49 名前
数秒かからず、どうやらヤンチャ者の多いらしいエルマノスのギルドメンバーを土下座させた大男のオッサン…。彼こそが、このギルドのギルドマスターみたいだな…。
俺の目は、土下座するギルドメンバー一同、隣で呆れるミンミ、そして俺の体よりもデカい大剣を床に突き刺して腕組むオッサンの間を行ったり来たりしている。どうすんだこの状況。あとラグリマどうなったんだ…。
ちなみに土下座メンバーにニコラは含まれていたのか?否!あいつ、さりげなく距離を取った壁際で小さく頭下げてるだけじゃねえか!お前も暴れてただろうが!
けど、そんなツッコミを入れるには重すぎる、というか痛いほど静かな空気がロビーに流れてる。ただただ焼け焦げた椅子の匂いが漂って、ちょっと鼻をつく。
エルマノスのギルドマスター、デイゼン・ギースヘイム…。通称『おやっさん』。それを聞く限り、慕われているのはよく分かるけど…恐い!威圧感やべえーっ!
ギロッと『おやっさん』が一睨みし、さらに沈黙が重くなったとき。ギィ、と奥の扉が再び開いて女の人が顔を出した。
「皆~、クッキー焼けたわよー」
ちょっと間延びしたのんびり声が、ぽやーんと場違いに沈黙のロビーに響く。えっ、そのタイミングでクッキー焼けたんですか!?そして今言っちゃうんですか!?と俺がポカーンと女の人を見つめたとき。
「キーーターー!!」「奥さんのクッキーが焼けたぞぉおおっ!」「おいお前押すな!」「うわーっ、良い匂いーっ!」
―――ドドドドッ!
ちょ、待てよ!どういうことだよ!え!?多分、奥の部屋から出てきて『クッキー焼けた宣言』したのがあの『奥さん』だよな?ギースヘイム夫人。けど…。
その『クッキー焼けた宣言』の瞬間、怒られて土下座してたのも忘れたみたいに一斉にギルドメンバーが奥の部屋へ走って行ったんだけど!しかも部屋に入りきれてないからぎゅうぎゅうになってるし!
「…ミンミ、これはどういう状況なんだ?」
「いつものことなの。メンバーが騒ぐ、マスターが怒る、お説教中に奥さんが入ってくる、お説教がうやむやになる。ほら、見てみて」
ミンミがすっと指を指した先には、ぽつーんと一人残されて腕を組んだまま立ち尽くすギルドマスターの姿が…。ああ、切ない…。でも、そこにすたすたとギースヘイム夫人が歩み寄ってニッコリした。
「何してるの、デイゼン。恐い顔よ。ほら、クッキーが焼けたんだからあなたも一緒に食べましょ?今日は木の実クッキーなの」
「……あのなあ、いつも思うがよ…俺が説教してる間は…」
「あなたの好きなクルミクッキーも焼いたの~」
「うおおおおーっ!こぉーらぁー、てめえらぁあっ!!このマスターを差し置いて勝手に食べに行くんじゃねえーっ!覚悟しやがれぃ!!」
『ぎゃああマスターきた!』『ちょ、どけっ!』『お前らクルミクッキーは残しとけよ!食ったら殺されるぞ!』『痛い痛い痛い!』
そこは、戦場だ。俺が今まで潜り抜けたどんな修羅場よりもある意味戦場だった。マスターのずば抜けた巨体がバンバンとギルドメンバーを吹き飛ばして奥の部屋に消えていく…。な、なんだったんだ…。
ミンミが、呆然とする俺に苦笑いして言った。
「ね、賑やかでしょ?」
「…ああ、なんつーか、…言葉を失うっつーか…」
決して俺のテンションが低いわけじゃない。違うんだ。ただ俺はまだこのテンションに取り残されてるだけなんだ…!それは壁際のニコラも同じで、ハァ?みたいなポカーン顔してるし!
つか、クッキーってそんなに重要ポジションなのか!?これ、クッキー争奪戦には見えない勢いなんだけど!十分、武闘大会の勢いというか!こ、この国恐い…!
いつの間にかクッキーのたくさん並べられたプレートを持って、奥さんが次々にロビーのテーブルに置いて行く。いったい幾つ焼いたんだ…。けど、あっという間にこの広いロビーが美味しそうな香ばしい匂いに包まれた!
最初は奥の部屋に殺到したメンバーたちも、やがてロビーのテーブルに着いてわいわい言いながらクッキーをかじり始める。あの痛いほどの沈黙の説教タイムから一転、このクッキー祭り。…奥さん、すげぇ…!
