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ここが接点

 【高山 勇気(以下:ユウキ)】という少年があった。彼はある時点まで一学生として平凡な人生を送っていた。何をもって「平凡」とするかは十人十色であろうが、少なくとも彼の生き様はお世辞にもエキセントリックではない。

 彼はそんな自分の平凡さに、誰よりもよく気が付いており、何よりも歯がゆさを感じていた。

(いつか俺の時代がくる……)

 理想を掲げて盲信することでプライドを保っていた彼だが、個が確立しゆく年齢に至るほど、苦悩の時間は増していた。17才になって、あまりに現実的な現実の現実さに、空想を愛する彼は押しつぶされて、その中に取り込まれそうにさえなっていた。

 しかし、天才の閃きがそうであるように――英雄の神託がそうであるように――。

 日常の変化は突然、彼にやってくる。


 ……彼は、ユウキ少年は、『異世界』へとワープした。




<SCENE-1:「翼を得た」と吠えるロバ>


「その時が来たのよ!」と告げられてから、なんだかんだあって自転車に乗った猫と二尻してクネクネ道を行き、ごみ袋のように放り落とされた上で見知らぬ女性のパンツを拝む……。この間、僅か10分17秒。

「よろしくね♪」

「せ、背中がっ! ……え、あ、はい……初めまして……いてて」

 痛めた膝と尻と背中をさするユウキは、ピカピカのオフィス風の床の上でエビ反りにもがいている。その姿を眺めるのはスーツ姿の女性――いや、スーツと言うには、少々文様が派手か。やや変わった服装だが、オフィシャルな場であっても通じる気品がある。

「あらら、ダメじゃないの、デアルさん。あなたが落っことしたから、この子ってばこんなにもがいているわ」

「落としたのではない……落ちたのだ。しっかり掴まっていない方がよくない」

 スーツの女性が話しかけたのは、【夢猫のデアル】。二足歩行で背の高い、自転車の運転が荒い猫だ。

「もう、仕方ないわね……ほら、掴まって、ユウキくん」

 スーツの女性は屈んで手を差し伸べた。対し、ユウキ少年はエビ反りのまま硬直した。

 そもそも、彼は女性に慣れていない。それも年上となれば、ほとんどこれまで接点がなかった。自然に年上と記述したが、それは明らかなことだろう。彼女の仕草、落ち着き、手慣れた化粧具合、香り……全てが物語っている。

 同世代の女子に対しては割と話せるのだが、こうも「格が違う」とばかりに見せつけられると、そりゃ硬直もしてしまうだろう。17才なのだから。

「あ、あひゃりがとう、ござ……ます」

 言葉をかみ砕きながらも、ユウキは彼女の手をとり、半身を起こした。背中が痛ったいが、そんなことも忘れ、つい先ほどまでの自分の無様を認識して脳内パニックに陥る。

 女性はそんなユウキの心情に微笑むと、強い口調で言い放った。

「ユウキくん!!」

「は、はいっ!!」

 いきなりの切れ味鋭い発音に、思わずユウキの思考は冷静さを取り繕う。人間の防衛本能である。彼女の目は発言と同じに鋭くなってはいるが、口元は緩んでいた。

「――自己紹介、やり直した方がいいかしら?」

「……へ?」

「ほら、しっかりなさい! 三度も言わないからね!」

「は、はい!!」

「コホンっ、……私は召喚師のフューラー。あなたのお母さんとかは“ヒュウ”って呼んでくれるわ。まだ、ハッキリと解らないだろうけど……“ここ”はあなたの居た世界とは違う。知らないことばかりで、勝手も解らないだろうから、ここでは私があなたのお姉さん役。だから、気軽に、“ヒュウ”って呼んでもらえると嬉しいかな?」

