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俺とベンチと見知らぬ声

 目の前に沢山の○○。魅惑的な言葉だ。なんであれ自分が満足できる以上の量があることは幸せなんじゃないだろうか。

 もちろん、それは無駄だという場合もある。量がいくらあってもすぐに腐ってしまったり無くなってしまうようじゃ意味がない。それは当たり前だ。

 

 誰もいない図書館の奥、規則的とはいえない棚に囲まれて迷路になったような奥の奥。

 誰が準備したかもわからないが、少し開けてベンチが一つだけ置いてある。窓からは明るい光が差し込んでそこだけ日だまりができている。ここが一番静かに本を読める場所だと最初に気づいたやつが置いたのだろう。ベンチに座って本を開く。

 俺はここで本を読むのが好きだ。周りには読み切れないほどの沢山の本。この一冊一冊に物語が詰まっていると思うと、その空間の密度に不思議と心が落ち着く。

 学生の時から静かな図書館はお気に入りの場所だった。気になった本を取って、しんとした空気の中で物語の世界に入り込んでいくと、自分が想像もしていなかったことが頭の中で実際の風景として広がっていく。登場人物と一緒になり様々な場所と不思議なことを体験していく感覚が好きだった。

 確かに想像の世界ではあるけれど、それは実体験と変わらないように俺の気持ちを昂ぶらせるし、悲しみや苦しみも同じように俺の心に入ってくる。読み終わると長い旅を終えた後のような気分になった。


 社会人になってからも頻度は減ったが、引っ越したところで見つけたのがこの図書館だ。

 休みになるとここに来るのが俺の定番になっている。


 周りに誰もいない所でじっくり本を……いや、訂正すると最近は本を持ってそのベンチまでは来るが、数ページ読んだだけであとはまぶたが次第に重くなってくる。

 そうしたらそのまま横になって、本を置いてゆっくり昼寝をする。

 囲まれた棚から本の匂いがする。時間を置いた紙の匂い。


 この街に来てから一年くらいたったが、職場の知り合いはいるけれど友達と呼べるほどの友達はいない。そもそも遊べる余裕がないくらい毎日の仕事で頭がいっぱいだ。

 この図書館のこの場所は俺の毎日のささやかな癒しになっている。

 ゆっくりした時間で、忙しかった頭も余裕ができてくると、自然と昨日までの仕事のことが湧き水のように頭の中に染み出てきた。

 細かなミスが繋がってリカバリーするのにほとんど走り回っていた。

 溢れる書類。止まらないメール。怒鳴る課長……。

 頭を振って湧き出てきた日常を振り落とすと、深呼吸して目を閉じるともう一度周りの空気に自分を溶け込ませる。

 なんとか週末までには回復の目途がついたけれど、昨日帰ってきたのが夜11時をまわってからだった。気が滅入ってくる。それに……いや、いい、もうしばらく仕事のことは忘れてゆっくりしよう。



 目を開ける。陽の光が淡く周りを照らしている。遠くで人が歩く音がした気がしたが、ここの管理人さんだろう。


 ここにいると日常が夢のようで、少しずつ心の余裕が戻ってくる。


 そして俺はまた目を閉じた。





「疲れてますね。どんな物語がいいですか?」

 どこからか声が聞こえる。


「とりあえずゆっくりできるならなんでもいいかな」

 返事をした、ような気がした。


「それなら、こんなのはどうでしょう。東欧の小国の物語。女の子は悪い盗賊に襲われますが、逃げた先で心やさしいドワーフと会います」


 声が続く。


「2人が出会ったのは小高い丘の上の花畑。季節は春。──暖かい風が吹く」


 


