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待ち伏せ

 【高山ユウキ】は納得のいかない平凡な日常から、ある機に異世界へと渡った。そこで所属したのは胡散臭い組織だった。しかし、本人はそのことをあんまり気にせず、世話してくれる人の親切にも感謝せず、ただただ自分が特別である・特別になると時を待っていた。

 特別である条件を既に満たしている、といった具合に。精進も蔑ろに、異世界を謳歌するユウキ少年。

 そんな彼を心配していた師の不安は案の定で……。ユウキはショッキングな事態を前にして何もできず、既に抱いていた“焦り”はより一層に加速していく―――。



――――――――――――――――――――――――――――――――


『俺の活躍の場を取っちゃ嫌だぜ。あんたは見ててくれよ!』


『オーッホホホ、私、幻影ですからぁ!』



 COINS-STORY AGE・BC /



『――フューラー。それがそンなに、大事かね?』


『くっだらない! なんだってこんなこと僕にさせんのォォォ???』



 / TITLE. [ Start of Brave Ages ]



『……お主はまだ、自分の力量を解っていないようだな』


『私……死にたく、ない。だけど―――』


――――――――――――――――――――――――――――――――



<SCENE-1:反抗期>


 曇り空が見える。一面分厚い雲に覆われた空を、じっくりと眺める。そうすれば「ああ、動いているんだな」とその変化を感じ取れる。そしてそんなことを実感できるということは、それだけボンヤリとした時間を過ごしている証拠であろう。

 芝生が張られた建造物の屋上で、平凡な少年が寝そべっている。少年【ユウキ】はボンヤリと、ポカンと口を開けて、ひたすらに流れる雲を追っていた。たまに横切る飛行機が「ここは文明の中」なのだとよくよく教えてくれる。それは空想に浸るには邪魔でしかない。

「……何をしているのかしらね?」

 声がする。人の声、それも女性の声だ。「ビクッ」と身体を反応させて、ユウキ少年は寝そべったまま視線を横に送る。

 やたら広く感じる芝生の緑に、スッと伸びた黒色のストッキング。うすく紫かかったスーツの上で、エメラルドの瞳が大変に冷えた視線を落としている。

 ユウキはその“少女”を認識すると、若干に苦い物を噛んだような表情を見せる。

「おー、ロイ。久しぶりだなぁ……ちなみにこれはサボりではないよ?」

「そう。だとすれば、あなたと私の価値観は相容れないらしいわ」

「・・・んも~、いいじゃんかよぉ。ちょっとほっといてくれよぉ」

 ユウキはこの【ロイ】という少女が苦手である。立場として平社員と社長くらいの格差ではあるのだが、そこについては気にしていない。問題となるのは彼女の間が悪いということで、出現する場合は大体、師の目を逃れて一息入れている時など、リラックスしている時なのである。そして現れてはヤレ「成長がない」だのヤレ「サボる技術だけが長所」だのヤレ「私は期待していないけど、彼女の期待を裏切ることは許さない。つまり、今のあなたを私は許さない」だのと――小言を吐いてはテンションを下げてくるのである。

 口うるさく、面倒。それがユウキからロイへの感情。

 初めて会ったときは正直、「すげぇ綺麗だ。きっとこれがヒロインだろう」くらいに考えていたのだが……今はもう、「性格のキツイ人。ほとんど同い年のくせにナマイキなヤツ」でしかない。よく見れば、目つきがそもそもキツそうではある。

「それは私の言い分よ。今すぐにでも放逐してしまいたいくらいなんだけど……ヒュウに感謝するのね」

「はいはい。ヒュウ姉さん、ありあとや~っす」

 ゴロン、とユウキは少女に背を向けた。背を向けた上で、芝生をむしって息を吹きかけて飛ばしている。

「本当に、解ってないわね。あなたなんて、どうせ何もできはしないのに……ただ偉そうにして。せめて努力くらいしてみれば? 悩みなさそうなバカ面もいい加減、やめてよね」

 プイ、とロイは身体ごと少年から目を逸らした。横を向いた上で、スーツの袖にあるボタンを弄っている。

「努力してるって。それに、解らないのはロイだろ? 俺の成長っぷりはカイエキなら解ってくれているよ」

「やめなさい。そんなことを言えば、彼の目を節穴呼ばわりして、馬鹿にしていることになってしまうわよ」

「……ロイってさ。なんでいっつもそんなんなの?」

「そんなんというのは、私のこの振る舞いのことでいいのよね。だとすれば相手に合わせた妥当な態度だと思うけど? 適切な判断で対応している、ただそれだけのことよね」

「だからさ。いや、それだよ。常に喧嘩腰じゃん」

「野蛮ね。でも、あなたと私で喧嘩なんて成り立たないわ。弁えなさい」

「疲れないん?」

「――予測のつかない、突拍子もない発言はやめて」

 ロイは常にやや早口である。返答を発するのもフライング気味で、相手が言葉に詰まると容赦なく自分の意見を挟み込むような、攻撃的な物言いをする。それが人にはプレッシャーとなり、多くは近寄りがたい、長く接触したくないと考えるだろう。

「ほら、そういう“強くないとダメ”みたいな態度だよ」

「何かと思えば……強くないとダメ、なのではなく、自然と強みが出てしまっているの」

「うん。ロイの強みは周りに十分伝わっているよ。だからさ、わざわざ自分に言い聞かせるように、そういうことしなくていいんじゃない??」

「―――え?」

「もうちょっと可愛らしくしなよ、ってこと」

「――あなたに私のことをとやかく言われたくない。そんな相手だと思ってもいないから」

「だったら、ロイだって俺なんかに構わなきゃいいじゃない」

「・・・・・・いいわ、そうする。私は廊下で偶々遭遇したカイエキさんに“小僧がまた怠けおった。隠れることばかり上手くなってからに……”と言われただけで、あなたに用事なんて皆無なのだからね」

「違うって、怠けてるわけじゃないの。考え事だから」

 ユウキは芝生をごろごろ転がり始めた。小うるさい存在から距離を置くように。

「……ふぅ。彼、何か大事な話があるとも言っていたけど。まぁ、私は無関係だからね。もう、知らないから」

 そう言って、ロイは早足に歩き出す。タイトスカートの裾が容赦なく伸び縮みする様から、その速度が伺える。

 芝生を転がる少年は、金属の柵に当たって停止した。“カツン”と、腰に下げたL字の金属棒が柵を震わせる。

 普段、ユウキはほとんどロイに反論しない。それは面倒だからでもあり、彼が強気な人に対して弱いからでもある。しかし、この時はどうにも反論したくなって、黙っていられなかった。

