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ルキスの剣  作者: 夜津
第三章 魔と北の国へ
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番外編5 星の川の王と少年

※暗めのお話です。前代魔王と、とあるトルメルの少年のお話。

途中痛々しい表現があるので、苦手な方はご注意ください…!

 ―――予想通りだが、こうも見事鮮やかに居なくなるとは。


 魔の王、ゾイロスは急な用事を終えて城に戻るとため息をついた。捕らえていたトルメルの少年がおとなしくしているとは思わなかったが、かといって易々と脱走できるとも思っていなかったためである。

それなりに気は配っておいたはずだ。この魔界で唯一、魔物から魔族へと進化を遂げた黒狼のノーリもいたし、千里を見通す目を持つシェンユゥの存在も監視係としては心強かったはずである…が。

突然の城からの連絡はゾイロスを少し驚かせた。ノーリからの伝令で、『反魔王派っぽい集団に襲われてるんで帰ってきてくださーい。あとスティが行方不明』というものだった。


 もう少しまともな言葉で報告できないものなのか…とも思わないことはないが、そのあたりはもう諦めている。結局ゾイロスが城に戻る頃には、トルメルの少年は綺麗さっぱり姿を消していた。


 ノーリやシャムロック三兄弟の話によると、反魔王派の輩に少年は連れて行かれて『禁忌の地下室』に閉じ込められたということだったが、地下室の鍵を開けて探しに行っても少年はいなかった。

ここにも監視魔法をかけていたはずだったが、古い魔法を更新せずにいたので壁に刻んだ呪文のスペルは朽ちておりすっかり機能しなくなっていた。これは俺の監督不行届だな、と自嘲気味に笑う。


 …だが、様子がおかしいのはそれだけではなかった。


 ノーリとシャムロック三兄弟はいつも通りだったが、シェンユゥはいつもに増して表情を失くしてしまった。ゾイロスが問いかけても、何も答えることはない。その目が感情や意味を映すことはない。さすがのゾイロスもお手上げだった。

大方、信頼を寄せていたトルメルの少年がいなくなったことに寂しさと悲しさ、そして裏切られたという憤りを感じているのだろう。どうもそれだけではないようだが、これ以上ゾイロスは詮索しなかった。


 ノーリはただ、アディーンを撫でながら一言つぶやく。


 「…スティってさー…、…なんだか美味しそうなニオイするよね」


 喰う気か、とゾイロスは肩をすくめる。シャムロック三兄弟もノーリの言葉にわぁわぁ騒ぎながら同意するのを、ゾイロスは呆れながら制した。


 「やめとけ、腹壊すぞ。…あとアイツに変な手は出すなよ。出していいのは俺だけだ」 


 えー、と不満声がノーリ達から上がる。が、ただ一人シェンユゥは片手に持っていた果物ナイフをじっと見つめている。お前も本気か、と思いつつゾイロスはシェンユゥを見ていないふりをした。


 *

 

 すぐに部下たちにトルメルの少年の行方を掴むように命令を下し、大陸中に捜索隊を派遣することにした。『駆風の棟』に集まっているノーリ達には、しばらくは自由に休めと言っておく。

今更どうしてトルメルの少年が逃げ出せたのかを考える必要はない。生きていることは確実だ。それでもここにいないのなら、有言実行で本当に脱走したのだろうと考えるしかない。

なんとなく城の中に、普段は滅多に庭から出てこないセヴァダの気配が残っていたり、貴族ディルシオン家の次男坊である変わり者のロザクオレの気配が僅かだがある気がする。あいつら何かやらかしたな、ぐらいにしか考えていないが。


 ゾイロスは『秋瓦の棟』にある自分の書斎の扉を開けた。案の定、トルメルの少年から奪っていた装備品を入れていたからくり箱が開けられている。難解な仕掛けが解除されているのを見て笑うことしかできなかった。


 「…本当、よくやるぜ。……こういうところも、奴によく似てやがる」


 独り言が壁の絵に吸い込まれる。ゾイロスが視線を向けた先には、壁にある絵の中で屈託なく笑っている一人の少年。短い茶髪、幼く見える表情。背景には青い海と白い砂浜、そして溢れる緑がある。

