86 重なる黒色
そういや、しばらくまともな飯食ってないな…。氷雪大地を何日も進んでた時も、非常食みたいなモンばかり食べてたし…。
ぐー、と腹の虫が鳴くのを俺は空の上でしみじみ聞いていた。ウィルに乗せてもらって砂漠を目指すことになったわけだけど、…これもう非常食どころか何も食えなくなるんじゃ、と危機感を抱く。
だってもうパリパリに乾いたパンと肉も僅か数日分しか残ってないし…。まさか砂漠に食べられるものがあるとも思えないし。
ぎゅっとしがみついてるウィルの背中を見ながら思う。やっぱりどっかの町に寄ってもらってからにすりゃ良かった。いや、今からでも間に合うか?
「なぁ、ウィル…」
『すてーと!モウスグ砂漠!砂嵐、気ヲツケテ!』
「あっハイ」
今更言えないよねー、うん。俺はそっとローブについてたフードを被りながら、ウィルに聞こえないように小さくため息をついた。
*
バームス砂漠について、俺は別にめちゃくちゃ調べたなんてことはない。シャハンの出身地であり、大陸から魔界へ繋がってる場所であり、暑い所。そんなイメージしかないわけなんだけどさ。
ギュオ、とウィルが下降し始めると突然空気が変わったのが分かった。ブワッと熱風が吹きつける昼の砂漠!うわ、なんかジリジリしてね?あの向こうなんて…視界がユラユラしてるんだけど?これが砂漠か!
そういや時間を気にしてなかったけど、もう昼なんだな。くっそ、暑い!試しに短剣を出してリウを発動し、氷の短剣なんて作ってみた。…すぐに溶けました。儚い…。
眼下に見える景色はどこまでも続く黄色の世界。サラサラの砂の山がどこまでも続いてて、はるか向こうまで何もない殺風景な世界だ。ちらほらと見えるのは大きなサソリみたいな魔物や、低空を飛ぶガチガチした鳥みたいな魔物だけ。
いや、あの緑色は…噂に聞くサボテンとやらか!砂の世界にときどき小さな緑色が見えるな。確かトゲトゲしてるんだっけ、とウィルの背から落ちそうになりながら凝視してると…、サボテンと目が合った。…え?
サボテンって、目があるのか?あれ、じりじり動いてるよな?ギシ、とサボテンが『笑った』かと思うと…うわっ!
―――シュッ!
「うわぁっ!?」
な、な、何かサボテンから飛んできたんだけど!手にしてた短剣で咄嗟に弾く!弾いたそれが落ちていくのを目で追うと…針か!あのサボテン、針なんて飛ばすのか!何それ恐い!
砂漠から目を逸らしてぎゅーっとウィルにしがみつく。俺が力んだのが分かったのか、頭の中にウィルの声が響いた。
『すてーと?』
「さ、サボテンが笑ったんだ…そんで針を飛ばしてきて…」
『…すてーと、…ソレ、マモノ』
「ですよね!」
とうとうウィルにも呆れられた俺はもう笑うしかなかった。どうせ魔物だろうなって思ったよコノヤロウ!ああもう塔だけ見つけりゃいいんだろ!地面なんて見ないし!砂漠なんて見ないし!