ちょうど俺とミンミの近くのテーブルに奥さんがクッキーを持ってきた。ふわふわの茶髪をスカーフでくくっているエプロン姿の奥さんが、にっこりしながらクッキーをテーブルに置く。
「あら、ミンミちゃん。可愛い男の子連れてるじゃないのー」
「ステイト君っていうの。シエゼ・ルキスから来たんだって」
…なんかさっき、可愛いとか聞こえた?いや、聞き間違いだな。うん。ミンミが言ったのを聞いて、奥さんが俺に手を差し出してきた。あ、握手か。
「こんにちは、ステイト君。私はベルータ・ギースヘイム。このギルド、エルマノスのギルドマスターの妻よ。よろしくね。あ、クッキーどうぞ~」
「こんちは。ステイトです。あ、クッキーいいんですか?」
「遠慮しないで、ほら、座って。あら、あそこの壁際のお兄さんも見かけない顔ねぇ。ステイト君と一緒に来たのかしら?」
「ああ、そうです。ニコラ!こっち来いよ!」
ミンミが椅子に座るのを見ながら、俺はニコラを呼んだ。気付いたニコラが姿勢よく歩いてきて、奥さんににこっとする。
「どうも、こんにちは。こいつの連れの、ニコラ・シフィルハイドです」
「あらー。シフィルハイドさんといえば、ロレンシオ・シフィルハイドさんなら知っているわ。以前、シエゼ・ルキスに行った時に防具を買っていただいたのだけれど…」
「…俺の兄です」
「まぁ~、そうだったの!以前、シエゼ・ルキスの王都の市場で武器と防具を売っていたのだけれど、そのときに熱心に見ていかれる男の子がいらっしゃったから」
…ニコラの兄って、前になんか言ってたな。なんだっけ…、エッケプレの町に行ったときに話してたな。兄が生真面目、弟は病弱なんだっけ?
へぇ、奥さんはニコラの兄に出会ったことがあるのか。俺、ニコラの兄弟は会ったことがないどころか存在すら知らなかったし。
ニコラが肩をすくめて笑った。
「俺もなかなか兄には会えないので…。会えたら伝えておきます」
「ええ。まだ私が夫と結婚する前だからだいぶ前のことなんだけどね。20年ほど前よ。まだ小さな男の子が、熱心に防具を見てたの。どうしたのって聞いたら、弟が生まれたから僕が守るんだって防具を買いに来たって言うの。
その弟ってあなたのことだったのかもしれないわねぇ」
「……に、兄さん…」
なんつう微笑ましい話だ!ロレンシオさんだっけ?兄貴いい奴過ぎる!子供のお金じゃ防具も高いだろうに。ニコラがちょっと気まずそうに笑いながら頬をかいてるのを見て、俺もミンミも笑ってしまった。
「ニコラ、お前の兄貴すっげぇ良い奴だな」
「俺が10歳になる頃にはもう騎士見習いとして家を出ていたから、あまり会えないんだがな。兄さんは今、第二隊の隊長だ。城警備隊の隊長クラスとなると、家にも帰らないし普段も会わない」
「そうなのか…て、兄貴何歳?」
「今で29だな」
奥さんに勧められてニコラも椅子に座る。ロビーを見渡すと、もうギルドメンバーたちはちゃんと行儀よくテーブルについてクッキーパーティー状態になってる。ミンミが興味深そうにニコラを見た。
「シフィルハイドさん、シエゼ・ルキスの騎士なの?」
「ああ。家柄が代々騎士で、兄も俺も騎士だ」
ニコラがそう言った時。ほぉ、と上から低い声が聞こえた。う、うおおおっ!?びっくりした!見上げるとちょうどそこに、クルミクッキーを片手に持ってるギルドマスターの姿が!