 とたんにふわりと心地よい風が顔に当たった。


 目を開ける。さっきまでの図書館ではなかった。辺り一面拡がる黄色の花畑の中、ベンチだけは図書館のまま俺は横になっていた。


「なんだ……ここは……」


 しばらく花畑を見る。どこまでも心地いい場所だ。

 また横になって目を閉じた。


 夢だ。夢ならこのままもう少しゆっくりしていたい。こんなに心地いい所なんてそうは来れない。


「気に入りましたか?」


 今度は近くで声がした。目を開けると俺の頭の近くに誰かが座っている。逆光で顔が見えない。

 体を起こすと顔がようやく見えた。女の子が俺の方を見て微笑んでいた。


「私もここは好きなんですよ。天国みたいですよね。あ、私天国行ったことないですけど」

 そう言ってえへへと笑った。


 歳は高校生くらいだろうか。長い茶色の髪に、どこかの民族衣装のようなゆったりした服。


「あ、私ラフィーリアって言います。ラフィって呼んでください」

 大きな目がくるくるとこっちを見る。


「俺は圭吾……」


「ケイゴさんですね。それじゃケイって呼びます」


 俺の名前は略すほど長い名前じゃないだろ…と言いたくなったが、訂正するのはやめた。特に訂正する理由は思いつかなかった。


 それに、ケイと呼んで笑ったその子の顔はなんだか楽しそうで嬉しそうで、見ていてとても心地が良かった。


「でも不思議ですよね。なんで私と話せるんです?」


「いや……、それ俺に聞かれても」


 俺の方を観察するように彼女が目を凝らす。俺もそんな凝視されるとどうしていいかわからない。

 だが、それはどうも演技だったようだ、えへへとまた笑って彼女が言う。


「びっくりするかもしれないですけど、実は私は前からあなたのことは知ってたんです。ケイはよく図書館に来てますよね。あそこのベンチは私もお気に入りです」

 俺があの場所に来てからは管理人さん以外には誰にも会ったことはなかった。もちろんこの子のことを見たことはない。

「何回か話しかけたんですけど、いつもすぐ寝てしまって私に気づかなかったんですよ?」


 俺の方を向いて眉をひそめた。


「それはごめん」俺が謝ることではないような気がしたが、ここは大人しく謝って置こう。というか女の子と面と向かって話すのも久しぶりだ。どう話せばいいのかわからない。


「冗談ですよ。そもそも私、普通の人には見えませんから」


 意地悪そうに笑ったかと思うと、

 手を上に上げて全身に光を浴びるように立ち上がる。

 俺もだいぶマイペースと言われることが多いが、この子のペースもつかめたもんじゃない。というかこの状況に俺の頭は早々に白旗を上げていた。

 普通の人には見えないと言ったが、何が普通なのかも今の状況じゃわからない。

「君はいったい……?」


 ラフィがふふふと笑って、一回転してポーズを決める。


「私はですね。なんと!図書館の妖精です」

 額にかざしたVサインがきらりと光る。


「……まぁ自称なんですけど」

 Vサインのきらめきが途端にメッキに見えた。


 まだ夢を見ているんじゃないだろうか。いや、夢でいいや。こんな平和な夢は、今週頑張った俺への、神様からのプレゼントだ。


「自称の妖精とか初めて会ったよ」

 とりあえず思ったことが口に出た。それを聞いて彼女が不思議そうな顔をする。


「あれ?自称じゃない妖精とは会ったことあるんですか?」


 そう言われればそうだ。顔を合わせて笑った。



 笑って気が緩んでベンチに横になると、並んでラフィも横になってきた。


「これはラフィの魔法?」


「魔法ですよ。すごいでしょう」


「さっき東欧の……とか言ってたけど、どういうこと?」


「私は本の中を実際に作ることができるんです。こういう風景とかも」


「例えば、風」

 ゆっくりラフィが手を振ると、心地いい風が吹いた。


「それに、木も」

 花畑の隣にあった木がどんどん大きくなったかと思うと、ベンチを覆い日陰ができた。


「この風景の中なら思いのままです」

 ふわっと起き上がると、俺の顔を覗き込んだ。

「何かご注文はありますか?」

 

 顔が近い。目のやり場に困って、横を向く。


「いや……。あ、とりあえず」

 考えたがすぐには浮かばない。図書館に居たと思ったら天国みたいな場所にいつの間にか移動していて、その景色はこの目の前の妖精の女の子が作ってて……。頭の中フル回転させようと思ったが、既に休みに入った脳みそは、『どうせ考えてもわからん』と匙を投げている。

 風景を見渡す。どこまでも気持ちのいい風が吹いていた。隣にいるラフィに視線を移すと不思議そうにニコッと笑った。


「俺と一緒にここで昼寝でもしようか」



「──ふふ。はいっ!」

 一瞬気の抜けたような表情をしてから、笑いながらラフィが返事をした。



 誰かが隣にいる休日も悪くない。

 忙しい日常から離れようときた場所で、彼女は非日常なのになぜか安心できる雰囲気をもっていた。





 昼寝から目を覚ますと、隣ではまだラフィが寝ていた。

 いい夢でも見ているのか、幸せそうな顔をしている。


 これが夢の中なら、俺は夢の中で昼寝をしていたのか……。

 さっきまでと変わらずいい風が吹いている。頭がようやく動きだしたのかさっきまでのふわふわとした感覚は少し収まって、これがリアルに感じているのだというのが徐々に強くなっていた。