 実際、師である【カイエキ】とロイ、それにヒュウ以外にユウキが気楽に話せる相手はほとんどいない。いるにしても、彼女達3人はやはり特別なものがある。


 少し切っ掛けがあり、ユウキ少年は最近考え事をすることが増えていた。以前にもあったが、彼は“焦る”ことによって自分を見直す癖があるらしい。それは気を落ち着かせる為の本能的な思考なのだろうが、言い換えれば「焦って取り乱している」ことでもある。

 イライラしていたのかもしれない。「もしかして自分はこの世界においてすら何もできないのか?」「もしかして自分は漠然と目標を掲げただけなのではないか?」「もしかして自分は守るどころか、周囲に護られているのではないか?」――今の自分と未来の自分に対して、疑問が沸く。要は不安な感情が増している状態。

 そんな心理状況だからこそ、普段ないようなロイへの反論も行ったし、魂が抜けたように雲を眺め続けたりもする。

 彼の師であるカイエキはそれを見抜き、だからこそ多少のサボタージュは見逃していた。教育者として見ると、それについては賛否分かれることだろう。ただ、カイエキは教え子の精神自浄能力を高めることも重要と考えていたし、その能力だけは悪くないものがあると判じてもいた。しばらくは回復に時間が掛かり、大人しいだろうと思っていた。

 気になるところはあるが、しかし、丁度良い機会かもしれない……。

「―――え、日本へ?」

 ユウキ少年は目を丸くした。どうしたかと言えば、突然に師から「暫し目を掛けられない」と告げられたのである。これまで親子のように行動を共にしてきた人である。そりゃ驚いた。

 鱗のカイエキは本来客人の立場。マスクスという組織の任務は引き受けるが、最重要となるのは本来属する「家」の事柄。出身であり本拠でもある日本に、帰国して解決に当たらなければならないこともある。

「うむ。止む無く、馳せ参じねばならなくなった。……しかし、お主は連れて行かぬ」

「!? なんで、どうしてさ?」

「危険が過ぎるからだ。しかし、それほど長くはかからん。私が戻るまで、ここで大人しくして居れ。――良い機会だ。一度、落ち着いて思考をまとめる時間も必要であろう?」

「そう、かな。……確かに、俺――」

「いいな、私がいない間、くれぐれも無茶無謀は致すな。鍛錬と熟慮に徹し、私の帰りを待って行動いたせ。物事には、“機会”というものがあることをよく思い起こすがよい」

「うん。ワカッタ」

「・・・本当に理解しておるのか? お主の即答はどうにも信用できんのぅ」

「だから、解ったってば。危ないことはしないよ」

「ぬぅ、ならば良いのだが……」

 ユウキは疑いの目を察して「ジイさん心配性すぎる」「これでは自立ができない」「時には自由が必要だ」などと、まくし立てるように騒ぐ。その落ち着きのなさにやっぱり不安になる。しかし、実際、帰国を見送るわけにもコレを連れていくわけにもいかない。

「ぬぅ……何か困ったら、猫の嬢にすぐ相談せよ」

「あー、ハイハイ。彼女が暇そうだったらそうするさ」

 全然目を合わせないでそう言われても、ちっとも信用できないのだが。

 カイエキはよくよく考えて……例えユウキが何か行動を起こそうとしても、果たして今の彼に何ができるのか? ――とすれば、何かあったとしても大事には至らないだろう、と自分を納得させた。



 カイエキという客人について。ネメシス以外のCOINS加盟組織は具体的な協力経緯を知らない。加えて、マスクス影響下での彼の動きについては感知するものの、そこを離れた場合の行動については、マスクスですらも積極的に追わない契約となっている。

 それでもCOINS関連の組織であるならば、彼がマスクスに存在しているのか否かは知ることができる。

 特に調整3役からすれば、外部の人間がCOINS下部組織をウロつくことに目を光らせて当然。

 そもそも「調整役」とは何か。主には“COINSに問題を与える要因の調査、排斥、抹消、懐柔、改造”を行う役職を意味する。同様の内容のものはネメシスも行っているが、「調整3役」と呼ばれる彼らはその権限が大きく異なる。

 また、それぞれの主義主張が重んじられており、彼らの動向を探って付け回すことは罰則に値する。彼らの行動について口を挟めるのは他の6院くらいのものだが……皆、基本的にあまり触れたがらず、むしろ避けている。


 COINS重要組合員(9院)の内3席を占める彼らは、1名を除いて“組織”を運営・統率していない。

 元院と呼ばれる女性は大規模な思想集団を従えるが、それも必然ではなく彼女の独断によるもの。与えられた使命ではないとされている。元院を除いた右院/左院は「COINSの両腕」と呼ばれ、単独で「院」として機能する者である。

 他の院はネメシスなどのように、大規模な下部組織を複数従える統率者。対して彼らは個体でそれと同等、もしくはそれ以上の存在に位置づけられている。その立場は微笑みと握手によって得たものではない。

 だからこそ。誰もが、彼らを、避ける。




『 いやぁ、悪いねぇ。チャイムの場所が解らなくって―― 』




<SCENE-2:メテオライトの男>


 延々、見渡す限りの海原。それは上空120mの高さから見ても果てが見えない。空と海の境界に描かれた弧状の地平線が地球の丸さを証明する。

 海面の波目に角ばった、自然には無い長方形の影が落ちている。影は大洋の空に浮かぶ横倒しのビル――もとい、空を泳ぐ戦艦「空の子鯨号」のものだ。

 四面灰色のビルを彷彿とさせるそれは、平然と120mの上空に浮かび、錨もないのに停泊している。全長としては20m程度。一般的な5階建てのビルに相当するだろうか。角ばった直方体の人工的存在感は、そのくすんだ灰色に鈍く光を反射している。

 穏やかな海面で、一頭のクジラが跳ねた。潮を撒き飛ばして、丸っこい腹を晒し、再び海中へと潜り込む。巨体が沈んだ海面に、一時的な渦が生じている。


 弾けた潮の輝く飛沫に。1つの飛行物体が高速で突進、身体に浴びた。

 直後、“ソレ”は直角の軌道でロケットのように空へと舞い上がり、大洋に影を落とす建造物と高度で並ぶや否や、再び鋭利に軌道変更。空に浮く灰色の子鯨に急接近した。

 接近したはいいのだが……どうにも不可思議に、それはデタラメな軌道変更を繰り返し始める。カクカクと飛行する物体では有り得ない速度と軌道を描きながら、やがて“ソ”レは突如として灰色の外壁を貫通。遠目に巨体故なので小さく見えるものの、戦艦の対砲撃を想定した外壁に、直径5m程度の穴を形成した。