力んだまま遠くを見つめ出した俺を知ってか知らずか、ウィルがバサァッと翼を大きく羽ばたかせた。
『マモノ、恐イ?』
「…そりゃ…まぁ…」
『大丈夫!オレ、修行シタ!吹雪、砂嵐、マモノ、ヘッチャラ!オレ、すてーと、守ル。オレ、すてーとニ助ケラレタ。オレ、すてーとヲ助ケル』
深緑の飛竜はグォォッと小さく吼える。勇ましいその姿に、空を飛ぶ魔物もそそくさと逃げ出した。…俺が氷雪大地を目指してた間に、ウィルはどんな修行をしてきたんだろうか。随分逞しくなってる気がする。
…ウィルは『頑張ル』が口癖だったよな。俺みたいに、もともと力が込められた装備を探してパワーアップしたり、昔の人たちの力を吸収して強くなったわけじゃない。短期間に血の滲む努力をしたんだろうな…。
そう思うとちょっと申し訳なくなった。ウィルに苦労させたこともそうだけど、俺はやっぱり何もしてない気がしたから。思い返せば巻き込まれてばかりだったよな。
俺が旅立つきっかけになったことだって、俺が旅立ちたいと思ったんじゃなくて『旅立たなきゃならなかった』だけだったんだし。…その全ての始まり、聖剣はこの近くにある。
ケリをつけないとな。聖剣を何とかしてから……俺はノイモントからこの世界を守ろう。俺が守りたいから守るんだ。…もう、巻き込まれて強制されるんじゃない。
「…ウィル、あのさ」
ヒュゥ、と熱風を裂いてウィルは飛ぶ。そこまで酷くなかった砂嵐もだんだん厳しくなってきた。口の中に砂が入るのを感じながら、俺は少し力を抜いてウィルに声をかける。
「俺も、頑張る」
『…!頑張ル!』
ウィルが大きく吼えて砂の世界の上空を飛ぶ。力強く羽ばたくその翼に以前にはなかった小さな傷が見えて、俺はそっとウィルの背の鱗を撫でた。
*
無限に続いてるんじゃないかって砂漠にくらくらして、感覚もマヒしそうになった頃。ずーっと遠くの砂の山の向こうのユラユラ揺れる視界、そこに空へ向かって伸びる棒のようなものが見えた。
灰色か白に見える、空へと伸びたそれを最初は蜃気楼か何かだと思った。けど、ウィルがそこへまっすぐ向かっていくのが分かってなんとなく察する。
聖剣は塔になった。その言葉がどんな比喩なのか、とも思ってたけどそうじゃないらしい。言葉通り、だったんだ。
『すてーと!向コウ、大キナ何カガアル!不思議ナ気配…強イ、チカラ…』
「それだ!ウィル、あの塔に向かって飛んでくれ!」
ヒュオォ、と聞きなれた飛竜の了解の返事に俺は頷く。恐ろしい速さで砂漠の上を飛ぶ俺たちに、ただ眩しい光が照り付ける。じりじりと内側から焼かれてるような暑さも、一度集中してしまえば感じなくなってくる。
やがて近づいてくる塔の姿に、俺は黙りこんだ。遠くに見えていた細い棒のような塔は、近くに行くほどに…まさに立派な『塔』の姿になっていく。
灰色の外壁は、俺が今まで見てきたどんな建物よりも高く空へ伸びる。光に反射するたびに違う色のように見えて、ギラギラとおかしな光を放つ灯台のようにも見えた。
ココムの塔とこの塔を比べるなら、ココムの塔はボロボロの家。けどこの塔は、無機質さと奇妙さを静かに湛えた厳かな要塞。装飾も何もない一本のチョークみたいな外見なのに、触れてはいけない気配を感じる。
「ウィル、あの塔の一番上まで飛べるか?」
『…ソレガ……結界、アル。コレ以上ハ、オレ、飛ベナイ…』
それでもウィルはかなりの高度を保って飛んでいる。俺が今落ちれば即死するだろうって高さなんだけど、塔はもっと高かった。…こんなの、俺たちが地面に伏してるのも変わらない。それほど塔は、…バカみたいに高い。
どうせ入り口があるのは分かってるんだ。ないなら壁を壊して穴を開けてやる!塔の周りを見下ろすと、ちょうど塔を囲むように足場があった。砂場にニョキッと生えてるんじゃなくて、塔の周りは不思議に光る石の地面がある。
その地面さえも、塔の外壁と同じように灰色に輝いていて不気味だった。明らかに砂漠にはふさわしくない、異質なものだ。
