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切っ掛けは衝撃

<SCENE-1:ロバの耳に念仏>


 晴天の空が無限のように広く感じられる。遮るものがない空を見上げる機会は、現代人にとって貴重なものだ。

 乾いた赤茶の砂肌。荒野の只中に降り立つ巨漢。【カイエキ】は抱えていた【ユウキ】少年を降ろして、シャリシャリと広げた翼を仕舞った。金属鱗の翼を用いれば、断崖からの滑空をこなすくらい容易い。

 改めて見て、奇妙な取り合わせである。白いフード付きのコートで、その身を覆う金属の鱗を隠す巨漢……カイエキの不気味さ異常さは一目で解り、目立つ。

 対してユウキといったら、ごくごく普通の少年にすぎない。黒髪を少々のワックスで整えた程度に、服装も黒のTシャツにオレンジのチェック柄上衣。チノ・パンツの腰元には2本のL字型金属棒を下げているが、それもファッションの小物に見える。

 傍から見れば、異常な誘拐犯とさらわれた一般人でしかないだろう。この悪印象はカイエキが全般的に悪いが、ユウキにこれといった凄味が無いのもよくない。こんな稼業である。少しは「何かある」と思わせる振る舞いを求めたいところだ。

「――ほんで、ジイさん。どうやって帰るの、俺ら?」

 2人が降り立ったそこから、少し先を見れば人工物が確認できた。どうやら小さな村らしい。というかそれ以外ほんとうに、周囲に何もない。これではバスも電車も期待できなさそうだ。

「迎えが来る手筈。ヘリコプターで帰還するのである」

「もう来るの?」

「いや、まだであろう。早ければ1時間ほど……」

「うへぇ……そうかぁ。どっか座りたいけど、ここじゃ尻が痛くなりそう」

 ユウキは辟易として屈みこんだ。彼が任務において何か活躍したわけでもないのだが、逃げ回って疲れたのだろう。また、自分の体たらくを理解していないわけでもない。情けない様を思い起こしている。

「ふぅむ、仕方のない奴よ。……丁度人里が見える、そこで休息をとるか」

 カイエキはあまり行動を起こしたくなかった。面倒とかではなく、任務は帰還するまでが1つの流れであり、予定にない行動は極力避けたいと考えているのである。これは、彼の長い人生の中で、“終わり際の油断”こそが大敵だと重々承知しているからだ。連休を控えた仕事帰りに、気まぐれに寄った百貨店で事故を起こすような絶望は誰だって避けたい。

「イエ~イ☆ さっすがジイさん、話が解るぜぇ!」

 元気に、跳ねるようにユウキは立ち上がり、そのまま村に向かって駆け出す。浮かれて調子に乗っている様子そのものだが……内心では、先刻のことを考えて、悔しさを覚えていた。師はその心を察して、彼のわがままを許したのであろう。

「……ふぅむ、やれやれ」

「――ぅぅうおわああああ!!?」

「む、何だ?」

 村へと駆けていた少年が、全力疾走に戻って来る。何事かと、カイエキは身構えた。

「お、おばおば――幽霊だっ!?」

 ユウキは白い三角の背中に隠れると、手だけを出して指さした。彼の示す先には、モヤモヤと……確かに、何か煙のような色のある気体が、後を追って迫ってきている。


“――ユウキ――ユウキ――タカヤマ――ユウキ――――”


 何らかの声が周囲に響く。どうやらそれは、明確に意思をもって迫る煙、それから発せられているらしい。

 自分の名を呼ばれたユウキ少年は尚更取り乱し、「ぎゃぁ! 何か名指しで呪われているぅ!?」とショックのあまり尻もちを着いた。比べて隣のカイエキの……老獪なる彼の、なんたる落ち着いたことか。

 カイエキは構えを解いて、背後の小僧を掴んだ。襟元をグイと引っ張り、「ポイ」と荒野に放る。

「あ痛ったぁ! 何すんの、何すんの!?」

 煙の前に落下したユウキ。狼狽する彼を煙は囲い、形を変えて、複数の人間型を作った。全てボンヤリと希薄な、女性の姿である。

 気体の微笑に包囲されて、ユウキは頭を抱え込んで防御の態勢。幽霊だと言いながら、その行為に何の意味があるのだろう?

“――ユウキ、オチツキナサイ。オトコノコデショウ?”