 ――と、それが数分ほど前の出来事。

 飛行戦艦の外壁を貫いた“その男”は瓦礫の粉末を吐き出し、ぶるぶると頭部を震わせた。ついでにその身体もぶるんぶるんと震え、まるで濡れ犬が水気を飛ばすような仕草である。腰の下まですっぽりと、包むように羽織ったマントが身震いの遠心力で開き、ゆっくりと閉じていく。

 彼の頭部は露わになっており、ちょっと前髪の降りた髪型は、片目を危うく隠しそうだ。彼が散髪を決意するタイミングは、片目が見えずらくなった時……つまり、そろそろである。


「困りますよ――如何に左院様と言えども、事前連絡の1つくらいは欲しいものです」


 ツカツカと、戦艦の廊下にヒールを鳴らして。細身の人影がその場に現れる。

 照明に照らし出された“彼女”の髪には、膨らみを抑えるヘアバンド。それと趣きを揃えた木製縁の眼鏡。キラリと、レンズが鋭い輝きを放つ。

 厳しい輝きと口調を向けられた“彼”は、眼鏡の女性を確認するとハッ、と視線を向ける。それは笑顔だ。

「いやぁ、悪いねぇ~ぇ。チャ~イムの場所がぁ、解らなくってさーァ! ァッハハ」

 抑揚の利いた……いや、利きすぎるほど上下のある音調。単音1つ1つのスパンがバラバラで、これを聞いていると「もどかしい」と感じる可能性がある。言葉を発することに慣れていなかったり、緊張している人なら、こういうこともあるのかもしれないが……彼は至って平然としている。

「それより久しぃぶりィ~、“バリー”が来たよッ!」

 彼が言う「来た」という報告は、自分のことを意味する。それは【バリー・ザ・メテオライト】――COINSの調整役を担い、公には“左院”、影では“重石王子”と呼称される者である。

「それで、ご用件は?」

「バリーがッ来たのはァ! 統院さんに、会いたぁいからぁ……ですよ?」

「でしたら、尚更事前に御一報欲しいものですが――まぁ、せっかくこのSky Calfに御足労頂いだのです。ご案内致しましょう、“フューラー特佐”の執考室へ」

「御足労ってぇ~。全~然足ィ使って、ないよぉ! だぁ~から気を、使わんでくださいッ」

 不意に接近してくるバリー。音がしないのでビックリものだが、眼鏡の女性は慣れているのか、「クイッ」と眼鏡を上げるだけに留まった。キラリと、レンズが光を放つ。

「・・・左院様。ご案内は致しますが、どうか“足跡に”お気を付けくださいね」

 彼女は足元をタンタン、とヒールの踵で踏み鳴らした。戦艦に用いられている硬い硬い合金の床は、多少の砲撃や爆発では傷も付かない代物。それはもちろん、壁や天井もそうである。

「あ~~、うんッ。その通りだねぇ、修理代は嫌だねッ、お金は大事ですよネ?」

 眼鏡女性の発言に納得し、大きく頷くバリー。彼は言われたように足元に注意したが、そもそも天井と頭頂にさほど余裕のない彼である。案の定頭を「ゴツン」とやって、頭部が半分ほど天井にめり込んでしまった。しかもそのまま若干前進したので、天井には謎の溝が描かれていく。

「・・・・・左院様」

「ご、ごめんよぉ。バリーの調整が難っしくてさぁ~……アハッ、調整役なのにぃ――なぁんてっ!」

「・・・・・」

「えェ? あっれ、睨まないでぇ~~どうして、謝ったのにィィ~???」

 バリーは狼狽した。同じ組織に組するはずの仲間に睨まれて、心配になって慌てた。

 眼鏡女性はそれ以上言わず、ツカツカと先を行く。彼が来たからには、何らかの被害は止む無し、と割り切って先を行く。その背後で「ガボン」と、ボーリング玉を川に落としたような音が鳴った。

「あ~、ごめんごぉめん……というか、こぉこ狭いよ、廊下ぁ」

 容赦なく先を行ってしまう眼鏡女性の背に向かって。腰まで床にめり込ませたバリーは穴をバリバリ拡大しつつも、彼女の背中を見失わないように“浮き上がって”その後を追った。



 飛行戦艦の1フロア。長さ20m、幅10mの最上階を2つに区切った、右舷側に彼女の部屋がある。総合的な業務を担う、COINSの便利屋。悪く言って雑務係でもあり、世界一般から見れば“影の女王”。

 枝葉のように別れた数百の組織が収束する根幹。“ネメシス社”の頂点にある女性。オフィスが広く感じられるのは、物が少ないからでもある。彼女はその中央に立ち、“来る”と知った難客を待ち構えている。

 【召喚師フューラー】はじっと、これから開かれる扉を見据えていた。日中の為か、居室の電灯は消えており、斜に差し込む陽光では些か暗い。彼女の本来透き通るような白みの強い青髪は、暗がりの影で藍色のグラデーションが掛かっている。レディーススーツの上にコートを軽く羽織った出で立ちで、肩には金色のアクセサリーのような……率直に言って羽根が4枚も生えた卵のような、ヘンテコな飾りが見受けられる。

 ヘンテコな飾りは時折に「キゥキゥ」と音を立て、4枚羽がその度に動く。彼女は表情を寸分も変えないまま、指先で軽くその飾りを撫でた。


 殺風景なオフィスの扉。フレンチウィンドウの擦り硝子に2つの人影が映り込む。

 両開きにそれが開かれると、まず、眼鏡を掛けた女性が一言述べ、一礼してオフィスの外に下がった。続いてスゥっと、背の高い人が何の音も立てずに入室する。

 扉が閉じられる。オフィスに残された背の高い人は、オフィスの中央に居る彼女を直視。そのまぶたは一切下がらない。それは、ここに至るまでの過程においても、一度たりとも瞬いてはいない。若干に浮遊している彼は、半身を覆っているマントをヒラヒラさせながら、戦艦の主に接近した。

