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草原の戦争

 彼女がまだ幼い頃、物置小屋に奇妙な発光体を見つけた。その時は見当もつかないものだったが、それは妖精であり、現実と幻想の狭間を行き来する存在であった。

 物置小屋の隙間に羽根を挟めてしまい、身動きが取れない妖精を、少女は優しく救った。得体の知れない存在に対して、それでも「助けを求めている」と感じた彼女は、未知への不安を超えて、救うことを選択したのである。

 救われた妖精は人間に通じない鳴き声を上げたが、少女はそれが「感謝の想い」であることを理解していた。羽ばたき浮遊して、発光を強めた妖精は一瞬のうちに光の霧となって空に消えた。

 少女はその不思議な体験を誰かに話すことはなかった。大人しく家に戻り、いつものように父親の作ってくれた昼食を摂った。父親は忙しそうに家事をこなすと、そのまま書斎に入って仕事を再開した。少女も食器の片づけなど、できることは手伝う。たった2人の家族だから、助け合う。


 不思議な体験のあったその晩。少女は夢を見た。夢と言うにはあまりにも風が暖かく、草葉の香りが心地よかったが、ともかくそれは少女にとって夢のような世界である。何故なら少女はもう、二度と出会うことはできない……声を聴くことはできない、と考えていた掛け替えのない母親に抱かれ、いくつか言葉を交わすことができたのだから。

 僅かに残っていた彼女との思い出。失って尚、求めていた温もりがそこにあった。

 夢のような時が過ぎると、少女の部屋には日差しが差し込んでいた。彼女は発光する羽根つきのそれに感謝した。発光体は人間に通じない鳴き声を発したが、少女はそれが「照れているのだ」とすぐに理解できた。


 朝食の席で、少女は夢の話を父に伝えた。夢の中で母が歌ってくれた、父への想いを伝えた。さすが、母親譲りの歌声に、父はパンも頬張ることを忘れ、涙を惜しげもなく流し、娘の前だと言うのに声を上げて泣き時雨れた。


 少女には類まれな「理解」の才能があった。狭間の妖精がうっかり彼女の家の物置小屋に挟まってしまったのも、あながち完全な偶然ではないのかもしれない。

 しかし、彼女の母親がそうであったように。秀でた才能は時に人の平穏を犯してしまう。最初は自分と家族を護るため。次いで仲間と未来を護るため。後に、信念と意志を護るため――彼女はその才能を刃として振るった。背中に続く人々は彼女を「偉大な旅人」と称して頼り、刃を向けられる人々は「冷酷な旅人」と渾名し、畏れた。


 夢幻の霊廟にすら踏み入った旅人は、真の安らぎも得られず、助け、憎まれ続けた。


 果たして、彼女は次に何を護るのであろうか。

 彼女は願う。出来ることならば、それはまた、“家族”であって欲しい、と―――。




<SCENE-1:女帝の決意>


 物の少ないオフィス。壁面の修繕工事を終えたばかりで、若干と香ばしい臭いが漂っている。

 ポツンと置かれたデスク。椅子に深く腰掛けて、その物静かそうな女性は思案にふけっていた。クリアブルーの長い髪に、金の卵のような、4枚羽の奇妙なモノが絡まっている。

 ふと、デスクの天板に「着信」を意味する表記が現れる。物静かそうな女性は、マイク付きのイヤホンを装着し、表情を緩めた。

「あら~、ロイちゃん♪ どしたの、前置きなく電話なんて、珍しいじゃなぁい?」

『…………』

「んん?? どうしたのかしら、難しい顔しちゃってぇ~~、ほぅら、スマイル・スマイル☆」

『……ヒュウ。少し、まずいことになっているわ』

「ふぅ~ん?? 何かしら?」

『あいつ――ユウキ=タカヤマが、“調整対象”に指定されたと。今、通知があったの』

「――――ほぅ」

『彼が“COINSの触れざる所”を知ろうとしたこと。加えて、“立場からして知っていてはいけないこと”を知っていたこと……それが歪みだとして、調整役が動いたらしいわ』

「――――」

『いいの、あいつが調整されるってところは、まぁ、いい。ただね……“知っていてはいけないこと”を彼が知っていた理由。そこを、調整役は徹底して探るとしているわ。手掛かりも、あると……』

「―――うふっ♪ なるほど、解りやすい。中々可愛いじゃない?」

『ヒュウ、あなた違うわよね。あいつが勝手に、“あなたの名前を語った”のよね? だってそうでしょ? あなたがこんな軽率な、雑なタイミングで動くわけないもの』

「ロイちゃん、ごめんね。私はこの件に関して、事実を以下のように定めるわ。“無知な末端構成員に指示を出したのは、この私、フューラー=カドレウスである”」

『違うッ!! ……違うのよ、ヒュウ。いくらでも言い訳が立つじゃない。“事実は違う”のだから、どうとでも誤魔化せる。どうしてもというのなら、スケープゴートだって、容易く用意できる』

「もう、わがまま言わないの。私が出なければ、ユウキくんが死んでしまうでしょ?」

『それが何だと言うの!? ヒュウ、あなたがあいつの身代わりになると!? その必要性を私は感じない! あなたとあいつを重ねて、あいつが上回っている部分なんて微塵も……無い!』

「――言いにくいけど、ごもっともね。あなたの見解に狂いはないでしょう」

『だったら!』

「でもね。どの道ここで私が逃げても、変わらないわ。“彼”が真に調整したいのは、私よ。いずれまた、別の手段で狙ってくるだけ」

『それでも、今を躱せば、時間を稼げるし、何か手段が――』

「でも、何処でかしら? 距離を置いていたつもりなのだけど、私にとってユウキが急所だと、しっかり理解されてしまっている……まいったわね。我ながら、甘くなったものだわ」

『どうして……ねぇ、どうして? ヒュウ、いくら友人の子だからって……それともソレの言う、可能性とやらを信じているの?』

「――正直に言うとね。ユウキくんが未来に何を成すとか、そういうところはあんまり期待していないかも。でも、そんなことは関係なしにね――ふふっ。そうね、羨ましいって部分もあったかなぁ。私がもし、素敵な人と一緒になれていれば……そう仮定すると、あの子はちょっと歳が過ぎるわねぇ」

『……ヒュウ?』

「昔夢に覚えた、あの温もりが忘れられない……。血と涙で冷え切らないうちに、私も温もりを誰かに伝えたくなっちゃった。あなたにも精一杯伝えたつもりだけど……不出来な子ほど、護ってあげたくなっちゃうじゃない?」

『…………』

「あら、突っ込みを入れてくれないのね。「あなたは母親じゃなくて、長女役だろー!」って♪」

『…………』

「可愛い私の一姫二太郎だもの。それほど長く、密接に時間を過ごせはしなかったけど……でも、愛情にそんなことは無関係――でしょ?」

『ヒュウ、あなたって、どうして……』

「あっ、勘違いしないでよ? 私、死にに行くつもりはまったくないから。ただ、これからは追われる身になるだろうからね……言わば、あなた達の敵ね! 調整役が何かしら。私、これでも対等な9院ですわよ? あ~あ、でも、これでまた平穏とはかけ離れた生活になるなぁ……いつになったら、王子様と素敵な夫婦生活を営めるのかしらん??」

『王子様って……御自分の年齢をよく鑑みて欲しいものね』

「あらら、うう~ん。あなた、今でも十~~~分にっ、可愛いのだけどね。もうちょっと笑顔になったほうがいいかもね。作るのではなく、自然にね? じゃないと、勿体ないわよ」

『・・・・・余計なお節介だわ。というか何よ、突然そんなこと言って……』

「あっ、そうそう! しっかり画面確認しててよね~。たぶん、とっくに新しい通知が来ているはずよ。転送プリ~ズぅ☆」

『え? あ、そうね、あるわ。これは……座標と、地図……?』

「急がないとね。猶予を与えれば、私が行く以外の解決策が出来てしまうもの。そして、そのことを私が理解すると想定した上で向こうは動いている――。また無理を言う事になるけど、ま、情に弱い彼なら引き受けてくれるでしょう」