「ぎゃあああ! 幽霊に諭されるぅぅぅ!!」

「……やれやれ、小僧で遊ぶのもほどほどにしてもらいたいものだな――のぅ、サルメの嬢?」

“ウフフ――御免なさいね、Mr. リザード。だって、リアクションが大っきくて、脅かし甲斐があるのですもの……つい、ね♪』

 ユウキを囲う煙の女性が、一様に笑い、口元に人差し指を当てた。

「ひやああああ!! 幽霊がまるで“姉さん”のような声をぉ……お??」

「教育者として恥ずかしいではないか、ユウキよ。たまには成長の証としてすぐに看破してみせい」

『え、それはダメよぉ。それじゃあ私の楽しみが減っちゃうじゃない』

「あれ、え・・・・・」

 ユウキを取り囲んでいた煙の人型が、1つに集ってクッキリとした“人間”の姿を映す。スーツのようだが、装飾が多く、左右の胸部に対となる金貨の刺繍。長く伸びた青髪が揺れて――その女性は、悪戯な表情を見せた。

「・・・なんだよ、【ヒュウ姉さん】じゃないか! なんでいっつもまともに現れないんスか!」

『だから、ビックリさせようと思って……てへへ!』

 ユウキを囲んだ煙の正体は、【召喚師フューラー】。より正確に表せば、彼女の召喚した具象生命体、それに映し込まれた彼女の姿である。

「ウインクしたって誤魔化されないスよ!」

「いや、ユウキよ。この場合、見破れない己の未熟を恥じるべきである」

『そうだ、そうだ。カイエキさんの言う通り』

「こんなん解るかッ!!!」

 フューラーは数か月に1度、このようにユウキの前に姿を現……いや、姿を見せないこともあるが。ともかく、コミュニケーションをとってくる。

 ある時はカラスの化け物を媒介として、ある時は鯨の化け物に乗って海上に、ある時は大地を裂いて出現したモグラの化け物の口の中から突然に――と、そのバリエーションは様々で、毎回手段が異なっていた。まともに通話機器を用いたことはなく、無駄に趣向を凝らしてくる。

「本気でビビったんスから、今度ばかりは許さんぞ!」

『あらぁ、怖いわ~。か弱い女性を睨んじゃって……それ、逃げろ~♪』

 見た目は完全に人間だが、やっぱり素材が素材である。フューラーは低空飛行に、フワフワと逃げ始めた。ユウキ少年は「待てい!」とそれを追う。まぁ、追いついたところで相手は気体なので、すり抜けるだけだが……。

 しかし、まるで回し車の中で走るハムスターが如く、頭に血が上ったユウキは無意味な追走を行っている。どちらかと言えば、自分の尻尾を追い回す犬のそれに等しいのだろうか。

「……休みたいと言っていたのだがな」

“元気そうじゃない”

「元気になったのだ。……貴女のおかげでな」

“やっぱり、そんな気がしたのよね。小耳に挟んで、ちょっと危なそうな任務だったから――妙な予感もあったしね”

 カイエキは駆け回る少年に視線をやりながら、隣にある気体と会話をしている。

“それで、どう? あの子、何か変わったところは……”

「久しぶりに見て、貴女はどう感じる」

“……カワイイわよ。まるで本当の弟みたいね”

「濁した物言い。それ故に一層、明確にあなたの感情が伝わるというもの」

“そう、ね。……例え、私達にとって特別だとしても、それだけであの子の未来は満たされない”

「今更だが――あやつは、何もこのような場所に居なくともよいのではないか? あるいは望み過ぎず、無理をさせず。あやつに適した場所に置くのが得策では?」

“それではいけないのです。彼には、成さねばならない未来がある。それはあの子もよく解っているのだから”

「むぅ……まぁ、変わらないがな。私は変わらず、惜しまずこの力を貸そう。あやつが自身の希望に、せめて期待を抱けるように――」

“あなたが責任を感じることはありませんよ? 巻き込まれただけですからね”

「はは、それこそ今更よ」

“感謝しますカイエキ=バンカ。風間の一家に、大きな借りができましたね――”



「ぐっはぁ!!」

『いやん♪ こ~らっ、ユウキくん。そんな乱暴に女性に抱き付く人がありますか!』

「いや、抱き付いてねぇし! むしろ地面に激突して砂マズイし!」

『オーッホホホ、私、幻影ですからぁ! 気体の少女に触れることはできないわ!』

「・・・え、なに? 少―――」

『――ごめん、言わないで。言いすぎたって自覚しているから……って、ア! いっけないわぁ、そろそろ私、お暇するわね!』

「もう、行っちゃうの!? いや、ヒュウ姉さんマジ何しに来たんスか?」

『それはもう、追いかけっこでしょうよ』

「・・・・・暇なんスね」

 はしゃぎ回っていたフューラーの姿は、再びモヤモヤと、煙の塊のような状態に戻った。彼女は“また来るわ~”と言い残し、空中へと舞い上がって、風に乗る雲として何処かへと飛んで行ってしまった。まるでゲリラ豪雨の騒々しさを彷彿とする様である。

