63.5 雨止む王都
*番外編です。本編に深くは関わりません。
*ニコラ視点、63話の翌日の話
昨日の大雨が嘘のように、ぴかぴか晴れた朝。俺は昇り始めた陽を見ながら水溜りを避けて王都の道を歩いていた。
早起きは何の苦でもない、むしろ遅くまで寝ている方がつらくなる。俺が騎士団宿舎で目を覚ました頃にはもう早朝の鍛錬を始めている新入りの騎士なんて、そりゃたくさんいるだろう。
少し早目の朝飯を食堂で貰い、特に知り合いと話すこともなくすぐに俺は外へ出るとあいつの部屋がある建物に向かって歩く。わざわざ防具を持ってくることはない、いくらあいつが成長したところでまだ俺には及ばんさ。
「シフィルハイド殿ー、おはようございますっ!お出かけですか?」
「あぁ、おはよう。ちょっとうるさい奴に呼び出されてな」
街角で朝のパトロールに出ていた騎士に軽く手を上げる。たまに話すことのあるその騎士は事情を察したように笑ってすぐに去って行った。俺も苦笑いする。…うるさい奴、と言っただけで通用するんだから、なぁ。
**
俺にとってステイトというバカガキはどんな存在なのか、最近よく考えることがある。
出会ったときの印象は、可哀そうな奴だと思った。人を殺したことはなさそうだったが、罪を罪と思わないような態度と人を全く信用しない空っぽの目にまず驚かされた。
盗人として城にもぐりこんだあいつを捕まえたときは一瞬、何と声をかけていいか戸惑ったような気がする。結局、素直に感じたことを真っ先に口にした瞬間、酷く暴れられた。
『思ったよりガキだしちっせーな』
『…!?は、離せ!この…っ!』
『観念しろ。てめぇが噂の天才盗賊とやらか』
捕まえた腕は細く、力もない。やたら気だけが強そうな野良猫。そうだ、野良猫だ。今思えばよく似てるな。
ただ、空っぽで何も映さないような目に、俺への怒りの色が見えたときには少しほっとしたのを覚えている。
*
俺には弟がいる。が、病弱で丸一日をベッドの上で過ごし、楽しみといっても本を読んだり木の細工を作るぐらいしかなく、忙しい両親はあまり弟の面倒を見ていられないようだった。
弟はそれでも健気で、今の生活を嘆いたりすることもなくおとなしく日々を過ごしていた。兄さんも俺も、なんとか弟を退屈させないように暇ができれば家へ戻るようにしていたんだが。
もちろん弟も、両親が忙しいのは自分の薬代を稼ぐためだと分かっていたから、あまり顔を出さない両親を嫌うこともなかったらしい。毎日使用人と話し、読書をし、俺や兄さんが帰ってくると嬉しそうに笑う。
おとなしく病弱だが、健気で心優しく教養深い自慢の弟だ。
だが、ステイトも俺にとってはもう一人の弟のような存在となる。俺の本当の弟とは何もかもが違うが、俺はあいつに出会うことが多くなるにつれて弟のように思うようになった。
あのまま捕まったステイトは数年は牢で暮らすことになるだろうと俺も考えていたが、親切なことで有名な薬草屋のヨーウェン・アンダーソン氏の助けによって普通の生活ができるようになったらしい。
あのガキに希望が与えられたのか、と思うと俺はまたほっとした。気になってはいたが、自分じゃどうにもできないだろうと考えていたからだ。
すぐにあいつの様子は変わった。常に周りに対して警戒するような態度が、あいつ本来の持つ荒くも正直なものへと変わると町の人にもやがて心を開き、また開かれるようになった。
遠目に見ていてまたも俺は安心した。なんであいつのことをこんなに見守らねーといけないんだ、と思いながら、もし見かければ必ず目で追ってしまう自分がいる。
それからも元気にうるさくステイトは俺に突っかかってきたわけだが。俺も威嚇する子猫を遊ぶように接し、それなりに愉快で楽しい時を過ごした。
バカで、正直で、ぎゃあぎゃあ賑やかでやたら気が強い。いつも俺を出し抜こうとしては失敗し、それでも全く懲りない。それが俺の中でのステイトだった。弟とは違うのに、こいつもまた一緒にいるだけで安心する存在。
聖剣事件が起き、その後行動を共にするようになってからも、あいつが地味に努力を重ねていることを知った時も、…あいつが俺のような普通の人間とは遠い存在であることを知った時も。俺の中でのあいつは特に変わらなかった。
相変わらずで、ただ前よりよく悩んだり表情を曇らせるようになった。…俺はこいつの力になれるだろうか、と思うようになったのもその頃からだ。
渓谷行きで喧嘩をし、その後を追うとあいつが自我を失くして暴走していた姿を見つけた。しまった、と、心からひやっとした。あんなに焦るところなんて、二度と見せられたもんじゃねぇ。
やがてあいつと南国へ旅するようになると、妙にあいつのことを放っておけなくなった。放置すればすぐに厄介事に巻き込まれやがる。…だが、あいつを守ることが俺の使命であり…俺がするべきこと、したいことだとも分かっている。
あいつのことを知る度に、あいつが近くなったような気がしてまた楽しくなった。そりゃ、俺のことを振り回しやがって…と思う日も少なくないが見ていて飽きないのはいい。
不思議と心地いいあいつの隣に、いったい自分はどれだけいられるだろうか。あいつをいつまで守ることができるだろうか。
いつも心の端にそんな疑問を抱えながら、深くは考えずに今日もまたあいつの騒がしい一日を見守ることになるだろう…。
そう、思っていた。
**
部屋の鍵は開いていた。キィ、と音を立てるドアを開けて部屋に入ると、あいつの姿がない。いつも癖ができている茶髪、多少目つきは悪いが最近は素直になってきた顔つき、少年にしては少し小柄で細い体格。それが見当たらない。
不自然なほどに部屋はサッパリとしていて、胸騒ぎがした。
机の上は薄く埃がかぶり、触れた様子もない。ベッドに入った様子もなく、シーツはひんやりと冷えていた。食にうるさいはずのあいつの台所も使った気配がなく、食器もどれも棚に綺麗に収まったままだ。
人がいた気配がしない。まさか帰ってこなかったわけではないんだろうが…、この胸騒ぎは何だ?
ふと足元を見ると、何故か部屋の入り口の木の床が黒く濡れていた。と言ってもそれは僅かで、だが確かに触れるとそこだけ湿っている。
「…何が起きたんだ?」
確かなことは、あいつがこの部屋にいないことだ。俺を驚かすために隠れているんじゃないか、とも少し考えたが、…それならとっくに出てきているだろう。
「ステイト、いないのか?」
俺の声だけが広くはない部屋に少し響いた。当然返事はなく、俺は黙ってそこに立ち尽くした。
―――ステイトの失踪が断定されたのは、それから一週間が過ぎた頃だった。