脱走した少年とよく似た絵の中の少年を見て、ゾイロスは少し口元を引き締める。鏡の向こうでは、赤色の自分の目が暗く揺れていた。



 **


 魔王シュメルツは、ゾイロスの前の魔王である。境界戦争で人間の勇者ルキスと死闘を繰り広げ、聖剣の力に敗れた悪逆非道で残忍、冷酷な魔王とされている。実際どんな性格だったかと言えば、確かに無口で冷酷で恐怖の魔王だった。

ゾイロスの記憶にある全ての魔王の性格を見ても、このシュメルツという魔王が最も冷酷だったかもしれない。だが、他の魔王よりも一際味方想いでもあった。


 だからこそ、人間と戦うことを決意したのだろう。自分たち魔族をノイモントによって歪められた空間に追いやった人間たちに、全面対決を始めたのも味方想いな性格があったからだとゾイロスは推測する。

記憶、というものは記録と同じだ。そこにある弱い感情はただの『記録』にかき消される。だが、強い感情は『記録』にも残っている。シュメルツの記憶をゾイロスが掘り返すときは常に激しい感情が押し寄せていた。


 無口で冷酷、悪逆非道と恐れられている魔王シュメルツは、決して心がない魔王ではなかったのだ。


 しかし変わらない事実がある。人間界を襲ったのは紛れもなくシュメルツで、世界を境界戦争という激しい戦火に包んだのも彼であり、…あのトルメルという民族の誘拐と虐殺をおこなったのも彼であった。


 忌々しい記憶でもある。あの『禁忌の地下室』で起きたことはゾイロスですら再び記憶をなぞるのを厭う。が、『ゾイロス』が出会ったトルメルの少年は『シュメルツ』の記憶を嫌でも思い起こさせた。

壁の絵の中の少年は屈託なく笑う。それは、シュメルツが出会ったとある一人のトルメルである。


 ***


 

 「…では、今日の報告は以上です!失礼します、シュメルツ様!」

 「……あぁ」


 恐怖の魔王・シュメルツは部下の報告を聞き終えて身を深くソファに沈めた。銀色の長い髪が黒のソファに流れ、銀河のように輝いた。本来美しい顔立ちの彼は、実はとてもシャイな性格なので常に仮面を被っている。

もちろんシャイだから仮面をしているなんて誰にも言えることではないが、周りは勝手に『我々のように低級な者どもに魔王様がお顔をお見せになるはずがない!』と解釈してくれているので何も言わない。


 シュメルツは疲れきっていた。人間と戦を始めて長い時間が流れたが、最近では『勇者』なる存在の噂を聞くようにもなった。神が聖剣を勇者に与えた、という噂もあり、これがますますシュメルツを苛立たせる。


 自分たちの民を想う気持ちはこちらも同じだと言うのに、どうして魔族は悪とされる?どうして歪の空間に追いやられる?人間ばかりが正当化されていく歴史など、燃やし尽くしてしまいたい。


 部屋に一人でいるときもシュメルツは仮面を外さない。顔の全てを覆う仮面はのっぺりとした白色で、凝ったものではない。顔を隠すことができれば十分だという、物に頓着しないシュメルツの性格も反映されていた。

思い返せばもうどれほどになるだろう。自分が人間に剣を向け、たくさんの人間と魔族が死んだ。人間たちの王がこちらの話に頷かない限り、人間どもの命が消えていくのは仕方ないことだと魔王は考えていた。


 それでも痛みを知らないわけではない。特に、魔族が死んでいくとそれが名もなき兵士であれ、命が消えるたびに魔王の胸には針が刺さるような痛みがやってきては彼を苦しめた。


 ―――この痛みを背負って未来を掴むのだ。私が必ず、同胞たちを導く。


 強い決意は、過去の魔王たちにも負けぬと彼は信じていた。


 

 しかしある日、トルメルという民族の存在が明らかになった。そのトルメルとやらは、驚くべきことに魔力を持たず、また受け付けることもないらしい。魔力を蓄え、魔法を扱う魔族にこの民族の存在は衝撃だった。

実際にトルメルの男が人間たちの『勇者』と共に戦い始めたという噂まである。すぐにその民族を探しに出た魔族たちは、やがて彼らが住む島を突き止めた。


 大きな危機になりかねない、そう判断したシュメルツは部下たちに命じてトルメルを大量に攫ってきた。老若男女関係なく連行し、やがて魔族の研究部は彼らの体と魂を研究材料にし始めた。