「ほんと、なんだったんだ、ヒュウ姉さん……」

「顔を見せに来た、というところだろう。しかし、随分と走らされていたな、ハッハハ」

「あー、もう! 凄い喉乾いちまった。ジイさん、早くあそこで休もう!」

 転んで砂まみれになった服を払い、ユウキは改めて村へと駆けた。砂を噛んだ口の中はジャリジャリしている。その跳ねるような後ろ姿を遠目に。「まったく、あやつは老体を労わることを知らんな」と、カイエキは肩を竦めた。


 ノシノシと、荒野の地を凹ませながら、巨漢が少年の後を追う。村までは少々距離がある。人の気配は彼ら2人のみ。

 凹んだ足跡の1つに、紙切れが踏まれてめり込んでいた。その紙切れは、「ペリリ」。剥がれて舞い、何処にへと飛んで行く。

 風に吹かれたか? 違う。風向きとは逆だ。



 荒野の先。遥かに距離のある、殺風景な牧場。使い捨てられて無人の納屋の上に、1人が座して、空を見上げていた。

 しかし、奇妙な――。“彼”は空を見上げながらも、その目を“開いてはいない”。しかしそれでいて、空の「青さ」を愛でている。


 どんなに白いものも、現実にあるからには何らかの色味を含んでいる。それは光の加減、周囲の反射、影の按配――。だが、その人はまったくもって「白い」。意図して描かれた白と黒の絵のように……二次元に算出、描かれ着色された“白”であるかのように。到底、現実とは思えない存在感。


 真白きその人は、胡坐をかいて刀の鞘を撫でていた。

 現実的ではないその人は、静かに言う。

 必要最低限にある黒の線が、その表情を描き出していた。


 『 フューラー、それがそんなに大事かね? 』




<SCENE-2:切っ掛けは>


 荒野にポツンと、取り残されたようなその村。いくらか人は確認できるものの、間違っても栄えているようには思えない。

 住人達は珍しい来客に、足を止めてその様子を確認していた。というか何をするでもなく、目立つし怪しい。白いコートの大柄な人と、恐れなく会話をしている少年。どういった経緯でこの組み合わせなのか。誰もまったく想像がつかない。

「ひゃぁ、寂れているねぇ。店なんて営業してるのか、これ」

「ユウキ、見知らぬ地では軽率な行動は慎めよ」

「おっ、コーヒー店ですって! お邪魔しま~す、営業してますか~??」

「……やれやれ」

 助言も右から左に。軽率というか何も考えていないくらいの軽さで、ユウキ少年は「珈琲専門」と看板にある店の中へと入った。渋々と、カイエキもそれに続く。

 ユウキは何も感じていないが、カイエキは少々、この村に違和感を覚えていた。それは彼の嗅覚が訴えるもので、同時に前述のような「経験」が囁く虫の声である。それが杞憂であればと、浮かれている少年の背を見ながら思う。

 コーヒー店の中は薄暗い。日中なのでそれなりに見えるが、電球のセットされていない照明からして、「商売をしよう」という決意が感じられない。狭い村のことである。常連ばかりで、そういった気配りもいらない、一見さんを想定していない営業なのだろう。

「――あら、いらっしゃいませ」

 店内には従業員が1人。モップで水気をかけていたのは、まだ若い女性である。おそらく、18才になったユウキから見ても2、3は下であろう。同い年以下には強気なユウキだ。「あーっと、営業してるよね? コーヒーくださいな」とズケズケ発言する。

「今日は休みですけど……」

「え、うっそでしょ!? いやぁ~、すまないなぁ。1杯だけでもどうにかならない?」

「……休みなんです、けど」

「ん~、コーヒーの良い香り! うん、美味しそう!」

「あぅ……」

 相手の押しが弱ければ、ユウキは強い。弱者に強く出て、強者にはとことん弱い。当然の道理だが、それをそのまま実戦すると、何故か印象が悪い。

「こら、調子に乗るな小僧。……すまんな、少女よ。無理を言ってしまった。他を当たるので、コイツのことは忘れてくれい」

「ええー、もう歩きたくないよぉ。ここがイイ!」

 すっかり萎縮してしまった少女に弁解するカイエキ。その心遣いを無に帰すように、椅子に腰かけてテーブルにしがみつくユウキ。

 老体の重みあるゲンコツが今にも炸裂するかという、その時。店の奥から――女性が1人、姿を現した。

 彼女が店主であろうか。実に店に馴染んだ様子で、エプロンが良く似合っている。

「レフィ、いいじゃないの。どうせいつも営業しているような、していないような……そんなものでしょ?」

「あ、お母さん……」

 どうやら店の奥から出てきたのは、少女の母親らしい。そしてやっぱり店主であるらしく、彼女はユウキとカイエキに「旅の方、どうぞご注文を。お疲れになっているでしょうから、ゆっくり休んでください……」と、席を勧めながら口元を微笑ませた。

