5 気遣い
俺はズキっと痛む体に、ぎゃっと悲鳴を上げた。声が出た、と思った瞬間、浮き上がるように周囲の音が聞こえてくる。
ざわざわした人々の声、歩き回る音。目をゆっくり開くと、突然の光に俺はまた目をつぶって、もう一度開く。
だんだん目に入ってきた景色は、広い部屋…ベッドが並べられた広間。何人かの救護士や、回復魔法を使う癒し手がいる。
どうやら闘技場の医務室みたいな場所らしい。俺がきょろきょろすると、突然赤色が目に飛び込んできた。
「ステイトッ!目を覚ましたんだね!」
「あ、ああ。…おはよう…?シル」
廊下から突然、まさに部屋に飛び込んできた赤髪の美しい麗しき王子様が、ベッドから身を起こした俺をその赤い目で覗き込む。近い近い!
はぁー、と大きな息をつき、シルは俺を気遣うように静かに言った。
「ステイトがあの重戦士…実際にはあの騎士さん、ニコラさんだったけど、あの人に負けてから一晩目を覚まさなかったんだ」
「え…まじで?」
俺は慌てて窓の外を見る。すっかり日は昇って…あれ?なんか、これは…朝の匂いじゃないか?
あの独特の、すがすがしくて爽やかで、どこからともなく食べ物の匂いがするような空気。
シルは俺の疑問を浮かべる表情に、察したようにうなずいた。
「うん。昨日の午後に試合、それでステイトが倒れて一晩経って、今はその翌日の朝。もう日は昇ってるけど」
「な、なんだと…!?そういや、ニコラ!あいつは!?」
「さっきまで僕と一緒に、一晩中ステイトを観てたよ。今は町に薬草を買いに行ってるけど…。
…、僕、あの後ニコラさんと話したんだ。僕がステイトを助けられないか…ニコラさんに聞いてみたけど難しいなぁ」
シルが疲れたように笑む。シル、お前、一晩ずっと俺を看病してくれたのか…てかニコラもってどういう…。
すぐにシルが続けた。
「すごい速さの攻撃を受けて、ステイトが倒れて。やっぱりニコラさんが優勝したよ。
僕がここでステイトを看てたらお見舞いに来てくれたんだ。で、僕は森へ行った朝に出会ってたでしょ?すぐにバレたよ。
僕はステイトの友達で、家出中の行商人の息子って設定。ニコラさんはけっこう本気でステイトを心配してた」
シルはどうにかうまい具合に俺の同行者に収まったようだ。でも…ニコラが、俺を心配?んなわけねぇよ。
「…あいつが?俺に心配?それはねーよ、今までことごとく俺をぶちのめしてきたんだし」
「でも、ニコラさんが治癒術をステイトにかけても全然意識は戻らないし、『やりすぎた』って言ってたよ」
「あれは…力加減を知らないんだよソレ…」
それはあると思う。ニコラは力加減がよくわかってない!かっこつけのくせにやりすぎなんだよいつも。
ってか、あいつも治癒術使えるのかよ!げー…俺がかろうじて攻撃をできてもすぐ治されてたな…。
「ここは闘技場だから、倒れてるステイトを無理に連行はしないって約束してくれたよ。
で、僕はステイトから聞いた話をニコラさんにしてみたんだけど…立場的に、やっぱりニコラさんはステイトを王都に連れ戻したいんだって。
…例え、聖剣を持ってなくても」
「…だろうな」
だけど、とシルが真剣な表情で俺に続ける。
「でも聖セレネを目指して、もっと力のある占い師に真実を見てもらうって言ったら無言でうなずいてくれた。
立場上は今すぐステイトを連れ戻すべきだろうけど、ここは目をつぶって僕たちが聖セレネで占ってもらうのが理にかなってるんだって」
「…ニコラのくせに分かってるじゃねーか」
騎士団が俺たちを捕まえても、シルは関係ないとして、俺は完全に無実。聖剣を取り戻すことについては何の進展もない。