砂の地を歩くのは骨が折れるだろうけど、ご丁寧に石の地面があるなら好都合だ。ウィルにそこで降ろしてもらうことにして塔へと急ぐ。
塔の傍、あの不気味に光る石の地面にウィルが舞い降りた。少し近くに魔物がいるけど、大きな体のウィルを警戒しているのか近寄っては来ない。ウィルの背から身軽に飛び降りると、ちょっと足がじぃんとした。
案の定、近くで息を潜めている魔物達は俺に狙いを定めているらしい。まだ俺はウィルの傍にいるけど、あともう少し離れたら魔物が一斉に襲ってきそうだ。短剣、両手に装備しとかないとな…。
少しも疲れを見せないウィルが、きゅるっとした目で俺をじっと見ていた。満足に労ってあげられないけど、その体を撫でるだけでもウィルは喜んでくれるから可愛いやつだよな。
「ウィル、ありがとな。今から俺、あの塔に行ってくる。お前は…どうしとく?」
『オレモ、何カ…デキルコト…』
「…そうだな、じゃあこの塔のこの辺りで待っててくれよ。大丈夫、できるだけ早く帰ってくるからさ!魔物には気をつけろよ?」
よしよし、とごつごつした鱗を撫でる。きらきらと美しく輝く飛竜の体はやっぱりかっこいい。旅を始めた時はまさか自分が飛竜に乗るなんて思ってなかったぜ…、ほんと旅って何が起きるか分からないんだな。
それが面白味でもあるんだけど、と一人で考えてたら。ウィルがバサァッと大きく翼を広げた。おぉ、絵になる!枯れ果てた砂漠にワイバーン!昔話の挿絵にでもなりそうな光景だ。
『オレ、ココ、守ル!すてーとヲ、待ッテル!』
「おう、頼りにしてるぜ!退屈になったら帰ってもいいからな!」
『帰ラナイ!待ッテル!』
「あっはは、犬じゃないんだからさ」
大きく翼を広げた姿は魔物たちに対して十分な威嚇になったらしい。俺が塔に向かって歩き出しても、ウィルは翼を広げたまま辺りを強く睨んでいた。…ウィルを待たせっぱなしにならないように俺もさっさと戻らなきゃな。
しっかし、この塔の内部はどんなことになってるんだろう。この塔そのものが聖剣だっていうなら、どうやって元の『剣』に戻せばいいんだ?さすがに塔ごとお持ち帰りはできねーぞ。
塔の入り口はすぐに見つかった。扉はなく、大人の体格がいい男性でも十分通り抜けられる入り口だ。もう砂漠とウィルを振り返ることなくまっすぐ前を向いて、俺は薄暗い塔の中へ足を踏み入れた。
*
不思議なエントランスが広がっている。円状の大きな部屋、ただそれだけだ。壁際に階段でもあるのかなと思って見回しても、階段どころか梯子もない。天井はあるから、上にも階はあるんだろうけど…どうやって登ればいいんだ?
俺が足を踏み入れた塔の一階、その床には九つのパネルがある。それぞれ別の色にピカピカ発光して、ご丁寧にパネルの番号を示す数字もある。…あ、読めたぞ!
これはアレだな。例えば『1』のパネルに乗れば、対応するどこかの階に転送されるんだ。どのパネルに乗ればどこに着くのか、なんて分からないけど…。…って、ちょい待ち。
もしそうなら、このパネルには転送魔法がかかってることになる。俺、魔法を受け付けられない。俺、移動できない。おしまい。…………早くも詰みじゃねぇか!
「…本当にここまで来てこれとか俺って…」
独り言に返事をしてくれる奴は当然いない。床のパネルだけが光る、薄暗いこの空間で俺の声だけがもやもやと響く。パネルを睨んでみても何かが変わるわけで無し。あぁくそ、どうしてこうなるかな!
無性に腹が立った俺はビョーンと飛びあがって、思い切り上からパネルの一枚を蹴りつける!
「でぇぇいッッ!!」
―――フォンッ
…あれ?なんかフォンッて…?と、そう思った瞬間、視界が真っ白になった!うお!?…って、あれ。真っ白になったかと思えば、次に気が付くと俺は呆然とパネルの上に乗っていた。…けど、足元のパネルは一枚だけ。他のパネルはない。
そういや、部屋の内装もさっきとは違うぞ?さっきの部屋は床にパネルが九つあるだけの部屋だったけど、この部屋には真ん中にテーブルがある。ロウソクの灯っていない燭台もある。…この部屋は何だ?
