でな、と自分に言い聞かせる。


 あっちの棚は終わったから今度はこっち。ラフィも飛び回りながら本を探す。




 ──しかしそれから数時間、結局見つからないまま閉館時間が近づいていた。


 結局目当ての本は見つからないままだった。

「すみません……。結局見つけることができませんでした。」

 そう言うと、渡辺さんはいやいや、と頭を下げた。


「こちらこそ、ありがとう。こんな私のわがままに付き合ってもらって、それだけでとても感謝しているよ」

 清々しい笑顔だった。

 今日ここを離れたら、おそらくこの街へはもう来ることはないだろうと聞いている。


「俺た……俺、ちょうど見てしまったんですけど、探している時渡辺さんため息ついてたじゃないですか。やっぱりどうしても見つけたいんだなって。また来れないですか? 次までまた何冊でも探しておくので」

 そう言うと、驚いたような顔をして、渡辺さんがしみじみと話を始めた。


「いや、ごめんごめん。そんなところ見られてしまってたか。いや、ため息はたしかについたけれど、残念とかそういうもんじゃないんだ」

 ポリポリと頭をかく。

「どんどん、ここでのことを思い出してきてね……。彼女のこと、友達のこと。若かった時のこと。忘れていたことが次から次へと出てきたんだ。あの本読んだ時にあのことがあった。あの本はあいつと感想を言いながら話したっけ、とか」

 どこか悲し気だけれど嬉しそうな表情。

「幸せなため息だよ。楽しかった思い出がまた自分の中に帰ってきたようだ。これは彼女からの贈り物かもしれないね」


「渡辺さん……」


「本はみつからなかったけれど、思い出はたくさんあったよ。もちろん、一緒に探してくれたおかげだ。それに、私の恋はやはりあそこで完結していたのかもしれない。綺麗な片思いだからこそ、本は見つからないままでいいと、この図書館は言ってくれてるような気がしてね。現実は物語のようにきっちりとした終わりなんてないものなんだろうね」


 そう言うと、深々とおじぎをした。


「それじゃ、私は帰るとするよ。本当にありがとう」


 そう言って渡辺さんは図書館を出ていった。

 






「ケイも思い出はありますか?」

 ラフィがぽつりと言った。彼女はまだ昔の記憶を取り戻せてない。

 

「あるよ。色々と」

「大事ですか?」

「大事だよ」

 少し間があって、小さな声でラフィが言う。


「私との思い出も大事にしてくれますか?」


「もちろん」


 彼女が何を考えてそれを聞いてきたのかはわからなかった。


「絶対ですよっ」

 彼女が笑って言う。


 俺も笑いかえす。今のことを忘れることなんて無いだろう。いや、忘れたくない。





「おーい。そろそろ閉めるよ」

 管理人さんの声がした。

 最後の見回りだろうか、近づいてくる。


「今日はご苦労さんだったね。ありがとう」


「いえ、こっちも楽しかったです」

 それは本当だ。


「満足そうに帰っていったよ。僕にもね、お礼とあと伝言をよろしくってさ」


「伝言……ですか?」

 

「『君たちの物語はこれからだね』って。どういうことだろ?君1人だよね」


「え……?」

 空中のラフィと顔を合わせる。


 途中での会話を思い出す。

 俺と……ラフィの物語。ラストはどんなことになるんだろう。


 急に黙った俺を、管理人さんが不思議そうに見ていた。



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