「……異世界……あ、そうか……え、ヒュウ……さん、ですか? 召喚??」

 ユウキ少年は呆然としているが、次第に実感が沸くことだろう。【召喚師のヒュウ】は「今は安心してってこと。いろんなこと、ゆっくり教えてあげるから」と、ウインクして勇気の頭を撫でた。彼女の手のひらの暖かさが、その笑顔が、ユウキの心を解きほぐす。

「……で、主よ。そろそろ吾輩、還った方が良いのでは?」

 紅茶を飲み終えた夢猫デアルは、自転車にまたがって「早くしろ」のポーズ。

「あ、ゴメンゴメン。そうね、今回は有難うね。無理言っちゃったかな」

「そういう……ズルさはいらんよ? 吾輩、これでもキチンと段取り組んでいる。無理などない。だが、次があるなら、最低でも一年前にはアポイントメントを取ってほしいものだ」

 何処からかシルクハットを取り出し、目線を隠すようにそれを被る。夢猫デアルは「では、失礼する。――アディオース!」と言って、ペダルを踏み込んだ。

 蛇行運転に窓へと浮き上がり、自転車と二足歩行の猫はいずこかへと消えていった。「チリン、リン~♪」とベルの音を残して……。

 キョトンと、ユウキ少年はそのやりとりを見ていた。

「召喚……あの猫は、えと、ヒュウさんが呼び出したの?」

「あら、順応が早いわね。そうよ、デアルさんは私と契約しているから」

「もしかして……魔力とか使って?」

「あら、凄いじゃない。そうよ、大正か~い♪」

 もし、突然に。「現実」とされる世界で生きた人間が異世界へと行き、それまでありえなかった光景が目の前で展開されたとするなら。大抵は狼狽するだろう。初めて外国に行っただけでも、基本的に戸惑う。

 それがこの時、ユウキ少年は目の前で繰り広げられた異常を、「突拍子もない」とは思わなかった。むしろ、それが自然とすら思えた。初見のお姉さんと会話する方がよっぽど狼狽えた。

 どうしてかと言えば、ユウキ少年は常日頃から「空想」に生きており、どちらかと言えば「現実」に疑問を抱いていたからである。そして、偶然にも。彼がこれまで創作物によって得た知識と、“この世界”の単語や光景が似通っていた。まるで、それらが入門書であったかのように。

「ははっ、そうか……すっげぇや……」

「感動させちゃったかしら?」

「そうっスね……そんで、実感し始めました。ああ、俺はやっと―――」


 誰だって、夢を見る。眠りの中で見た夢は、起きると忘れられることが多々ある。

 夢の中で、「早く目覚めてくれ」と思うことは多いだろうか。ほとんどは、それが夢であるかも知らず、ただ翻弄されて、唐突に遮断される。


 稀に、「ああ、これが夢ではないように……」と願う夢がある。

 夢の中で、「これは夢ではないよな」と確かめて、確信して……結局、やっぱり夢であることがある。頬をツネって「痛い」と思ったのに、結局夢のことがある。

 夢の中で終えたはずの宿題を現実でやり直す、夢の中で就労したはずの業務を現実でやり直す。これぞ真の悪夢。

 いっそ夢だからって滅茶苦茶してやろうと吹っ切れることもある。案外そういう時ほど、自由にならないものだが。

 ユウキ少年はこの時に、抱き付こうと思えば隣のヒュウさんに抱き付けただろうし、去る前のデアルの尻尾を掴んで引っ張ることもできた。でも、そんな滅茶苦茶はしない。

 眼が覚めていた。くっきりと、周りが見えていた。ヒュウさんの目尻のカラスの足跡の成りかけも、しっかりと見えていた。

 夢じゃない……ユウキはあまりにも明確で落ち着いたフューラーの姿に、受け答えに、「自分の想像物である訳がない」と変に納得した。夢はその人物の想像と知識の限界を超えない。超えたこの世界は、“夢ではない”……。

 折れかけていた。押しつぶされるところだった。

 空想を描いて現実に否定され続けた少年は、今、この時に感激した。膝も尻も背中も、痛みを感じなくなっていた。

 立ち上がって、「グッ」と拳を固め、天を見る。そして――――彼は叫んだ。


「来たぜ、俺の時代がぁぁああああっっっ!!!