 COINSの9院、フューラー=サルメ=カドレウスは歌うように何かを呟いた。それは、この世で最も難しい綱渡りをこなす、二輪運転のスペシャリストを讃える、詩―――。



「そうだ、ロイちゃん。1つだけ、頼まれてくれないかしら??」


『何かしら。あまり良い予感はしないけど……』


「ウフフ、あのね――――――」



――――――――――――――――――――――――――――――――


 ――過去、この世界には“英雄”や“勇者”と呼ばれ、讃えられた者が存在した。

 それぞれがそれぞれの物語に輝きを放ち、主役を務めた。その活躍は人々の記憶に留まり、今も言い伝えられることで、この世界に存在を続けている。


 記憶と伝承という、曖昧な媒体に眠る彼ら。それらが眠りし霊廟に、本来今生の人が行き着くことのない聖域に……ただ1人。この世で唯一、足を踏み入れた存在がある。


 彼女は旅の先にかの地へと流れ、最も厳格な門番と語らうことで徳を授かり、許された。


 彼女は現世に失われた勇気と語らう認可を得て、それを行使したのである。


――――――――――――――――――――――――――――――――



<SCENE-2:冷酷な女帝>


「喰らえッ、我が身よ、大食の貌よ!」

「う、うぁ……ぁ、うわぁああ!!!」


 【高山ユウキ】は絶望を感じていた。勇気を振り絞って抵抗を試みたものの、それは【魔術師オーディル】の逆鱗に触れたらしく……。

 ユウキは目の前で変貌した異形を恐れ、抵抗も逃亡も考えられず、ただただ尻もちを着いて悲鳴を上げた。もう駄目なのかと脱力し、それでも奇跡を願う。カイエキは来てくれないだろう。ならば、他に―――



 “ チリン、リン~♪ ”



 草原に警告のベルが響く。風が吹き、自動車の燃え盛る熱気を押し返す。非常に通りの良いそのベルの響きに、思わず異形のオーディルは振り返った。

 捨て置かれた小屋。そこに残された唯一の窓ガラスから、サイズ的に無理のある何かが飛び出してきた。それは窓を破ったわけではない。言うなれば、ガラスの中から出てきたといったところであろう。


 それは猫の紳士である。キッチリと身なりを整えた、蝶ネクタイが小憎らしい二足歩行のスラッと背の高い猫。それが自転車を漕ぎ漕ぎ、空中を蛇行して……ピタリ。直角に車体を曲げて、ユウキとオーディルを見下ろす形で停車した。

 後ろの荷物置きには相乗りしている人がある。彼女はちょっと恥ずかしそうに、スカートの裾を抑えながら、ひょんと荷台から飛び降りた。3m程の高さはあろうか。空中からの下車は異様な光景ながら自然なもので。長く、クリアブルーの髪が逆さに揺らぎ、肩に羽織っているコートがはためく。そして“彼女の着地”はまったく衝撃を感じさせない、フワリとしたやわらかな着地で完遂された。

 タイトスカートの裾を正す。草原に降り立った【召喚師フューラー】は尻もちを着いている少年に向けて、おどけたウインクを送っている。

 ウインクを受けた少年、ユウキはしばし沈黙した後、鼻水を拭って叫んだ。

「ヒュ、ヒュウ姉ざぁぁぁあああん!!!」

「あらあら、コラっ! 男の子がそんな豪快に泣かないの。でも、ま、そこまで再会を喜んでもらえるのは、嬉しいっかな~♪」

「うあ゛ああああ、姉さぁああああん!! うわあああ、助かったあぁあああ!!」

 ユウキは草原を這いつくばって、ヒュウの足元に転がり込んだ。まるで脱出口を発見した遭難者である。ヒュウはその動きも優しく咎めていたが、しかし、状況と相手を考えて慰めることに重点を置いている。

 魔術師オーディルは獲物がドタドタと逃げる様を容易く見送った。その気になればより速くその左肩の獣口で噛み切れただろうに。

「………フューラー? なるほど、本当に来たか。こんな小物を救いに――まさか、とは思っていたのだけど」

 彼は想定内だが予想外な出来事に、困惑していたのである。

 困惑はオーディルだけではない。少し離れて状況を見ていた2人組もまた、若干驚いていた。

「……来たな。正直、半信半疑だったが」

「あの狂刃様の算段だよ。まず、間違いはないだろうさ。実際目にして僕もちょっと驚いたけど……」

 剣闘士のような服装で、筋骨隆々たる姿の「魔術師」は顔をしかめて額を掻いた。その横で細身の灰色背広を着こなす「魔術師」が露骨に嫌そうな、面倒くさそうな顔をしている。灰色背広からは「焦り」の色も伺えた。


「――ユウキくん。いろいろお話はあるのだけど……今は時間がないわ。主に、デアルさんが困ってしまうからね。さぁ、ほら、乗った乗った!」

「この際、吾輩さして気にしないのだが……」

「うわぁぁああ……あっ。デアルさん、お久しぶりっス――って、え? 乗るの? また?」

「そうよ! ほら、早く、早く! ハリー・アップぅ!」

「いや、待って、何が何やら俺解んねっスよ――って、ほぁああああ!?」

 やたらに急かされて戸惑うユウキ。その身体が浮遊感を覚えると、彼の視界はぐるりと回り、したたかな尻の痛みと共に荷台に着席した。

「ア痛ーっ! デアルさん、優しく、優しく!」

「では、親愛なる友よ――吾輩は出発するよ」

「ええ、お願い。悪いわね……こんな形になってしまって」

「いや、無視すんなー!! 毛を引っこ抜くぞぉ!」

「気にするでない。貴女の覚悟、しかと吾輩に伝わったよ。願わくば――いずれ、再び。かの地で巡り合うことがあるのなら……その時は」

「そうね、また挑戦しましょう。大丈夫、次も絶対成功させるわ」

「ウム、吾輩、信じておる。貴女はきっと生き残り、そしてまた、吾輩を探し出してくれる――と」

「だぁーらっ! 俺をどこに連れていく気だよぉ! ヒュウ姉さんは何をする気だ!? ネクタイ外すぞ!!」

「・・・・・やれやれ、情緒のない」

「うふふ♪ ユウキくん、しっかり掴まって、振り落とされないでね。大丈夫、あの子には言ってあるから」

「へ? あの子って??」

「さぁ、行こうか。これ以上彼女に負担を掛けるわけにはいかん」

「ちょっ、ちょっ、待てよ! なぁ、ヒュウ姉さん、謝らせてくれ! 面倒かけちまったようだから……だからっ……!」

「そうねぇ、後で会ったら、ちょっとだけ叱っちゃおうかしら――ふふっ、なんてね♪」


 合図のように、ヒュウがウインクをした。猫の駆る自転車は浮き上がり、フラフラと蛇行しながら、置き捨てられた小屋の窓へと突っ込んでいく。

 ユウキは猫にしがみつきながらも振り返り、ヒュウに向けて何か叫んでいた。それに応えて、彼女は和やかに手を振って応えている。

 吸い込まれるように、ガラスの中に落ちていくように、猫と少年を乗せた自転車は呆気なく消えていった。



 草原の若草色が揺らいでいる。燃え上がる炎を浴びて、朱色の影を帯びている。

「なんて人だろうね。ここまでこの私を放置してくれたのは、キミが初めてですよ」

 異形のオーディルは笑顔ではあるが、言葉に歯の軋みを混ぜて苦々しくそう言った。

「この神童を前に、随分と余裕だねぇ……まさかこのオーディルを知らぬわけではあるまい? なぁ、総院――いや、裏切りの召喚師よ。私はね、こう見えて案外怒りっぽいよ。長らく机に向かってノウノウと騙し騙しの平穏を謳歌していたキミ程度……何てことはないさ」


 ―― 広がるは安静の時。

    魂の雲間に沈む、霊廟の地下水源。

    貴方は水面を凍てつかせ、その清純を保つ ――


「歌っているのかい? 理解しているようだね、鎮魂歌は必要だよ。そう、キミはここで調整されるのさ。手段は“抹消”……迂闊だったね。何か知らんが、たかが不出来な駒風情に入れ込んだ愚か! どの道、キミはいずれ裁かれる運命だったろうがね」


