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スピンオフサマー

作者: しろくま



「僕の頼みを聞いてほしいんだ」


 その少年は悪戯っぽく笑った。重たい鞄を引きずるようにして帰宅すると、自室に見知らぬ少年が鎮座していた。慌てて母に問い詰めたところ、訳あって遠縁の子を夏休みまで預かることになったのよ、とあっさりと宣告された。しかも俺の部屋を彼に使わせるらしい。もちろん俺はこの家で拒否権を発動することは許されていない。


「ああ、名乗ってなかったね。僕の名前はほたる。これからよろしくね、晴也」

「待て、何で呼び捨てなんだ、俺は高校生、お前は小学生だろ」

「細かいことを気にする男はモテないよ、晴也」

「だぁああ余計なお世話だ!てか、なんでモテないことを知ってるんだよ!」

「いや、雰囲気で」


 どんな雰囲気を俺は醸し出してるんだよ!しかし、小学生相手にかみつく高校生はあまりにもみっともないので、俺は一つ咳払いをして彼と向き合った。大人だからな。別にモテないことを指摘されて傷ついてるわけではない。

「で、その頼みってなんだよ」


 生意気な口をきいたと思うと、その少年、蛍は急に真剣な表情をしたので思わず身構えた。見た目はどう高く見積もっても小学校中学年の少年なのだが、年齢に相応な生意気さと不相応な聡明さをこの短時間で垣間見た。どうやらただのガキではないらしい。


「…簡単に言うと、晴也、君に僕の大事な人を救ってほしいんだ」

「はあ……?」

「君が十数年片思いし続けている三原夏子、だよ。」


 突如自分のこじらせた片思いを暴露されて激しく動揺し、持っていた緑茶入りのコップを危うく落すところだった。その様子を楽しむ様に、蛍はにこにこと笑っている。


「はっ?おま、なんで知って」

「え、本当なんだ、一途だねぇ」


 三原夏子、俺の隣に住んでいる一つ上の幼なじみのことだ。親どうしも仲が良かったためか、物心ついたときから隣には夏子がいた。活発とは言えないが芯が強い少女で、小学校の時には周りの揉め事の仲裁に入ったり、中学校の時は誰もしたがらない委員長をやったり。頭もよく、この田舎町の公立高校のトップの成績を保持している。自称進学校と言われる私立にしか合格できなかった自分とは大違いだ。


「で、お前と夏子の関係は」

「僕がこの世で一番大事な女性だよ」

「小学生が何言ってんだ、そんなマセたこと言う前に牛乳でも飲んで公園で野球して泥まみれになってろ」

「それは小学生に対する偏見だよ、晴也。あまり僕をなめてると痛い目に合うよ?晴也、きみは数学理科はすごくできるのに、その他の成績は底辺、運動もそこそこできるけどカナヅチだし、顔面偏差値が高いとは言えないし」

「やめてくれ泣くぞ」



 しかしどこか不思議で、今までに会ったことがないはずなのに、なぜか懐かしさを覚える少年だった。もちろん夏子と絡んでいるなんて覚えがない。それなのに、彼女を救ってほしい。と彼は言うのだ。その目は真剣そのもので、とても小学生のそれとは思えない。



「まあ冗談はおいといて、協力、してくれる?」


 いつも通りに始まり終わるはずだった夏にやってきた不思議な少年と、幼なじみとの関係性、気になることはたくさんある、どうせ暇人の身分だ。手を貸してやるのも悪くないだろう。それに、この変わった少年についていれば、最近お互い忙しくて会えなかった夏子とも、昔のように話せるかもしれないという打算のもと、俺はその話に乗ることにした。





「……よぉ」

「え?晴くん!どうかしたの」


 わざわざ彼女の部活の終わる時間帯を調査し、校門前で待ち伏せるという一歩間違えればストーカー認定を受ける行為をやってのけた自分に拍手を送りたい。これも蛍の指示である。そこの草陰で笑っているに違いない。


「いや、ちょっとここの近くまで用事があって……」

「最近全然会ってないよね、元気だった?」

「まぁ普通に……」

 久しぶりの会話に心が暖かくなる。彼女の陽だまりみたいな笑顔は昔から変わらず、いつの間にか越していた自分の身長に、歳月の流れを感じた。ノスタルジーを感じていたその時、