 戦艦の主たる、ネメシス総統にして総院。サルメの【フューラー】は到底普通ではない来客を目の前にして、ニッコリと。笑顔を満面に咲かせて――

「あらぁ☆ バリーちゃん、いらっしゃ~~い♪ ヒュウさん、ビックリしちゃったわぁ!」

 ――と、女子力の塊のようなウインクを放ち、軽く対面の人の胸を人差し指で突いた。

「ワハッ、ヒュウぅぅ、久しぶりだな~! バリーが来たぞぉ!」

 調整3役の一角にして、COINSの左腕。巨石の【バリー】はマント下で腕を振り上げ、フラフラと左右に身体を揺すった。まるで振り子のようである。

「んもぅ♪ 面談予約も取り付けず、外壁を破壊して訪問するなんて……この悪戯っ子!メッ、でしょ!」

「ああ~~、しまったなぁ。連絡するより~飛んできた方が早いと思ってしまった~。そぉれこぉそがぁ! 気の利くバリーだと思ったんだぁ……。まぁさか怒られることになろぅとはぁぁ……」

「次からは気をつけてねっ☆」

 気を落としてガックリと項垂れたバリーを気遣い、ヒュウはその肩をポンポンと、背伸びして叩いた。

「んんッ!! バリーは理解したぞぉぉ。たぶ~ん、次は大丈夫ぅ」

「よぉ~し、よぉ~し………で? バリーちゃん、どうしてここに来たのかしら?」

 気を取り直して胸を張るバリー。その表情を覗き込むように、ヒュウが見上げている。

「あー……それねぇ……うぅ~ん、それがぁぁ……」

「ン???」

「――ヒュゥゥ、バリーはヒュウぅの仲間だろぉぉ??」

「ええ、勿論よ。お友達じゃないの」

「ああ~~、友達ィ……そぉうなんだよ~、よかったぁ」

「うん、うん。安心だね☆」

「そぉう……それが、確認んンしたかった~~~の。それがぁ、バリーの行動~」

 一度も瞬きのない瞳が、グルリと、下を向く。顔は正面のままに、バリーは眼下の人をじっくりと観察した。

「あらあら、不思議なことを言う人ね。わざわざ、それを確かめに?」

「バリーを知ってるだろぉ?」

「――――ええ。“知っているわ”」

「アハァ、だから“直接”見にきたぁ。そして見て、解ったぁ……ヒュウは嘘をぉ……付いていないィッ。まだ仲間だぁ~~」

 フワフワと、ヒュウを見たまま、バリーは後ろ向きに移動を開始した。

 帰るつもりだろう。ヒュウが小さく溜息を吐く。

「それじゃぁ、安心したから~バリーは行ってしまうよぉ」

「あらぁ、もう行っちゃうんだ? ザンネンね……」

「ヒュウぅ、解っていると思うけどォ――」

「ん、何かしら?」

「“COINSの不可侵域”にはぁ、決して触れてはいけないよぉ」

「あらあら、随分と今更なことを言うのねぇ……ええ、大丈夫。そんな無茶無謀はしないわ」

「もし、触れようとしている者が、例え君でなくともぉ君の傍にあるのならぁ~、バリーはぁ……」

「有り得ない。誰が、そんな意味のないこと……誰も、望まないわ」

「―――だよねぇ~! アハッハハハハぁ!!」

 バリーは上機嫌である。笑顔だ。しかし、どれだけ彼が嬉しくとも、その瞳が細まることはない。

 決して厳しい口調でもなく、終始笑顔で和やかに。調整役のバリーは目的を終えた。

 マントから片手を出して、手を振るバリー。その背中が、粘土にめり込む人形のように、オフィスの壁へとめり込み、突き破った。

 破裂音を聞いて、外に待機していた眼鏡の女性が「何をしているのですか、左院様?」と呆れて問う。バリーは言われてから自分のしでかしたことに気が付いたようで「あっちゃぁ~、またかぁ。ごめんよぉぉ」と、深々に頭を下げた。


 壁に穴の空いたオフィス。1人、その中央に立つ召喚師の女。

 外から聞こえる再びの破壊音と、「だから、出口は向こう!」「あ~、仕出かしたぁ」というやりとり。


 召喚師の女は、しばし硬い表情で壁の穴を眺めていた。

 肩にとまっている4枚羽の卵。それが「キィキィ」と、何かを訴えている。

 召喚師の女は「クスリ」と小さく嗤った。


 天を仰ぎ、合金の天井に向けて、彼女は返答する。


『そうね。もし、その時があるとすれば――馬鹿ね、決まっているじゃない』




<SCENE-3:パンの道しるべを頬張るロバ>


 高山ユウキは焦っていた。自分の現状と将来を測り、「このままではダメなんじゃないか」と考え、その上で「だからといって、どうすればいいのさ」と思い悩んでいた。

 ユウキ少年には果たすべき約束が存在する。それは「妹を護る」という母親からの指令なのだが……思えば、彼は「何から妹を護るのか」すら理解できていない。加えて言えば、それは「世界を護る事」にもなるらしいが、そんな大層な事柄だとすれば、尚更見当もついていない。

 そして、それ以前に。ユウキ少年はまず、「現在自分が居る場所」にこそ疑問を抱いていた。1月が経過したとはいえ、ユウキは“あの村”での一件をずっと気にしており、その原因が何処にあるのかを考えていた。


 彼は“あの村”の人達――何より、“あの子”が一方的に悪い存在だと……そうは思いたくなかった。

 自分が流れのままに所属した居場所に疑問を抱かず、それが「正義」だと思い込んでいた。

 しかし、だからといってカイエキやロイ、ヒュウが「悪」だとも思えない。いや、悪のような面もあるのかもしれない。正直、心当たりはあるが……そもそも悪とは何か? そこからして、ユウキは混乱し始めていた。

 誰だって、そういう時はある。誰だって、その問いに対する万人に共通、完全な回答は用意できない――そう、できないはずだ。


 ――ただ、1つだけ例外がある。

 彼の疑問に完全な回答を用意する手段が、1つだけ存在する。



 換気扇のファンが何か引っかかるような音を立てつつ回っている。

 ベッドの掛布団がモソモソと動いた。中身は何であろうか? ユウキ少年である。彼はベッドの掛布団をめくり上げ、無造作極まりない髪型で眠気眼を擦った。フローリングの床に降り立つと、亡霊のようにフラフラと、歩行不安定に周囲を見渡す。

「……ジイさん、朝飯は……」

 そう言いかけて、彼は「あっ」と思いついたように額を小突いた。

 3LDKの住処には、現在ユウキ少年しかいない。保護者で同居人のご年配は今頃国外だ。数日前まで、食事は基本的に同居人の手料理だったので、ついつい癖で餌を求めてしまう。しかし飼い主はいない、でも腹は減る。こういう時に、コーンフレークというものは実に便利である。