 ―― 遥かな時を、遥かな地を想う、深き零度の大牙よ。

    ここに私は問おう。“貴方のお腹は今、どんな具合?” ――


「呪うがいい、己の罪を! 私は嗤おう、キミの平穏なき生涯を!!」

 獣の大口を限界まで開き、槍の右腕を3つ股に裂いて、異形のオーディルが両の口で笑い、咆哮した。


 ―― 朗報です、止まりし泉の主よ。

    どうぞこちらへ。品質の良い餌食です。

    よく噛んで、堪能くださいませ ――


「――っ、いかん!! オーディル、一度こちらへ来い!」

 猛り、無防備な女性に襲い掛かったオーディル。その光景を遠目に確認し、細身の灰色背広を着た魔術師が声を張り上げた。

 しなびたような彼が精一杯声を張り上げた時。その声は虚しくオーディルの耳には届かない。大口を広げて咆哮している彼自身がやかましいということもあろう。

 だが、何よりその時。彼の鼓膜は既に“凍てついて振動することすらできなかった”。全身に霜が蔓延り、獣と人の口を開いたまま、オーディルは全身が締め付けられるような痛みを感じていた。凍傷である。彼の皮膚は瞬時にして火傷したように爛れ、場所によってはひび割れていたのである。


 召喚師フューラーの羽織るコート。彼女が片腕を振り上げると、垂れ下がって広げられたその裏面から、凡そ日光照らす昼下がりの草原にはありえない、寒波が吹きすさび始めた。

 僅か5秒無い間の出来事。寒波が荒れ、オーディルが凍てつき、コートの裏に描かれた文様から一頭、狼の貌がぬぅっと突き出る。それが牙を剥き出すと、その一本一本が成人した人間よりも大きなものであることが明確に解る。

 噛み合わされていた牙が離れ、これも凍てつく息が掛かり、いよいよオーディルは冷凍停止して、彼の足元から背後に広がる草地の領域は、放射状に凍結した。

 ムシャリ、凍てついた草地を添えて――。

 魔術師オーディルは巨大な貌に噛まれ、誘いの通りによぉく咀嚼され、そのまま一口に飲み込まれた。理解の範疇を超えた大きさの狼の顔面は、1つゲップを吐いた後、するするとフューラーのコート内へと還っていく。響き渡った「ワン!」の声は、「御馳走様」と言っているのだと、彼女は容易く理解できた。もっとも、それ以外の者にとっては威嚇の遠吠えにしか思えないであろう。


 召喚師フューラー=サルメ=カドレウスは。

 凍り付いた草地を踏みつけ、微塵の焦りもなく、遠くに立つ2人の魔術師へと向き直る。笑顔はない。ただ、普通に、真顔というものである。彼女の髪の色と同じく、冷え切った感情を突き付けるかのような顔立ち。そこに慈悲はない。


『 色々あるわよ。希望を言いなさい。

  さぁ、あなた達はどんな手段で……始末されたいのかしら?』




<SCENE-3:張り手に倒れるロバ>


 チリン、リン~♪


 警告のベルが鳴り響く。そこは本棚に囲まれた、ある一室。

 本棚の戸にかかったガラスに、奇妙な影が映っている。それは次第に大きく、接近して、やがてガラスを超えて小型図書館のような室内に飛び出してきた。

 飛び出してきたのは自転車で、運転手は夢猫のデアル。彼は慣性を無視した鋭いブレーキで、赤色絨毯の床に着地・停車した。

「おぎゃっ!?」

 小さな呻きがあがる。それは荷台から放り落とされた高山ユウキの呻きである。左肩の痛みが新たに発生している。

「なんでそんな乱暴なのさ!?」

「・・・・・さてさて、これにて吾輩の役目は終わりだな」

 夢猫のデアルは髭を整えながら、どこからか取り出した紅茶の一杯を飲んでいる。床に転がっている少年などまるで気にしていない。

「そうね。ありがとう――デアルさんだったかしら?」

 本の多い部屋の最奥。机の角に腰を乗せて。薄く紫かかった黒のレディススーツを着こなすその“少女”は、俯いたまま感謝を述べた。

「ウム。こうして会うのは初めてか……親愛なる友人から聞いている。大変有望な若者らしいな。先が明るいと」

「どうも。あんまり、私はどうだっていいけどね」

「そう言うな、彼女が嘆くぞ。……話に聞いた通り、少々擦れておるなぁ」

「夢猫様、そろそろ行った方が良いのでは? これ以上、あの人に負担を掛けないでください」

「ムぅ……解った。では、さらばだぞ、2人の若者よ。君達に、良き未来が訪れることを願っておる」

 デアルは。刺々しい物言いの少女に対し、それをたしなめることはしなかった。その心情を察してのことであろう。

 早々に自転車を漕ぎ出し、宙に浮く。紅茶片手の蛇行運転は傍から見てとても危険だ。それで波打つ光の道を渡るのだから、決して軽い気持ちで真似をしてはいけない。これは夢猫の彼だからこその妙技である。

 チリン、リン~♪

 警告のベル音を残して、珍妙な猫は本棚のガラスへと吸い込まれるように消えていった。映る彼の姿が、グングンと小さくなって、やがて見えなくなる。


 部屋に残された少年と少女。床に転がされたユウキ少年は、痛めた尻と肩を気にしながら、よろよろと立ち上がる。

「おー、ロイ。どうしたって、一体、俺はここに……?」

 見知った顔を前にして、彼は笑顔だった。これまでカイエキに助けられ、救われることに慣れきった彼は「ヒュウが助けてくれた」そのことで癖のように安心し、完全に油断しきっていた。だから、笑顔になれる。


 パァンッ――と。風船の弾けたような音が室内に、短く炸裂した。


 ユウキ少年は再び床に倒れた。今度は頬を抑えて、いきなりの衝撃に目を白黒させている。彼が混乱しつつも見上げると、黒いストッキングの脚に、うす紫のスーツ……そして、唇を噛んで震えている少女のしかめ面が確認できた。

「ろ、ロイ……??」

「―――――」

 彼女は何も言わず、そのままツカツカと、部屋から出ていく。

 まったく解らない。頬を全力でビンタされた理由が解らず、ユウキ少年は呆然と、赤絨毯の床に座り込んだ。



 ロイが初めて見せた表情――泣き顔の理由を、どうにか知りたくて……。




<SCENE-4:召喚師と白>



 文明に忘れられたような草原。背の高い林に囲われたその地に、寒波の名残が残っている。一部凍てついた草地に立つ、召喚師フューラー。彼女は先に燃え盛る車の方を見据えつつ、何かを呟いている。

 一方、少し距離の空いたところで燃え盛る自動車。その付近に立つ2人の【魔術師】は用心深く召喚師の動向を探っていた。

「オーディルは……あれはダメだな」

「そうだね……まぁ、僕らにも反省点はあるし。次に期待だよ」

 巨狼に一口、飲み込まれてしまった魔術師。その死を確信して、2人は溜息を吐いた。

 警戒を強める彼らに向けて、召喚師が声を張る。

「噂は聞き及んでいるよ。魔協に長らく巣食う、厄介児の話はね。しかし、それだけで私をどうにかできると考えているのなら……呆れてしまうわ、あなた達のお気楽さに」

 透き通った声が、草原を渡った。幾分にも嫌味を含んだ言い草である。

 それを受けて。2人の魔術師の内、筋骨逞しい魔術師【ヴェルオール】は顎を鳴らし、肩を揺すって一歩踏み出した。その逞しい胸板を、細腕が制する。

「おい、止めるのか」

「気持ちは解るって。だけど、相手はサルメ・ファースト。悔しいが……確かに我々だけでは分が悪い。ここは当初の計画通りに進めよう」

「そうやって細かく気を揉むから、内臓を傷めるのだぞ。友よ、もっと大胆になれ」

「……僕はその方が精神的に辛いんだよ。そっちこそ、もちっと慎重になってくれ」

 冷や汗を拭って溜息を吐く細身の男。灰色の背広はくたびれて見える。癖毛の魔術師【ロキ】は、大きく息を吸い込んで、緊張を抑えて声を張った。

「やぁやぁ、これはこれは。COINSに名高きその人、ミス・フューラー様。お見知り頂けているとは、この不肖ロキ、恐悦至極の思いに頭が下がります」

 言葉の通り、ロキは深く頭を下げ、敬意を表する。

「よくやるよ、まったく……」

 ヴェルオールは太い腕を組んで鼻息を強く吹きだした。

「いいのよ、そんなに畏まらなくっても。あなた達と私は敵同士なのだから――」

 フューラーは僅かに微笑んでいる。それは「仲良くしましょう」という笑みではなく、「逆らわないでね」という威圧した笑みである。

「おや、弁解はしないのですか? “全て部下が犯した過ちです”と」

「どの口がそれを言う。お前達が仕組んだ通りに、こうして出てきてやったのだ。今更愚問を吐くでない、不愉快になる。――そうだ、全て私の指示によるもの。可愛そうに。何も知らぬ末端構成の若者には、恐ろしい思いをさせてしまったね……」