「やった、ラッキィー! アイスコーヒーください。品種とかはなんでもいいです」

「……有り難い」

 ユウキはとても良い笑顔で注文した。カイエキは表情を曇らせて、渋々と少年の隣に座った。

「ん、なんかジイさん機嫌悪いな」

「……教え子が私の言うことを聞かないものだからな。悪くもなる」

「怒んないでよ~。だって喉乾くもの、乾いたでしょ?」

「ふぅむ、常々言っておろうに……」

 楽観が過ぎるユウキに、師は何かを言おうとしたが、敢えてやめた。ユウキはそんなことなど気にもせず、テーブルにさりげなく置いてあった“飾り”に興味を示している。

 会話の中。2人の前、テーブルの上に暖かい濡れタオルが置かれる。

「あの……それで顔とか、拭いてください」

「おっ、ありがとー。砂だらけで参ってたんだよね! ええと、【レフィ】さんだっけ?」

「!? ど、どうして名前を?」

「さっきお母さんがそう呼んでたじゃん」

 少女【レフィ】は突然の名前呼びに、顔を紅潮させて手元の茶盆を抱え込んだ。そもそも、彼女は近い年頃の少年と会話したことがほとんどないらしく、声を掛けるのにも緊張がうかがえる。

「年いくつ?」

「え、と……15才……」

「俺は18才! やっぱ年下か、レフィちゃん! この村で育ったの?」

「う、うん……」

「いい村じゃぁないか。交通の便はちょっと悪そうだけど、空気も綺麗だし、騒々しさがないしね!」

「あ、でも……生まれたのは、違くて……」

「そうなの? ――もしかして、日本??」

「ニポ……ン? 何処かしら。ごめんなさい、違うわ」

「あれ、そうか。いやぁ、この飾り物さ、日本の“折り紙”ってのに似てんだけど……っつうかまんま折鶴」

 ユウキは手にしていた飾り物の折鶴を、ヒラヒラと揺らして見せた。それを見た少女は不思議そうに首を傾げている。

「?? なにそれ? 初めて見るけど……紙で出来てるの?」

「初めて? だってここにあったのに……ま、いいか。そうだよ、これ、紙で作られてんだぜ~。しかも折っただけで切ったり貼ったりしないの」

「ほんと? そうは見えないわ」

「広げれば解るよ。どれどれ――」

「あ、壊しちゃうの勿体ない……」

「ヘーキ、ヘーキ。すぐ戻せるよ」

 得意気にユウキが折鶴を広げ、一枚の紙であることを証明すると、再び折って元に戻す。僅か数十秒のイリュージョンに、少女は目を輝かせ、身を屈めて少年の手先に見入っていた。

 その様子を傍らで観察していたカイエキは、ふと店の出入り口へと目をやる。彼の鱗が、シャリ、シャリ、と小さく鳴った。

「小僧……」

「ん? ジイさん、俺の活躍の場を取っちゃ嫌だぜ。あんたは見ててくれよ!」

「いや、そうではない。なぁ、ユウキよ……」

「わぁ、すごい! 魔法みたいね!」

「大げさだなぁ。なんなら、いくつか似たようなの作れるよ!」

「見せて、見せて!」

「はっはは、そう急かすでない。任せ給へ、レフィちゃんよ――正方形の紙って、ある?」

 手近にあったコースターの紙。それが丁度だいたい正方形だったので、ユウキはそれを用いていくつか折り始めた。少女はいつしか少年の隣に座り、真似してみようと自分も紙を折り始める。

 完全にタイミングを逃したカイエキ。彼は黙るしかなかった。

「あら、何かしら? レフィ、あなたがそれほど興味を持つなんて……久しぶりに、楽しそうなあなたを見たわ」

 そこに、母親がコーヒーを2つ、茶盆に乗せて割り込んだ。

 コーヒーの香りが漂う。ユウキは「おお、これは美味しそうだ!」と、目の前に置かれたカップを賛辞した。

「どうぞ、召し上がってください――」

 レフィの母親は口元を微笑ませて、一歩下がる。ユウキが遠慮なく「いっただきまぁ~す♪」とカップを口元に運ぼうとした、が……。

 それを太く、重量感のある腕が阻む。ユウキのやさ腕は剛腕に掴まれて、ビクとも動かない。

「な、何すんのさ、ジイさん!」

 ようやく喉を潤おせる……と思ったらこれである。ユウキは躍起になって飲もうとするが、掴んだ腕の肘に顎を突き上げられ、最早動くこともままならない。

「なんでサブミッション!? ジイさん、どうしちまったんだ!!」

「……サルメは完全無意味に戯れているのではない。常に五感を用い、気を付けろと……そういった忠告を込めて、戯れている。彼女の行動には意図がある。よくよく、汲み取ることだな」

