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人間不信なアラクネの問いと、自分がなろう小説のハーレムが嫌いな理由。あるいは啓発。

作者: 池田哲次

 先日、『モンスター娘の居る日常』の第7種を見た。

 アラクネ(蜘蛛娘)のラクネラさん回だったのだが、これを見た人間の殆どは途中でされる問いに衝撃を受けたのではないだろうか?

 もう有料配信になってしまったので、見ていない人のためにその問いを要約するとこんな感じになる。


「私の上半身(人間)には欲情しても、人間じゃない下半身(蜘蛛)には生理的嫌悪感しかないんでしょう?」


 ……まさかハーレムものアニメでそんな重い問いをぶつけられるとは思わなかった。題材的に避けられない問いではあるが。

 この問いを聞いて、自分はある台詞を思い浮かべる。ハーレムものを好んでいる人ならば一度は聞いたことがありそうな言い回しだ。

「主人公は私のことを“お姫様”じゃなくて“一人の女の子”として見てくれたから……」

 これを基に、上半身のことを“ラクネラが女性であること”、下半身のことを“ラクネラがアラクネであること”として問いを少し改変してみた。


「“私が女性であること”には興味があっても、“肩書”からは目を逸らすんでしょう?」


 何も感じなかった人のために、肩書を“シングルマザー”に設定してみる。

 シングルマザーは言うまでもなく“一人の女性”だ。そして、シングルマザーは“連れ子が居る女性”のことだ。子供を施設に入れることも出来たはずなのに、世間の厳しい目にも負けずに女手一つで子供を育て上げている。

 そんな女性が「私のことを“シングルマザー”じゃなくて“一人の女性”として見てくれるから好き」なんて言うだろうか?

 おそらく言わないだろう。子供のことが自分自身よりも大切だからシングルマザーなんて大変なものをやれているのだ。こんな発言をするようではシングルマザーなんてやっていけるはずがない。


 お姫様というのはシングルマザーとは違い、やりたくなかろうがなってしまう肩書だから、あんな発言をするお姫様が居ても不思議ではない。

 しかし、彼女は主人公の前では“お姫様”であることを捨てた“普通の女の子”だ。彼女は主人公に“お姫様”としての姿を見せることはない。本人自体の変化がない相手をギャップ萌えだと嘯くのも無理がある。彼女を“お姫様”と見ることは、自分には出来そうにない。

 下半身が蜘蛛であることほどではないが、価値観の違う正真正銘の“お姫様”に忌避感でも有るのだろうか。だったら最初から相手が“普通の女の子”でも問題はないはずだ。

 なぜ“普通の女の子”は“お姫様”にさせられてしまったのか?

 おそらく、作者か読者の願望だろう。


 ヒロインを“一人の女の子”として見たがる野郎ほど、“肩書”でヒロインを選んでいることを正当化している自己愛の強い人間である可能性が高い。


 まあ、自分も“肩書”を重視してしまう人間だからとやかく言えないのだが。

 ただし、方向性は全く違う。入れ込んでいる。だからこそ“お姫様”らしくないヒロインが“お姫様”なのが我慢ならない。

 “お姫様”萌えというのはヒロインが主人公やその他のモブを下の立場として見て、主人公が彼女を上の階級だと認識したところから始まると考えている。

 自分は「ヒロインが何者であるか」ではなく「ヒロインが何をするか」を見るのだ。“お姫様”は民草のことを気にかけて心痛めている聖女か、愚民共の生活など気にしない高飛車女に与える言葉だと思う。

 あるいは、関係性萌えも有る。ヒロインが絶対的にお姫様だから萌えるのではなく、相対的にお姫様だから萌えるのだ。下々の者として憧れの存在として見るのも良いし、執事として近いのに手の届かない存在だと苦悩するのも良い。

 ヒロインというよりは、状況に酔いしれているのかもしれない。


 我ながら自分は面倒な野郎だと思う。男らしくない。

 確実なのは、ラクネラさんの問いへは「生理的嫌悪感が有るから良いんです」なんて訳の分からない返答をするということだ。絶対に怒られる。

 何と言うか、腐女子の感覚に近いものを感じる。今なら“エンピツとケシゴムのどっちが受けか攻めか”という議論に理解を示せるに違いない。関係性の近しいもの同士ならなんでも行けそうだ。

 物体ですら対象に出来ることから分かるとおり、関係性描写を第三者として眺める傾向がある。ちょっと自分を卑下しすぎているかもしれない。


 なろう小説は自分とは相容れない。そんなことを最近になってようやく理解した。

 一人称の作品が多いから言うまでもないことではあるのだが、主人公に主眼を置きすぎている。

 なろうの住人は主人公が否定される展開をとにかく恐れる。だから主人公の立ち位置をヒロインの上に置きがちだ。そのため、作品に出てくる属性の幅がかなり狭くなっている。

 例えば、ツンデレは嫌われる。実際、なろうでは「ハーレム ツンデレ」よりも「ハーレム ヤンデレ」で検索をかけた方が沢山の作品がヒットする。GoogleやYahoo!とは真逆の結果だ。異常と言える。

 もしかすると、「~じゃないんだからねっ!」というどう考えても好意を持ってるようにしか聞こえない発言ですら、否定の言葉であるというだけで嫌がられるのかもしれない。

 ヒロインを、主人公の引き立て役として扱いすぎている。


 なろう小説のハーレムでは、ヒロインは「そこにいれば良い」程度の扱いなのだ。


 勝手な持論だが、自己愛の強い人間の周りには自己愛の強い人間が集まると思っている。他人に恋するのはもちろん他者愛の強い人間だから、自己愛の強い人間はモテにくい。

 そして、なろうは自己愛の強い人間が「現実でモテないなら二次元くらいは……」と小説を書き始め、更に同類を呼んで成長した場所ではないかと推測している。

 商業とは違い、なろうは読者に媚びなければ死にかねないような場所ではない。だから「自分を持ち上げる」という目的のためにしかヒロインを使わなかった。そんな作品に惹かれてやってきた人間も、当然ヒロインを粗雑に扱う。


 本当にモテたいと言うのなら、ヒロイン含む他人のことをもっと見てあげてはどうだろうか?


 俺TUEEEしたらハーレムが自然と付属してきた作品と、ハーレムを作るために自然だから俺TUEEEする作品は構造も描き方も全く異なる。これが分かっただけ自分は幸せなのだろう。

 小説家になろうは前者のための場所なのだ。「ヤンデレ SS」で検索して辿り着いた自分には居場所がない。

 そろそろギャルゲでも買ってみようか。多分、その方が自分は満足できる。

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― 新着の感想 ―
[一言] かなん様、ぶどう様、霧島花代様、ホントそれな、それと物凄く個人的な意見ですがやっぱり恋愛物は純愛一途に限りますね。そもそもハーレム自体気持ち悪すぎて・・・もちろん例外もありますが例外というの…
[良い点] なるほどなぁ、と思いました。 個人的にハーレムの作品も、逆ハーレムの作品も好きではないので、すごい共感と言うか、納得しました。 結局、周りにいるハーレムや逆ハーレムも、主人公の『物』なんだ…
[一言] ハーレムも一つの恋愛部門である以上、ヒロインを一人の人間、女性として扱わないとダメですね。 ぶっちゃけた話、恋愛経験のない人のラブコメは大体つまらないですし。 相当妄想力が鍛えられてないと恋…
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