シュメルツも、この不思議な民族が魔族に刃を向ければ厄介なことになると感じていたため、研究部に彼らを任せていた。研究部がその民族の生態に興奮し、暴走を始めても容認していたのである。


 この犠牲があって魔族がさらに前へ進めるのなら、何も悪いことはない。彼らは家畜と同じだ。人でも魔族でもないのだから。


 そう信じていた、…のだが、一人の少年との出会いがシュメルツを揺らがせた。


 **


  

 その日も部下の報告を聞いて、自室に戻る。シュメルツは激しくなる戦いに、そろそろ魔王城の周辺の戦力も強化せねば、などと考えていた。

そんなことを考えていたからだろうか、うっかり部屋の中に気を配るのを忘れていた。もう寝ようと仮面を外したとき、ハッと何か息を呑むような音が部屋の隅から聞こえた。


 珍しくシュメルツは慌てた。スコーンッと仮面をそのまま気配がしたほうに投げつけたとき、自分は馬鹿かと考えが追い付いた。スコーンッと仮面をぶつけられたカーテンの方からは小さく悲鳴が上がる。


 「いてっ!」

 「…出て来い、何者だ。私の部屋に忍び込むとは……いい度胸だ」


 顔を見られたら生かしては帰せない、とシュメルツは魔力を練る。炎の剣を出現させると、迷いなく部屋の隅へと投げつけた。うわっ、と若い男の声がしたかと思うとカーテンの陰から何かが飛び出てきた。

そこをすかさず、シュメルツは長剣を刺しこむ。剣先は侵入者の服の袖を床につなぎとめる。そこでようやく、侵入者の姿を落ち着いて眺めることができた。


 侵入者は少年だった。しかし、魔族の気配ではない。魔族特有の尖った耳もなく、人間と同じ丸みのある耳が短い茶髪の下に見えた。エヘヘ、と気まずそうに笑う少年が口を開く。


 「いや…あの…あまりにも退屈で城の中を冒険してたら…ついうっかり…あはは」

 「……トルメルか」

 「え?あ、そうだけど。面白いものはねぇかなーって歩き回ってたらこの部屋に辿り着いて」


 気まずそうだが悪びれる様子はない。かくれんぼで鬼に見つかった子供と同じ表情だ。きょろきょろと目だけ動かして部屋を見回した少年は、改めてシュメルツに目を合わせてニコッと微笑む。


 「勝手に入って悪かったな。俺はリノンっていうんだけど、あんたは?」

 

 その無邪気な茶の目にシュメルツは毒気を抜かれて立ち尽くした。しばらく赤の目で睨んでいたが、リノンと名乗った少年は不満そうに頬を膨らませながら返答を待っている。

シュメルツはまっすぐに目を見てくる少年に居心地が悪くなり、剣を突き刺したまま背を向けた。


 「すぐに出て行け。…私に殺されたくなければ」

 「げっ。死ぬのは嫌だな…、けど俺、名乗ったもん。あんたは人の名前は聞いといて自分は名乗らないのかよ、礼儀知らずだなー」

 「…殺されたいのか?」

 「名前ぐらい聞いてもいいだろ」


 勝手に人の部屋に忍び込んでおいて何が礼儀知らずだ、とシュメルツは舌打ちをした。が、リノンの無邪気な笑みがどうしても視界に入ってしまう。


 「な、いいだろ!あんたみたいに綺麗な人、初めて見た。その銀色の長い髪、さらっさらだよな。俺なんてボサボサだし。赤の目もかっこいいし!」

 「…っ」


 そういえば仮面を投げ捨てていたことを思い出した。シュメルツは今更顔を隠すこともできず、しばらく沈黙を貫いた。剣を床から引き抜くと、扉を開けて指さす。さっさと出て行け、の合図だ。

だが少年は折れない。動けるようになっても床に転がったまま、無防備な体勢でシュメルツを見上げる。この手の剣で一薙ぎすれば少年の命はすぐに消える。だが、この屈託のない笑みがシュメルツの心を邪魔した。