「あら、あなた。どうかしら、今日のクッキーは」
「いつも最高の焼き具合だ。…ところで、そこの若いの。てめぇ、シエゼ・ルキスの騎士か。コットリアの騎士は腰抜けばかりだが、てめぇはどうなんだ?」
ガタン、と音を立てて勢いよく椅子に座るマスター。ニコラもちょっと見上げるほどの巨体が椅子を壊さないか心配だけど、ちゃんと頑丈な椅子みたいだな。ほっ。
奥さんも近くの椅子を持ってきて、テーブルにはギースヘイム夫婦、俺、ミンミ、ニコラが着いていた。マスターの問いに、ニコラが不敵に笑って見せた。
「俺は、コットリアの騎士には負けないつもりです」
「ギルドはどうだ?俺のこのギルドの奴らはバカが多いが腕は確かだ。確かにてめぇ、なかなか強そうだがどこまでやれる?」
「…やってみないと分かりませんね」
ニコラが好戦的に笑う。うわー、これはスイッチ入ってんぞ。けど、マスターはこれが気に入ったらしい。ハッハ、と大きく笑ってバキッとクッキーをかじった。
「気に入った、騎士の若いの!明日の朝、またここに来やがれ!うちのギルドの奴らを何人ぶちのめすことができるか、見てやろうじゃねえかぁっ!」
「分かりました、今日はよく寝ておきます」
「旅の奴だろ、てめぇとそこの小さいのは。宿が決まってねぇなら、ベルータの経営するエルエッジを借りな。ベルータ、部屋は空いてるな?」
「ええ。大丈夫よー」
「決まりだ!コットリアは武の強さを重んじる。強い者こそが称えられる。シエゼ・ルキスの騎士の誇りは、俺たちの誇りに勝るのか…おもしろいじゃねえか。そうだろ、てめぇらよお!」
『もちろんだ、マスター!』『騎士のあんちゃんなんか一発だぜ!』『にいちゃん、まずは俺が相手だぞ!』『何言ってんだい、アタシだよ!』
血気盛んな方々で…。俺にはとてもできない。つか、宿を借りる交渉しに来ただけなのに、こんのバカニコラの野郎、何故戦う約束してんだ!このバカ!戦闘バカ!俺その間何しとけっていうんだ!
いきなりうわぁーっと盛り上がり始めたギルドの皆さん、それと楽しそうに話し始めるニコラを見ながら俺はため息をついた。
「あーあ、もうバカニコラめ。俺は知らねーぞ。俺、明日一日寝とこ」
「ステイト君、シフィルハイドさんの戦うところ見に行かないの?ギルドの皆も結構強いよ?」
「もうこいつが戦ってるところは嫌ってほど見たし、俺自身何度もこいつにはぶっ倒されてるからもう腹いっぱいだ。ミンミは?見に行くのか?」
「うーん。すっごく気になるけど、明日は買い出し頼まれてるの。だから市場に行かなきゃ。そうだ、ステイト君も暇なら私と市場に行ってみる?今日初めてロロターナに来たんだよね?」
「あ、行く!魚とかすっげぇ売ってるってラグリマが言ってた……って、ラグリマはどうなったんだろう」
「そういえば…フーゴさん、大丈夫かな」
魚市場は楽しみだ!けど、それを教えてくれたラグリマを思い出す。あのまま星になったのか…?俺とミンミが顔を見合わせた瞬間、バターンッとすでに壊れてる入り口のドアが音を立てて開かれた!
「なんで俺だけこんな目に遭うんだァーっ!畜生!」
…頭に海藻乗っけてるびしょ濡れのラグリマが、今まさに帰還したところだった。あ、海に落ちたんですね…って、どこまで吹っ飛んでんだ!?
隣のミンミが、口をパクパクする俺と呆然としているニコラに微笑んだ。
「まぁ、いつものことだから…」
「なんでもそれで済むわけねーだろうがァーっ!」
ラグリマ。…お前、苦労してんだな…。俺は温かい目で、ラグリマが海藻を引っぺがすのを見つめていた。
**
「けど、とりあえず宿を借りられて良かったな。三食ついて、一晩一人五百Gなんてさ」
夕方の宿。無事に俺とニコラはベルータさんの経営する宿、『エルエッジ』の一室を貸してもらえた。一室と言ってもそこそこ広いし、当然ちゃんとベッドも二個あるし、机やソファまでついてる。これで一人五百Gは安い!
しかも二階から見える景色はなかなかだ。さすがに他の建物が邪魔して海は見えないけど、人の往来の多い通りを眺めてるだけでも退屈しない。窓を開けてると、海の風が町の音楽を乗せて吹き込んでくる。
とりあえずエルマノスの皆と一旦別れて、俺とニコラはベルータさんに宿を案内してもらった。それで今はもう宿泊の手続きとかを終えて部屋でのんびりしてる。今日はもうゆっくり過ごすことにしたんだ。
まぁ気長にしていけばいいし、最初から気合を入れすぎてこけるのもツラいからな…。
俺はソファにふてぶてしく座って、部屋の隅っこで荷物整理をしているニコラを見た。なんだか楽しそう。やっぱり、ギルドの皆と戦う約束ができたからだろうなぁ。どんだけ戦うの好きなんだよ。
と、俺が黙って見つめてると。ふいにニコラが俺を振り返り、目が合った。
「…なんだよ?」
「いや、お前は戦わないのか?」
「馬鹿言え!俺は無駄な戦いはしない主義なんだぞ!本当に必要なときだけ戦う、後は避けて逃げて事なきを得る。これがモットーだ」
「いっそ清々しいな」
感心したようなニコラの声だけど、なんかムカつくぞ。俺は戦うの嫌いなんですー。盗賊は戦士じゃありませんー。それに盗賊やめたから俺はただの一般市民ですー。…とはいかなくても、戦わずして済むならそれがベストだ。
荷物整頓を終えたニコラが、ベッドに腰掛ける。黙って俺をじーっと見つめるのやめてください。無言の視線に抗議しようとしたとき、ニコラが手袋を取っている手で俺を指さした。
「…ん?」
「シンギングリーフ」
「は!?」
ニコラが俺を指さしたまま、表情を変えずにぼそっと何かをつぶやく。途端、ニコラの指の周りに黒紫の魔法陣が浮かび上がった!そこからバチバチッと黒い光が俺にまっすぐ走って…霧散!び、びっくりしたっ!何事だ!