 アパートの一室。換気扇の危うい音の下。少年が1匹、牛乳浸しの穀物をピチャピチャとすする。牛乳を更に注いだ時点で催した便意は、圧縮・成形された穀物から歯ごたえを完全に奪ってしまっていた。

 ピチャピチャしながらも、ユウキは考えていた。彼は1人になると濛々と空想を沸き立てる性質があり、そのことが思考のサイクルに陥る要因でもある。

 彼は言葉として答えてくれなかった師匠に、ハッキリさせて欲しかった。何が悪で何が正義なんて、世界の仕組み的な何かを聞きたいのではない。単に、「自分達は正しいのか正しくないのか」を聞きたかった。そうすることで、気が収まるはずだった。でも、師匠の目は雄弁に“何を言いたいのか”を物語っており、それはつまり「答えません」ということに他ならなかった。

「未熟だから答えてあげないって……そりゃないだろう、ジイさん。未熟だからこそ、教えてくれよ。それともあんたも、解らないってのか?」

 あの娘が死ななければいけない理由は何処から生じたのか。

 あの娘がナイフを振りかざした時からなのか。それとも、自分に彼女を安全に受け流す技術が無かったからか。もしくは、カイエキが彼女の父親を殺してしまったからか。だとすれば、カイエキに彼女の父親を始末するように命じたところが始まりか。それとも、そうなるように生きてしまった彼女の父親が根幹なのか。それ以前に。彼女の父親を、そうであるように変えてしまった“何か”こそが――。


(おお、アディオス、“金貨の娘”よ――)


「そういやあの時……ロイさんの“マスクス”、ヒュウ姉さんの“ネメシス”……じゃぁ、“COINS”ってのは??」

 コーンフレークの醍醐味は、チップを食べつくした後に、残った牛乳を飲み干す瞬間にこそある。糖分とチップの粒々感が溶け込んだミルクを飲み干し、器もそのままに、ユウキは席を立って自分用の机に向かった。

 カイエキが買ってくれた机だが、申し訳なくも良いセンスとは言えない。正直なところ、安っぽくてかなわないのだが……彼は割と宜しい値段を出して購入したらしい。張り付いていた値札がそれを物語っていた。というか、部屋のレイアウトなどからしても、カイエキの無骨で飾りっ気のない気性が伺える。「最低限があれば良い。長持ちすれば、それに越したことはない」こそ、彼が日常に発する口癖である。

 その無骨な机に、数冊の本に紛れて置かれたノート型PC。ネメシス社員御用達の、ちょっとやそっとじゃ壊れない、非売の特製品である。一定期間登録者のアクセスが無ければ自動でHDが破壊される、破滅的セキュリティが持ち味。また、登録者以外の接触を感知しても警告の後に前述の有様となる。故に、手袋着用のまま使用できないのはご愛嬌。

 PCを開き、眠りを覚ます。持ち主同様に鈍い立ち上がりを経て、ディスプレイに複数のアイコンが表示された。

 パソコンのデスクトップを見れば、その人間が大体どの程度それに精通しているかが解るとも言う。その基準で判ずれば、ディスプレイの半分がアイコンで埋まっているユウキ少年は如何ほどになろう。

 「仕事関係」という身も蓋もないフォルダ名が眩しい。そして、そのフォルダと関係なく、漏洩すれば問題となるようなファイルが星のように散乱しているデスクトップは、偏に――無情。

「困ったらネットに相談だ!」

 ユウキ少年はそう言うと、彼が気になっている組織のような概念のような……何らかについてを調べ始めた。

 検索エンジンは知る限りを提示してくる。しかし、そのどれもが、ユウキ少年が欲しい情報のものとは思えない。

 30分ほどであろうか。大体そのくらいが経過した時、彼はネットの海で探り当てた、目的とはまったく無関係の動画を楽しんでいる自分に気が付いた。改めて検索を再開するが……何も得られはしない。むしろ、それ以前に、「マスクス」や「ネメシス」すら、自分の知るそれが検索されることはない。辛うじて、関係者ならば「ネメシスの片鱗情報だ」と勘付けるものがある程度。

 考えてみれば当然だ。いわゆる闇の組織的な自分達が、ほいそらと自社のPRページを持っていたらそれはそれで恐ろしい世界だし、簡単に構成員が表示されれば不安極まりない。隠されて当然。世界のタブーであって然り。

 ユウキは「COINS」を懸命に検索するものの、まったくもって無駄な時間を過ごした。見つからない。それは当然だが、間違いでもある。砂漠の中で砂漠そのものを探す旅人があるとして。彼の目にする砂粒1つ1つは確かに砂漠の一部だが、その状況で「砂漠を見つけた!」と喜ぶ時は永劫にないだろう。


 アパートの一室に、キーボードのキーを弾く音が響く。

 検索開始から3時間。そこには、PCゲームに興じる1人の少年の姿があった。

「……はっ、俺はいつの間に!?」

 ユウキ少年は慌ててゲームのウィンドウを閉じ、頭を抱えた。すぐ横道に逸れる、自分の集中力が憎くて仕方がない。

 結局、何も解らないユウキ少年は、心折れてパソコンのディスプレイを閉じようとした。当初の決意の割には、呆気が無い。

 しかし、彼はその直前。ふと、デスクトップの1点に注視した。

「―――なんだ、これ? こんなんあったか?」

 彼の視界の中。星々のように画面を埋めているフォルダアイコンの1つに、「COINS概論」というものがある。ユウキ少年はまったくもって、このフォルダに見覚えが無い。だが、確かに自分のものであるパソコンに、どうしてこんな現状にピンポイントなものが……。

「あっ、なるほど! ……へへっ、カイエキジイさんめ。冷たい風にして、実は温けぇところがあるんだよな」

 影響を受けて若干癖になっているウインクを飛ばしながら、彼は鼻頭を指で擦った。どうやら彼の発言からして、謎のフォルダは「師匠のカイエキがこっそり用意してくれたもの」だと考えたらしい。加えて、「力不足には教えないもん……と訴えつつ、ちゃっかり答えに繋がるヒントを用意してくれている優しい爺さん」とも思ったようだ。