「こんにちは!」

 小学生特有の高い声、屈託ない笑顔。俺の目の前の生意気さはすっかり姿を消していた。

「晴君、この子は……」

「あ、こいつはなんか遠縁の子で訳あって一時的に預かってて」

「そうなの……?」

「こんにちは、お姉さん!」


 おい、お前は誰だ。なにちゃっかり小学生してんだ。夏子に気づかれないようにしっかりと睨んでおいた。それを物ともせず彼はちゃっかり夏子と話している。


「お姉さんって響きなかなかいいわね、晴君にも呼んで!って言ったのに呼んでくれなかったもの」

「おい!」


 恥ずかしい子供時代大暴露である。俺のヘタレ経歴をあっさりと露呈させられた。もちろん夏子は無自覚だ。蛍がこちらを小馬鹿にしたような笑顔で見た。くそ、あのガキいつかしばく。


「ねえお姉さん、今から遊ぼうよ!僕、この街あまり知らなくて…」

「お前何勝手に」

「あっ……ごめんね、今日はちょっと用事あるから、だめなんだ。夏休み前までいるんだよね、また今度遊ぼうね」


 夏子は困った顔をして、申し訳なさそうに足早に去って行った。


「お前が無茶なこと言うからあいつ困ってたじゃねーか!」

「晴也!行くよ」

「おい!行くってどこに!」

「彼女の後を追うんだよ!」

「なんでだよ!」


 こいつは俺をストーカーに仕立て上げて警察に届けようとでもしているのだろうか。しかし夏子がどこに行くのかは興味があった。最近帰りが遅いと夏子の母親が俺の母親に話していたことを思い出した。もうすぐ受験生になるから、予備校とか?もしかして彼氏と約束?いや……まさか……あいつに忍び寄る男の影を妄想しては死にたくなる日々を送っている残念な想像力しか持ち合わせのない俺に、予想もつかないことが起こった。


 夏子は古びた商店街を抜け、どんどんと裏道の、暗い路地裏に足を進めていった。一体どこに行く気なのだろうか。やがて彼女が足を止めたのは、ある公園だった。時刻はもうすぐ6時になる。しかしその公園には先客がいた。数人の男女のグループ、明らかにガラが悪い、推定高校生なのだが当然のように右手にはタバコやら酒が握られている。絡まれたら怖いので、いつもはそそくさと逃げるが、今日はそういうわけにはいかない。


「あ、夏子―おめぇーおせーぞ!」


 夏子に気付いたそのグループのリーダー格と見られる厳つい男が叫んだ。周りの取り巻きたちが下品に笑う。夏子はにこりと笑い(明らかにひきつっているが)その男の元へ向かった。


「あれ……あいつら、この辺で噂のヤバい奴らじゃねーか……!なんであんな奴らと夏子が?」

「……」

「どうなってるんだ?おい蛍」


 馬鹿な俺でも、これがどういう状況なのかはわかる。彼女が好き好んでこんなグループとつるむはずがない。彼女はきっと強いられてあの場所にいるのだ。真面目で勤勉な彼女に限ってそんなはずはない。


「お察しの通り、彼女はあのグループと一緒にいることを強いられている。ある日、彼女は部活で遅くなって急いで帰宅しようと走っていた。その時はあいつにぶつかってしまって、絡まれてしまった。彼女は真に受けて謝ったわけ。それに付け込んであいつは彼女に様々な要求をしてる。お金とか、それ以外にも」

「……そういうことかよ」

「分かった?晴也。僕の願いは彼女とあいつを引き離すことなんだ。協力してくれるよね」


 優しくて、悪く言えばお人よしで自己犠牲を厭わない彼女の性格が彼らをつけあがらせているのだろう。無論、あの不良も許せない。が、それよりも蛍に出会わなければ、そんな状況に彼女が陥ってると知らないままでいたという事実に底知れない恐怖を覚えたのだ。





 それからというもの、俺と蛍は毎日とはいかないものの、時間が許す限り夏子の家に訪ねたり、放課後一緒に遊びに行ったりした。初めは蛍にこの街を紹介することから始まり、今度はその辺の遊園地に遊びに行く約束もこぎつけた。母親も、最近夏子ちゃんと遊ぶようになって、昔に戻ったみたいだ、と言って喜んでいるようだった。しかし実際は「監視」のために彼女と一緒にいるのだ。監視といってしまえはかなり後ろめたいものがあるが、例の不良たちに何かされないか見張らねばならなかった。彼らと会うのは一週間に三回程度であるが、明らかにそこに場違いな彼女のぎこちない笑顔は、見ていてつらいものがあった。ところが夏子を離せと喚いて、たった一人不良の中に飛び込んでいったとしても飛んで火に入る夏の虫だ。俺は蛍どころか虫でもないけど。焦燥感が募る一方だった。