 結局、魔王は大きくため息をついた。このトルメルの少年の前には自分の魔法も無力だ。今度は聞こえるように盛大に舌打ちしてから、シュメルツはリノンを睨んで吐き捨てるように言った。


 「…シュメルツ・ノイマーティア・ヴルカ。これでいいか、出て行け」

 「シュメルツ、な!覚えとく!んじゃ、また遊びに来るぜっ」


 名前だけ聞くと満足げに少年が頷き、さささっと風のような速さで部屋を出て行った。小柄で細い体型はちゃんと食べ物を食べているのか心配になる。そこまで考えて、何故あんな礼儀知らずの他民族の子供に気をかけねばならぬのかと我に返る。

だが、否定できない気持ちが湧きあがった。


 自分の存在がこの世に現れて数百年。何故か、最も落ち着かないひと時だった。


 *


 その後、本当に懲りずにリノンは何度もやってきた。いつも夕方になりシュメルツが部屋に戻ると、既に忍び込んでいる。ある日はカーテンの陰、ある日は本棚の裏、ある日はクローゼットの中、ある日はベッドの下、と飽きもせず。

シュメルツが気付かないふりをしていてもじっと待っている。結局居心地が悪くなってシュメルツが声をかけるのだが、そうしてやるとリノンはとても喜んだ。しばらく何気ない会話をすると、リノンが帰っていく。それで終わりだ。


 そんな生活が続くと嫌でもシュメルツはリノンのことを考えなければならなくなった。どうしてあいつは私のところへ来るのか。そんなにトルメルの管理は適当なのか?


 そう思い、ある日視察のために単身で研究部を訪れた。城の外れにある『駆風の棟』の地下を改造して、研究室にしてあるという。しかしそこでシュメルツが見たのは、恐怖の魔王と恐れられる彼も目を疑う光景だった。

終わらない拷問、泣き叫ぶ女子供、震えて祈る老人。彼ら全てに深い傷が痛々しくつけられ、魔族の研究員は研究対象の反応を細かく確かめては記録する。これがトルメルの研究なのか、とシュメルツは顔をしかめた。


 すると、別の部屋から叫び声が上がった。若い男、いや、少年の声だろうか。シュメルツが自ら葬った敵も、こんな悲痛な声はあげなかった。どんな恐ろしいことが起きているのか、とシュメルツがその部屋へ足を向ける。

そしてその部屋を見て、息が一度止まった。石の寝台に寝かされ、自らの首を絞めるように必死にもがき苦しんでいたのは、いつも自分の部屋に訪れる少年だったのだ。


 体に外傷はないが、痛々しい痣がいくつもある。顔には黒い模様が浮かび、汗が流れている。苦しむリノンを冷たい目で見て記録している一人の研究員に、シュメルツは静かに声をかけた。


 「…あの少年は、何の研究をしている」

 「これは魔王様。あの少年は、トルメルの体力を調査している研究材料です。さまざまな病原体を打ちこみ、治癒能力を封じた状態でどれほど耐えられるかを確かめています。あの少年はとても強く、いい研究材料なのです。

  今はとても苦しんでいるように見えますが、調査を終えて休憩をさせると恐るべき回復能力で治癒してしまい、夕方にもなればけろっとしているのですから恐ろしい」


 また悲痛な叫び声が聞こえた。リノンがもがき苦しんでいる。強く閉じられた目からは涙がぼろぼろと溢れていた。しかし、その目が薄く開かれる。ちら、と薄暗い研究室を諦めの目で見つめた少年は今にも力尽きそうだ。


 すると、研究員の傍に立つシュメルツに気づいたらしい。目が少し開かれた。…やはりトルメルなど、ただの研究対象であり材料でしかない。仮面の裏側でシュメルツは必死に自らにそう言い聞かせた。

しかし次の瞬間、シュメルツはまた息が止まりそうになった。寝台の上で苦しんでいた少年の表情が少し柔らかくなったのだ。目が開かれ、いつものようなニコリとした笑顔を見せる。その口が、小さく開いて動いた。


