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Ⅳ 午後三時のコントラ①


このお話は前編と後編に分かれます。



 三十年前は(にぎ)わっていたという商店街。

 今では、シャッターに囲まれ、歩くだけで暗澹(あんたん)とした気分になる。

 少年は蜜のかかった白玉を口一杯に頬張ると、目を細めた。

 美味しいかと尋ねると、首を縦に大きく振る。そして、アイスをスプーンで(すく)うと、さも御馳走(ごちそう)と言わんばかりにゆっくりと口に入れた。ややもすると溶けてしまう暑さだ。少年は矢継ぎ早にスプーンを口へと運んでいった。

 土曜日の昼下がり、まだ掛け算も十分に言えないような子と喫茶店で向かい合っている。

 周りは一体どんな風に私たちを見ているのか。姉弟だろうか、親子だろうか。いずれにしろ、食物を与えた者を崇める少年の瞳に、私は悪事を働いている気持ちになった。


賢介(けんすけ)くんは抹茶が好き?」


 少年はまた首肯する。随分腹を空かせていたらしい。

 ため息を一つつくと、ガラス越しに通りを見渡した。目当てのものはなかなか現れない。エコバックをぶら下げた主婦やゲームセンターに出入りする若者くらいしか見かけない街路だ。現れたら、すぐに分かりそうなものだが。

 半ば諦めのような気持ちを抱きながら、私は伝票を左手で掴んだ。少年の前のパフェグラスはほとんど空になっていた。


「賢介、美味しいか。知らないおばさんに食べさせてもらうパフェは」


 突然後ろで不機嫌な声が重々しく響いた。少年は最後の一口を口に入れ、スプーンを綺麗に舐めとってから、にっこりする。声の主は椅子の背もたれに手をかけ、私に顔を近づけた。


「子どもを餌に俺を呼び出すとは、たいした根性。見上げたものだよ」


 声と同時に揺れる頭。髪は整えた様子もなく、あちこちに飛び跳ねていた。


「だ、だって、どこにいるのか、よく分からなかったから」

「甘いものをちらつかせて子どもを連れ出す。立派な誘拐だ」


 男は私の横の席に腰を下ろすと、右手で店主を呼んだ。カフェモカにチョコレートパフェ。数分後、運ばれてきたものを前に男は目を輝かせた。その瞳は少年によく似ている。


「……誘拐犯でも、おばさんでもありませんから」




***




 昼も三時近くになると、ランチの客もいなくなり、店はまどろむような静寂に包まれた。そこに響くのは、スプーンでグラスをつつく、軽快なリズムのみ。

 男は煙草に火をつけると、気怠そうに頭を掻いた。


「まずはお名前をどうぞ、依頼人さん」

柚葉(ゆずは)です。あの、本当に何でも調査してくれるんですよね」

「何でも、とは言ってないよ。どんな噂を聞いたかは知らないけど」


 私はすっかり氷の溶けたアイスティーを(すす)り、辺りを見渡した。カウンターに座る男性は店主と話し込んでいて、こちらを気にする様子もない。安心して男に視線を戻すと、ゆっくりと口を開いた。


「実は、あるものを捜してほしいんです」

「あるもの? もの捜しか?」

「いえ、ものではなく」

「じゃあ、人か?」

「いえ、人でもなく」


 男は煙草を口元から離すと、ようやく視線をこちらに向けた。


「実は……」


 束の間の静寂。私はもう一度店主とカウンターの客を確認すると、男の顔に唇を寄せた。少年も仲間にまぜてくれとでも言うように、顔を近づけた。



「はぁ? 猫ぉ?」


 遠ざかる煙。男は眉根を寄せると、机の上に置かれた伝票を私の左手に押しつけた。落ちていく伝票を慌てて掴もうとすると、その間に席を立ち、少年の手を握っていた。


「ま、待ってください!」


 私は思わず男の()れた服の裾を掴んだ。勢いよく伸びる藍色のTシャツ。少年の瞳は私と男の間を行ったり来たりしている。男はまた面倒そうに頭を掻くと、荒々しい口調で次々と言葉を言い放った。


「猫だって? 俺はペット探しなんか請け負ってない。だいたい、それ専門の業者がいるじゃないか。そっちに当たったらどうだ。俺なんかよりもっと早く、しかも丁寧に対応してくれるさ」

「ペットじゃないんです! だから専門の探偵に相談しても難しいだろうし。それに、相談料が高いんですよ? 一日で見つかるか分からないのに、そんなに支払えません!」


 (さび)れた商店街に(たたず)む、静かな喫茶店の雰囲気はもうそこにはない。見るからに無頼漢(ぶらいかん)といった風貌の男と、その男の服を掴み、(わめ)き倒す女性。おまけに、それを見ながら慌てる少年までいるときたら、周りの注目を集めることは言うまでもない。