 護るぜ、護ってやるぜ、この世界を――妹をぉぉぉおお!!!

 この高山ユウキがぁっ、選ばれし者の覚醒の時を迎えたのですっ!!!

 ヒュウさん、俺はやるぜぇー! なんたって、俺は勇者だからねっ☆」


 興奮気味に、右腕を掲げ、映画のワンシーンに入り込んだように。大げさなまでの笑顔を光らせ、少し飛び上がる。着地の後に口上を述べつつ、氷上の貴公子を真似てターンを決め、片目を腕で隠す。

 響く自惚れ者の咆哮。それは隣のヒュウさんにとって予想外のものだったらしく、彼女は呆気にとられて苦笑いに彼を見上げた。

(え、俺の時代ってなに? ……もしかして、この子ちょっと変? カナエってば、どういう教育したの???)

 ユウキの高笑いが、呆然とするフューラーに引き攣った笑いを誘っていた。

 彼女が彼のこの先に一抹の不安を感じ始めたその場所。少年の高笑いがやかましいそこに……“異変を覚えて部屋の扉を開いた人がいる”。


 “彼女”の瞳には、氷結したエメラルドのように冷たく、触れがたい距離感がある。

 “彼女”は踊る少年を見て、乾いた排泄物を眺める表情を作った。

 “彼女”にとって、彼への第一印象はたったの二文字であった。


『……ヒュウ。また、オモシロイ物を連れ込んでくれたわね』




<SCENE-2:“嫌悪”>


「・・・―――予め言っておくけど、今現在の私は君を少しも評価していないから」

 左右の窓ガラスから、外の世界が見える。渡り廊下は天空の雲を繋ぐ橋であるかのように、高層ビルと“ソレ”を繋いでいた。

「おおっ、“ロイ”、見て見て! 今まで俺達が居たのって……うっそ、浮いてるじゃん!? え、あれってなんなの、ガラスのサイコロ??」

 廊下を歩く、二つの影。毅然としていて、淀みの無い淡々とした歩行で進むカゲと、ふらふらと挙動不審に周囲を見渡しながら、時折笑い声を響かせるカゲ。

 毅然とした影は女性のもので、それは終始隣に目線を送らず、ひたすら前だけを見ていた。止まることもない。歩調に感情があるとするのならば、少し、それは怒っているのかもしれない。

 対して――

「あっ、ちょっ、待てよぉ! 一人にされたら寂しいだろ、心細いだろ、まだよく解らんのに!」

 その隣でウロチョロする影は男性のもので、度々足を止めては遅れて、駆けて、落ち着かない。歩調云々以前に、どう見たって浮かれている。

「……私はヒュウの……フューラー特佐の指示を全うするけど、それ以上のことは何もしない。君を敢えて死なせることもないけど、勝手に動いて野垂れ死にしたのならば、それはもう知らないから」

 彼女のエメラルドに近い色合いの瞳は、僅かでもソイツが視界に入るのを嫌がっているようで、彼が前に出る度に若干逸れる。ちなみに、この浮かれている男性というのは【ユウキ少年】のことであり、彼らは今、ヒュウの居た場所から移動している最中なのである。

 突然の咆哮でヒュウを困惑させたユウキだが、あれからしばらく経過してもご覧の有様で、少しも弁えない。いわゆる「ハイ」な状態である。

「ガッハハ! 冷たいこと言うなよ、ロイぃ! まぁ、大丈夫さ、俺は君達の期待通りに大☆活☆躍してみせるよ。そんな予感がする――いいや、これは確信だね!!」

「…………フゥッ!」

 翠の眼の彼女は、それまで淀みなかった足を止めた。強い息吹をスタッカートに吐きだし、明確に表情を曇らせている。

 どうしたのかと言えば、それまで越えられない一線であった「物理的接触」をユウキにされたから怒ったのだ。具体的には、「進路を阻害された上でサムズアップと笑顔を見せつけられながら肩に「ポン」と手を置かれる」――という犯行で、痴漢現行犯逮捕待ったなし、の状況と言えよう。

