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暗闇の光



――明日なんて来なければいい。



私にはもう失うものなんてなかった。


度重なる戦火に夫も子供も故郷さえもなくした私には残っているものは何もない。

生きる意味すら見いだせない。

何度、この生を終わらせようと思ったか。

でも、夫の最後の言葉が私の決断を鈍らせる。


「お前は俺の分まで生きろ!」


この言葉がまるで呪縛のように私をこの世に縛り付けていた。


目を閉じると、今でも昨日のことのように思い出す。


燃え盛る業火に崩れ落ちる建物を。

波のように押し寄せる敵兵に剣一本で立ち向かって行った夫の後ろ姿を。

いつの間にか腕の中で冷たくなっていた我が子の最後を。




なぜ、私はまだ生きているのだろうか。

なぜ神はあの時、皆と一緒にこの生を終わりにさせてはくれなかったのだろうか。

私にはもう生きる意味など見い出せない。でも、終わらせることも出来ない。


私は訳もわからぬまま、ただ逃げて逃げて逃げ続けて、やっとたどり着いたこの地で過去を嘆き悲しむだけの憐れな土塊のような人生を送っていた。

自分でこの生を終わらせることができないのなら、終わりが来るのを待つしかないのだ。

明日なんて来なければいい。

私はただ毎日、終わりが来る日を指折り待ち望んでいた。



そう、あの日までは。



※※※※



その人に出会った瞬間、私の足は地面に凍りついたように動かなくなり、もう枯れてしまったと思っていた瞳から蛇口の壊れた水道のように涙が溢れ出した。


それは、夫には似ても似つかない人。ただ、夜の闇を思わせる漆黒の髪と瞳の色が同じなだけの人。


でも私の眼には、夫がそこに居るように見えた。



出会い頭に突然泣き出した私を、彼は優しく介抱してくれた。

私が落ち着き、話が出来るようになるまで、黙って側に居てくれた。

長い間人と話をすることのなかった私の声はしゃがれて聞き取りづらく、また話は拙くて、理解は非常に困難だったと思うのに、彼は根気よく私の話に付き合い、出会ったその日は気がつけば夜が明けていたほどだった。



そんな彼のお陰で、ただ過去に縋りつくだけの私の生活は大きく変わった。

灰色だった景色に色がつくように世界は耀き、止まっていた全ての物が動き始めた。


私が彼に好意を抱くのに時間はかからなかった。

それは、最初から決まっていたことのように、あがらえない力で私の心を捕らえた。

そう、まるで運命のように。

そして運の良いことに、彼も私を憎からず思ってくれて、私達は晴れて恋人同士になることができた。


彼は、生活が不安定な私を慮り、自分の暮らす部屋に私を招き入れてくれた。そこで私は優しく包容力のある彼に毎日包まれ、そこでこの先一生得られることのないと思っていた安らぎを感じることができた。


聞くと彼はこの国の出身ではないそうだ。故郷はすでになく、流れの雇われ兵士をしていて戦の度に雇い主も変わるため住まいは定まっていないとのこと。

今は体を休めるために、この国に留まっているとのこと。

でも彼は、私と一緒に暮らす為に傭兵稼業は辞めてこの地に留まってくれてもいいと言ってくれた。


私は幸せだった。

あまりにも幸せ過ぎて、浮かれていたのかもしれない。


どうして一瞬でも忘れてしまえたのだろう?

あの過去を。あの凄惨な出来事を。


結局私は、あの日の事を忘れるなんて出来ないのだから。



※※※※



それは、私が彼の元で暮らし始めて一月程たった時のこと。


彼は町の自警団に入っていて、毎日町のパトロールに出ていた。

だから、買い物に出かけると、時々町ですれ違うこともある。


その時、頭の中がお花畑だった私は、(今日も偶然会えたらいいな)なんてことを考えながら、ちょっと買い過ぎた果物が入った袋を抱えて歩いていた。

すると神の思し召しか、偶然、前の大通りを彼が同僚と歩いているところを見つけた。私は彼を驚かせようと、こっそり背後から忍び寄った。



「なぁ、お前どうするんだ?」


偶然聞こえた同僚の言葉は、世間話をするような何気ないものだった。


「いよいよ姫様と婚約するんだろ。一緒に住んでる女どうすんだ?」


彼の返答はない。でも否定もしない。それが、この言葉が嘘でも冗談でもないことを教えてくれる。


姫様と婚約?

そんなはずない。彼は私とここにずっと住むと言ってくれた。



「遊びなら早く言った方がいいんじゃないか?テシタニアの英雄さんよ。」






私の脳裏に真っ赤な炎がフラッシュバックした。


テシタニアは私の国の首都の名前。そしてそこには私の暮らす場所があった。

そこで私は、夫と娘とかけがえのない時を過ごした。笑い合い、時には意地を張って夫を困らせたりもした。夜泣きする娘に手を焼きながら腕に抱き乳を含ませ守り慈しんだ。そんな些細な、だけど大切な時間が全て炎に包まれ溶け落ちていく。


彼の同僚は、彼の事をなんと呼んだか。

頭を叩き割られるような突然の頭痛に、私は頭を抱えて蹲った。


『テシタニアの英雄』


話には聞いていた。

先の戦争の際、敵の大将が倒れ、指揮者を失い散り散りになった兵を一人の傭兵が纏め上げた。そして劣勢だった戦況をひっくり返し、王の首を捕ったのだと。

その国を勝利に導いた傭兵は敬意を込められ皆に『英雄』と呼ばれていると。


彼は、私の夫の、娘の(かたき)

この世でただ一人、絶対に愛してはいけない相手だった。


彼はどういうつもりで私と一緒に居たのだろうか。

同情?憐憫?それとも、優しそうな笑顔の下で、すべてを失った哀れな女を嘲笑っていた?



私は足元に散らばっていた果物を拾うこともなく、這うように彼の部屋に戻る。そして、持ち込んだ少ない荷物を纏め、逃げるようにその部屋を後にした。





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