「中身はナニかな?」

 ユウキは独りで呟きながら、「COINS概論」のフォルダを開いた。

 表示されたのは……1つのテキストファイル。それも、至極軽い。

「なんコレ?? こんなんで表せちゃうものなの、俺らの組織って」

 彼の不安通り。案の定、テキストファイルの中身はたったの“1行”のみ。

【 Coin 欠片 西の協会 時と空の子 牢獄と夢 回転 Reverse 】

 7つの単語で構成された、1行のみがそこにある。

「がいろん? これが?? ……おい、ジイさん! 微塵も解らねぇよッッッ!」

 ユウキは机を叩いた。キーボードが跳ねあがるくらいに叩いたので、手が痛かった。期待して開いてみればこの様である。彼は電話でもして、直接文句でも言ってやろうかとすら考えた。

 ユウキは鼻息荒く電話をポケットから取り出した――のだが。ふと、改めて画面に目をやると……開きっぱなしのウィンドウに、1行足されている。厳密には、単語が1つだけ、わざわざ改行して表示されていた。単語は【 検索 】である。

「あれ? こんなんあったかしら……でも、現にこうしてあるのだから……いかんいかん、興奮しすぎて見落としてしまったのか」

 照れ笑いを浮かべて、ユウキは額を軽く小突いた。舌まで出している。

 よくよく見た上で1行しかなかったからこそ、あれほど怒ったというのに……しかし、確かにそこにはもう1行が足されている。

 ともかく、ユウキは表示された単語の通り、7つの言葉を並べて検索エンジンにかけてみた。すると――――。

 エラー音。警告を促す、PCのエラー音が鳴る。画面には、「ユーザー名とパスワードが入力されていません」という表記に、如何にも文字を打ち込んでくださいとばかりの、空欄。

「おぅ、パスワード……だと? それにユーザー? 俺の名前でいいのかな?」

 とりあえず、彼は入力してみた。自分の名前と、自分の誕生日を、取りあえず入力してみた。すると――――。

 エラー音。警告を促す、PCのエラー音が鳴る。画面には、「ユーザー名とパスワードに誤りがあります」という表記に、如何にも文字を打ち込んでくださいとばかりの、空欄……先ほどとちょっと異なるが、大体同じである。

 ユウキは困った。当てがない。そもそも、一体、自分が何のためにそれらを要求されているかが解らない。その後も数回チャレンジしたが、全て同じ反応で変化がない。

 困った彼は「もしかして他にも見落としが……」と、短絡的で一縷の望みも無いような発想に至る。よぉく確認した上で、実は存在した見落とし。しかし、シンプルな画面上である。本来、見落とし自体あるわけが……。


【 User:バックステージ・クイーン・サルメ・クルエル 】

【 Pass:ラクール・ドゥル・マル 】


「おっ、あるじゃぁ~ん! いっけね、まさかスクロールしてあるとはなぁ……ジイさん、小賢しいぜ!!」

 ユウキ少年は画面に人差し指を突き付け、口笛の成りそこないを吹いた。テキストファイルには大きな空欄があったようで、軽くそれをスクロールさせれば新たな2行が出現した。これも見落としてしまったのだろう。……それも兼ねて、ユウキはよっく確認して、「これ以上見落としはない」と理解していたはずなのだが。しかし、確かにその2行は存在していた。

 さっそくユウキはそれらを入力する。「確認」という自分の行動に疑問もなく、入力した。

 今度はエラーも何もない。ウェブブラウザは警告を発することなく、ただ“1枚の地図”を表示した。

「なに、地図ぅ? ……エルセラ、国がここと違うじゃねぇか。なんだってこんなものが?俺が調べていたものと、何か関係あるのかよ?」

 マジマジと地図を眺め、ご丁寧に表記されている記号等から、詳細な場所を割り出す。それくらいならユウキ少年は検索できる。そして割り出した上で、彼は呟いた。

「乗り継いで行けば――いや、まぁ、車でも行けるか……」

 割り出された地点はどうやら丘陵の草原。小さな林が近くにあるようで、なんとなく景色が良さそうだ。目印のように、“捨て置かれた小屋”があるらしい。

 ユウキ少年がこれまでの一年と少しで得た最も大きな技術。それは自動車の運転である。とはいっても、軽自動車しか乗れないが。カイエキの補佐として、せめてそれくらいはこなせないといけなかった。

 ユウキは車の鍵を手に取ると、髪型を整え、服装を直し、持ち物を確認する。

 財布に携帯に、鍵に身分証に……“トンファー(旋棍)”。それは彼の扱う武器である。


 師であるカイエキは、教え子に拳銃や魔法を教えることを諦めた。素手の格闘術も臆病で優しい気質の彼には向かない。そこで剣術を……と考えたが、刃を恐れて鞘から抜くことすら危うい。ならば棒術を……と思うも、単なる棍棒ではすっぽ抜けを繰り返す。大体、どうしても手で身を護ろうとするので所持している意味もない。

 行き当って「では、とにかくすっぽ抜けないものを……」と、L字に取っ手の付いた棍棒、トンファーを与えてみた。

 それを劇的にユウキが扱えるわけではない。トンファーは本来、その形状から小技の利く武装だ。しかし、ユウキにとっては「素手で殴って手を傷めることが無い」手甲のような扱いである。ほとんど「防衛」を目的として与えられているので、角ばったやや幅広の作りとなっており、金属製ではあるものの、軽量。上手く当たれば大型拳銃の弾丸も防げる。

 実戦で活用された試しは無いと言い切ってよいくらいだが、何らかの武器を持っているだけで気が大きくなるのは、ナイフをポケットに忍ばせて粋がる輩を彷彿とさせるものだ。


 準備を整えて、玄関をくぐるユウキ。想定では、半日車を走らせれば到着するはず。

 玄関をくぐってすぐに、ふと、師の言葉が思い浮かぶ。

『いいな、私がいない間、くれぐれも無茶無謀は致すな。鍛錬と熟慮に徹し、私の帰りを待って行動いたせ』


 ――ユウキ少年は、焦っていた。不安になっていた。自分は守られているだけで、何もできないのではないか? 守るはずの、自分が……。


 自分に解りやすい形で、「自分が得た功績」が欲しかった。

 自分の考えで行動し、自分の力で自分の“物語”を進めたかった。彼は、自分こそが勇者だと、英雄なのだと、今になっても揺らがず信じていた。


「――ピクニックみたいなものさ。その場所に何かあるのなら、深く踏み込まないさ。カイエキ……あんたのくれたヒントだからって、その安心感で行動するわけじゃない。教えてくれたってことは、俺が成長しているって……力を得つつあるって、あんたが解っていてくれている証拠。

 ……俺さ、期待に応えたいんだよ。カイエキジイさん、ヒュウ姉さんの、優しい期待にさ。あと、見返したいヤツもいる。何もしてなくて偉そうにして――努力もせずに、悩みもせずになんて……そんな風に思われてさっ、黙ってられないじゃん。俺だって悩んで、行動してんだって。証拠が、欲しいじゃん!」


 廊下を走り、階段を駆けながら。ユウキは呪文のように思いを吐いた。

 まったく頑張っていないわけじゃない。サボる時もあるけど、それでもカイエキの教えを重要視して、なんとか吸収しようともがいている。結果として、“凡人”のそれでしかないかもしれない。そして、“普通”ってことが期待に背く……特に、自分を裏切っていると苦しんでいる。

 それでも泣いてない。仕事の際、恐怖や驚きで涙目になることはあるけど、精進しようともがく時に、泣いてはいない。


 だから、そろそろ結果が出るはずなんだ。それは、今日かもしれないだろう?