「いい加減にして。君に呼び捨てられるほど、私は軽い存在ではない。君は本日より私の部下となり、私は上司となった。慣れ合わないで、微塵もそのつもりはないから。それと、これから一切私に触れないでください。これは命令よ」

 彼女は眉ひとつ動かさない、曇りのかかった真顔でソイツを睨み、淡々とそう言った。まるでネコ科の猛獣が死にゆく小動物を見下げるような、圧倒的に突き放した感情がそこにあった。

 彼女の――【ロイ=ネフィス(以下:ロイ)】の怒りはごもっともである。いくらなんでも初対面で、異性で、それもはっきりと「上司になる」と言われた人に対して……一方的に呼び捨てるのは社会人として危うい行為である。いや、そもそも確かにユウキはまだ学生だったのだが……。いくら同い年とは言え、あまりにも馴れ馴れしいと言わざるを得ない。

「こ、こわい……」

「……私だって、できることなら喉を傷めるような、こんな声を荒げる行為はしたくありませんよ。でも、今は君が悪―――」

「こわい……けど! 怒った顔も中々カワイイじゃなぁ~い☆ いいよ、だったらなんて呼べばいいのさ、キミのこと??」

「……ネフィスさんでいいでしょう」

「いやいや、硬いなぁ~、間をとってロイさんでおっけー? だってロイの名字言いにくいし」

「――――では、それで」

 ロイはこみ上げる感情を腕の先に集めて拳を形成したが、それを活用はしなかった。さっきよりも早い歩調でズカズカと歩き始めたが、十分に感情を抑えたと評価できる。

「ああっと、そうそう! だったらロイさんも俺の事“キミ”ってのやめてよ。俺は呼び捨てにユウキでいいからさ~、ハッハハハ……そして待ってぇ~~」

「……フゥゥ……」

 ロイは長い溜息を吐いた。額に手をやり、前髪を上げて唇を軽く噛んだ。ストレスが胸の動悸すらイラつかせる。

 どうしてこうなったのか。自分が何をしたというのか。何をもって、この私が、こんな、“見どころが無い”男のお守りをせねばならぬのか……と、彼女は取り乱していた。

 召喚師フューラーの片腕、グループの出世頭、若くして暗部組織“MASKS”を纏める明晰なる少女――ネフィス・ロイをこれだけ動揺させる事案は、ここ最近なかったというのに。

 今日でもう、二回目である。こんなことは・・・。



 ・・・二人が渡り廊下を歩く数分前。

 ユウキ少年は必要な書類にサインを書かされていた。完全に調子に乗っており、何一つ内容を見ずにサインだけを黙々と書いていた。まぁ、実際全て必要なもので、サインして彼が不利になるようなものはそうないのだが。

『――で、ロイちゃんにあの子を頼みたいの♪ お・ね・が・い――ネ?』

 時折「あれ、これって名前二個も書くの?」とかなんとか呟いているユウキを遠目に、ヒュウのウインクが少女に炸裂した。ウインクは召喚師フューラーの最も得意とする技のようで、やたらと使う。効果があろうがなかろうが、使う。

『何が「で」なの? 確かにあなたは私に「旧友から新しい人材を貰ってくる」とは言っていたけど……“アレ”がそうなの? そして、“アレ”の世話を私にしろと? 言わせてもらうけど、“アレ”に私は今現在、何の価値も見出せていないわ。害悪の予感ならあるけど』

 心底うんざりといった様子で、ロイは困り切った顔をしている。彼女の言う“アレ”に向ける表情は蝋人形かと思うほど完璧な無機質だが、ヒュウに視線を戻すと、途端に年齢相応の綻びを見せる。この時ばかりは、少女のスーツ姿は不相応に感じられた。