 ついにカイエキはユウキの手からカップを奪い、それを、なんと床に叩き落としてしまった。カップが割れて、破片が散る。せっかく少女が掃除をしたというのに、コーヒーが広がり、汚染する。ユウキは怒りのあまり立ち上がり、レフィはいきなりのことに言葉を失って口を開いている。

「お、お前ぇ! ジイさん、なんってこと!!」

「安価な“毒”よ。香りで容易く解ってしまったわい」

「毒がなんだってんだ! あんたは人の好意を・・・・・って、ん? どく??」

「悪い予感はあったが、どうやら中でも、一番好ましくないものが当たってしまったようだな……」

 依然、座したままに。呆然とするユウキに視線を送り、「落ち着け」と合図をするカイエキ。その意図は通じたが、ユウキはそれでもショックで……。毒が入っていたとか、そういうことではなく。銃を取り出して、カイエキの頭部に銃口を向けているレフィの母親の姿が、信じられないが全てを証明したように思えて、衝撃的だった。


「――――突然を、演出したかったのだけどね。いいわ、でも、死んでください」


 乾いた銃声が鳴り響く。薄暗いコーヒー店に、2つ、3つ、4つ、5つと木霊する。

 銃声の木霊が消えた頃。うめき声を上げて屈みこんだのは―――レフィの母親だった。


「!!? ぐぅぅぉ……ちく、しょう、悔しい、憎らしい……!」

 母親はそれまでとは想像も付かない、鬼か悪魔と見まがうような、苦痛にゆがんだ禍々しい睨み顔を露わにしている。弾かれ、跳ねた弾が彼女に2つ当たったのである。彼女の額と左の腕には血が滲んでいる。

 悠然と、カイエキは立ち上がった。そして母親の手元から拳銃を奪うと、鱗の手甲に包まれたその手で、クニャリと曲げて放り投げた。

「確かに、それほど距離は無い。それに、火薬の香りで察するべきであったが……そうは思いたくなかった。これは私の軽薄さが招いたことよ」

「お前が……お前らが、殺した……」

「…………」

「夫の訃報は、つい、さっき、知らされたばかりよ……敵の情報を添えて……」

「……断崖の施設での一件を意味するならば、それは私がやったことだ。違いない」

「夫だけではないわ。何人も、死んだ……殺された……全て、この村の者、全て、知っている……から。ら、らら、ら。らぁぁぁああああああ!!!」

 母親は立ち上がり、太ももに隠し備えていたナイフを取り出してカイエキに切りかかった。素人ではない。明らかに、ナイフで人を狙うことに慣れている、過去に経験がある……それを十分に実感させる、刃先の軌道である。

 カイエキは鱗の手でナイフの刃を掴んだ。彼がグっと握り込むと、刃は砕けて、床に落下する。そして、それは母親にも想定内で、彼女は既に第二の刃を死角から振りかざしていた。


 キィン――と、金属が弾かれる音。ナイフが1つ、宙を舞ってテーブルに落下。突き刺さり、錆びのある刃に少年と少女の顔が写っている。


「テロリストは、暴虐の芽は摘まねばならなぬ。それが、私の任務……」

「――――っアアアア!!!」

「……申し訳ない。許せとは言わん――」

 武器を失って尚、襲い掛かるレフィの母親。その身体に、カイエキは軽く手のひらを当て、半回転させつつ瞬発力を込めた。母親の身体は浮き上がり、数m飛んで店のカウンターに激突。衝撃で身体を痛めたことは間違いないが、加減が利いている。意識は残っているようだ。

 この時カイエキが打ち込んだ技。これを容赦なく人に打ち込めば、空中で砕け散る。軍事施設の壁を粉々に突き破る破壊力なのだから、それは当然のことだろう。

「貴女には育てるべき人がある。命は、無駄にしないことだ……」

 金属光沢の腕を露わにし、立ち尽くす巨躯。身体を打ち付けられ、朦朧としている女性。これらの光景を前にして、ユウキは何もできず、言葉も発せずにいた。整理がつかない。今、何が起こっているのか、どうしてこうなっているのか、解らない。その隣で少女が、じぃっと、母親の姿を見ていた。