「夢でも夢でなくても、そろそろ帰らないとな」

 太陽も変わらず照らしていたが、体感としてはもう図書館も閉まる時間じゃないだろうか。


「おい、ラフィ起きるぞ。帰ろう」

 体をゆすってを起こす。


「おはようございまし。ケイさん……」

 口調がおかしい。


「寝ぼけてないで、そろそろ図書館に帰らないとならない時間じゃないか?」


「そうでございますね。旦那さん……」

 なんの夢を見ていたんだ。幸せそうな顔をしているので悪い夢ではなさそうだ。


「今日はありがとうな。おかげでゆっくり休めたよ」


 寝ぼけてるあいだに御礼を言った。


 口元がわずかに動いて、えへへとラフィが照れる。


「お前、起きてるだろ」


「いや、今起きました。ケイ。いい気持ちで起きられましたよ」

 顔を隠すようにして起き上がる。

 動きがぎこちないので、今まで寝ていたのは間違いないようだ。それを見て、俺も体を伸ばして帰る準備を始める。といきなり変な声が聞こえた。


「それじゃ帰りましょうか!……あっ。……え?い、いわぇぁ……」

 言葉にならないような言葉を発する。


「どうした?」


「いえ……。その……」

 明らかに様子がおかしい。


「───本、なかったですか?」


「ここはもともと図書館だから、本なら戻ればそこら中にあるだろ?」


「いえ、その。……私の魔法って、本を媒体にして発動させるんですが。その本を持っていないと、消すこともできないんです……」

 声がどんどん小さくなっていった。

「お前……まさか……」

 確かにここに来た時にラフィは本を持っていた。


「すみません……一緒に探してもらえますか?」


 今日初めて見る、泣きそうな顔をした図書館の妖精がいた。






 図書館に戻ると、既に日は暮れて、電気も消えていた。


「本当に、すみませんでした……」


 しぼんだ顔でラフィが言う。

 精神的にもだが、魔力をずっと使うことになってしまい、体力もなくなっているようだ。


 何か声をかけてあげたいのだけど、こういう時に限って上手く出てこない。

 天井を見ながらなんとか言葉を探す。


「ラフィ、俺さ。今日ここに来るまで仕事辞めようかとか思ってたんだ。この前から失敗続きでさ、もうちょっと疲れてきて、って」


 悩んでいたことだったが、今はあまり大きな問題には感じなかった。


「でも今日あんな良いところに連れていってもらって、本当ゆっくりできたし、楽しかった。また頑張ろうって、今は思ってるんだ」


 ラフィは俺をじっと見たまま聞いてくれていた。


「最後は少しひやっとしたけどさ、今日はラフィと会えてよかった。ありがとう」


 最後は面と向かうのが照れくさくて下を向く。

 素直に人に話すのもなんだか久しぶりだった。


 顔を上げると、ラフィも何か言おうとしているところだった。 


「私……私もですね、ずっと誰とも話せなくて……。たまに来るケイともこのまま話せないのかなって思ってたんですけど、今日は私に返事をしてくれて、すごい嬉しかったんです」


 彼女もどこか視線が定まらない。


「それに、色々魔法できるのに、ケイは私とお昼寝することを望んでくれて。あぁ、話せたのがこの人でよかったなって。今日はありがとうございました。また……」


 えへへと頭をかく。


「あ、やっぱいいです。大丈夫です。私妖精ですし。最後迷惑かけてしまいましたし」

 見なくてもどんな顔をしているのかはわかった。俺は……今どんな顔をしているんだろう。顔を動かしてみてもわからない。


「俺は……俺はまたラフィと一緒にどこか行きたいな、って思ったんだけどな」

 そう言うと彼女が俺の方を向いてびっくりしたような顔をした。俺はその顔に精一杯の笑顔で返す。ちゃんと笑顔だったかはわからないけど。



「おい!そこに誰かいるのか!」

 突然視界に光が入る。


 向かってきたのはここの管理人さんだった。手に懐中電灯を持っている。


「ラフィ。隠れ……」

 急いでベンチを向いたが、そこにはもう誰もいなかった。そもそも俺にしか見えないのだというのも思い出す。


「君、こんなところでこの時間、何をしてるんだ!」


「すみません……。寝てしまって起きたらこの時間で……」


 言い訳をしながら見渡した俺の後ろで、小さくえへへと声がする。


 帰りながら、また来るよ、と小さく言った。




 今度はどの本の魔法をかけてもらおうか。 


 しかし、それよりもまたラフィと話したいと思っている自分がいた。




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