つか、もしかして俺、ちゃんとパネルに転送された?試しにもう一度パネルを強く踏むと、短いフラッシュの後にまた1階のパネル部屋に戻されていた。…機能してる。俺、トルメルなのに。
…そうか、ここは聖剣が形を変えた塔だ。聖剣は神から与えられた、魔を退ける物。…もしかしたら、聖剣に込められているのは魔力とは違う…神の力なのかもしれないな。
もし俺の体質が『魔力だけ』を受け付けないのなら、『それ以外の力』は受け入れるだろう。きっと聖剣は魔力とも違う、別の力が働くようになっているんだな…。
本当のところは分からないけど自分なりに推測して納得すれば、もうそれでいいかなって思えてくる。遠慮なくパネルを踏んで探索してみるか。
まずはさっきの部屋に戻ろう。踏んだパネルは『4』。あのロウソク部屋に戻ると、薄暗い部屋の中で燭台がぽつんと待っていた。…いったい何を意味するんだろう。
部屋をぐるっと見回すと、他には何もない。壁もただ灰色。窓もないのに少し明るいのは、壁自体がぼんやりと光を放っているからだ。
…このロウソクに火を灯してもいいものなのか…。もし火をつけた途端、魔物がバババッと現れたりしたら?泣くぞ?大泣きだぞ?…けど、魔を寄せ付けない聖剣に魔物が住んでるわけないか。
そうと考えれば、相談する相手もいないしさっさとろうそくに火をつける。あらま、ご丁寧にマッチまで置いてくれてるんだな。
シュ、と灯った火をロウソクに灯す。なんだ、普通だな。部屋がほんのり明るくなったってぐらいで……、と壁を見たとき。壁にボワ、と絵が映った。いや、映像か?ロロターナの武闘大会で見た映像転写のように、映像が壁に流れ始める。
その映像は、小さな村の子供のはしゃぎ声から始まった!うお、びっくりした!音まで流れるのか!な、なんだよもう脅かしやがって!
きゃはは、とはしゃぐのは小さな女の子。その傍で木の枝をぶんぶん振り回しているのは、その兄らしき男の子。二人とも綺麗な黒髪だ。男の子は父親らしき人に剣術の稽古をつけてもらってるみたいだ。
ただ何度も父親に負けて、妹らしき女の子に笑われてる。それでも男の子はめげずに父親に立ち向かっていった。…田舎の村だろうな。場所は森の傍の広場だろうか。
やがて家から綺麗な女の人が出てくる。母親、か。彼女を見ると兄妹は喜んで飛びつきに行った。…幸せそうな家族だ。…ちょっとだけ羨ましくなる。
けれど映像はすぐに切り替わった。次の映像は…、田舎に押し寄せた魔物の群れ。逃げ惑う村人、傷つく村の男の人たち。あの男の子の父親は、男の子と女の子の前で剣を振り回して戦っていた。
…離れた場所で、あの母親らしき女の人が倒れている。…血が、流れていた。やがて父親も力尽きたみたいで…、膝を折ったところを…魔物が襲い掛かった。
男の子は強かった。そんな光景を前にしても、妹の前で泣かずに魔物を睨んでいる。…すげぇな。逃げないんだ。男の子は父親の手から剣を取り、妹を庇うようにして魔物に対峙する。
けど、魔物が兄妹に襲い掛かる前に誰かが間に入ってきて兄妹を助けた。すぐにその人は魔物を鮮やかな剣術で打ち倒す。おじさんというには少し若い、男の人。…鎧から見ても手馴れの戦士みたいだ。
兄妹を安全なところに隠すと、戦士は一生懸命戦った。魔物の群れが去った頃、あの男の子が戦士に大きく頭を下げる。戦士は旅人だったらしく、男の子は彼に弟子入りすることになる。
戦士は兄妹を安全な街へ連れて行き、信頼できる教会に女の子を預ける。そして男の子の修業が始まった。…男の子は一度も泣かなかった。
やがて男の子は立派な青年に成長し、師匠のもとから巣立った後も世界中に現れる魔物から人々を守るために戦っていた。いつしか勇敢な彼は『勇者』と呼ばれ、仲間も増えていった。
もうこの辺りで俺も気づいた。…この青年があの勇者、ルキスだ。やがて彼と仲間たちはいろんな場所を冒険し、あの聖剣を手に入れて魔王城を目指していくことになった。
そこで映像は終わりだ。
…勇者ルキスは、特別な生まれじゃなくて普通の人だったんだ。家族を奪われた後も復讐に染まることなく、ただ大事な人たちを守るために戦い続けた勇者。…物語の中の人物が、目の前で動いていた。
俺は不思議と納得してしまった。これが勇者の器だったんだな。カミサマも、こいつになら力を託していいって思ったんだろう。
ロウソクは消えていた。ルキスの過去をこんな形で見ることになるなんて、な。ルキスの凛々しい表情が、実際に会ったことがあるように頭の中に焼き付いてる。…俺たちの勇者は立派な人だったんだ。
パネルを踏んで1階に戻る。それから他のパネルも何枚か踏んでみたけど、同じようにロウソクがある部屋もあれば何もない部屋もあった。ロウソク部屋はやっぱり、火を灯せばルキスの過去を見ることができた。
最初に見たものよりはどうでもいい映像だったけど、仲間たちと楽しそうにするルキスの記憶や、仲間との別れや苦しみの記憶もあった。
…勝手に人の記憶なんて見ちゃっていいんだろうか、と思いながら次のパネルを踏む。フォン、と音がして次の部屋へ。……だけど、その部屋はロウソク部屋ともカラの部屋とも違った。
四方八方、部屋の壁にはぐるりと棘が突き出ている。当たったら痛いじゃ済まなさそうな鋭く大きい棘に、思わず冷や汗と引きつった笑みが出た。な、なんだかお部屋の雰囲気が随分違うじゃねーか。
「…戦うための部屋って感じじゃねーか…」
こりゃ、何か出るな。しっかり武器を装備し、全方向へ神経を尖らせる。…誰だ、何が出る。…どこかに潜む僅かな殺気を感じる。俺の背中を、グッサリと突き刺しそうな…。
「後ろか!」
――ガキィン!