『あらあら、あなたにしては随分と早計なものね。彼の何を見たのかしら?』

『何って、至極くだらない様よ。早計というけど、情報を集めるまでもない。私の直感が彼を“ダメだ”と告げているわ』

 やや小声での会話だが、もし当人に聞こえれば大分傷つくようなことを平気でロイは発言する。彼女は夢を価値希薄であると嫌い、事実こそ有意義と贔屓する。

『解らないじゃないの。どんなコマだって、動かして初めてその役割が解るものよ』

『ポーンがルークやビショップになると?』

『だから、解らないわ。ナイトかもしれないわよ?』

『……微妙にあなたも不安を感じているようね』

『…………嘘は言えないわ、私のカワイイ助言者様にはね』

『―――さて、ヒュウ。あなたは何を考えている……?』

 ロイは爪を噛んで視線を落とした。数秒の中でこれまでの会話を反芻する。

『回答は出ないわ。あなたの持ち得る情報には、この問題に応ずる上での重大な誤りがあるのだから』

 ヒュウは、両の口角を上げて、微笑んだ。ロイはハッと視線を上げて彼女を見ると、「冗談ではない」と表情の水面に感情を零す。

『このフューラーにとって。唯一無二の友人にして、欠かせない片腕であった“カナエ”はどうなったのかしら?』

『――――【算出者、KANAE】が? ……でも、どうやって? ん、なるほど。つまりアレはKANAEと共に失われた、連れ子の――』

『勝手に計算していかないで頂戴。説明する楽しみってものもあるんだからね!』

『歳をとるほどに?』

『こ、コラー! そんなに離れていないでしょ!』

 思わず取り乱して声を張り上げるヒュウ。その姿を見て、ロイはくすくすと笑った。

『あれ、どしたんすかー? なんかありましたー?』

 部屋の対岸、離れた位置にいるユウキが反応した。彼の前には書類の束が依然、残っている。

『なんでもないわー。それで、どう? 終わりそう?』

『あと数枚かありますねー。ってか、多すぎっすよ! テストでもこんなに名前書かないし。俺の名前がゲシュタルト崩壊っすわ……』

『あらあら、大変ね、頑張ってー♪』

『……ふぅん』

 ヒュウがユウキを軽くあしらっている傍ら、ロイは横目にソレを見た。やっぱり彼女は判然としないようで、訝しげにヒュウへと目線を戻す。

『実際、どうなのよ。コマに例えたくらいだから、私が使えってことなんだろうけど……具体的にアレは何をできるの?』

『ありゃ? 私の友人の子と知って尚、そんな扱い?』

『第一印象ってのは厄介よ。ほら、それを覆せるくらいの何か、あるんでしょ?』

『・・・・・』

『ねぇ、ヒュウ?』

『・・・・・』

『――――ちょっと、ねぇってば。……生きてる?』

『だから、解んないって』

『――ん?』

『私にも解らないのよ。ただ、“彼女が必要となる”と算出したのだから、そうなんだろうなー、と……』

『な、なによそれ……具体的に何がどうなって必要なの?』

『もう! だから、解っかんないんだってばぁ! 私から見た彼は、そこらの平穏な学生そのものよ!』

『それはないでしょ? 私だって暇でもお気楽な立場でもないんだし――あ、ヒュウ! 解ったわ! あなた、“使い方の解らないお荷物の解読を任せちゃおう”って算段なのね!?』

『だから早計だってば! ほら、だってあのカナエの息子で彼女が“この子はヤルわ”って自信もって言うのよ? だったらきっと大丈夫よ、だから、あなたに、ワタシ、アズケル、ショウネン――ヲ』