ただ、城側は早く俺を犯人に仕立て上げて混乱を落ち着かせたいらしい。俺は生贄にされるのか…それは嫌だ。
でも先に、シエゼ・ルキスの城よりも占いについて権力を持つ聖セレネに頼れば、俺が有利だ。シエゼ・ルキス国は聖セレネとも友好的だし。
つまり、ニコラはここは見逃してやるからさっさと聖セレネに俺たちが着けばいい、って考えたわけか。
シルがそれをニコラにうまく伝えたんだな。俺が話しても、多分むちゃくちゃで分かってもらえなかっただろうしなぁ…。
「シル、ありがとう。お前のおかげで、ひとまず俺はニコラに今すぐ連れ戻されることはなくなったわけだし」
「ううん、だってこれは今だけだから。また別の時に、ニコラさんとそのお供の騎士さんがいるとき、僕たちが鉢合わせしたら問答無用で捕縛だって。
でもステイトにはしばらく休息が必要だよ。少なくとも、明日も安静に。明後日に大丈夫そうならこの町を出よう」
シルが俺を元気づけるように微笑んだ。その表情は穏やかだけど、寝不足なのかハリのある綺麗な顔にクマが薄くできてしまってる。
申し訳ないな…。だいぶ前、俺がかなり酷い風邪をひいて、ヨーウェンさんやアリシアをひどく心配させたことを思い出した。
誰かに心配してもらうのはつらいけど、でもやっぱりありがたくて、救われてる気がした。
「ほんとに、ありがとな。俺、シルに出会ってなかったらどうなってただろう」
「それは僕も同じだよ。誰かとこんなふうに話せるなんて、夢にも思ってなかったから」
照れたように赤い髪をいじりながら笑うシルは、確かにただの少年だ。少年というより好青年って感じの、育ちの良さは感じるけど。
俺もすっかり和んでしまった。偶然とはいえ、出会えてよかった。ほんとにそう思う。
「少年同士、仲のいいことだな」
「ニコラ!」
突然、ニコラが手を振りながら広間に入ってきた。小さな麻袋を片手に、ニコラは小さく頭を下げるシルに微笑みかける。
「おいステイト。こんな礼儀正しい好少年とどんな繋がりで友人になったんだ?」
「うるせーな!んなことどうだっていいだろ!それよりも…てめぇ、よくもひどくボッコボコにしてくれたなこの野郎!!」
んがぁぁああああっ!!やっぱ腹立つ!!余裕の笑みを浮かべてニヤニヤしながら俺を見るニコラに、俺はつっかかった。
困ったようにシルが視界の端で口をパクパクさせている。シル、お前が困る必要は全くないぞ。悪いのはコイツだ!
「お前が弱いだけだろうが。まぁ、鎧を解いたのは誉めてやろうか。クソガキ」
「くっ!いつか絶対ぶちのめしてや…モガッ!」
俺の言葉が終わらないうちに、ニコラが麻袋から草の束を取り出して、大声でいきり立っていた俺の口にずぼっとそれを突っ込んだ。
に、苦!!なんてものを突然…!これ、薬草だろうが!…薬草?
「モガ、モゴゴ」
「傷の治しを早める薬草だ。食っとけ」
ニコラが俺の顎を片手でつまんでホールドすると、また薬草を突っ込んできやがった!俺はヤギでもなんでもねーぞ分かってんのかコイツ!
それにしても青臭いし苦ッ!王都でおとなしく過ごしてたから怪我はあまりしなかったし、こんな苦い薬草にお世話になるのも久しぶりだ。
怒りに燃える俺の目を、相変わらずの余裕の表情でニコラが見返しニヤついている。が、突然真顔になり、俺の目をまっすぐ見て静かにニコラが言った。
「まぁ、俺も闘技場とかで戦うのは久しぶりで、相手がお前となると少しやりすぎる節があった。
思ったよりも深手を負わせて悪かった」
「は、はぁあ!?な、何言ってやがる、気持ち悪っ!てめーがやりすぎんのは王都でとっ捕まってから知ってるし俺に謝るなんて似合わねーんだよ!