ビンゴ!後ろに振り向きざまに短剣を構えた瞬間、何者かが部屋の隅の暗がりから飛び出てきた!相手の武器はサーベル。リーチは相手に利がある、と分析してから飛び退ると息をつく暇もなく追撃がやってくる。
黒のフード、黒のローブに完全に身を包んだそいつは、慣れた手つきですばやく剣を繰り出す。けど、俺だって遊んでたわけじゃない!ちゃんと防ぎ、かわし、避けて弾いて!ほら、渡り合えてるぞ!
ニコラに比べりゃ雑魚だ雑魚!そう言い聞かせながら相手と距離をとる。…もちろん本当に雑魚なわけがない。下手すりゃアッサリ俺なんて殺せる、それぐらいの実力はお持ちのようだ。
「…剣を包め、リウ、ラエア!」
俺の右手の短剣が鋭い氷に、左手の短剣が燃え盛る炎にコーティングされる。剣を持つ俺には熱さも冷たさも伝わってこないけど、これは紛れもなく本物の炎と氷だ。相手だって厄介に思うに違いない!
いや、そもそもこいつは何なんだ?塔の防衛システムか?…それとも、俺より先にもぐりこんでいた何者か、かもな。俺は短剣を前に構えたまま、相手に声をかける。
「よぅ、無駄な争いは好きじゃねぇんだ。アンタ、何者だ?何しにここに来た?」
「……奇遇だな。俺も無駄な争いは嫌いだ」
低く、どこかしゃがれた声だ。さしずめ冒険家か、突如現れた塔にお宝を求めてやってきた盗賊のオッサンだな。…けど、なんでだろう。どっかでこの声、…聞いたことがある気がするんだけど。
いや、気のせいだ。剣を構えなおし、俺はニィッと笑ってみせる。
「盗賊か?ならここはやめとけよ、何もないと思うぜ」
「……てめぇこそ、騎士に捕まっても懲りねぇんだな、ガキ。二年とそこらで俺の声も忘れたか」
「…はぁ?」
…今こいつ、何を言った?…俺のことを知っている?唖然とする俺の前で、そいつがフードを脱ぐ。その下に現れたのは……俺が心の片隅にいつも置いていた、あの行方不明の野郎だった。
くすんだ灰色の髪、深い傷の入った顔、黒の眼帯と目つきの悪さ。顎のひげをさする仕草が、幼いころの俺の脳裏にしっかり刻まれている。
「……てめぇ…アルバート…!」
アルバート・イグジー。幼いころの俺を育てた主。俺に盗賊の技をすりこみ、王都で最も有力な盗賊団をまとめ上げたボス。…俺がニコラに捕まってからは王都からトンズラし、後から聞いた話じゃ盗賊団も解散させたという…俺の元・主。
そいつが今、こんなところにいる。…どういうことだ?何故アルバートのクソ野郎がここにいる?…今はフリーで盗賊稼業か?だとしても、何故ここで、
―――キンッ!