「………それで、よいのですね?」

「くどいな。私はCOINSの触れざる領域に敢えて挑み、そして罠にかかった……いいだろう、それで。どちらにとっても、思惑の通りさ」

 フューラーの長い髪の中から。1匹の、卵の形をした金色の妖精が、4枚の翼で羽ばたいて、フワリ、彼女の肩に降り立つ。

「……“どちらにとっても”? 我々の、一方的な成功にしか思えませんがね」

「――――いずれ、世界を覆う闇を払う時。“彼ら”は重大な障害となろう。その“いずれ”に輝く勇気ある者の為にも。今、ここで。9院の一席たる私が落としておく必要がある。頃合いよ。私も丁度、考えていたのさ……」

 肩にとまった妖精が、「キィキィ」と鳴いた。それは普通、人間には通じない鳴き声だが、彼女は十分に理解できている。

「正気か、ミス・フューラー? あなたは全て理解して、敢えてこの場に―――」

「来たようね。……三術繰りのロキよ、時間を稼いでいたのはあなただけではないのよ?」

 フューラーが、鋭い視線を空に向けた。刺し殺すような彼女の眼差しの先には、高速飛行する物体がある。


 高速飛行するその物体は、まるでロケットのように鋭利な形状。

 それが捨て置かれた小屋を視野に捉えると。ハタハタと“折れて”、形を変えていく。

 飛行の中でそれは、何らかの鳥のような――知る者なら“鶴”だと即答できる形状に変わった。

 ロケットの形から鶴に姿を変え、悠然と、沈み込むように地上へと降り行く飛行物。

 “折鶴”のワールドレコードは現在、両翼幅81.94mだという。それに比べればいくらも小さいが。飛来するそれは腹部に1人くらいは悠々収められる、普通有り得ない大きな作品である。


 どの角度からも真白。表裏白の折り紙で折られたような、その鶴。

 それが地面間近という所で突然に解体され、舞い散る雪のように粉々に砕けた。


 朧に輝く紙吹雪が舞う。その最中、未だ燃え盛る車体の上に、1つの人影が降り立った。それは舞吹雪く紙と同じく真っ白で――。まるで現実のキャンパスを白く切り抜き、細いペンで陰影を描いたかのような、非現実的な違和感。そんな印象を与える姿。

 座布団の如く広げられた正方形の上に立つその“サムライ”を、周囲の火炎は畏れるように避ける。

 真白き彼の瞳は閉じられている。その閉じた瞳は、それでもしっかりと、先に立つ女性に視線を感じさせた。


 若草色の草原。盛る紅蓮の渦中。白き吹雪を舞わせて降り立ったそれは、COINS調整三役が一席、右院を担いし者―――表立って“無眼の神妙斎”。隠れて“狂刃”と畏怖される人物である。

「無眼様、お待ちしておりました。……貴殿の算段は正しく、そこに、召喚師は姿を現しております」

 魔術師ロキが膝を着いて“標的”を示した。ヴェルオールも、一応は膝を着いている。

「あんまり、驚いていないみたいだね、彼女。というか、ガッカリしている……かも?」

 【無眼】は寂しそうに、薄らと微笑んでみせた。

 囁くような言葉だが、大体察してフューラーも笑う。

「そうねぇ。どちらかと言えば、隕石君の方がやりやすかったかな♪ でも、いいわ。最も仕留めておきたいのは、あなただったから――」

 満面の笑みである。フューラーは下唇に人差し指を押し当てて、ウインクしてみせた。応じて「ははは」と、無眼が声を出す。美しい草原に相応しく、爽やかな笑いだ。

 その下で、魔術師ロキは冷や汗を拭い、姿勢を立位に正して標的を見やる。ヴェルオールは淡々と手首を慣らしたり、腰を捻ったりと、鼻歌まじりにストレッチをこなしている。されど、その顔つきは険しい。

「それで、“ミリシア”。何か言い残しておくことはあるかな? 貴女の頼みなら、少しだけ融通を利かしてもいい」

 ――スラリ。腰元に下げた太刀の、刃を半身抜いた。無眼の刃は、煌々と銀の輝きに染まっている。

「うふふ、そうねぇ……勝っても負けても、この件はここで終わりにしたいわね。ああ、もちろん、あなたの敵討ちに私が追われる身になるのは承知よ、“青山くん”♪」

 言い終わりと同時に。フューラーは両手の先を前に、くるりと回して演奏を控える指揮者の如く構えた。

 彼女の背後。複雑な文様がいつの間にか、凍てついた草地に6つ。並んで、光を放っている。

「やめてほしいな、困るよ。俺のことは無眼か神妙斎で通しておくれ」

 無眼の下に敷かれている、正方形の紙のような白い輝きが、折れて形作って広がって。随分とぶかぶかな、余裕のあるコートのように彼を覆った。

「あら、お互い様。私だって今の“素敵な”名前があるじゃない。頼むわよ? “優馬ちゃん”♪」

 フューラーの背後、草地に輝く6つの文様。その上に、何か板が――ノブのない扉が、映し出されるように出現した。

 無眼はその光景を確認して、やや表情を変える。線の少ない、白黒イラストのような彼の笑顔。その眉間に、数本の線が描かれたのである。


「うわぁ、マジかよ。聞いてないよ、6つなんて……」

 魔術師ロキは腹部をさすって辛そうにしている。

「なんだ、緊張して腹が痛いとでも?」

 魔術師ヴェルオールは小馬鹿にするように言った。

「ああ、そうだとも。この先に起こるであろう自分の境遇を考えるとね、胃も痛くなるってものさ、イテテテ……」

「やれやれ。お前、今度医者にかかれ。中々だぞ、医術というものも」

「医者かぁ。薬漬けの生活は嫌だなぁ……そうはなりたくないなぁ……」

 扉の輝きを前にした魔術師の2人。各々違いはあるものの、共通して「覚悟」を決めた表情をしている。



 出現した6つの扉。ドアノブの存在しないそれが、次々と、“内側から”開かれる。

 眩い輝きの中。6つの影――6つの人間が、召喚師を中央にして並び立った。


  1人は切っ先が欠けた剣を持つ、老齢の人。

  1人は貴金属のアクセサリーで半裸を飾った、壮年の亜人。

  1人は異様に長い槍の根元を、軽々と持っている戦士。

   かの地を旅した、召喚者。

  1人は弓を担ぎ、薄いローブを纏った若き狩人。

  1人は肌の赤い、ニ本角のある巨漢。

  1人は丸い盾を――いや、何故か鍋の蓋を手にしている女性。


 並び立った6人。それに応えて、空に浮かぶ雲が譲るようにその場を去る。遮るものの無い陽光が草原を照らし、風は渦を巻いて吹き、若草の絨毯は揺れて波打った。

 彼らは一見して共通点なく、個性もてんでバラバラ。しかし、彼らの共通性は歴史が知っている。


 召喚師フューラーは、甘く囁いた。


『来なさい優馬。私の出しえる最高の御持て成しで――あなたを、食い殺してあげる』




――――――――――――――――――――――――――――――――


 天地も応じたフューラーの召喚。2人の魔術師は曖昧なままに、脅威を覚えて警戒している。比して無眼はじっくりと6人の威風を眺め、はっきりと集中し、そして……歯噛みの後に、笑った。