それに何が『思ったより深手』だ、こんなモン明日には完治だ完治!てめぇの攻撃なんて痛くもかゆくもねーよバーカ!!」
うっわああああ気持ち悪!鳥肌!ニコラが俺に謝るとか鳥肌ァァァっ!!悪寒!しかも『思ったよりも深手』だと舐めやがってコンチクショウ!
ぞわぁっとした感覚を破り捨てるように、俺は一気に叫んだ。近くのベッドで休んでいる他の患者もちらちらこっちを気にしている。あ、すませーん。
んでニコラをもう一回見直すと、ぽかんとした表情でこっちを見つめていた。こっち見んな。
「…はぁ。ま、お前はその方が似合ってんなクソガキ」
「うっせ。バカニコラ」
ぷいっと横を向く。すると、ニコラが何か自分の服のポケットを探った。そこから細い鎖の、小さな石飾りがついたペンダントをとりだして俺の首にかけた。
なんだこれ?思わず首にかけられたチェーンペンダントを手に取ってまじまじと見つめる。するとニコラが言った。
「詫びだ。すべての属性からの魔法攻撃に対する防御力が上がる」
「…え、これって。シル、こういうのって貴重じゃないのか?」
道具についてはシルが詳しい。シルは俺に近寄ってペンダントを見、わぁ、と声を上げた。
「かなりの上物だよ。もちろん、魔法防御のアクセサリーはすごく貴重だけど、これはかなりレアだと思う」
「そんなやつ、もらえねーよ」
俺が慌てて首飾りを外そうとすると、ニコラが真剣な表情で細い鎖を握った。
「いいか。俺は、お前に野垂れ死にはしてほしくない。せいぜい聖セレネに着くまでは生き延びろ。
さっさと無実を証明してまた王都に戻れ。見たところ、シルヴェスタは強い。でもお前は比べたら、戦闘においてひ弱だ。
どうしてもそれを俺に返したいなら、俺と勝負して俺に勝てた時だ。分かったか、ステイト」
「うっ…うん」
見たこともない真剣な表情に、俺は自然に背筋が伸びた。そっか、別にニコラは俺に死んでほしいわけじゃないもんな。
もう一度俺は首にかけられたペンダントを見つめて、頷いた。
「分かった。絶対突き返す」
「聞き分けが良くて何よりだ。それからシルヴェスタ。…個人的に、聞きたいことがあるんだが、いいか?」
そう言ってシルに向き直ったニコラは、いつものように好青年の明るさを醸し出していた。シルが頷き、部屋の隅っこに二人が移動する。
俺はじーっと二人が会話する様子を見てたけど、何を話してるのかは聞こえなかった。ニコラのペンダントをいじりながら、二人を観察する。
世間話でもしているような表情でニコラが話していたけど、ふいにシルの顔がこわばった。そして、ニコラが何かを聞いたのか、シルが小さくうなずいたのが見える。
それからは真剣に話し込んでたけど、結局なんだったんだろう。ただ、びっくりしたのはニコラが最後に、騎士としての外交用の礼をしたことだ。
多分、外国事情に強いらしいニコラのことだ。シルに何か気づいたな。
それからニコラは、
「じゃあな少年ども!せいぜい風邪ひかないようにしろ!」
と言って去って行った。風邪なんか引かねーよバカ!