『目を逸らさないで! それって言いたかないけど、単なる親バカ……』

『それは憶測ですぅ~! お得意の予測ばっかしてないで、実際に使ってみて感想を述べればいいじゃないの!』

『そのお得意の予測が“ダメだ”って言っているのよ!! 大体、私は私の前任者をよく知らないもの! 息子とそのお腹に子を抱えたまま死んだってくらいしか……』

『生きて延々と“算出”し続けていたわ!』

『あっそぅ……つまり、彼女の計算と私の直感――比べて過去の存在を信じると!? その割にはあなた、自信がなさそうじゃないの!』

『解らない子ね! だいたいあなたは、忙しいって言っても、余力を残してるでしょ! 知っているんだからね、片手間にやってるの!』

『私、迷惑かけた? むしろ期待以上を提出し続けているのだから、片手間の何が悪いの? 必要ならベストを尽くすわ』

『んっまぁ!! 堂々と言ったわね、ヒュウさん悲しい! ロイちゃんがこんな我が儘娘に育っちゃうなんて……』

『奔放なのは元からよ!! 昔から、これからも私は変わらないわッ!!!』


『……あ、あのぉ~、すいませぇ~ん。ちょいイイすか??』


 『何よッッッ!! / あら、何かしら?』


 ロイは猛獣のような眼光で、会話に割り込んできた少年を睨みつけた。

 ヒュウは春の陽射しのような穏やかさで、ユウキ少年に微笑みかけた。


『なんかエキサイトしてるみたいっすけど、大丈夫スか? あの、サイン終わったんすけど……これ、どうしましょ?』

 さすがにユウキもこれくらいは理解できるのだろう。恐る恐る、ちょっと猫背に、口を尖らせて慎重なカット・インである。

『まぁ、持ってこなくていいのよぉ。それは机に置いてていいから♪ ご苦労様。それじゃ、今後についてちょっと話があるから……』

 淑女ヒュウは労うようにユウキの肩に手を置き、穏やかに会話を始めた。一方、少女ロイは……普段有り得ないような崩れた表情で硬直した後、赤面して顔を手で覆った。よっぽどの屈辱だったのだろう。「なんてことなの……」と、声になって感情が漏れ出していた。

『――と、いう事で。この子、名前はネフィス・ロイって言うのだけど……今日から彼女があなたの上司になります。解らないこと、不安なこと、なんでも彼女に相談してね♪』

『あ、そうスか。了解~! んじゃ、これからよろしくお願いしまっすー、ええと、ネフィスさん?』

『……はっ!? う、ヒュウ、あなた……』

 完全に隙を作ってしまっていた。ヒュウは少女の無防備な精神状態を見逃さず、その隙に話を進めてしまっていた。ユウキへの刷り込みは完了しており、彼はあまつさえ、握手をしようと手を差し出している。

『あらら、そうそう。ロイちゃんも確か17才だったわよね~。もうすぐ18になるケド』

『お、てことは1個上になるんかな、学年で。でもま、今はタメってことスね~、尚更よろしくっス~“ロイ”!』

『なっ!? き、君! 少しそれは軽薄―――』

『俺は高山ユウキって名前です。まぁ、選ばれし? 勇者? みたいなものなんで。いや、根拠は見せられないけど……やがて運命が、未来がそれを実証する? みたいな感じで!』

 差し出した手をハンドサインに変えて、「ピッ」と額の前で軽く二本指を振る。想像を絶する軽々しさが少女の精神を襲った。

『・・・・・』

 ロイは閉口する。これは、一度落ち着かなければと、行動を一回休みにした。

『そうねぇ、私がユウキくんのお姉さん役なのだから、ロイちゃんは何かしら? あ、私が長女で、ロイちゃんが次女って素敵じゃない? その設定でいきましょう!』

『お~、いいっすね。ロールプレイングって感じしますわ。さっすがヒュウさん、話が解るぅ』

『――それはどうかしら? 私が姉なら、フューラー特位は“母親”の方が適役ではないですか?』

『ぅえっ!?』

 圧倒的劣勢からの態勢回復。ロイは見事にこれを数秒でやってのけ、精神状態を短時間で整えた。予想外の反撃に、ヒュウは言葉を失って素を出してしまう。……これが、ユウキ少年に軽率な発言を許す間を与えることになった。