 カイエキは振り返り、2人に目をやる。だが、彼は何も言わずに、今度は店の出入り口に向かって走り出してしまった。

 扉を突き破るように、カイエキが店を飛び出す。砂埃を上げて降り立つ巨漢。そして、それを待ち構えていたのは――無数の、銃口、刃、敵視――――。

「油断は死を招く。それは本来不要な、あるはずでなかった……命の、喪失」

 誰かが叫んだ。安物のライフルを抱えた村人の、誰かが声を上げて。

 応じるように、次々と、人が動き出す。

 この村で生活を営んでいた、普通の人々。ただ、その身内が“テロリスト”であると、何者かにレッテルを貼られた――家族たち。


 鱗のカイエキが両腕を強く振り下ろす。鱗が鞭のように連なり、伸びて地面を刺した。

 風に払われ、外れたフード。鱗と言うには大きな、兜に覆われた頭部。

 鱗のカイエキが動き始める。彼が「殲滅する」と決めて動くのである。結果はその時点で、決まっていた………。



 銃撃の音が聞こえる。

 金属と金属が当たる音が聞こえる。

 何かが折れ、裂ける音が聞こえる。

 獣のような、人間の断末魔が、聞こえる。


 薄暗いコーヒー店。ユウキ少年は状況を理解はできていない。理解はできていないが……カイエキとレフィの母が交わした言葉を反芻し、察していた。流れた銃弾が店の窓を貫く。店内の壁に銃痕が残るが、それは気にならない。

 カウンターの前で、うなだれてブツブツと言葉を零しているレフィの母親。額から流れる血液が目に入っても、瞬きすらしない。

 恐怖があった。それは怪物を前にしたものとも、殺人の現場を目撃したのとも違う。動悸がはっきりとして、呼吸に合わせて体が膨れたりしぼんだりしているのが、よく解る。自分の身体に今、大量の血が廻っていると強く実感して、それが不気味に感じられた。

 そして、この場で少年と同じく。厳密にはできずに、ただ、事実を察してしまっている者がある。

「お父さんは……死んだんだ?」

 少女レフィは呟いた。少年のすぐ横だ。質問のようだったが、少年は答えない。

「お父さんは……殺されたんだ?」

 これも質問だ。しかし、少年には答えようがない。ユウキにとっても、それは実感がないことだからである。……ただ、今回の任務は。確かにテロリストの幹部をこの世から消すものであった。そして、カイエキは実行したのだろう。彼が失敗をするわけがない。それは深く理解していた。

「あなた達が……そうなの?」

「――俺と、ジイさん、は……ただ、任務を……」

「やっぱり、そうなんだ」

 熱い、と感じた。ユウキは、最初熱さで火傷したのかと思い、次いで状況を判断……隣の少女と、テーブルから消えたナイフの理由を考える。左足大腿部の熱量が、激痛に変化して……ユウキは倒れ込む動きすらできず、テーブルに手を着いて苦悶した。

「痛っっつ――れ、レフィ……」

「ごめんね。でも、お母さんも血が出てる――お母さんも死んじゃう?」

 少女は謝りながらナイフを引き抜き、母親の様子を見ている。

 引き抜かれた傷口から血液が噴き出る。床が血で塗れていく。

「ねぇ、どうして? お父さんも死んで、お母さんも死んじゃう? どうして? 友達も、お爺さんも、お婆さんも、死んで――私も死んでいいの?」

「レフィ……違う、違うよ。俺達は、ただ――」

「なにが違うの? それじゃ、なんにもわからない、伝わらない」

 少女はナイフを両手でしっかり握り、逆手に構えた。彼女は扱いの素人なのだろう。逆さにする際、指に切り傷を作ってしまっている。逆手にしたのも力を精一杯込めたい、という欲求からのものだ。技術ではない。

「ねぇ、どうして? ねぇ――答えてよ?」

「――――レフィ、俺は、俺は……」

 息のかかる距離で、レフィは刃を振りかぶった。その状態で、彼女は静止する。口元は微笑んでいるが、涙は流れて唇が震えている。彼女の中で、混乱した感情がぶつかり合っていた。