あの後、シルにニコラが何を言ったのか聞いてみた。すると、困ったように笑ってシルが言った。
「僕がアルギークの王族であること、ばれちゃったみたいだ。…アルギークの王族は皆、国民では唯一赤い目になるんだよ。
でもこれはあまり知られてないはずなんだけど…。ニコラさんは物知りなんだね」
へっ。そうなのか。でも、それをなんでニコラが。…そんなにあいつ外交関係関わってないと思うんだけどなー。
まぁいいか。ほんとは俺、あまりニコラのこと知らないし。
さて。これからどうするかな。
とりあえず今日と明日はゆっくり休もう。ほとんどシルのおかげだけど、次の町へ行くまでの旅費は確保できたんだし。
明後日の朝早くにこの町を出て、寄り道しないようにまっすぐ次の町・ユハへ向かわないと。
シルがパンパンッと軽く手を叩いて、にっこりと笑う。
「後の予定とか買い物とか、全部僕がやっておくからステイトはもう休んで。今日の午後に宿へ戻って、それから話し合おう?」
「あ、ああ。ごめんな、シル」
「大丈夫。スリには気を付けるね」
あはは、と軽やかに笑ってシルが広間から出ていった。ポツーンとベッドの上に取り残された俺は、まだ痛む体をもう一度ベッドに寝かせる。 うっ…やっぱり痛いな。薬草のおかげで治るのは早くなるだろうけど…。この痛みを一瞬のうちにぶつけてきたニコラは正直、すごいと思う。
まだ遠いのかな…。きっと、シルでもニコラには敵わないんだろう。
チャリ、とペンダントの鎖が鳴る。いつか絶対にこれをニコラへ突き返してやる。俺はそう思いながら布団の中にもぐりこんだ。
シルは俺が眠っている間に、バッチリと買い物をしてくれた。俺が買い忘れそうなものまで、それはもうキッチリ。
ほんと頼れるな…お前に汚点はないのかよ…。
ちょっと痛む体をシルに支えてもらいながら闘技場の医務室を出て、借りていた宿に戻る。
まだ歩くたびに、体のいたるところがギシギシミチミチと軋むからもう、…うへぇ。
闘技場のほうから出てくる奴はだいたいこんな感じで怪我してたりする人が多いらしいから、道を行く町の人たちもいちいち気にしない。
するするっと宿に戻って、荷物の整頓をゆっくりやりながら午後を過ごした。
早めに夕食を食べて、明日の相談をする。俺はベッドに腰掛け、シルはその向かいのソファに座った。
「明日も早めに起きて、まっすぐユハへ行こう。あ、でもシルが闘技場で頑張ってくれたから金が結構たまったんだよな。
ギリギリだけど、ユハまで一日でつける馬車を借りられるぜ。どうする?」
お金の整頓をしていると、思ったよりもシルがお金を稼いでいた。何この子優秀…!あとは俺が森で拾ってきた材料とか雑貨とか売ったらちょっとお金になった。
そんなこんなで、食費とかを抜いてもぎりぎり馬車を借りれるお金ができた。
借りるって言ってもまるごとじゃなくて、普通に乗せていってもらうだけなんだけど。
シルは、んー、と首をかしげていた。けど、人差し指をぴ、と前に出して言った。
「だったら、せっかくだし馬車に乗ろうよ。歩きなら二日かかるんだよね、まだ完治してないステイトを無茶させたくない」
「俺は別に気にしなくてもいいけど…。まぁ、早くつきたいしなぁ。ユハについたら、また依頼とかこなして稼げばいいし。
じゃ、お金に甘えて馬車に乗ってみるか」
「うん。えっと、ユハ行きの馬車は何時から出てるんだっけ…」
シルが立ち上がって、こんなこともあろうかと街中の観光案内所で貰っておいた馬車乗り案内をチラシをカバンから取り出す。
確認できたのか、シルは俺の隣に来て腰を下ろした。隣に座ったシルの手元にあるチラシを覗き込む。
「えっと、これかな。朝一番で出るのは…6時発だね。予約を取ってないから、もしかしたら乗れないかもしれないけれど…」
「仮に6時発のに乗れたら、ユハに着くのは夜の8時か。ま、アサイチだからあまり人もいないだろ。行ってみようぜ」
俺の言葉にシルが頷き、明日起きたらすぐに出ていけるように最終の荷物まとめをした。俺も大して荷物ないけど、ちょっと触っとくか。
あまり整頓してなかった薬草のビンとかをまとめてると、シルが振り返って俺に言った。
「こんなこと言ったら悪いんだけど、でも僕、少しわくわくしてるんだ。誰かと旅に出られること」
逃げてるから急がないとだめなのにね。…と言うシルに、俺は思わず吹き出す。
「いや、まぁ楽しんだもん勝ちだろ!確かに、追われてる身だけど、暗く旅なんかできねーよな。
正直俺もわくわくしてる。ユハは水に恵まれた町で、すごく自然がきれいなんだってさ。俺は王都暮らしだから楽しみだ」
「僕も、自然がたくさんの場所はあまり行ったことがないんだ。いろんな意味で、いい旅になるといいよね」
にこっ。王子様スマイル!ギャアアッ目が焼けるまぶしーいっ!