「うわぁ、女性相手に多勢に無勢と、気が引けてはいたんだけど……余計な事でしたね」

 異様な圧力を浴びて、灰色背広のロキは、逃げ出したい気持ちを隠し切れずにいる。しかし、そう言いつつも、淡々と“声掛け”を怠らない所に律儀な一面が伺える。

「これは光栄なことだと思うけどね。それで、君達には下がっていろとでも言いたかったのだが……悪いけど、目くらましくらいはこなしてもらえないかな?」

 無眼が配慮のないことを言う。「それくらいしかできんだろ」という濁された部分を感じ、筋骨逞しいヴェルオールは強く草地を踏み抜いた。

「目くらまし――いいでしょう。しかし、加減できずにあなたの出番を奪ってしまうかもしれませんよ。私は、不器用なものでね……」

 ヴェルオールの全身に電流が迸る。両眼が紫に染まると更に一回り、身体が軋んで膨れた。

「うん、いいよ。それはそうとして予め言っておくと……あの右から2番目は最初の竜人、カル・マガラ。左から2番目はたぶん、星牛なんだよね。現状最大の脅威はそれらだから」

 貴金属で半裸を飾った男と、二本の角を持つ巨漢を銀に輝く刃先で示す無眼。それを聞いて、ロキは愕然とした。

「星牛って――仙界三山の神格ですか? それはダメでしょう。仮にも人間な我々の争いに持ち込むなんて、反則だ……」

「ふん、私は有り難いですよ。一度、その域にある者と手合せ願いたかったのでね」

「勇ましいじゃないか、ヴェルオール。なら、任せようか。ロキにはさっき言った通り、目くらましと攪乱を頼むよ」

「うう、頼まれたくないところですが……はてさて、一体、何人のボ―――くぉっ!!?」


――――――――――――――――――――――――――――――――



<SCENE-5:大戦>


 昼下がりとは思えない勢いの陽光が、草原にキラキラと黄金の輝きを反射させている。

「……気に喰わんな」

 切っ先の欠けた剣を持つ、老齢の人が言う。老齢ながらもその体躯は立派なもので。満ち溢れる自負心によって厚い胸板を晒し張り、猛獣の毛皮をふんだんに用いた勇ましい衣類が違和感なく合致している。

 刻まれた深いシワによる睨み顔。それがチラリと召喚師を見やり、咎めるような厚かましい視線を送った。気が付いた召喚師は、少々戸惑って「なにかしら?」と首を傾げる。

 視線を戻し、切っ先の欠けた剣が振り上げられる。

「このわしが“差し置かれる”など、あってはならないことだ」

 老齢の人は、そのまま上げた剣をただ振り下ろした。すると、生した草原を光の柱が一閃、疾走。断崖が崩れ落ちるような、大規模な地滑りが発生したかのような……破壊の轟音が鳴り響く。

 草原は老齢の人を起点にして一直線。2人の魔術師と白いサムライ目がけて、深々と“裂けた”。大地の裂け目は底も見えない。舞い上がる土砂で草原に砂埃が生じている。

「これで終わるなどないだろう。わしを差し置かせるくらいなのだから、な」

 疾走した光の柱は何かに衝突して、霧散したように思われた。気の早い、見切れた一撃を受け止めたのは。

 舞台のどん帳幕。開演を控えたカーテンである。


 立ち込める砂埃の先に、一面の「白」がある。幅広く、草原に突如として現れた「白紙の幕」は、魔術師達とサムライを覆い隠していた。

 剣の一閃を凌いだ白紙の幕が、ハタハタと。段々折に上がっていく。3人を隠すにはやけに幅広く用意された幕が上がると……なるほど、必要である。その幅には確かな理由があった。

 召喚師と彼女が従える6人が上がった幕の先に見たものは、総勢1000名はあろうかという“集団”。それも良く見れば、全てが“同じ顔・同じ体格”らしい。その集団はついさっきまで、間違いなく存在しなかったものである。

 異様な光景、同じ顔の集団――それは全て、紛うことなき“魔術師ロキ”で構成されている。ほとんどは灰色背広のロキなのだが、あるロキは特殊部隊さながらの重装備で万全を期しており、あるロキはパジャマ姿で寝ぼけていたりと、服装や持ち物にはバラつきがある。

「びっくりしたぁ、いきなり何か光ったね」

「いやぁ、これ、装備でどうこうなるのかな。無駄な気がする」

「そう言えば今日だったね、忘れていた」

「やべぇ、歯ブラシしか持ってねぇ……」

「無眼様、それでは戦闘に入ります」

「なるべく早く、なんとかして下さいお願いします」

「ええと……あんま解んねぇな。まぁ、やるか」

 千人前後のロキ達は尚も数を増しながら、それぞれが微妙に統一されていない独語を放っている。


「わぁ、凄いですね、同じ人が一杯!」

「なんだあいつらぁ!! 気持ちわりぃ!!」

 不気味な集団を前にして。呼び出されし6人も各々大小の驚きを感じているらしい。

「……実に奇妙。中々どうして、アレだけに注意すれば良いということもないな。友よ、備えをより強固にしたまえ。私はあなたの護衛に徹するが……私の予感が確かならば、必要と思われる」

 貴金属の装飾品で身を飾る、半裸の男性が召喚師フューラーに助言を送った。彼に特徴的な点がもう1つ。それは、人に普通ないはずの“尾”が生えていることである。

「マガラさんが仰るなら――解りました、“奏でましょう”」

 フューラーは、自らの声を用いて旋律を奏で始めた。透き通るようなその音色は彼女の周囲に歪みを生み出す。音色の歪みは植物の種子を包む“殻”となり、奏者を包み込むことで成立。今、その「時」から遡ることで彼女を現代から隔絶した。

 貴金属で身を飾る男は種子に包まれたフューラーを担いだ。彼は背に翼を広げて飛び上がると、捨て置かれた小屋の上に降り立つ。

 フューラーが歌いあげた演目。それは遥か神話の時代に語られた詩――陥落した城郭に1人残された少女を敵兵から護り通し、傷1つ負うことも、負わせることもなく3日3晩耐えきった種子の実話である。

「――なるほど、現在と過去の隔たりを防壁とするか。そうだな、思えば君の母親は詠唱詩人として高名だったと聞く……」

 歌声を聴いた無眼は腰元の刃を抜き身にした。銀の輝きに染まったそれが、煌々と輝く。刃の切っ先を小屋に向け、白きサムライは号令した。


 「 ――行け。 」


 サムライの一声を受けて、ロキの軍勢が草原を駆け出す。涙目だったり怒り顔だったりと様々だが、どれも大まかに悲壮感に満ちた表情である。

「軍勢か……また壁でも張るか? では、次はその壁ごと裂いてやろう」

 そう言うと、老齢の人が先の欠けた剣を振りかぶった。しかし、それを振り抜く前に、老人は空を見上げて察知した。老いた瞳に、紫電を纏い、雷鳴を轟かせて飛行する物体が映る。

 雷の鬼人、ヴェルオールが開口した。その口から放たれた雷撃は放たれたと同時に標的へと着弾するはずなのだが――それを読み切り、予め振り抜かれていた剣の刃に裂かれて虚空に消失してしまった。

 雷撃を打ち消して尚、放たれた閃光の一撃がヴェルオールの身を襲う。屈強な彼の身体は空中にて両断。血しぶきが背面に散った。

 両断されたヴェルオールの身体は空中で――接合。改めて彼の口内が紫の電流を帯びる。


 再び放たれる雷撃。大気すら焼く紫電の稲妻は……老人に届くことなく、不意に跳び上がった“二本角の巨漢”に直撃した。


 巨漢の身体は焦げ付き、炭化した木材のように崩れる。それはまるで蝉の脱皮に近いもので、中から真っ赤な肌の“牛”が飛び出した。その前足は人間のそれのように指があり、それぞれに蹄がある。そしてその手のひらは、容易く人間を掴める程度の大きさ。