 店の破られた扉。その切れ端を踏みつけ、巨漢の影が入店する。無数の弾丸と刃を浴びたせいか、コートは破れていて全身を覆う鱗の鎧が露わだ。

 カイエキは、2人を見ると瞬時に状況を把握し、叫んだ。

「ユウキ! 刃を払え!!」

 くぐもりながらも、その大きな声。だが、少年は呼びかけに反応できず、ただ、目の前にある少女の涙を見ていた。

「なんで、なんでこんなことに――」

「ごめんね。でも、私………………」

 感情のぶつかり合いに決着がついた。彼女は、その手に握りしめた刃を――少年の、頭部に目がけて、振り下ろそうと――――



 血しぶきが飛び散る。斑点のように、少年の顔に赤黒い色が張り付く。

 目の前にある、涙の顔が――「どうしたらいいの」「助けて」と今にもいいそうな、悲しい笑顔が――ころり。ゆらいで、視界から落ちていった。



 少女の細い身体がゆっくりと傾いて、床に倒れる。

「―――――」

 言葉を失い、少年は虚空を、数秒前まで少女がいた目の前を見ている。察するも何もない。目の前で見て、誰よりも理解できていた。

「ああ、あ、ああ、あ――あ? ああっ!? ああああああ!?!?!?」

 ドタドタと、床を這って、レフィの母親が娘に近寄る。彼女は娘をその手に掴み、掲げた。まじまじと、それが実際のモノかを良く確認して、見比べて――抱きしめる。しばらく彼女はただ、ただ喚いて泣いていたが……不意に静まると、間近のユウキを見上げて目を合わせた。

「あなた達がっ、今度は私の娘を奪ってぇぇぇ!! 夫もどうしたっ、全部全部、もってかれて、故郷まで生活を有耶無耶にして、全んんん部、破壊して破壊してお前がやったのか!? お前が壊したのか!? 全んんんん部、お前がやったんだ! 壊して全部ぅ――・・・ああ、久しぶりに見たなぁ、レフィの笑顔ぉ。可愛い私の娘よ。そうね、あなたは明るい子だものね。学校はどうかしら? お友達、最近お家に連れて来てないわね。そう、いつからかしらぁあああんん時だぁッッッ!! お前がぁっ、お前らが壊して、全部、壊して、夫も娘もパパもママもすぅべてぇぇえええ!!! あああんんんん時からだあああああ!!!!!」

 娘を抱えたまま、母親はユウキに顔を近づけ、血塗れの顔で絶叫した。一切のリアクションを行えず、ただただ、その顔を見て訴えを聞くユウキ。

「ああああんんたがぁあああああ!? っ――――」

 母親の絶叫は突然に終わった。彼女は胸を貫かれて、即死したのである。

 カイエキは何も言わずに母親の身体を受け止め、ゆっくりと横たえる。それは緩慢な動作で静かだった。彼の鎧が擦れる音が、よく聞こえる。

「ユウキよ、今は何も言うまい……。迎えが来た、村を出ようぞ」

「――――や、言ってよ」

「……ぬ?」

「ちゃんと、言ってよ。なんで殺したんだ? なんで、彼女を――」

「……ならば言おう。それは、お主が死ぬからだ。お主に刃が振り下ろされる前に、彼女を止めた」

「――俺は、殺されるところだった……?」

「本来なら――教えたであろう。得物を持つ敵、その武器の、払い方……」

「彼女は、敵じゃない」

「敵ではない――か。ふぅむ……」

 カイエキは、それ以上を言わない。ただ、その厳しい瞳で少年を見ている。

 ユウキは彼が言おうとしたことを……察していた。今まで彼に教わってきたことに、その答えがあったからだ。

「ジイさん――俺達は、何なんだ? 正義なのか? ……確かに、そんなことあんたは一言も言ってないけど。でも、そうだと思って、俺は今まで――――なぁ、カイエキ。俺の“敵”は誰だ? 彼女達みたいなさ……なぁ、そうなのかよ? 俺、もう解んねぇよ……」

「………」

 鱗の教育者は何も言わず、少年に背を向け、店の外へと歩き始める。


 少年は、しばらく店の中に居た。何かをするわけでもなく、ただ立ち尽くしていた。

 自分の判断を思い返して、可能性を想像していた。別の選択にあるはずだった、今を――。



 やがて、少年は薄暗がりのコーヒー店を後にする。村の惨状を横目に。歩いて、迎えの待つ村の外へと向かう。

 迎えは軍用ヘリコプター。表裏の金貨を描かれたそれに、少し足を止めてから乗り込む。去り際に、高山ユウキは呟いた。


 「ごめんな、レフィ――」






 COINS-STORY AGE・ZERO /


『―――え、日本へ?』

『うむ。止む無く、馳せ参じねばならなくなった。……しかし、お主は連れて行かぬ』

『!? なんで、どうしてさ?』






――――――――――――――――――――――――――――――――


<SCENE-???:カードセット>


 壁が見えない。その部屋の壁面には隙間なく機材が敷き詰められており、それら全てが1つとなって、世界で最も偉大な仮想の管理人を形成している。至る所で赤や緑のランプが点灯して、立方体の中心から見る部屋の景観は、まるで夜空。