ぐっ、俺があんなふうににっこり笑っても、多分あんな王子様フラッシュできねーぞ。
ヨーウェンさんがいたら「また悪巧みかな?」って言われるだろうし、アリシアなら「スティへんなの!」、ニコラなら「きもちわるっ」だ。
俺どれだけ信頼ないんだよ。ニコラとかもう、逆にへこむ。あ、逆じゃない。素直にへこむ。
この王子様フラッシュスマイル、なにかの技に使えねーかな…とか考えてたらもうシルが荷物整頓を終えてた。やべっ、俺も急ごう。
結局、明日は寝坊しないようにねー、という遠足前のような会話で俺たちは就寝したのだった…。
がばっ。俺の体内時計舐めるなよ、今は五時だろピッタシだろ!
と俺が勢いよくベッドから起き上がると、もう部屋は明かりが灯されてて、シルがソファで優雅に読書してた。あれ。
「シル、おはよ。今何時?」
「おはよう。今は5時20分だよ。朝食はパンがあるから今のうちに食べておいてね」
ぱたん、と本を閉じてシルが俺に穏やかに言った。おいおい。寝坊だコノヤロウって怒ってくれてもいいのに。
俺は転がるようにベッドから降りて、片手にパン、片手に荷物でわたわたしていた。
6時発だろ、馬車。だったら早めにいかねーと。俺がパンを食べたらすぐに、っていうかもう食べながら行ってもいいじゃんかゲホッゴホッやべっパン詰まった!
「……!」
「ど、どうしたのステイト…あ、水!はい、これっ」
うぐっ苦し!シルありがとうぐおおおっ苦しっ!
あーもう、出発前からこんなんで大丈夫なのか、俺…。
結局パンは落ち着いて食べた。その間にシルが宿の代金を払ってくれたり、荷物持ってくれたりした。うぅ、優しいやつめ。
そして今、俺とシルは宿を出て町の広場に来ている。まだやっと空が明るくなってきてるのかなー、どうかなーって感じの頃。
こんな早い時間でももう広場に人がいる。もちろん、ちらほらとなんだけど。ここは馬車が来る場所だから、俺たちみたいな馬車待ちの人ばかりだ。
俺がぼーっと朝の静まった街を見つめていると、袖をくいくいとシルに引っ張られた。なんだ?
「ねぇ、ステイト。馬車の人が来たみたいだけど、ユハ行きってどれか分かる?」
「あ、来たのか。えっと、看板あるだろ。そこの馬車だな」
馬車が止まるところには、それぞれ行き先が書いてある小さな看板がある。ユハ行きの看板のそばにちょうど来た馬車を見つけ、近づいてみる。
すると、ひょこっとした小柄なおじさんが馬をくくりながら鼻歌を歌っているのを見つけた。あの人か。
「おじさーん。ユハ行きってこれ?」
「んあ?そうだぞ。坊主たち、ユハへ行きたいのか」
悪い人じゃなさそうだ。けど、一瞬俺たちを値踏みするように見た。俺はもうかつらはつけてない。けど服とかそのままだからけっこうボロボロな格好してる。
そういや服も買っとけばよかったな…と思いつつ、俺もおじさんを見る。あ、これはあまり期待されてない。
俺の今の見た目だとちょっと貧民って感じが出てるもんなあ。おじさん的には、あまりお金を落としてくれない残念な客って感じになると思う。
一方、シルを見るおじさんの目はわずかに期待に輝いていた。シルはなんだかんだ言ってけっこう上質な服のままだし、容姿端麗でしゃきっとしてる。
俺が最初にシルを見たときと同じく、どっかの坊ちゃんだと思ってるだろう。金づるにされるのは困るけどな。
シルがいつものにこやかな笑顔でおじさんに声をかけた。
「ユハ行きの馬車は空いてますか?」