 ユウキ少年は希望を描いていた。

 自分で成し遂げてやる、結果を出してやる、そう、意気込んでいた。

 向かう丘陵の草原。そこに、自分を変える何かがあると信じて――。



 ただし。

 彼に与えられた希望への“ヒント”。それは、彼が予想している人物によるものではない。そして、彼はそのことに思い当たりもしない。これは一方的な介入である。



【 キートくん。お預かりした“事”は済ませました。

  後は調整役の御意思のままに――我々は不干渉でありましょう 】




――――――――――――――――――――――――――――――――


 ――ただ、1つだけ例外がある。

 彼の疑問に完全な回答を用意する手段が、1つだけ存在する。


 誰もが同じ価値観を描けばよい。誰もが同じ判断を下せればよい。誰もが等しく、平等に、条理に満ちた社会が築かれていれば。彼の回答は万人に共通となり、彼と同じ悩みを抱く人もいなくなる。幸せな世界だ。

 同じ価値観の下に、生きて死ねばよい。絶対的な価値観という共通の指標を神として、優劣善悪を2分割。争いはない。反論はイレギュラーであり、消し去ってこの平穏を保守しようではないか。皆、同じものを信じて、同じものを恐れて、同じ可能性を浴びて、淡々と醜い事のない世界を築いていこう。



 「COINS」は提案し、実践し、実証する。「COINS」は正しい。

 「COINS」なら回答できる。全てが「COINS」であれば完全である。


 人類は総じて「COINS」となり、統一された価値であれ。


 さぁ、「COINS」は足並みを揃えよう。


 揃えて、「 COINS 」にしよう―――


――――――――――――――――――――――――――――――――



<SCENE-4:待ち伏せ>


 人の気配から離れていく。文明の香りから遠ざかっていく。

 灰色に舗装された道は途絶え、4輪が剥き出しの土を巻き上げ始める。


 広大な牧場に、ポツポツと牛や羊の影。それを横目に更に進む。

 やがて、牛も羊もまったくもって、影も形も見えなくなった。

 次第に道は、左右を高い木々に囲まれて、見晴らしすら悪くなる。


 信号はなく、標識もろくに道を誘導してはくれない。そんな行程には「自分は未開の土地に侵入したのではないか?」と、不安を覚えるであろう。大丈夫。漁りつくされたこの世界。例えどんな辺境地でも、そこには人間の利権が混じっている。

 高山ユウキが目指すその場所、その一帯にも、ちゃんと所有者が存在している。手広く肥大化した組織にとって、単に所持しているだけの空白地は何かと便利なものなのである。例えば何かを放棄したり、何かを埋めてしまったり。



 背の高い木々に挟まれた道を抜けると、はっと視界が開けた。丘陵で少し湾曲している草原の若草色が映え渡る。道はその手前で途切れているようで、進むにはこの草原を車輪で踏み抜くしかない。

 ユウキ少年はそこで停車し、鍵を抜いて下車した。空気に汚れが無く、深い呼吸と背伸びが反射的に行われた。昼下がりの傾いた日差しが、柔らかな草地を輝かせている。

「――ここが、地図の場所、だよな? ……おっ、おお、小屋だ。小屋があるぞ!」

 整然と風にそよぐ若草色が絨毯のようで。やんちゃな子供心を想起したユウキは草原を駆けた。息を切らして、目印と考えていた“小屋”を確かめる。

 近くで見れば、なるほど。確かにこれは使われていない、放棄されたものらしい。まぁ、これまでの行程を考えれば、こんなところにある小屋など、用途が思いつかないが。

 放棄された小屋は単に物置といったところ。外観からして、ただ1枚の窓ガラスを残し、他の窓には何も残っていない状態。屋根に穴も開いており、風雨は入り放題だろう。

「ここが何だってんだ?」

 ユウキは戸惑う。あまりにも無残なその小屋に、可能性など感じられず、同時に得体の知れない不安を覚えていた。

 探索するにも、一度車に戻って、ハンドライトを取ってこなければ……彼は振り返る。


 振り返ったユウキの鼓膜は、瞬間的に機能を失った。

 間近で落雷でもあったかのような轟音。それが彼の聴力を一時的に麻痺させたのである。


 音の衝撃によって、ユウキは身を竦め、耳を押えて叫んだ。驚きのあまり声を出すしかなかったのである。

 驚きは何も音だけではない。彼の乗り付けた人生初の愛車だったらしき残骸から、煙が立ち昇って炎も轟々たる様でよく見えている。距離はあるのだが、その熱量が伝わってくるほどの炎上、爆発。


 まだ麻痺の残る鼓膜に、自分のこもった声が響く。

「うあああっ! なんだ、なんで俺の愛車がっ!?」

 突然のことに、自分が何かミスをしてしまったのかと思い探る。サイドブレーキを引き忘れた? エンジンかけっぱなし? いやいや、サイドブレーキ忘れて爆発炎上はないだろう。鍵もしっかり手元にあるから、エンジンは間違いなく停止していたはず。

「だったら、なんで!!?」


「―――撃たれたのさ。白昼の落雷にね」


 ユウキの背後から、気楽な声。それは捨て置かれた小屋の入り口から聞こえた。

 振り返る。ユウキが声の方向を確認すると……そこに、1人。長い髪を揺らして、小柄な人間が無防備に立っている。

「よぉ、ビビったかい? ははっ、怖くて今にも漏らしちゃいそうだな」

 小柄な人間はどうやら男性らしい。長い髪をかき上げ、余裕のある表情でユウキを観察している。小柄ながら不気味な圧迫感がある。左右で色の違う瞳が、その不穏さに拍車をかけているようだ。