『あー、ロイ、それ言っちゃダメっすよ。美人セーフってことで。確かに、ヒュウさんの目尻とか首には年齢を感じさせるシ―――』

『あ、バカ!!』

『―――ワがって、え?』

『……何もそこまで言わなければいいのに。越えてしまったわね、クスクス――』

 ロイは堪え切れず、笑った。

『・・・は? ・・・・・あれ?』

 計画通りに事が進むことは、策士にとって何よりも愉悦。

 凡人がパズルを組み上げ、完成させた時の達成感を得る――彼らはそれに匹敵する達成感を得る為に、難解な問題を要するのである。だが、今回ロイが組み上げたパズルは、難度よりも「逆襲」の喜びに満ちたものだった。


 ユウキ少年が気付いた時。彼の足元には、黄緑色の蛍光塗料に似た光で描かれた、奇妙な文様が形成されていた。

 文様は外周に描かれた円をもって完成となり、その大きさは、中心に立つユウキが反復横跳びをしてもはみ出せない程度の半径がある。


『望む枝葉は彼方の母性――

 幻影の雲間に潜みし迎合の隠者よ、実を開き給え

 貴女を求むる娘は、ここにある――


 大安霊廟、雲海に栄える貴女の手足を、我が問いに―――― 召、喚 』


 確かにそこは、金属製の床。ピカピカの、鋼鉄。様々な攻撃に耐えうる、強固なシェルターの床だ。

 しかし、なんとも奇妙な。その不可侵な床から突如として無数の“ツタ”がニョキニョキと伸びる。それらはユウキ少年の身体に纏わりつき、彼を宙に浮かせるほどの茂みとなったのである。

『ああっ!? なにこれ、なにこれ、どういうこと!?』

『サモン、アウラン――私は拒否し、宣言する。私は絶対、“長女役である”と。お肌はスベスベ、髪はツヤツヤ……それを解せない愚か者に――アウラン、仕置きを施そう』

『あああああ!? しめ、締め付けられるぅ!? 絞められちゃう!? あ、ダメ、痛みが……いや、ちょっ、太ももが痛いの、やめ、ちょっ――――』



 “ 誰かっっっ、助けてぇぇぇぇぇぇ!!!!! ”



 扉の先。部屋の中から、ユウキ少年の喘ぎ声が微かに聞こえた。ロイは締め切った扉の外で、中の様子を容易に想像し、理解している。

『――ま、少しは気が晴れたけど……変わらないのよね、現状は。参ったわ……これで少しは大人しく、自分の立場と力ってのを解ってくれればいいのだけれど……』

 肩を竦めて溜息の少女、ロイ。彼女が室外にて数分の時を待機した後……。

 静かになった部屋に入る。そこには穏やかな笑みのヒュウが『いいのよ、もう怒っていないから』としらじらしく男の背中を慰めており、『完璧に理解しました。間違いが解けましたよ、ヒュウ姉さん』と土下座している少年の姿があった。

(……相当堪えたようね。これなら……)

 その様子を見て、ニヤリと微笑むロイであったが―――




<SCENE-3:ここが接点>


「おぅい、ロイさんってば、ヤバいよ! ヒュウ姉さんの居るでっかいのが動いている!! すげぇ、何あれ四角いUFO??」

 絶景の渡り廊下に風が吹き込んでくる。ユウキが指摘しているように、確かに先ほどまで彼らが居た“建造物”は動き始めていた。5階建ての横長いビルがゴウゴウと唸りながら、空を移動しているのである。初見であれば誰でも驚くだろう。これに関しては、ユウキ少年に非は無い。無い、が……。

「――少し、黙っていて。私は騒がしい存在が嫌いなの」

 怒っている。やはり、ロイは怒っている。ヒュウの仕置きによってユウキが良い方向に変化するかと思っていたが、願い虚しく、精々がヒュウの呼び方が変わったくらいでしかない。