 赤肌の牛は空中でヴェルオールの身体を掴み、そのまま落下して、前足ごと草原に叩きつけた。あまりの衝撃に大地は揺れ、駆けて進撃していたロキ達はよろめいて足を止める。ヴェルオールの身体は完全に地面へと潜ってしまった。

 悲鳴を上げるロキ達。赤肌の牛は大地から前足を引き抜くと、二足歩行で容赦なく軍勢に突進。剛脚を振り抜いた。

 ……蟻の群れを木の枝でスッ、と払う。すると、それが砂地であるなら、砂と共に蟻達の身体は宙を舞って何処かに虚しく落下するだろう。この場においては、舞い飛んだのは草原の草であり、混じって無数のロキ達が虚空を飛び、鈍い音をたてて次々と地面に落下した。また、ロキ達が落下を始めた時には、次のロキ達が宙を飛んでいる。草原の天候は晴れ時々成人男性の様相を呈した。

「うわあああああああ」

「ぎゃあああああああ」

「また死んだああああ」

 阿鼻叫喚、血しぶき交じりの人間降雨。短時間で相当数が飛び交っているが、中々止まない。何故なら、落下して潰れていくうちにも、次々とロキが草原に沸いているからである。

 到底人間では力比べを望むべくもない巨体の横を、難を逃れたロキ達が弱音を吐きながらすり抜けていく。前線は上がっているのだ。ロキの中には「おいおい、案外到達できるかもよ!?」と希望的な発言をする者も出てくる。

 その、ロキ達の最前線で絶叫が木霊した。獣の叫びのような、苦痛に満ちた悲鳴である。

 何かと言えば、最前線を進んでいたロキ達が次々と発火炎上、燃え盛るロキ達の遺体が炎の壁となって進軍を阻み始めたのである。

「うぉらあああっ!!! なんか知んないけどよぉ、焼けてしまえば同じだぁっ!!」

 それは長さ、5mはあるのだろうか。槍というよりはただ長い棒、という具合の得物を振り回し、棒高跳びの要領で戦場を飛び交っている人間がいる。驚くべきは、その左腕は欠損しており、片目も潰れていることであろう。しかし、何の問題もなく、彼は飛び回って暴れている。

 彼の持つ槍は貫いたものを発火させるらしく、単に触れただけで燃え盛るロキもある。ロキ達の進軍は火炎と槍使いの躍動によって停滞した。


 大地の中から、雷が無数に放たれる。


 その紫の電流は闇雲に放たれたので、ロキ達を数名葬った。内の1つは赤肌の牛に命中。草原の一部を弾き飛ばし、紫電を纏った魔術師ヴェルオールが憤怒の形相で飛び出した。

「おい、俺を無視するんじゃねぇよ……」

 彼はロキ達を跳ね飛ばしている牛の顔面に張り付き、草原一面を強い発光によって紫に明滅させた。

 赤肌の牛は嫌そうな顔をすると、顔に張り付いたヴェルオールをまた掴み、地面に投げ付けた。草地が剥がれ、地面が抉れる衝撃によって彼の四肢は千切れて離れたが……すぐに体の元に集結。結合して再生した。

「――何々、小さくて解りにくい! しかしどうやら頑丈らしいぞ、このニンゲンは。我は仕組みを気にする!!」

 赤肌の牛は大声を張り上げた。つぶらな瞳が、眼下のタフな人間に注目する。

「……気にしてくれたか。ははっ、よぉし。1対1……遊ぼうではないか、星牛殿!」

 ヴェルオールは身を震わせた。感情に微塵も恐怖はない。全身に紫電を張り巡らせ、鋭い輝きを明滅させて、一足飛びに―― ―



   ― ―― ピシィッ!



 小石を弾いたような、軽い音。それと共に、世界は二階調化する。

 色の失われた戦場。騒がしかったそこに動くものはなくなり、音も消える。モノクロ二階調の景色は、全てが停止した不変の世界。“二階調化の秘法”は、時と空間を切り離し、一時的に世界を麻痺させる。そこに影響を与えられるのは、ただ1人。

 “狩人”が歩くと、薄いローブが揺らぐ。狩人が弓を構えると、無音の世界に木材の軋む音だけが響く。被るヴェールの狭間から、鋭い眼光と、歪んだ口元が覗いている。

 誰も抗うことはできない。完全停止したこの世界では、唯一変化を与える権利を持つ“彼女”に逆らうことは叶わない……彼女だけの、特別な世界。

「見てられないわ。だから、最初から私だけを呼べば全て済むと言うのに」

 そう言うと、狩人は獲物を探った。あとは二階調の世界で停止している、無防備な標的を、ただ射抜くだけ。

 ……しかし、そう言えば。その標的である“サムライ”は、不気味な軍勢が現れてから、とんと姿が見えていない。一体、どこにいるのだろうか。もし、同じ顔の群れに紛れているとしたら、数が多いので面倒……いや、そこで唯一異なる個体なのだから、むしろ見つけやすいか。……などと考えているうちに、狩人は標的を発見した。やはり、紛れていたのである。

 停止している同じ顔の群集の中。唯一異なる顔で、唯一ゆっくりと、微笑み歩んで近づいて――――

「・・・・・え゛っ!?」

 狩人は標的を確認したことによって、背筋が凍える思いをした。

 白と黒。モノクロの世界に、唯一行動し、変化を与えるのは自分だけ……なのに。本来より真っ白であったそのサムライは悠然と歩いて、いつの間にかこれも停止している、長い槍を持つ男のすぐ近くに、並んだ。

「素晴らしい術ですね。だけど……起こりが見えるので、“斬れました”」

 無音の世界で良く声が通る。白きサムライ、無眼は狩人に向けて微笑むと、閉じたままの目で槍を持つ男を眺めた。サムライが持つ長い刃は、見るからに切れ味鋭そうである。



  ―― ― ピシィッ!



「―――んがっ!? どぅおおおあああ!!!」

 咄嗟に飛び退いた。長い槍を持つ戦士は、時間がトんだかのように、不意に描かれた刀の軌跡を寸前でかわした。

 目の前にいきなり出現した白い人。槍使いの戦士は声を張り上げて得物を振り下ろす。

 火花が飛び散る。炎が揺らいで、草原を焼く。火炎の槍は、前触れなく出現した正方形の紙のようなものに遮られ、弾かれた。続けて構わず突きを放つが、これも厚みがまるでない、正方形の紙のようなものに受け止められる。過去にマグマの熱すらものともしない甲殻を貫いた一撃が、通用しない。

 正方形のそれはある東国に伝わる“折り紙”という伝統遊びのように、折れて形を変え、無眼の周囲を保護しているようだ。

 槍使いが一枚の技能に翻弄されている隙に、雪崩のようにロキ達の軍勢が駆け抜ける。

「し、しまった!」

 慌てて彼はロキ達を叩きのめし始めたが、既にかなりの数が通り過ぎた。これは、散々ロキ達を散らかしていた牛の化け物が、目立つ玩具を発見して遊んでしまっているのも悪い。


 光の波が奔り、前線のロキ達を照らした。


 横一閃に薙ぎ払われたロキ達が、蒸発して滅する。蚊を振り払うように欠けた剣を振るった老齢の人は、尚も迫るロキの群れを一瞥することもなく、隣に立つ狩人に問うた。

「使ったのだろう、秘法を。何故撃ち取っていない。できるだろう」

「メイデン王……どうやら敵は私の術を斬ったようです。破られました、部分的に……」

 落ち込んでいる、というよりは、初めてのことに恐怖して、彼女は唇を震わせた。

「ほぅ、そうか。なに、それほど驚くことでもあるまい。わしでも不可能ではないよ」

 老齢の王は豪快に笑って狩人の肩を右手で優しくさすった。残る左の手では剣を振るい、迫っていたロキの群れを掻き消している。

(それは私が「やりますよ」と教えたら、ってことでしょ? あいつは……“起こりが見えた”と……)