 『きょうも、いくから。まっててくれ』


 口が動き終えると、少年はぷつりと糸が切れたように動きを止めた。隣に立つ研究員が首を横に振った。


 「気絶しました。後は放っておいて大丈夫です、そのうち勝手に回復しますから。それでは私どもはデータをまとめるので失礼します」


 研究員たちはリノンを気に掛けることもなく別の部屋へと去って行った。残されたシュメルツは呆然と、寝台の上で死んだように動かなくなった少年を見つめる。


 ―――こいつは誰よりも無垢に笑う。自分に正直で、誰よりも楽しそうに話す。…私を全く恐れない、とんだ馬鹿者。…私に『綺麗な人』なんてほざく、ふざけた馬鹿者。


 シュメルツは気付かなかった。仮面の下では理由も分からず涙が一つ、零れる。知らない間に少年の手を握っていた。冷たい。氷の塊のようだ。初めて触れた体が、こんなに冷たいなんて。

本当に目を再び開けるのだろうか。開けないのなら私が殺してやる。その口が、いつものように軽いふざけたことを紡がないなら、切り裂いてやる。赤い目が仮面の裏で揺らいだ。


 強く握った手がやがて温かさを取り戻すまで、シュメルツは少年の傍を離れなかった。



 *


 

 本当に夕方にはすっかり回復してしまったリノンに恐ろしささえ感じる。今日もシュメルツの部屋でくつろぐリノンに、魔王は静かに声をかけた。


 「…おい、お前」

 「熟年夫婦じゃねーんだから。名前で呼べって言ってんだろ、俺はリ・ノ・ン!立派な名前があるんだってば!」

 「……お前はどうしていつも私の傍へ来る?」


 リノンはベッドの上に転がりながら目をぱちぱちとさせた。シュメルツがリノンのことで質問をしてきたのは初めてだった。ぱぁ、と嬉しそうに輝くリノンの表情にシュメルツは小さくため息をつく。


 「…簡単に答えろ」

 「あの暗い地下室にいると気が滅入るし、俺は明るいところが好きだから。日の差す白い砂浜で海を眺めるんだ、風は島の草花の匂いを運んでくれるし。地下室には何もないだろ?」

 「それなら庭にでも行けばいい。…何故、私の所へ来るのかと聞いている」


 シュメルツはこの自室でのリノンとの会話の時は仮面を外している。被っていてもリノンが剥がしてしまうからだ。長い銀の髪が黒のソファに流れるのを、リノンはいつも満足げに見つめている。


 「それは、アンタの傍にいると楽しいからだよ。シュメルツってコワモテだけどさ、本当は味方思いだよな。それに、流されやすいだろ?本当に俺が嫌ならもう殺してるだろうし」

 「…甘い考えだな。私がお前を殺さない確証はない」

 「ううん、シュメルツ、アンタは俺を殺さないよ。…本当はさ、…逆襲だったんだ。噂の魔王の部屋に忍び込んで、俺の家族を酷い目に遭わせる魔王に逆襲しようと思ってたんだ。

  だけどアンタが…その、思ったより…綺麗だったから!びっくりしたら気づかれちまって、このザマだよ。…もう俺の妹も、かーちゃんもとーちゃんも実験に耐えかねて死んじまったのにさ」


 ごろごろとベッドに転がるリノンは笑っていた。それがいつもの無垢な笑みではなく、影を宿したものだと気付かないほど馬鹿ではない。シュメルツはリノンのことばの続きを待った。


 「結局俺の仲間たちはまだアンタたちの研究に苦しんでる。死ぬこともできず苦しんでる奴らもいる。死なないように痛めつけられてる。…俺も、もうヤなんだ。

  けど今日、俺が実験されてる時にシュメルツが来たのを見て、なんだか分かんねぇけどホッとしちゃったんだ。今日も遊びに行こう、って思っちゃったんだ。馬鹿だよな、俺って。

  あんたの銀髪が好きだよ。さらさら綺麗で、星の川みたいだ。赤い目もその中に瞬く強い星みたいでさ。……それだけ言っておきたかったんだ」


 ざわ、と胸騒ぎがする。シュメルツがリノンを凝視すると、少年は諦めたように微笑んだ。


 「…実は、な。もう俺、死んじゃうんだ。俺の体質や治癒能力をもってしても治らない病原体が見つかったんだって。魔法でも治せないんだってさ。…それは俺の体の中で増殖してる。研究員の話じゃ、明日の朝にはもう、」