「っ、不意打ちなんて卑怯だぞ!」
「随分牙の抜けた顔だな、ガキ。俺の教えたことも忘れたのか?」
アルバートの剣が俺の頬を掠めた。すんでのところで避けたけどかわしきれず、頬にチリッと痛みが走る。…チッ、こんなとこで会いたくなかったぜ。すぐに素早い追撃が始まる!
「1、相手に心を許すな」
剣が足元を薙ぐ!上へ跳びあがった瞬間、奴の左の拳がブンッと俺の頭めがけて唸りをあげるのを、なんとか体を捻って避ける。
「2、無駄話をするな」
避けた先、不安定になった体勢を奴は見逃さない。俺の体を蹴っ飛ばす!やべ、と思った時には迫る棘の壁!慌てて短剣を地面に突き刺して棘の壁に激突するのを回避する、けど…!
「3、卑怯・卑劣も技の内」
一瞬地面に伏せた俺をアルバートは恐ろしい速さで追う。ザリ、と足音が聞こえた直後にはもう、俺の背中に強い衝撃が走った!
「…が…ッ!」
「これなら2年前のテメェの方が優秀だ。なんだそのツラは。随分ニンゲンに近づきやがって」
「……てめ、…まさか…」
俺の背を踏みつけるアルバートは、さらに力を入れて俺の背を踏む。くっそ、吐きそうだ。ただでさえカラッポの腹が余計に痛い。…やべぇ、頭が鈍ってきた。
なんとかアルバートを睨みつけると、今度はアルバートが空いてる腕で俺の頭を地面に押し付ける。非情で低い声が、部屋の中に響く。
「4、自分より上の者に逆らうな」
「…あッ!」
くっそ、頭かち割る気か!短剣を手放してアルバートの足を掴むと、俺は必死に叫ぶ!
「凍てつけ、リウッ!」
「…チッ」
けど、リウが発動する前にアルバートは俺の腕を振り払い、一度俺から距離をとった。すぐにエスイルで傷を治し、俺はふらふらと立ち上がる。…痛みが取れても不快感は消えない。くっそ、最悪だ。
俺とアルバートは、育ての親と子供と言うよりただの主従関係だった。俺はこいつに従うだけの生活。まともな会話はしなかったし、そんな語学力も身につけてなかったからな。
だからアルバートがこんなに俺と話すのは初めてかもしれない。…俺が捕まったあの日も、ただ指令を突きつけてどこかに行っちまってたし。
綺麗な思い出なんて決してなかった。…ただ、ガキの俺をこいつが拾ってなかったら、俺が今も生きていたか分からないってだけで。…当然、感謝なんてこれっぽっちも考えてねぇけど!
アルバートはすぐに仕掛けてくる気配を見せてない。…話し合うなら今の内に、だな。
俺は剣を今度こそ強く握ってアルバートを睨んだ。
「アルバート、何でここにいる」
「俺が聖剣を盗んだからだ。…元より俺は魔王の手下だ。人間をまとめて盗賊団なんてしていたのも、ただの暇つぶしに他ならなかった」
「……やっぱり、お前は…」
もう、俺でも察してる。アルバートは証拠を見せるように、髪を耳にかける。髪に隠されていた耳は魔族独特の耳。…尖った耳だ。今まで疑いもしなかったぜ、アルバートの野郎が魔族だったなんて。
かつて盗賊団にいた奴らだって誰も気づいてないはずだ。それまでに、アルバートの立ち振る舞いは完璧だった。…そして、アルバートが魔族なら聖剣を盗んだことも説明がつく。
「アルバート、あんたは盗賊団として王都に長期間潜伏し、盗賊業の傍らで時間をかけて聖剣や王城について調べて回っていた。いい頃合いになって、俺を捨てたのはアンタだ。
俺はミスをして騎士に捕まったんじゃなくて、アンタが情報を垂れこんでいたんだ。それも、二年後への伏線だった。俺は当時、仲間内では一番盗みの技が上手かったからな。
…二年後、あんたは聖剣盗難の犯人を俺に仕立て上げた。盗賊団から俺を放出したのは、俺をスケープゴート…生贄にするためだったってわけだな」
「前科のある盗賊のガキが再犯をしたって言うなら誰でも納得する。ガキ、てめぇの存在はちょうど良かった。……が、」
サーベルがまっすぐに俺に向けられる。今にも俺の胸へと投げつけられそうな切っ先に、思わずごくりと喉が鳴った。