 得体の知れない不安に困惑している狩人。その鼓膜が、金属同士のかち合う鋭利な音で震える。

「えっ……!?」

「こら、ここは戦場ぞ。気を抜いたらいかんな」

 王は剣の柄を両手でしっかりと握り、狩人に迫った凶刃を押し返す。

「……これは驚いた。俺の銀染めと鍔迫り合いを成立させるなんて。どうやら宝剣を侮っていたようです」

 無眼の白い面が、苦笑で歪む。

「それはこちらも同上。なるほど、あの娘も酔狂でこれだけ召喚したわけではないのだな」

 年老いたシワの深い顔が、歯を食いしばりながらも笑みを浮かべた。

 無眼の持つ銀の太刀と、老王の持つ欠けた剣が競り合い、輝きを増す。だが、刃の質は競っているものの……主の力量が異なっていた。

 老王の刃はとても細身だというのに。次第と無眼は押され、じりじり、刃の背が身に押し付けられていく。

「小僧っ! お前、大した工夫を持つようだが――このわしと剣で比べようなど、1300年は早いのぅ!!!」

 年齢はともかく、体格からしてまるで差のある両者である。抑え込むように老王は剣を押し込み、ついに無眼は体勢を維持できず、大きく跳んで引き下がった。

「うっ、くっ……さすがは、初代ルトメイア。簡単ではないな」


 無眼が地に足をつくか否かの刹那。複数の破裂音が木霊して、熱気が彼の頬を焦がした。


 破裂音は続く。それの実態は破裂というよりは“爆発”であり、次々と無眼の近くにあるロキ達が焼けて弾け飛んでいる音である。その余波で、彼の頬は焦げた。

「ご、御免なさい……でも、ダメなんです! ヒュウちゃんには近づいては……ダメなんですっ!」

 戦場に鍋の蓋を持ち込んでいる変わった女性は、迫るロキ達に向けて退くように警告を発し続けている。言葉は穏やかで口調はおっとりと自愛あるものなのだが、彼女の背後で揺らいでいる幻影のような化け物は、馬の骸骨顔で不気味。それは腕を組んだまま、目配せによって次々とロキを破裂燃焼させている。

 馬の骸骨顔にある空洞の瞳が、流れのままに、白いサムライの姿を捉えた。そして、ロキを破裂させるのと同じ要領でそれを破裂させようとする。


 ――それと同時。無眼が無理な姿勢ながらも、強引に虚空へと銀の軌跡を描いた。


 すると、馬の骸骨顔が半分砕け散り、化物はうめき声を上げてもがき始める。鍋の蓋を持つ女性は慌てて「イーちゃん、どうしたの!?」とその身を案じている。

 それを見た老王の顔色が変わった。刻まれたシワがより深くなり、先ほどの狩人の言葉もあって、彼は独語を吐いた。

「――こいつは、ここで殺さねばならぬ」

 無眼は片膝を着いている。立ち上がれていない。老王は欠けた剣を腰元に構え、猛然と不利な状態である敵に迫った。余裕のない、非情な行動だが、彼はなんとしてもここで無眼を斬ろうと踏み込んだのである。


「メイデン王! 上です!」


 狩人が叫んだ。端的に必要なことだけを、大声に。

 老王が見上げると、上空から黒く小さな物体が放物線を描いて飛んできているのが解った。彼はそれが何であるかをはっきりとは理解しないが、「危ない物」だと勘で察した。確かに危険である。“手榴弾”は、殺傷力の高い危険物だ。

 ロキ達の誰かが投げた手榴弾が無眼達の方向へと飛んで来たのである。狩人は矢を引き絞り、接近する的を射った。手榴弾は空中にて弾け、破片と爆風が地上を襲う。

 老王は猛獣皮のガウンを巻き上げ、咄嗟に爆風を防いだ――そして、それによって一時的に無眼から目を逸らすことになった。

 爆風をやり過ごした老王がガウンを降ろすと、つい数秒前までその場に蹲っていた白い人が忽然と消えている。

「イーちゃん、掴まえてぇ!」

 女性の必死な声が聞こえる。「ハッ」と老王が振り返る。視界には、顔の半分を抑えながらも手を伸ばす馬の骸骨顔の怪物と、それを避けて飛行する何らかの物体。

 飛行しているのは白の折り紙のようなもので作られた“飛行機”。その背に乗る白きサムライは、最早後ろを一瞥もせず、捨て去られた小屋の屋根を目指す。

「まずい、待っ―――」


「うわあああん、もう嫌だよぉぉぉ!」

「ああああんんん、死に飽きたぁぁぁ!」

「ああ、並んで得たラーメンが……」

「もう、絶対医者行く。終わったら絶対に医者行くんだから!」

「既に行ってるよ、ちっくしょう……薬大量だぁぁ!!」


「―――えええいっ、鬱陶しいぞ、己らぁ!!!!」

 光の波が、柱が、乱れ奔る。無数のロキ達の悲鳴と、大地の裂ける音が混じりあう。

 それらを背中に浴びつつ、無眼の乗る紙飛行機は上昇し、小屋の屋根に高度を合わせた。


 捨て置かれた小屋の屋根から、翼のある影が飛び立つ。

 長い尾を揺らがせ、飛行の中で口は裂け、牙は伸び……辛うじて人間の要素を残した姿で。全ての竜人達にとっての父親は、迫る紙飛行機の行く手を遮った。

「我が道を塞ぐか、祖竜よ。ならば、誠に心苦しいことだが……あなたを両断させて頂こう!」

「驕るな、純粋な人よ。何も“君だけではない”。これも運命――あってはならない運命なのだよ」

「御免―――ッ!!!」

 虚空に切りぬかれた白い人。それに黒のペンで表情を描いたような、現実味の薄い存在。その無眼の振るう刃が……確かに翼ある人の身体に当たり、そして、傷も付けられずに停止した。

 無眼の眼前には同じく真っ白で、完全白の――いや、それには表情すらない。そこにあるかも解らない、ぼやけた姿。より一層、現実において違和感のある存在。

「“繋がる者”は、受け継がれる存在。私がかつてのそれだ。君がCOINSに、真には“裏返し”に興味を抱いていることに対しての理解を示そう。だが、こちらは生憎引退の身。今は友を護ることを優先する」

 最初の亜人であるカル・マガラは白きサムライの首をその指で掴んだ。

「――――」

 咽頭を圧迫されてか、無眼は何も言葉を発さない。

「こちらこそ心苦しい。しかし、君は先達者から見ても危険だと思う。だから、すまない。ここでこの指を絞めるよ」

 カル・マガラは爪の長い指を強く締めた。何かがへしゃげて潰れた音と、その感触が指先から伝わる。

 伝わって、竜人は想定と異なるそれらに言葉を失った。首を潰された無眼の口は動かない。動かないまま、彼は話した。

「――――知っていたよ、先輩。なんとなく、そんな気がして、警戒していたのさ。ところで先輩。あなた式神って……知っています?」

 元より紙に描かれたかのような不可思議な印象を受ける無眼だが、それは本当に単なる「紙のようなもの」である。カル・マガラが絞めたのは作りだされた偽りの無眼であった。


 そして無眼は――白い袴をはためかせ、着物に風を受けて跳んだサムライは、遂に捨て置かれた小屋の屋根に降り立つ。彼は召喚師が籠る種子を前にして、銀の刃を煌々と輝かせた。

「……カル・マガラ。正直驚きました。もし、あなたが現世に存在している者ならば、俺達の争いはかなり面倒なことになっていたでしょうね。されど、ここに居るあなたは違う。非常に朧な、か細い糸に繋がれた――仮の人形です」

 無眼はまるで事が終わったかのような物言いで、事件の解決を淡々とこなす探偵のように言葉を紡いだ。その言葉の意味を、竜人カル・マガラは理解していた。それでも彼は羽ばたき、白きサムライに襲い掛かろうとする。


 無眼は虚空を裂いた。刀を振るって、銀の軌跡を描いた。


 まったく関連性なく見えることだが……しかし、確かにその無眼の行いによって、カル・マガラは光の粒子となって朧になり、空の内に消えてしまったのである。

「これだけ近づければ、見えますよ。確かに残り5本、目で確認できるもので例えるなら――そう、操り人形の糸がね」

 無眼は立て続けに、1つ、2つと刃を振り抜く。

 地響きが鳴るほどに強く、拳をぶつけて紫電の魔術師を大地に埋め込んでいた赤肌の怪牛が、呆気なく光の粒子となって消え去っていく。次いで、長い槍で暴れ回っている男が「なんでだ!?」と困惑しながら消滅した。


「メイデン王、これは……」

「やられた。いや、こうなれば敗戦だと解っていた。だからこそ、あそこで仕留めようとしたのだが――――だがしかしッ!!