「金もないなら依頼なんてするなよ。言っておくが、ここの支払いはお前持ちだからな」

「支払いぐらいしますから。お願いします! 引き受けてください!」


 男の引く力も強くなっていく。先程まで甘いものを見つめていた子どもの顔はどこにもない。

 店主とカウンターに座る客は、何事かとこちらの様子を伺っていた。



「僕、いいと思う」



「賢介?」

「僕、お姉さん助けたい」

「賢介くん……」


 初めて聞く賢介くんの声は、掠れて聞き取りにくいものだったが、その思いだけは強く伝わるものだった。

 男は目を見開き、同時に顔を(ほころ)ばせる。そして、賢介くんの頭を軽く撫でると、大きく息を吐いた。


「しょうがない、賢介の頼みだ。柚葉さん、とか言ったっけ? 賢介に感謝しろよ」


 奪い取られた伝票。男はレジの方へと向かうと、さっさと会計を済ませて、店を出ようとしていた。店主が何事か声をかけると、愛想笑いをして、一礼する。一体何を言われたのか、後頭部を小刻みに掻いている。

 賢介くんはこちらを振り向くと、繋がれていない方の手で手招きをした。

 その微笑みに不覚にもときめいてしまう。


「ほら、早くしろ」


 喫茶店のドアが開かれた。外の生温い空気が一気に流れ込んでくる。


「言い忘れてたけど、俺は光永(みつなが)光永京介(きょうすけ)。よろしくな、依頼人さん」




***




 陽炎(かげろう)に足下がもやもやと揺れる。

 目的地まで続く、軽い傾斜のついた坂道。足を進めるたびに、汗がどっと噴き出した。


「で、猫はこの住宅街にいたのか」

「はい、この先にひまわり公園っていう狭い公園があって。一昨日、そこのベンチで日向ぼっこをしていたら、猫が(くわ)えていってしまったんです」


 息を切らしながら答える。賢介くんは少し後ろの方で、光永さんに左手を引かれて歩いていた。額には汗をびっしょり()いている。光永さんが乗せた麦藁(むぎわら)帽子のおかげで、かろうじて日光を防ぐことができているようだが。


「何を盗られたの?」

「その、鍵を」

「鍵? 家の鍵か?」

「いえ、家の鍵ではなく」

「じゃあ何の鍵?」

「えと……」


 私は靴先に目を落とすと、耳の前に垂れた汗を人差し指で拭った。

 数ヶ月前に買ったスニーカーは(かかと)が擦れ、全体に薄汚れている。もとの淡い(だいだい)もよく分からない。そういえば、最後に靴を買ったのはいつだろう。そもそも、片手で数えられるほどしかもっていないのだ。どの靴も雨に、泥に汚れていた。


「あ、見えました。あれがひまわり公園です」


 ひまわり公園は閑静な住宅街にぽつんとある公園だ。比較的裕福な人々が住むまちとして発達した場所だったが、少子高齢化に伴い、住民は減少。今ではすっかり活気を失っている。ひまわり公園もそうした変化の影響を受けた場の一つだ。

 土曜日の昼だというのに、人気もない。乗り手のいない遊具がさらに寂しさを誘う。公園隅に咲く向日葵だけが太陽を見つめ、立っていた。

 私は早足で坂を駆け上がると、車止めをすり抜け、先に足を踏み入れた。


「あのベンチです。猫はあそこに」


 後ろから肩で息をしながら上がってきた二人。賢介くんはブランコを見ると、白い歯を覗かせ、走り出した。やはりあの年の子どもらしく、遊具には目がないらしい。


「賢介、落ちないように気をつけろよ」


 光永さんは口の横に手を当て叫ぶと、私の横に並んだ。頭一つ分違う身長。その引き締まった(あご)を眺めていると、怪訝な顔をこちらに向けてきた。


「柚葉さんはそもそもなんでこの公園に?」


 鋭くつり上がった目。その瞳には楽しそうにブランコを漕ぐ賢介くんが映っている。

 質問の意図はよく分かっていた。同じ顔、同じ色をした住宅に囲まれた公園。そこに、平日ひとりで日向ぼっこをする女性。仕事をしていないのか、それともこの住宅地に住んでいるのか。それが気になるのだろう。しかし、答える気はなかった。答える義理もない。


「それよりも、猫がいた場所を教えるのでついてきてください」


 私は芝生の上をずんずんと進み、左手にあるベンチに腰掛けた。光永さんも私と同じようにベンチに腰を下ろす。ベンチのすぐ横にある花壇には誰が植えたのか、向日葵が大輪を咲かせていた。

 私はその花を見つめながら、人差し指を前方へと突き出した。


「あっちです、光永さん。猫はあっちに走っていったんです」

「向日葵を抜けていったんだね。その先はフェンスだが……」

「でも確かにこの方向でした」


 光永さんと私はしばらく向日葵を見つめ、二人して黙り込んでいた。時折その顔を見ると、何かを考えているように眉間に皺を寄せている。こうして見てみると、意外に整った顔つきをしている。きつい印象を与える目元も、泣きぼくろによって幾分(いくぶん)柔らかに見えるし、程よく厚い唇も最近売れている俳優によく似ている。ぼさぼさの髪とよれよれの服を除けば、モテる男の部類に入るのではないか。