「まさかトルメルだとは夢にも思わなかった。新魔王から連絡を受け、初めて知った」
「知ってたら殺してた、ってか?」
「当然だ」
…もう話すことはないらしい。俺も、もう確認することはない。聖剣を盗んだのはアルバートだった。そのアルバートは魔族で、ずっと前から王都に潜伏して機会をうかがっていた。俺は生かされたんじゃなく、気づかれなかっただけ。
俺がトルメルだと気付かれなかったから、利用されて生贄にされただけだった。…たった、それだけだった。
寂しさなんて感じてない。アルバートが俺に愛情なんてものを持って接したことなんて一切なかった。最初から最後まで道具の一つだった。それが分かれば…やりやすい。
短剣を手が痛くなるほど強く握る。…アルバートは本気だ。俺をこの聖剣の塔のさらに奥へと進ませないばかりか、ここで殺すつもりなんだ。躊躇いもない殺意にはいっそ尊敬さえする。…けど、俺だって死ぬわけにはいかない。
―――…例え、自分を育ててくれた人を殺すことになっても。
ぎろりと俺を睨む目は昔と変わらず、幼い俺はあの目が怖くて任務を遂行していた。決して優しくなんてされないと分かって、どこかで期待をしてた。今日までずっと、期待をし続けていたのかもしれない。
けどもう、ここでおしまいだ。俺が終わらすべきなんだ。…もうあいつに、怯える日はおしまいだ。
外はあんなに暑かったのに、塔の中は嘘みたいに涼しい。…そんなことが気になるなんて、ダメだな。全然集中なんてできてねぇ。倒さなきゃ前へ進めないのに。アルバートを越えていかなきゃならないのに。
「…ガキ、観念しろ。口では何を言おうと、俺は何年もお前を恐怖で縛っている。たった2年でそれが消えるわけないだろう。大人しくしていれば、すぐに殺してやる。痛みも感じないほど一瞬でな」
「…冗談!誰が何に怯えてるって?俺だって、てめぇみたいな根性腐った盗人魔族野郎なんざ…一発で…」
今更あの目が焼き付いて離れない。ミスって叱られるときはいつもあの目があった。…あぁ、くそ、震えんじゃねぇよ俺の足!さっきまで俺のものだった足も手も震えてきて、覚悟まで脆く揺らぐ。……焦んな、落ち着け、あぁ、くそ…!
「…もういい。ガキ、最後に祈りでも上げるんだな」
「……くっそ……この……!」
ダメだ。剣が迫ってくる。アルバートが俺を睨んでる。目が、俺を追う。逃げても無駄だと頭の中で声が響いてる。あの剣は昔みたいに、俺を切り付けて、ぎりぎりまで傷つけて、泣いて謝っても無駄だと刻み付けて…。
まっすぐ心臓の位置。俺の絶えない鼓動にサーベルが突き刺さる。呆気ない終わりが、静かに訪れるんだ。
…と、思ったのに。
俺の心臓はまだバクバク言ってる。アルバートは剣を突き出した姿勢のまま、呆然と立ち尽くしていた。けどその手にサーベルの刃は…ない。…何が、起きた?さっきの間に、何が…?
戸惑いは続かなかった。突然俺は、後ろからガシッと力強く誰かに抱きしめられる。…腕。片腕が俺を抱き、そいつのもう片手に握られた巨大な剣がアルバートのサーベルを叩き折っていた。
ふわ、と懐かしい匂いがする。…死ぬ前の酷い嘘なのかって気がしてきた。俺は温かく力強いその腕に、少しだけ背を預ける。また、ふわっと懐かしい匂いがした。
「…長い間、一人にさせて悪かった」
「…あっはは…、お前は俺の保護者かよ…」
聞き慣れた声は酷く懐かしく聞こえる。この低い声はどうして俺を安心させるんだろう。そいつの片腕の力は、俺が苦しくなるほど強い。短剣を捨てて、俺はその腕に触れた。………嬉しかった、なんて変だよな。
腕は確かに触れられる。幻じゃない。俺はようやく顔を上げて、俺を助けてくれたそいつの顔を見る。その黒髪が一瞬、勇者ルキスと重なった。
「…ニコラ、久しぶり」
「…あぁ」
ニコラ・シフィルハイドは俺を見て優しく笑んだ。