「警察に相談したらどうなんだ?」

「なにも事件が起こってないのに警察が動いてくれると思う?それに彼女は無言の圧力があるとはいえ、自らの意思であの場所にいるんだよ?」

「じゃあどうすればいいんだよ」

「僕たちでやるしかないんだ」


 そういって彼は背中を向けるのだ。

 目の前の小学生は大人よりも大人らしかった。何か大きな悲しみを抱えているような、心の奥底に傷を大きく負ったような表情をする。おそらくそれが夏子を「大事な人」といったことと関係しているのだろう。夏子も気になるが、それ以上に、この少年はいったい何者なのだ?何度蛍に聞いても、彼は一つもほしい答えをくれなかった。





 そんなことが続いたある日のこと。朝の8時くらいに、玄関のチャイムの音で目を覚ました。本日は土曜日、もう少し寝ていたいのに。両親は今日も仕事なので自分が出るしかない。蛍も目を覚ました。階段を下り、ドアを開ける。そこにはにこりと笑った夏子が立っていた。


「……夏子?」

「ハッピーバースデー晴くん!」

 両手にホールケーキを抱え、夏子が微笑む。状況が読み込めず、寝癖だらけの頭をかいた。今日は7月4日・・・・・・

「あっ……」

「何?自分の誕生日も忘れちゃったの?」


 蛍がやってきたごたごたで、すっかり忘れてしまっていた。とりあえず、よれた寝間着姿の俺は、夏子をリビングに迎え入れ、ケーキを広げた。三人分のフォークとお皿を並べ、ナイフでケーキを切り分ける。イチゴがのったシンプルなショートケーキだったが、一口食べるとふわりと控えめな甘さが口いっぱいに広がった。自分の誕生日に食べる誕生日ケーキがこの世で一番美味しいと聞いたことがある。それは本当かもしれない。起きて間もないというのに、無心でケーキを貪った。


「美味しいよ!夏子姉ちゃん!姉ちゃんは料理上手なんだね」

「そ、そんなことないよ」

「うん、いいお嫁さんになるよ」


 そうかな、と彼女は苦笑いした。本人は笑ったつもりだったのかもしれない。それでも彼女の表情の陰りを見逃すことはなかった。どうした、と声をかけることはできず、イチゴのすっぱさが口を満たしていく。この空気を跳ね除けようと別の話題を振ることに奮闘した自分が情けない。


「えっと、ありがとうな、ほんとうに」

「どういたしまして!もう十六歳なのよね、私はもうすぐ十七歳、どうする?もう後数年で成人しちゃうよ」

「おばさんくさいこと言うんだな」

「失礼な、ねぇ晴くん、」


 何か言い出そうとしたとき、俺のガラケー(スマホなんて邪道と言いつつ買ってもらえないだけ)が鳴り出した。母からの電話だ。起きた?と聞かれ、朝ごはんちゃんと食べるのよーと言われただけだった。母はどうやら息子の誕生日を忘れているらしい。泣いていいだろうか。


「あ、悪い、なんだ?」

「あ、何にもないよ、うん」


 結局彼女がそれ以上しゃべることはなく、ささやかなお誕生日パーティは終わってしまった。蛍はあまりしゃべることなく、俯いてケーキを食べているだけだった。






 その夜のこと、ベッドに寝そべりながらもなんとなく寝られずにいた。十六歳になった。なってしまった。というべきか。ぼんやりと考える。昔は、…あの頃は俺も夏子も小さかった。一つ年上の彼女は姉のように、いつも自分のそばにいてくれた。一瞬年齢が重なるけれど、約一か月後に彼女の誕生日がやってくるから、すぐに引き離される。そして年をとるごとに物理的にも心理的にも距離は遠く、遠くなっていた。何故だか分からない。嫌いになったわけでもなく、むしろ昔より思いは募っているのに、彼女をなんとなく遠ざけてしまっていた。どんどん大人になって、自分の知らない彼女が増えるたびに、怖くなっていった。


 そんなときに蛍がやって来た。彼が意図しているのかは不明だけれど、俺と彼女の間にできてしまった溝を埋めてくれたのだ。感慨にふけりながら、この少年に少し感謝しなければないと思い、隣で寝ている蛍を見た。そのとき俺は思わず目を見張った。蛍が身もだえしながら、苦しそうに声を上げ始めたのである。