「ああ。一人予約が入ってるが、それ以外はまだ席が空いている。乗れ、お代は後払いだ」
くい、とおじさんが馬車に親指を向ける。馬車って言っても貴族の乗るような馬車じゃないから天井もないし、豪華な飾りもない。
大きい横椅子が前と後ろで二つ付いてて、一台の馬車でだいたい6人の客を乗せれる。
ユハ行きは一時間に一本しかないから乗れてよかった。これで予約ぎっしりだったらあと一時間待たねーとだめなところだった。
シルが律儀に礼をして、後ろの椅子の奥に座った。俺はその隣。まだ出発まで20分ぐらい時間がある。シルと話して時間をつぶすか。
そう思ってシルを見ると、ちょっとシルがぼーっとしてるように見えた。
「シル?」
「…あ、ごめんね、何?」
「いや、なんかぼーっとしてたからさ」
「…ん、ちょっと眠たくって」
あはは、と目をこすりながらシルが笑う。俺も笑って返そうと思ったけど、よく考えたらシルが寝不足なのは当然だ。昨日の夜は寝る時間をとれたけど…。
その前の夜は俺を夜通しつきっきりで看病してくれてたんだし。俺は申し訳なくなった。
「ごめんな、俺が闘技場で倒れた時の夜、寝てないんだろ」
「あ、いや、ステイトは気にしなくていいんだよ。ほら、僕は大丈夫!」
はっとしてシルが明るく言う。でも赤い瞳の外側もすこし充血してるし。…これはちょっとでも休んだほうがよさそうだよな。
「シル、馬車だから走ってる途中揺れるだろうけど、眠くなったら寝ていいからな。背もたれもデカいし、横に柵もあるから。
あ、でもシルけっこう背高いし、外側にもたれたら下手すりゃ落ちるかもだよな。俺のほうにもたれろよ、眠くなったら」
「うん、ありがと…ふぁああ…」
俺の言葉を聞きながら、シルが大きな欠伸をする。それからまたぼーっと前を見始めたけど…お…瞼が落ちて…あっ上がった…また落ちて…。
首がっくんがっくんしてるし。寝ろよ。と思った時。
…ぽす。
俺の肩に、ゆっくりとシルの頭が落ちてきてもたれかかった。俺の頬に、シルのサラサラの赤い髪が当たる。肩の重みが増して、そこからすぅすぅと寝息が聞こえてきた。
「…シル?寝たか?」
「……」
寝たな。ちら、と目だけ動かしてシルを見ると、安心したように目を閉じてるのが見えた。おうおう、寝とけ寝とけ。
どうせこれから夜までやることないんだしさ。
あと数分で出発するぞー、とおじさんが言うのを聞きながら、俺は改めてシルについて考えてみることにした。
まず、この数日で分かったこと。シルはむちゃくちゃ強い。こんなひょろくて人のよさそうな感じからは想像できないくらい。
多分俺がケンカ売ったら軽く負ける。やっぱあれかな。王子様だし、こういうのって訓練されてるのかも。
あと、穏やかで優しい。世話焼きだし、一緒にいて落ち着く奴。世間知らずかと思ったらいろんなことに詳しいし。
もしかしたら俺よりも世間については詳しいんじゃね?頼りになる赤色王子。
でも寝顔は…うーん、なんか、どっちかというと可愛い系だな。これはおばちゃんとかにモテそう。じゃなくて。
まだシルを追いかけてきてる刺客の姿はない。だけど、きっと今もシルを探してるだろう。早く安全な場所、聖セレネに連れてってやらねぇと。
…むしろ、俺がシルに連れてってもらってるような。……うん…、シルが強すぎて俺がかすんでるだけだって…!
俺もシルに迷惑はかけねーくらいには強くならないとな…。そう思いながら、シルのほほをつついた。