 1本のクレーンアームに吊るされ、人工の無重力空間の中で――1人。球形の文字列に包まれているのは、まだ幼くあどけない、少年。彼こそはこの人工宇宙に君臨する王であり、ただの1室から、二進数で繋がるあらゆる現象を制御し得る、電子空間の支配者。

 幼き王を包む球形の文字列は常に変化する。目まぐるしく流れ、変化し、球そのものが膨張と収縮を繰り返している。

 彼はクレーンアームの傾きで姿勢を制御しながら、球形の文字列を眺めている。愛用のマイク一体型イヤホンは独特で、後頭部をすっぽりと覆い、額にはサンバイザーのようにクリアなゴーグルが装着されている。

 精神に大きなゆとりがあるのだろう。彼はほとんどいつも腕を組み、だらりと足を伸ばしてニヤけた笑みを浮かべている。眼球の動きと脳波、それに彼の発する言葉に応じて正方形の宇宙は瞬き、球形の二元世界は流動する。

 無重力故にうるさくはない。そこは確かにうるさくはないが……彼の装着するイヤホンの中は大体やかましい。

 何が原因か? それは主に彼自身である。

『やぁったぁ♪ ゲーム・セット! 僕の勝ちぃ!』

 ニヤケ笑いはコロコロと様相を変え、時に目を見開いたり、ベロを左右に激しく振ったり、大げさに歯を打ち鳴らしたりと落ち着きがない。これほどまでに楽しそうな人間はあんまりない。悩みの欠片もないのだろう、自分の能力への疑いなど微塵もないのだろう。だから、どれだけでも、容赦なく大声を発して騒ぐことができる。自分だけであらゆることが完結しているのだから、誰かに配慮する必要はないのだ。

 子供特有の疲れを知らないハイテンション。彼より2周りも3周りも長く生きる人間達の人生は、運悪く彼の目に留まっただけで。腕も脚も使われることなく、あっけなく好き放題にされるだろう。そこに幻想の海がある限り。誰にも平等な不条理の可能性がある。

 そんな、無邪気で恐れを知らない電子の王だが。彼の表情が珍しく曇ることだってある。

『――アア!? くっそ、なんだよ! うざいなぁ!! 嫌いなんだよ、コイツぅ!!!』

 それの1つに「from.調整役」と書かれたメッセージの受信を確認した時がある。そうなると彼は反転したように不機嫌となり、舌打ちを当て付けるように乱打する。

 内容を確認して。彼は唇を噛んで片目を半分閉じ、首を傾けて思案した。そして

『くぅだらない!! なんだって、こんなこと僕にさせんの??? マジ解んないし、ちっくしょお・・・ぅおい、【レイフォン】! レイフォンちゃぁぁん、お姉さぁぁん!』

 ――と、マイクの先に噛みつかんばかりに叫んだ。

 彼の叫びに応じたのか。文字列の球形が長方形のモニターを形成し、そこに人の影を構築し始める。

【はい、どうかしましたか、キートくん?】

 イヤホンを通して女性の音声が聞こえてくる。とても落ち着いた音調で、突然の呼びかけに対する動揺は僅かにも無い。彼女こそは、幼き王にとって唯一の“身内”。会話に値する存在である。

『レイフォンちゃん、これあげるゥゥゥ!!!!!』

【ん。調整役様からですか――ああ。そしてやはり。あの方からですね】

『中身、見て見て! すんごいくだらないから! 任せるねェ♪』

【――右院様直々のご依頼に。私が答えても?】

『・・・・・そんなん関係な・い・ノっ!! 無駄に僕の頭ン中使わせるバカなお願いなんか、やってらんないんだよォォォ!』

【了解しました。こちらで処理しておきましょう。――ですが。調整役を軽んじられては困ります。特に右院様には細心の注意を怠らないように】

『ア゛ア゛!? うるさいぞぉ、レイフォォン! お前は僕の言う事聞いてろよぉ!!! ママンか、あんたぁ!??』

【キートくんの仰る通り。申し訳ございません】

『あんなんの何が怖いかつぅぅのっ! 狂刃だかなんだか言ってけどよぉぉ……僕がその気になりゃぁ、いつだってこの世から消してやるぜぇェ! ファッキン、クソ三役ゥゥゥ!!!』

【手筈しておきました。後は掛かり次第にご報告いたします】

『あー、まったく腹が立つよ! ・・・そうだっ♪ ねぇ、今日は早くに遊び来てよ! オお姉さん、僕をたっぷり慰めて、慰めて!』

【承知いたしました。では。失礼いたします】

『待ってるよォォォ! ……さぁて、じゃぁ、それまで……


 ――次はどの企業で、プレイしようっかなァ!???』






/ SECTION「切っ掛けは衝撃」― end


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