「・・・ぐ、うあっ・・・」

「蛍?」

「……んぐあああっ!やめ…やめて…!うわああああああああああああああっっ」

「おい!蛍!どうしたんだ!!」


 絶叫、耳を壊されるかと思うくらいの叫び声だった。蛍は小さな体を小刻みに震わせながら、泣き叫び続けた。


「やめ……やめてっ、うわああああお母さん!お母さん!!!やめて、やめて!!」

「落ち着け!しっかりしろ蛍!…なんだこの痣…?」


 蛍をなだめようと体を抱くと、シャツがめくれ、彼のお腹が見えた。痣だ、ひどい痣だらけなのだ。どういうことだ?思考が停止し冷汗が止まらなくなった。ぐるぐる回る頭を無理やり落ち尽かせるように自分の頬をぴしゃりと打ち、蛍の背中を必死になでた。今はとにかく蛍を落ち着かせなければ。大丈夫だ、大丈夫だからとひたすら蛍をなだめ続けた。その結果、数分後には絶叫は止んでいた。


「はあ…はあ……」

「落ち着いたか?」


 静寂の中、決意する。この少年の正体を知らなければならないとそう強く確信した。



「………お前は、一体何者なんだ?」

「っ・・・・・・僕はただの小学生だよ」

「うそつけ!!!なあ、お前は一体何者なんだ、夏子とはどんな関係なんだ。俺もうわかんねぇよ!教えてくれよ、頼むよ…」


 俺の懇願を受けて蛍は何か諦めたように、深いため息をついて、ぽつぽつと話し始めた。


「そうだ、隠し通すなんて無理だったんだ。ごめん、晴也、…………僕はね、十年後の世界から来たって言えば君は信じるかい?」

「十年後……?」

 突拍子のない話に思わず声が上擦る。しかし蛍の目は真剣そのものだった。


「僕の本当の名前は三原蛍けい。三原夏子は僕のお母さんだ」

 ミハラケイ、ミハラナツコがお母さん?


「お前が夏子の息子……? 父親、父親は?」

「……言いたくもない、あんなやつ」


 必死に思考する。蛍はあの不良と夏子の仲を裂いてほしいと頼んできた。つまり……?蛍は夏子とあの不良との子、ということになる。

「そんな、ことが……」


 夏子は大学進学後、すぐに蛍を身ごもってしまい、学校に通うことが困難になった。宿ってしまった命を彼女は捨てることができず。必死に蛍を育てようと、身を粉にして働き続けた。一方父親の方は当然女遊びが激しく、夏子には目もくれず、たまに現れては彼女に暴力をふるい、彼女のわずかな稼ぎさえ奪っていった。逃げても逃げても追われ続けた。それでも彼女は蛍を守り続けた。蛍にも及ぼうとする暴力から彼を身を挺して守り続けたのだ。


「今お母さんはね、働きすぎて、病気になってしまって入院してしまったんだ。全部あいつのせいだ。あいつが許せない、お母さんを苦しめ続けるあいつが許せない・・・・・・!そしてそんな奴のせいで生まれた自分が許せないんだ」

 そんな中、僕はお母さんを守ろうと思い始めた。僕が守らなきゃ。僕がやらなきゃ。そんなとき真っ先に思い出したことがあった。昔、お母さんが語ってくれたことだ。


「お母さん、よくこの写真を見てるけど、この男の人はだあれ?」

 にこやかに笑う母の細い背中に問いかけた。

「この人はね、お母さんの幼なじみなの。これはね、その人と小さいときに、蛍を見に行った時の写真なのよ」

「蛍・・・?」

「暗闇でぴかぴか光る夏の虫なの。とてもきれいな川にしかいないのよ、蛍の蛍っていう字のはここからきているのよ。きらきら光る、男の子になりますようにって願いをこめて・・・・・・晴くん、元気かなぁ」


 その写真を見つめる表情が優しかった。一瞬で分かった。母は蛍と、この写真の男の子が好きだったのだと。

 それからというもの僕はその男の子のことで頭がいっぱいになった。母が恋焦がれた人物。どんな人なのだろう。そのうち居てもたっても居られず、なけなしの勇気を振り絞って母の荷物を物色し、時々つぶやく「晴くん」というキーワードを元に一通の年賀状から、その住所を割り出した。それほど遠い場所ではなかったのが幸いだった。そして尋ねたのだ。


「俺、がいたのか」

「うん、僕は天才発明家、尾川晴哉に出会った」

「天才発明家?」

「うん、きみには才能があったらしいね、ほら、理数教科だけは無駄に強いだろう?」


 僕は彼に事情を話した。夏子の息子だということ、彼女は苦しめられ続けていること。母親を救いたいということ。そうすると彼は涙を流しながら僕を抱きしめた。

 そして言ったのだ。「自分も彼女を救おう」と。


 彼は孤独だった。孤独にならざるをえなかった。夏子への思いを持ったまま、東京の大学に進学を決め、自ら彼女と距離をおいてしまった。その後、風の噂で夏子が身ごもったと知った、そのとき気付かされた。まだ彼女への思いが燻り続けていること、それが叶わなくなったということ。及ばない思いを押し殺すために、彼は今まで目もくれなかった勉学に身を投じた。遠い世界に行った彼女に連絡を入れることが怖かった。もう二度と二人の人生が交わることがないと悟ることが怖かった。逃げたのだ。逃れるように目の前の数式にのめりこんでいるうちに、彼は静かに狂ったのだ。