 「ふざけるな。そうやって私に冗談を言うのは止めろ」

 「…ごめん。嘘じゃないんだ。俺も今日の朝にそれを聞かされた。だから今日の実験中に力尽きちゃっても良かったのに…シュメルツが見に来たりするから頑張っちまった。けどおかげで最後にあいさつできて嬉しいよ」


 にへ、と微笑む少年の顔は、シュメルツの知らない表情だった。シュメルツが言葉を失っていると、そうだ、とリノンが顔を明るくする。


 「忘れるところだった!あのさ、トルメルって本当に大事な人にしか教えられない名前があるんだけどさ。俺の名前、シュメルツにあげるよ。明日死ぬならもう他には誰にもあげられないし。

  ほんとはケッコンする人だけにしか教えられないって言われてたけど、もういいや。俺さ、本当はセテリノントって言うんだ。あんたはリノンって名前すら呼んでくれなかったけど、俺の名前を憶えててくれよ」


 リノンはこれ以上ない笑顔を見せた。その笑顔に導かれるようにぽつり、とシュメルツは小さくつぶやく。


 「セテリノント」

 「…うん。俺の名前、憶えててくれよ。魔王様の邪魔をした厄介なトルメルのガキだって」

 

 窓の向こうでは夕焼けが薄れ、藍色が空を埋め始めた。現れる星々を窓越しに見つめるリノンは、独り言をこぼす。


 「最後に綺麗な海を見たかったな。…シュメルツにも俺の島を見せたかった。あんたも、俺の島に来たら考えがちょっとは変わるよ。青い海、白い砂浜、緑の草木に色鮮やかで香る花。ぽかぽかあったかい日差しの下で、さ。

  時代が違えば俺たち、一緒に笑えてたのかな?あ、でもシュメルツって笑ってくれないもんな!どケチ!」


 アッハハ、と大きく笑う少年を気が付けば胸に抱きとめていた。銀の髪が揺れる。少年は驚いたようだが、やがてシュメルツの腕の中で震えはじめた。


 「…死にたくないよ。嫌だよ。生きたい。恐い。一人は嫌だ、もう嫌だ!…アンタが戦争を起こしたなら、俺の名前は呪いだ。忘れたら許さないからな、シュメルツ」

 「あぁ。忘れない。…だから私も最後に教えておこう。私の名前を憶えているか、セテリノント」

 「…シュメルツ・ノイマーティア・ヴルカ。俺、他人の名前はすぐに覚えられるんだ」


 腕の中で震えながらも得意気に言う少年に、魔王は僅かに口元を緩めた。ぽかん、としたリノンは魔王の僅かな微笑みに震えを止めた。


 「私の名の最後のヴルカが、私のまことの名だ。あのときお前に名乗ってしまったのは…うっかりだったが。…星空の向こうの世界まで持って行って、私の名を呼んで呪うといい」

 「…ありがとう、…俺も忘れないよ、ヴルカ。……お願いがあるんだ。俺が死ぬまで傍にいて、朝日を見てほしい。それと、もう一つ…」


 セテリノントはヴルカに最後の願いを告げると、安心したように目を閉じた。まだ夜明けまでは遠かったが、シュメルツ=ヴルカは朝日が部屋に差し込むまで少年を腕に抱いたまま空を見つめ続けた。


 **


 翌朝。光が部屋に差し込む頃。少年の体が朝日に照らされると、体が突然真っ黒になり黒い砂となって崩れた。ヴルカは静かに砂を集め、紙に包む。転送魔法でとある海辺にやってくると、浜風に黒の砂を流して海へと撒いた。



 ―――お前の好きな海に還ればいい、お前の好きな日の光に照らされて。風となり、世界を巡ればいい。やがて私がヴルカとしての生を終えた後も、魔王の終わらぬ輪廻の中でお前を忘れることはない。


 彼は、少年の最後の願いをかなえるために城に戻った。


 *

 

 「魔王様、どういうおつもりですか!」「何をなさるのです!彼らは貴重な研究サンプルで…」「魔王様!」「シュメルツ様!」


 「…うるさい。私に従えぬなら、まとめて葬ってやる」


 地下室に叫び声が上がった。それは研究員の声、そして残されていたトルメルの声であった。全てが炎に包まれ、紅に染まる。ただ一人立ち尽くす銀の髪の魔王は、もう自らの顔を隠すことはしなかった。