 小僧、その殻は破れまい! “過去の事実にまでは”、干渉はできまいっ!!!」


「……詩人の再現演想は確かに、過去の事実を元にした“結末の定まった過程”です。しかし、それは奏者の想像から生ずる可能性を台座として成り立っている。

 通常成し得ないことだ。再現演想を繰り広げる段階にある奏者の幻想を、超えて事実未成立になど、出来ないことである。

 だが、青山の刃が――この銀染めの刃が真に輝く時。その威力と接触への可能性は、誰にも推し量ることなど不可能。この私と、その血族を除いて――絶対に!!」

 無眼が、神妙斎がその目を見開いた。それと共に彼の刃は、青混じりの銀色に輝きを変え、直視に耐え難い鋭利な恐怖を放った。その輝きは遠目にも、眼球に包丁の切っ先を接触させる行為に等しい不安感を与える。

 老王達、召喚されし者達は寒気に身を震わせるに留まったが、無数のロキの内大半はこれによって意識を失った。脳が著しい恐怖に対して、自衛の失神を選択したのである。

 現在と過去、時間と空間の異なる領域を隔たりに用いる種子の殻。その絶望的な距離に向けて、神妙斎は青銀に輝く刃を、直ぐに突き刺した。


 そこには確かに、永劫辿り着けない距離があるはずなのだが……。


 恐るべき刃は距離の隔たりそのものを貫き、過去に成立した既成事実を両断して崩してしまった。それは見た目において。1人女性を包み、護っていた種子の殻が貫かれただけに見える。

 神妙斎が貫いた刃を横に払う。そして、付着した赤黒い液体が飛び散ったことを確認すると、彼は目を閉じた。それと共に、現世に残された3人の身体が光の粒子へと置換されていく。

「ば、馬鹿な……一体、こいつは……」

「ああ、そんな――ごめん、ごめんね、ヒュウ……」

「・・・ヒュウちゃん? え、そん、ダメ、なんっ………ヒュウちゃん――ヒュウちゃん!!!」

 断末魔のように言葉を残して。彼らは全て掻き消えた。

 捨て置かれた小屋の屋根では、種子の殻が次第に希薄となり、完全に消失する。中には、膝を着いた女性の姿。

 殻に護られていた女召喚師の腹は裂け、右腕は肘の直上から切れて落下した。血液が腹部と二の腕から滴っている。


 彼女は吐血し、ゆっくりと、傾いて、前のめりに――倒れた。


 小屋の屋根が彼女の血で黒ずんでいく。召喚師フューラーの瞳は開いており、呼吸はまだある。

 無眼はそれを、傍らで見下ろしていた。彼は刃を鞘に納め、何も言わず、弱まっていく彼女を見ていた。

 いつの間にか。無眼の横には魔術師ヴェルオールが立っている。彼は何か不満があるらしく、無眼に物言いを行おうとしたのだが……いつになく不気味なその横顔に危険を察し、言葉を飲み込んだ。

 ヴェルオールが屋根の上に立って数秒。そこには、乗れる限りのロキが倒れたフューラーを囲うように群れていた。全員、かなり怯えているらしい。

「無眼様、彼女、まだ息があるようですが……」

「あまり気は進みませんが……しかし、召喚師というものは油断なりません」

「止めをどうか……もしだったら、そこのヴェルオールに任せても」

「私は恐ろしい。いつ、また起き上がってあんなのを呼び出すかと思うと……」

「いくらでも回復の手立てはあるはず。ここは手を抜けませんよ」

 次々と不安からくる訴えが上がる。自分の意見に同調して頷くロキも多く、かといって進んで最後の一撃を下そうとするものもない。それはそうだ。皆、同じ思考回路なのだから。

 だが、控えめ次々上がる訴えを聞いても、無眼は動かない。言葉も発さない。

「…………」

「――無眼殿。ロキの言う事は最もです。相手はあのサルメなのですから」

 さすがにヴェルオールも不安を覚え、進言した。受けて無眼は刀の柄に手を置いたが、そこで止まる。

 彼が動かずの内に。フューラーの長いクリアブルーの髪から、1匹の妖精が――金色の卵の形で4枚の羽を持つそれが、飛び立って遥か彼方に去っていく。

「――あれは?」

「放っておけ。野良に戻っただけだ」

「はぁ、妖精のようでしたが、それが何故フューラーの髪に……ん? では、これは何ですかな?」

 ヴェルオールがやや身を屈めて指さした。それは、倒れたフューラーの背を這う、1匹の“芋虫”である。

 ここは林に囲われた草原。どこからかこの小屋までのそってきたのだろうか。それがたまたま、彼女の背に乗ったのだろうか。しかし、その割にはサイズが大きい。明確に不気味なくらい、500mlのペットボトルよりも1周りは大きいだろう。その尻には、何か線のようなものがちょろっとはみ出している。

 屋根に伏しているフューラーが、残された力で僅かに顔を動かし、虚ろな瞳で無眼を見上げた。

 彼女は侍と目を合わすと、悪戯に、ウインクを飛ばす。彼女の背を這う芋虫は収縮して、徐々にそのサイクルを狭め始めた。

「ん、これ――は? ――――っっつ、いかん、これっはッ!!!??」

「ああ、君らしいな………さようなら、ミリシア」




 その時。膨大な熱と光が―――― 解き放たれる。




 大きな芋虫は、最後の時に膨れ上がって、張り裂けた。

 芋虫の体内に貯蔵されていたエネルギーは解放されたことで凄まじい破壊力となり、古い小屋など無論のこと。周囲の草原、林、その一帯は瞬間的に蒸発して気体と化し、音の壁が生じて数km離れた林の木々までも薙ぎ倒した。

 容赦のない、配慮の無い、膨大な破棄行動である。しかし。傍らに立たれ、その上でそれだけの破滅を行使してようやく、狂刃を折ることができるのだと……フューラーはそう考えて。己の遺骸諸共、構わず周囲の全てを吹き飛ばした。


 爆炎が舞い上がり、上空高くまで色の濃い煙が立ち昇る。まるで雨雲のように分厚い爆発の名残は、しばらく一帯の陽射しを遮り、暗闇に落とす。

 炎も湧き上がる地獄のような光景を眼下に。フワフワと、白く角ばった風船が空に浮いている。空中でそれが開くと、中から2人の人間が姿を見せた。正方形の一枚に乗って、2人は日陰の女王が放った最後の熱量を感じ取る。

「――自爆か。これが彼女の、今わの際に選んだ終着点か」

「違うな。選択したのはもっと前さ。おそらく、俺が彼女に相対したあの時から。もしもの時はこうしようと、考えていたに違いない。怖い人だよ、本当に……」

「下にいたロキは全滅ですな。まぁ、死体処理も手間ですので、そこは幸いでしょう」

「何が幸いだよ。良い事なんてないよ! こんなに死んで……危うく完全になくなるかと思った。もう、こんなことはコリゴリ……」

「だが、結局またこうして残ってしまった。我々は、どうやらまだ、厄介と言われそうだな」

 ヴェルオールは隣で膝を抱えているロキの背を叩いた。力強いので、ロキはむせている。

「……最後、彼女の生死確認は君達に頼むよ。俺はここで失礼する」

「おお、無眼殿。では、いずれまた、機会があれば――」

「そ、そうすね……何かあったら、声を掛けて頂くという選択肢も、あっても良いかもしれませんね。あっ、無理にする必要はありませんから……」

 ヴェルオールは期待の目を無眼に向けている。ロキは不安に満ちた目で無眼から目を逸らしていた。


 ロキを抱えて飛び立っていくヴェルオール。



 無眼は1人、遠ざかる戦の名残を気にしながら。

 紙の飛行機に乗って、何処かへと消えていった……。




 COINS-STORY AGE・ZERO


 SECTION「草原の戦争」― end

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