「そして僕と君は作り出してしまったんだ。タイムマシン、と呼ぶものを」

「タイムマシン…?」

「人類が生み出してはならないもの、さ。過去を変えるために、僕はこの世界にやってきた。最初は未来の君が行くって行ったんだけど、ほら、君もSF小説くらいは読んだことあるんだろ?未来の自分と過去の自分が顔を合わせることはタブーだ。それで僕がくることにした」


 彼女を苦しみから解放するため、そしてこんなタイムマシンを生み出してしまった尾崎晴也という「天才科学者」が生まれる可能性を消し去るために。

 信じられないことだ。いつもなら笑い飛ばして何を言ってるんだよ、と言うところだが、彼の痛ましい痣と、口ぶりから察して、真実以外には思えなかった。彼はやってきた、それだけが事実なのだ。


「……待てよ、でももし俺が夏子とあいつの仲を裂いたとして、お前は、お前はどうなるんだ?」

「……消えてしまうだろうね」

 夏子とあの男のの接点を断ち切れば、蛍はこの世に生まれてこない存在になる。

「そんなのダメだ!お前が犠牲になっていいはずが・・・・・・」

「未来の君にもとめられたよ。押し切ってきたけどね」


 蛍の小学生を超越した物腰や考え方は、歪んだ過去からもたらされたものだったのだ。彼は聡明になるしかなかったのだ。子供では居させてくれない環境の中で。たった一人で。

「だめだだめだ!お前が消えるなんて」

「仕方ないだろう!!僕はどうなったっていいんだ!けど、絶対に、絶対にお母さんは救わなきゃいけないんだ!僕はそのために来たんだ!」


 このままだと、夏子は永遠に奴に囚われ、蛍も苦しむ。けれど夏子を救おうとしてしまえば、蛍は存在しなくなってしまう……


 俺はどうすればいいんだ、

 十六になったばかりの俺は、どうしようもなく無力だった。




 それ以降なんとなく蛍と気まずくなってしまい、夏子の元に尋ねていくのも少なくなってしまった。相変わらず夏子は奴の元に通っているようだった。

 蛍にとって夏子は愛すべき女性ではなく、「母親」だったのだ。そしてもう一つ、未来の自分は夏子を救えなかったのだ。遠ざけて自分が傷つくのを恐れて、夏子の異変にも気づくことができなかったのだ。それが許せなかった。


 もうすぐ夏休みが始まる。そのせいか学校もなんとなく浮ついた雰囲気である。いや、最近うちの学校は全体的にふわふわしている。なにやらうちは、今人気の作家が一時期籍を置いた学校らしく、大きなカメラを抱えた人々が取材に何度かやってきて、その作家を教えたという先生はまるで自分の功績のように輝かしい表情で大してありもしない思い出を誇張し、話していた。さらに、今年度この自称進学校と揶揄されるうちの高校から、某超有名なK大学医学部に現役で合格した生徒がいたそうで、教師陣が無駄に気合を入れているのだ。そんなのんきな学校にいるだけで腹が立った。彼女も蛍もあんなに苦しんでいるというのに、自分はただの高校生で、何もできないのだ。この狭い箱の中に押し込められて、身動きがとれないのだ。そんな学校でも補習にかかってしまうくらいに自分の成績は情けないものだった。担任には理数科目だけはどこの大学もいけると言われたのに、お前には中学英語すら身についていないと嘆かれた。お前、中学英語の助動詞あたりで挫折しただろうと言われた。その通りだよ。泣きたい。補習を受けて下校するときにはもう6時半を過ぎていた。


 家に入ろうとすると、俺が帰ってきた逆の方向から歩いてくる人影が見えた。夏子だ。しかしその様子がおかしいことにすぐ気付いた。よろよろと、おぼつかない足取りだ。俺は駆け寄って夏子に話しかけようとした。すると夏子の右頬に、大きな腫れがあった。