 孤高の天才少女として、家すらも離れて己の世界を重視してきたロイ。心の縄張りを極度に広く取り、実際にそれを保持するだけの振る舞いを保ってきた。これを無視してよいのは、唯一人、ヒュウだけであったのに……肩を触られた事、実は相当に深く悔やんでいる。


 渡り廊下を経て厳重な扉が彼らを阻む。ロイは表と裏に金貨が描かれたカードを取り出すと、それをセンサーに当てた。扉が開き、赤絨毯のフロアに出る。絨毯にも、黒くはあるが、ロイのカードと同じ模様が描かれている。

 扉が閉まれば、飛行戦艦の轟音も完全にシャット・アウト。カードキーの所持がなければ、まず、開けないものである。

 フロアに入り、ロイは毅然とした風貌と、冷たい瞳を取り繕った。彼女はこの施設の最高責任者。自分の立場に大した感情も持たないが、ヒュウから預かったものである。責任は果たしたい。

「はえぇ~、足元フッカフカ。それになんかイイ匂いがするなぁ……香水?」

 変わらず黙ってくれない……本人はそれでも静かにしているつもりの少年を背後に、いちいちロイの繕いは崩れそうになる。しかし、感情を隠す術に彼女は長ける。「ついてきて」と言い放つと、ふかふかの廊下を歩き始めた。



 ――手痛い仕置きを受けたが……ユウキはへこたれてなかった。いや、それどころか更なる上機嫌になってすらいる。

 改めてヒュウが見せてくれたことに、悲鳴を上げながらも感動したし、空を飛んでいった巨大な何かにも感銘を受けた。ああ、自分は“特別な場所にいるのだ”と思い、それまでの人生と比べてその平凡さを笑っていた。――傲慢である。


 それに世話係がヒュウだったなら、正直ここまで軽い気持ちになれなかった。

 年上の女性は、やはりユウキ少年にとってはハードルが高いのだ。未知すぎるものであり、危険なのである。

 それが、どうだろう。正確には1個上だが、大体同い年の少女ならば――。


 武術の実力者は、見ただけで相手の力量を知ると云う。それは高い実力の証明であり、「未然に危機を防ぐ」武の理に繋がる。

 何も武術だけではなく、そう言ったことはあらゆる局面、職業で有り得る。料理の素人とプロでは、同じ料理の風景を見ても思うことが違うのだ。

 ――逆を言えば。大したことない人間ほど、そういったことがまるでできない。勘が利かないと言うべきか、危機を回避するだけの価値が無いということか……。


 ユウキ少年が少女ロイにとっている行動、態度。これはつまり、そういうことである。そして、仕組みを知っているロイからすれば、だからこそユウキに期待できない。「謙虚」が尊ばれるのは、何もモラルだけの話ではない。こんな時に、自分のためになるからだ。



 ――しかし、そんなユウキ少年も、さすがに畏れて黙ってしまった。

 何にかと言えば、ロイと廊下を歩いていて鉢合わせた、“巨漢”に対してである。


 それは白いローブを身に纏い、金属のマスクも付けているので、チラチラと目元くらいしか見えない。ローブの隙間から見えるのは、これも金属質な――おそらく、“鱗”のようなもの。それがどうにも、顔面以外の身体を覆っているらしい。両肩には対になる“表裏の金貨”の刺繍……。

 シルエットにして白い三角形のその巨漢は、二人を見下ろしてしばし沈黙していた。

 緊張して強張るユウキを横目に、ロイはどちらにも解らないように、心の中で嗤う。


 巨漢は何度か二人を交互に見た後、「ふぅむ」と小さく唸った。


『かように疲弊した助言猫は未見である。興味が沸くではないか――小僧、何者か?』



 威圧感があった。その巨漢との出会いは、ユウキ少年にとって異世界で体験した、初めて純粋な……「恐怖」である―――。





 COINS-STORY AGE・ZERO

 SECTION「ここが接点」― end


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