「向日葵さん」

「いや、柚葉です」

「柚葉さん」

「今絶対名前忘れましたよね」

「物覚えと人覚えは悪いほうなんだ、気にするな」


 撤回だ、撤回。こんな人がモテるわけないじゃないか。神妙な顔で思考していると思いきや、あっさり名前を間違える。こんな人で本当に大丈夫なのだろうか。

 しかし、噂ではこの人は凄腕だと言われていた。居場所も出現場所も分からないが、ふらりと現れると依頼を難なくこなしていく。しかも決して高額な相談料をとることはない。その噂を信じて、唯一の手がかりである賢介くんに接触したのだ。これまでの私からすれば有り得ない行動だった。


「柚葉さんはこの手の専門家がどのように調査していくのか知ってる?」

「どのように、と言いますと」

「何でもいい。もしペットを探すなら、どんなことをする?」


 光永さんの瞳は未だ向日葵から動いていない。

 背後で激しく地面を擦る音が聞こえる。ほぼ同時に小さな足音がこちらに近づいてきた。どうやら賢介くんがブランコから降りたらしい。少しすると、光永さんの膝に可愛らしい少年が飛び乗った。


「私がもしペットを探すなら、チラシをそこらじゅうに貼ります。余裕があれば懸賞金をつけて」

「そう、まずはチラシ作りから始めるだろう。参考までに柚葉さんはその猫のことをどの程度覚えている? 色や模様、大きさ、雌雄、目の色とか」


 ()かすことなく、穏やかに尋ねる声。

 私は光永さんの言ったことを反芻しながら、頭の中のビデオカメラを逆再生し始めた。

 確か一昨日は今日よりも涼しい一日だった。いつものようにリードと日傘を持って公園へと出かける。すると、公園には先客がいた。私がそれに気付いたのは、それが私の足を引っ掻いたときだった。小さく伸びた手、それは一点を除いて黒く美しい毛に覆われていた。


「色は黒、黒猫でした。でも、白い毛が少し見えたような……。大きさは一瞬だったので分かりません。まして雌雄や目の色なんて」

「それもそうだろうな。……それから、他にどんなことをする?」

「うーん、もしできるのであれば行動範囲やパターンを見つけるんですが」

「初対面の動物の行動範囲なんて分からないよな」

「はい……」


 また黙り込む二人。気がつけば賢介くんは膝から降り、花壇の奥の方で遊び始めている。

 言えば言うほど情けなくなる状況だ。私は猫についての情報を何も持ち合わせていないのだ。そのために専門の探偵に頼まず、この辺りで有名な探偵に頼んだのだが、そうだとしても、これでは手がかりもなく、光永さんを惑わせるだけではないか。

 私は靴先に視線を落として、小さく謝った。


「いや、謝らなくてもいい。全く掴めないわけではないから」

「え?」

「それより、俺たちがしなければならないことはもうひとつある。それは……」



「あ、あ、お姉さん」


 そのとき、高くそびえる向日葵の向こうで、掠れ声を聞いた気がした。間違いなく賢介くんの声だ。

 光永さんは瞬時に立ち上がると、花壇を避け、向日葵の向こう側へと走った。こちらからは賢介くんの姿は確認できない。きっとしゃがみ込んでいるのだろう。私も急いでその背中を追った。


「賢介、どうした?」


 賢介くんは公園を囲むフェンスの前にしゃがみ込み、お姉さん、お姉さんと言っていた。その指先は、何かを指し示している。それは――――


「穴か、しかも猫一匹通り抜けられるくらいの。でかしたぞ賢介」


 光永さんは賢介くんの頭を激しく撫で回すと、私に向かって笑みを浮かべた。それは何か獲物を得たときのきらきらした瞳。子どものように、綺麗に並んだ歯を見せながら笑っている。その姿に少し胸がくすぐったくなった。

 私はその瞳から目を()らし、芝生に膝をついて、賢介くんの手を握り締めた。


「賢介くん、ありがとう。ありがとね」


 賢介くんは頬をほんのり赤らめると、柔らかな手で私の手を握り返した。

 なんて優しい子なのだろう。最初はあまりにも喋らないから、何にも動じない心を持った子なのかと思っていた。しかし、いざ触れてみると、こんなにも温かい。頬の滑らかな曲線にすら愛しさを感じてしまう。


「柚葉さん、やるべきことが決まったよ。だから、君はしばらくここにいてくれ」

「え? どこかに行くんですか?」

「ああ、ちょっと行くとこがあるから、賢介を頼む」

「え、あ、ちょっと」


 止める間もなく、光永さんは公園の入り口ヘ向かって走り出し、車止めを飛び越えると、そのまま右手の住宅街に入り込んでしまった。賢介くんは特に気にする様子もなく、また地面をじっと睨んで、手頃な棒を掴み、穴を掘り始める。向日葵は地面にぼんやりと影を作り出していた。

 まったく、この二人は。変に似ているとでも言うべきであろうか。

 私は賢介くんに(なら)ってしゃがみ込んで、地面を眺めることにした。



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