「夏子!お前どうしたんだ!」

「晴くん……?ああ、平気よ。ちょっとぶつけちゃったの」

「そんなわけないだろ、お前、またあいつらのところに行ってたんだろ!」


 彼女の目が大きく見開かれた。しまった、と思ったときにはもう遅かった。彼女の目には大粒の涙が浮かんでいた。


「俺知ってるんだ、もう行くのやめろ、このままじゃお前が…」

「私は大丈夫だから、お願いだから誰にも言わないで、放っておいて」

「だめだ、誰かに相談して……」

「放っておいて!」


 彼女は俺の手を振り払うと家に駆けこんだ。俺は呆然と立ち尽くすしかなかった。




 次の日の授業はまったく集中できなかった。どうすればいい、彼女は自分のせいだと抱え込んで誰にも話さない。俺を巻き込んではだめだと考えているのだろう。自分で何とかする、と。もやもや考えながら、授業中にも関わらず携帯を開くと、見覚えのないアドレスからメールが来ている。最近友達からメールが来ない。あ、友達少なかった……悲しい気分に浸り、どうせ何かの広告だろうと開いてみて目を疑った。


「○×公園に来い」


 明らかに穏やかではない文面に心臓がきゅっと締め付けられる気がした。この公園はいつもあの不良と夏子が会う場所だった。恐らく俺と夏子の関係に感づいて、俺をしぼる気なのだろう。ついに気付かれた。足ががくがくと震える。携帯を閉じ、教室を即効後にする。教師の怒号を聞こえないフリをして、ひたすらに走った。心臓がずきりと痛み、急に駆け出した足が悲鳴を上げる。そして例の公園にたどり着くと、そこには夏子とそいつがいた。今日は取り巻きはいなかった。静かに、対峙する。


「夏子!」


「晴くん…!」

「お前か、晴也ってやつは」

「やめて!彼は関係ないの!」

「一年坊の分際で、最近こいつにひっついてるらしいな、お前」

「幼なじみだからな」

「生意気な口きいてんじゃねー!、人の女に手出してんじゃねーよ!」


 相手は相当頭に血が上ってるらしい。まともな交渉はできなさそうだ。


「夏子はお前のものじゃねえ!!」

「んだと?」

「やめて!!!」


 夏子が悲痛な叫び声を上げる。


「もう……やめて、私はあなたに従うから、これ以上彼に関わらないで……」

「だめだ夏子!こいつに関わり続けたらお前が破滅する!!!」

「私のことは放っておいて!!」


 夏子の目には涙が浮かんでいた。そうやって突き放すのか、そうやって抱え込んで破滅していくのか、お前は。どうしても俺には救わせてくれないのか。なんでだ、なんでだよ。


「それでも俺は・・・・・・!」


 言いかけた瞬間、頬に鈍い痛みが走った、殴られたのだと気づく前に腹に蹴りを入れられる。かはっ、と情けない声が漏れて、胃の中のものが吐き出される。激痛に身を焼かれながらも、俺は抵抗しようと足掻いた。


「やめて!お願いやめて!」

 夏子の叫び声と、不良たちの楽しそうな笑い声が響き渡る。そんな時だった。


「晴也!夏子!」

 そこには留守番をしているはずの蛍がいた。息を切らして、不良を睨みつけ、俺のもとに駆け寄った。

「蛍!」「蛍くん!」


 蛍は俺の代わりになるかのように、奴を見た。


「お前に夏子は二度と奪わせない!」

「なんだこいつ、小学生か?」

「お前は人を束縛して何が楽しい!暴力で支配して何が楽しい!そんな人間に誰かを愛する権利なんてない!」

「なんだこのガキ……」


 そして奴は蛍を思いっきり蹴飛ばした。ぐっ、とうめき声をあげて蛍は地面にたたきつけられる。


「やめて!!お願いやめて!」

「お前が何者かは知らねーが、俺は!思いあがった、ガキが!嫌いなんだよ!」


 夏子の懇願も空しく、寝転がった蛍を奴は罵声と共に蹴り続けた。そんなことさせない。蛍は、蛍は傷つけさせない。蛍を守らなきゃいけない。そんな使命感が痛みと共に生まれた。


「……晴也!」

 気づけば蛍を庇っていた。

「…っ、お前に夏子も、蛍も奪えない、俺が奪わせない!」

「虫の息の奴が何言ってんだ!」

 もうどこが痛いのか、血が自分の体のどの部分から流れ出ているのかわからなってきた。それでも俺は、逃げるわけにはいかない。


「俺は、もう逃げたりしない、自分の気持ちからも、お前からも!だから絶対にお前から何も、奪わせない!」

「真実を恐れて、本当の気持ちを隠して、タイムマシンなんかに縋るような大人になんかなりたくない!そんなカッコ悪い大人になんか!」


 最後の力を振り絞り、突進しようとするもあっさりと止められた。最後まで、本当に情けない。かっこつけたセリフを言った後すぐにくたばるヒーローがいるかよ。かっこ悪いなぁ、本当に。相手は完全に頭にきているようで、本気で死ぬかもしれないと悟った、奴は大きく足を振り上げる。世界にさよならを告げる瞬間か、奴の足がスローモーションのようにゆっくりと見える。けれど体が動かない。痛みも忘れて蛍と夏子を見る。蛍の驚いた顔、夏子の悲しそうな顔。今までに感じたことのない痛みの後……夏子の声、蛍の声が聞こえる。泣くなよ、俺は大丈夫だよ。あれ、声が聞こえない、なんでそんなに悲しそうな顔するんだよ。なぁ……世界がぐわん、と揺れて、真っ暗になった。