「一応、言っておくと、私は魔術師だよ。キミより若くはあるけど、既に2桁の人間を殺している……COINSの魔術師さ」

 ヘラヘラとしている。緊張感も誠実さもなく、その小柄な人間は自分を紹介した。肌つやと高い声からして、ユウキより相当年下なのは間違いないだろう。しかし、彼に敬いの感性は微塵も感じられない。

「ま、魔術師……COINSの? それがどうしてここに?」

「解らないかい? “私達”はここでキミを待っていたのさ。間抜けなネズミが姿を現すって知らされてね」

「ネズミ、間抜け? 一体、何が……」

「まだ、解らない? 間抜けはキミで、ちっぽけな小動物もキミのことだよ、高山ユウキ。キミは罠に掛かったのさ、おびき出されたのだよ。“COINSの秘部を探ろうとするもの”は、世界の抗体によって排斥される運命――もっとも、キミは単なる無知なコマでしかないだろうがね」

 赤い瞳孔が細まり、その笑みはあたかも蛇の睨み顔である。ユウキは若年の魔術師が見せる表情に危険を覚え、後ずさりした。

「我が名はオーディル。万能万知の者にして、神童と呼ばれる天才魔導士さ。光栄に思えよ。本来、一介の下部構成員如きが気安く会話できる相手ではない」

 そう言うと、小柄な魔術師【オーディル】は自らの右腕を槍の形状に変化させた。変わらずヘラヘラとした笑みで、ゆっくりと前進、接近してくる。

 ユウキは、情報の整理をできずにいた。嘘だと罠だと言われたが、それは例のテキストファイルのことであろうか。“探ろうとするものは排斥される”とは、つまり、自分が調べようとした事柄が何かの逆鱗に触れてしまったということであろうか。

 疑問は尽きないけど、はっきりと解る事がある。現在、自分には危険が迫っており、その危険とは目の前の小柄な存在であり、そして、それは自分にとっての――“敵”だということ。

 槍と化した右腕を持つ魔術師を前にして。ユウキは後ずさりしたものの、そのまま逃亡しようとはしない。どうせ車は爆破されている。いつも自分を護ってくれていたカイエキは、遥か遠く海の先だ。

「……騙されたってーのか。つまり俺は、また余計なことをしちまったんだな? でも、黙って片付けられる訳にはいかんよな」

「勘違いするなよ。言っただろう? 所詮キミなんて私が―――」

「かつて、師は言っていた。本当の危機に瀕した時、最も大事なことは…………勇気を出して、先手必勝であると!!!」

 罠に掛けられたことへの嘆きの感情、もしくは、掛かった自分への怒りである。

 高山ユウキが大きく踏み込み、両の腰からL字の金属棒――トンファーを繰り出し、右の拳を叩き込む要領で、弧を描いて振りぬく。

 がむしゃらなフォームで顔も標的をまともに捉えてはいない。しかし、標的が僅かにも動かなかったことが幸いしてか。金属製の鈍器は魔術師オーディルの幼い顔面を鋭く殴打。衝撃で頭蓋が歪み、碧い瞳が破裂する。

「――いィッ!?」

 手応え、有り――いや、有り過ぎた。ユウキ少年はあまりにも生々しい打撲音と肉体の抵抗を感じ、振り抜いた腕もそのままに身を竦ませた。人間をこれほど強く攻撃した経験は初なのである。

 オーディルの左半面は崩壊した。粘土のようにあっさりと潰されて、目のあった部分は黒く窪んでいる。

 そして、残された右半面。それは殴打の瞬間、少々「驚いた」表情となったものの……すぐに傲り高ぶった笑みに戻った。

「人も殴れない軟弱者だと聞いていたけど――驚いたよ。逃亡と命乞い以外にも選択肢があるとはね」

 右側だけの口で彼なりの賛辞を送る。同時に、崩壊した左の面は暗闇の肉塊となって蠢き、増幅し。肩と腕をも取り込んで、新たな“顔”を形成していく。それは外観的に大きさとしても“樋熊”そのものであり、左の瞳だけが煌々と碧く輝いていた。

 まだ幼い少年の身体に、左肩から大型猛獣の頭部が生えているという有様。

 人間ではない化物の様相となったオーディルを前にして、ユウキは「うわぁあ!」と悲鳴を上げた。

「酷いなぁ……キミが殴った部分、膿んでこんなにも腫れちゃったよ」

 人面の口で嗤いながら、猛獣の顔は咆哮して猛っている。

「な、何なんだお前!?」

「何度も言わせるなって。私は万能万知なる神童、天才魔導士オーディル。畏れるなら、跪いてもいいよ」

 至極平静で落ち着いた物言いの反面、鋭い二重の牙をもつ大口が開いて涎を垂らしている。

 ユウキは混沌とした魔術師の態度・外見に気圧され、その場で尻もちをついた。

「――愚かで浅はかな獲物よ。このオーディルに回収され、その力の一部と化する喜びに打ち震えるが良い」

 それでも笑顔である。オーディルの表情は常に、殴られた一瞬を除いて笑顔ではあるが……事に、今、怯える人間を前にした彼の笑みは。叫ぶ獣の面よりも攻撃的で、無秩序である。


 変貌したオーディルと、蛇を前にした蛙状態の少年。そこまでの状況を遠目に見ていた“2人”は、少々焦りを覚えたらしい。

「おい、ヤバいんじゃないか? アレは餌だろう?」

「うわぁ、まいったなぁ! 早まるなよ。馬鹿な判断で失敗したのなら、調整役に申し訳がたたない」

 剣闘士のような服装で、筋骨隆々たる姿の「魔術師」は腕を組んで呑気している。その横で頭を抱えているのは、細身でくたびれたスーツ姿の「魔術師」。それが「ストップだ、オーディル!」と声を張り上げるものの、どうにも覇気のない声なので、思いは届かないだろう。


「喰らえッ、我が身よ、大食の貌よ!」

 2人の魔術師の心配をよそに。猛獣の半身を持つオーディルが襲い掛かる。

「う、うぁ……ぁ、うわぁああ!!!」

 完全に“狩り”の態勢に入ったオーディル。彼は目の前でノソノソと腰を抜かしている少年に向けて。獣の牙と鋭利な右腕を、暴力を行使しようと――――


 ――――小屋には1枚、窓ガラスが残っている。


(し、死にたくない。助けて……まだ、死にたく……ない!!)


 急ぎ、迫っていたそれは、警告の“ベル”を鳴らした。




  チリン、リン~♪ 





 COINS-STORY AGE・ZERO


 SECTION「待ち伏せ」― end




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