少年の最後の願いは、もう全てを終わらせてほしい。それだけだった。死ぬこともできず生き地獄を味わうトルメルを全て葬り去り、解放すること。その罪は、少年がまとめて持っていくと言っていた。


 だが、この罪はヴルカの罪に違いなかった。仮面を地下室の炎に投げ込み、消えていく命に小さく祈りをささげる。星の川のようだと言われた長い銀の髪をナイフで切り落とし、地下室に置き去りにして城へと戻る。

貴重なトルメルを皆殺しにしたヴルカは後々に、恐ろしい魔王だと言われ続けるだろう。この地下室も永久に封鎖だ。禁忌の部屋と呼ばずしてなんと呼べばいいのだろう。


 ―――私が魔王でなければ、世界は違ったのだろうか。お前と共に、笑えたのだろうか。


 それを分かることはできない。もうセテリノントに会う日はないのだから。


 地下室の入り口を厳重に封じたヴルカの背後から、忙しい足音が聞こえた。振り返ると、一人の魔族の兵士が傷だらけでそこに立っていた。


 「…どうした」

 「報告いたします!勇者一行が城に迫っております!今は城の前の毒沼を抜け、呪いの森を越え…あとは死の荒れ地を抜ければもう我が城に……!」

 「……フン。いよいよ、か」


 ヴルカは鼻を鳴らす。傷だらけの兵士に治癒術を施すと、マントを翻して歩き出す。…後は玉座の間で勇者を待つのみだ。ヴルカは剣を構える。あの日、少年を殺せなかった剣と同じものを携えて。


 

 その後、語るに語りつくせない死闘が魔王城で繰り広げられたが、聖剣の力を持つ勇者ルキスが勝利するのは目に見えて明らかだった。魔王シュメルツの物語はここで終わる。

ただ、悪逆非道で冷酷無慈悲とまで言われた魔王シュメルツは、伝説によると最後の最後で安らかに微笑んでいたという。



 ***


 「馬鹿みたいな話だな、ったくよぉ」


 ゾイロスは書斎に飾られた絵画を見て笑った。この絵は魔王シュメルツが勇者との戦いの前に魔族の絵師に描かせたものだったが、今でもこうして壊れずに残っているとは。

普通、魔王は死ぬとすぐに転生する。しかし魔を封じる聖剣によって倒された魔王は、次に転生して万全の状態になるまで長い時間をかけてしまった。ゾイロスも本来ならもうシュメルツ以上に強い魔王になっているはずである。


 だが、ゾイロスはシュメルツが好いていた少年によく似た少年を知っている。…そして、未だに『シュメルツ=ヴルカ』が抜けずに自らに影響してしまっていることも分かっている。

ゾイロスの前に現れたトルメルの少年、テレステイアは確かにセテリノントとは違う。だが、どうしても重ねてしまう。自分の中に残っている『ヴルカ』が『セテリノント』を求めてしまう。


 絵を殴りつけようとしてから、ゾイロスは静かに首を横に振った。


 ―――間違えるんじゃねぇよ、俺様は『ゾイロス=イスベルグ』だ。アイツは『テレステイア』で、セテリノントじゃねぇ。


 あの明るい笑顔も。時々人を馬鹿にして笑うところも。自分に素直なところも、綺麗な心も。似ているだけで違うものだ。再びいなくなったあの少年を求めているのは、自分でありヴルカではない。


 「……終わらせてやるよ。聖剣を壊して、俺はシュメルツから解放される。…俺は、ここにいる」


 書斎の机の上には地図、バームス砂漠に丸印がつけてある。報告のあった、聖剣の在り処だ。どうやら聖剣は最後の力を振り絞り、魔の力に反抗して『塔化』してしまったらしい。

未知の現象の視察に行っている間にトルメルの少年に逃げられたのはお笑いだが、いつか少年も気づくだろう。…砂漠に来るまで待っていればいい。


 ニヤッと笑うと犬歯がむき出しになる。さぁ、と窓の向こうの世界に魔王は笑った。


 「そろそろ幕を下ろす準備をしとかねぇとなぁ?」


 誰に対してでもない問いかけは、窓の向こうの星空の川に消えていった。 


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