「夏子!蛍!」

「わっ!動かないで!!!」

 体中に電気が走ったような痛みが俺を襲った。うっすらとした視界に映ったのは、真っ白い天井と、包帯だらけの自分の腕と、夏子の心配そうな表情だった。……生きてる。ここはどうやら病室らしい。

「生きてた……」

「結構危ない状態だったのよ、本当によかった……」

「おい!あの後どうなったんだ?」

「……信じてくれる?」

 夏子が一つ一つ、丁寧に語り始める。







「晴くん!しっかりして!目を開けて」

「晴也!!晴也!!」


「お前……!」


 愉快そうに笑う奴を僕は睨みつけた。睨んでも、どれだけ呪っても、奴の存在は消えない。絶対的な力の差、暴力にいつまでも打ち勝つことができない。僕は悔しさと情けなさで涙を流すことしかできない。晴也となら、どんなことでもできる気がした。それなのに。結局救えないのだ、たった一人の母親ですらも。無力だ、何も変わらないのか、過去の晴也まで巻き込んで傷つけてしまった。僕は、何のためにここに来たんだ?

 夏子も絶望したかのようにくたりと地面にしゃがみこんだ、嗚咽が漏れる。男は僕の戦意喪失した姿を見て、満足したように、夏子の腕を掴んで無理やり立たせた。このままじゃ、何も変わらない。待って、行かないでお母さん、行っちゃだめだ、僕はお母さんが救われればそれでいいのに、幸せでいてほしいだけなのに。

 その時だった。一瞬だったが、何者かが急に現れ、奴のお腹に一発、思いっきりの蹴りを入れた


「待ちなよ」

「ぐっはっ……」

 そして、スタンガンのようなものを一発体にあてると、今まで恐怖でしかなかった存在が、本当にあっさりと倒されてしまったのだ。本当に、呆気なく。


「間に合ってよかった。さすがに高校生一人くらいなら隙をつけば倒せるみたいだな、俺も、ったく。正面衝突するバカがいるか本当に……」


 機嫌の悪そうな低い声。あの声だ。そこには白衣を着たぼさぼさ頭の男が立っていた。その男の姿を見て、思わず涙が出そうになった。


「……晴也!」

「研究所に戻ってみれば君の姿が見えなくて、もしかしてと思ってね。全く勝手なことしてくれるよ……」


 ふと顔を上げた夏子は突然の見知らぬ男の登場に戸惑いを隠せないらしい。


「あなたは一体……」

「夏子……」


 夏子の問いかけにその男は驚いて、彼女を見た。そして切なげに、説明は後だと言って、おもむろに目をそらす。


「悪いけど先にそこに倒れてるボロ雑巾を病院に運ばないと。本当はこんなやつどうだっていいんだけど、ここで死なせると僕も死んじゃうからね」

 晴也は倒れている「過去の自分」を忌々しげな目で見た。救急車と警察を呼び、過去の晴也と僕は運ばれた。白衣の男、そう、未来の尾崎晴也は警官に淡々と状況を説明していた。自分は不良が暴力をふるっているところを通りかかり、助けた、と。無論捏造だ。

 そして、晴也の隣の病室で、一足先に目を覚ました僕と夏子の前で、未来の晴也は語り出した。


「遅くなって悪かったよ、ケイ。大丈夫か」

「僕は大丈夫だ」

「何が大丈夫だ、勝手にあれを作動させやがって」

「あの……あなたは結局……?」


 夏子がおずおずと尋ねた。男は悲しそうに答えた。


「俺は未来の、きみを救えなかった尾崎晴也だよ」

「晴也!?」


 それから、彼は僕が今の時代の晴也に説明したように、自分の存在、そして僕の存在と目的について告白した。


「そ、そんなことが」

「信じられないよな、ごめん。僕は君を救えなかったんだ」


 初めて晴也を訪ねて、自分が夏子の息子だと告げたとき、そして夏子が苦しんでいると告げたとき、彼は本気で泣いていた。大の男が泣いたのだ。そして死ぬほど後悔していた。そうだ、この男こそ本気で母を愛していた男なのだ、母もまたそうだが、彼自身も「思い」というものに囚われていたのだ。


「晴也、ねえ」

「なんだ」

「僕たちは、消えちゃうね」

「そうだな、お前にいたっては存在しなくなる」

「そうだね」

「ごめんな、ケイ」

「いいんだ、ねえ晴也、僕は、晴也が好きだ、でもね。晴也には天才発明家なんてなってほしくない。親ばかなお父さんくらいでもなってほしい」


 願わくば、きみが夏子の傍にいることを。君の幸せが夏子と共にあるよう。

 それを聞いて晴也は泣いていたかもしれない。


「夏子、今の君の時代にいる尾崎晴也はどうしようもなく馬鹿だ。けれど、きみをきっと誰よりも大事に思っているんだ、……だから一緒にいてやってくれないか」

「もちろんだよ、晴くん」

 果たせなかった願いを、過去の自分に託した発明家は、もうすぐ存在しなくなる。

「さよなら夏子、ケイ、行くぞ」

「……ごめん晴也、最後に、一つだけ過去の君と話がしたいんだ」

「もう時間がないぞ」

「お願い、彼が目を覚ますまで待ってほしい」





「っ!蛍はどこだ?!」

「屋上にいるよ」

 執念で痛む体を無理やり動かす。腕の点滴を引きちぎり、病室を抜け出す。夏子は行ってらっしゃいと微笑んだ。


「蛍!」

「晴也……」


 病院の屋上、俺と蛍は相対した。夏子が話していた未来の俺はどうやらもういないらしい。目の前には蛍しかいなかった。


「ごめん、やっぱり僕は消えるみたいだ」

「……やめろよ……消えるな、なんでお前が消えなきゃならないんだ……!」

 理不尽だ、どうして彼は幸せになれないまま消えなくちゃならないんだ。

「いいんだ、僕はその覚悟でここに来たんだ」

「だめだ!なんでお前だけ……」

「ありがとう晴也。未来の君も、今の君も、変わらない、情けないけど、勇敢で、無愛想だけど優しいんだから」


 涙ながらに蛍は言った。


「やめろ、消えるな、消えるな!」

「本当は消えたくない、お母さんと、晴也ともっと遊びたかった、晴也とお母さんと過ごしたとき、本当の家族ってこんな温かいのかな、って思った。お母さんはこんなに笑顔になれるんだ、って思った。でもだめだ、僕は罰を受けなきゃならない。未来を変えちゃったんだ、だから、さよならだ」


 蛍が空を見上げた。今日は悲しいくらいに晴れ渡っていて、入道雲が夏の訪れを伝えている。もうすぐ夏休みが始まるのだ。もっと遊びにつれていってやりたい。その目で、世界を見てほしい、与えられなかった愛情も埋め合わせてあげたい。けれどそれはかなわない。

 でも、さよならにはふさわしくないこの夏空だ。新しく約束をしよう、蛍。


「蛍!」

 精一杯叫んだ。心までまっすぐに届くように。


「絶対また会おう!俺、今度は夏子もお前も守れるくらいかっこいい大人になるから!お前も絶対に生まれ変わって、もう一度会おう!どこにいても絶対お前を見つけてみせるから!お前の行きたいところ、どこでも連れてってやる!いろんなこと教えてやる!だから楽しみにしとけ!」


「ほんと、君はバカだ……!」

 蛍は顔をぐしゃぐしゃにして泣いた。強引に涙をぬぐって、彼も叫び返す。


「うん!絶対にまた会おう、僕、頑張るから、生まれ変わって、絶対に君たちに会いに行くよ!」


「だからそれまで、」蛍はそう言い残し、青い夏空に吸い込まれるようにして消えていった。

 しばらく蛍の消えていった大空を見つめていると、夏子がやってきた。


「蛍くん、行っちゃったのね」

「ああ」

「晴くん、ありがとう。本当にごめんね、迷惑掛けて、たくさん怪我させて」

「いいんだ、もう」


 蛍のおかげで夏子を救うことができた。失わずにすんだのだ。それどころか、大切なことを教えてくれた。いつかまた出会える日が来たなら、あのとき食べたケーキよりもっと大きなケーキを焼いて彼を迎えよう。そして抱きしめていうのだ、「おかえり」と。


「なぁ、夏子」

「なぁに」

「夏休み、蛍を見に行かないか」

「蛍……?」

「昔行っただろ?……懐かしくなって」

「そうね、うん、行きたい。でもまずは体を治さないと」


 そういって、笑い合った。





 もうすぐ夏が始まる。





2013年に、高校の時に所属していた文芸部の部誌に載せたものです。

2015年に大幅に修正をしています。

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