慌てて俺は立ち上がってニコラの突き出した指をぺしっと引っ叩いた!
「いいいいきなり何すんだ!さっき明らかに俺に魔法使っただろ!?」
「やはり通じないんだな、魔法」
「お前な!今まで十分俺が魔法を受け付けないところは見てるだろ!なんだってわざわざお前が攻撃するんだ馬鹿野郎!び、びびった!」
はぁー、ったく、何事かと思ったじゃねえか!改めて試したくなったのかよ!すると、今度はニコラがはたかれた手で俺の片手を掴み、座ったまま俺を見上げた。
「もうリウは手加減できるんだろう?困らない程度に俺を攻撃してみろ」
「…はぁ?いや、加減はもうバッチシだけど、なんでだよ。それに、攻撃なら…俺が暴走したときに受けてるんだろ?」
「いいからやってみろ」
解せぬ。けど、ニコラの表情は純粋で、その要求も単なる好奇心から来てるみたいだ。凛々しい目が早くしろ、と急かしている。…分からねー奴。俺は腕を掴まれたまま、その触れている場所に意識を集中させた。
「……冷やせ、リウ」
――シュウッ!
俺の体の内側から力が巡り、ニコラの手が触れている場所に突き抜けていく。さすがに凍らせるとニコラの手が凍傷を負ってしまうからあくまで冷やすだけ。凍傷なんか負わせて明日の戦いに支障が出たらまずいからな。
手を離してからもう一度触れると、確かに温かかったニコラの手がひんやりとしている。おお、俺ってばいい調子に加減できてるじゃねーか!
ニコラがもう片手で冷えた手をさすりながら、ふぅと柔らかく口元に弧を描く。
「どんどんお前は成長していくな」
「早く誰かさんに追いつきたいからな。もたもたして、アリシアやユハの町のチビ双子に追い抜かされるのもかっこ悪いし」
「…そうだな。だが、それは俺も同じだ。もたもたして、誰かさんに追いつかれるのは癪だ」
ニコラが久しぶりに、陽気にからっと笑った。最近のニコラは何かをずっと背負ってるような、気難しい感じだったからちょっと俺も安心する。…良かった。
俺はもう片手をニコラの頬に当てた。ふふふ、突然のことでびっくりしてやがる!そのまま俺はすぐに言った。
「冷やせ、リウ!」
「っ、この!ちょっと誉めればすぐに調子に乗りやがる!」
「油断する方が悪いんだよっ!」
へっへーん、奇襲成功!冷やした頬にニコラが慌てて自分の手を当て、熱を共有させてるのを見ながら俺はソファに座ってふんぞり返った。いつまでもお前に負けてばっかりのお子ちゃまじゃねーんだよ!
と、その時。コンコン、と部屋がノックされた。
「はーい?」
『お部屋はどうかしらー?』
「あ、ベルータさん」
ドアを開けに行くと、ベルータさんが小さなバスケットを持って廊下に立っていた。ふわふわの茶髪を揺らして、にこっと微笑む。
「まだお夕飯までは時間があるから、はい、これ。さっき焼いたクッキー、まだまだ余ってるから持ってきたのー。またお夕飯の時間になったら呼ぶわね」
「あ、ありがとうございます」
受け取ったバスケットから、ほんのりといい匂い。もう時間が経ってるから焼きたてじゃないけど、やっぱりすごく美味そう!ベルータさんがまた廊下に消えていくのを見送って、俺は部屋のドアを閉める。
まだ片手を頬に当てたままのニコラに笑いながら、俺は近くのテーブルにバスケットを置いた。…まだ、夜は遠い。
**
夕飯の後。もう俺はちゃーんと、部屋に引きこもっている。教訓、夜は出歩かない!ろくなことがないから!
そんな俺を放置し、ニコラはこの宿の建物の一階にいる。一階は酒場になってて、エルマノスのメンバーが入り浸ってるからな。ニコラにもラグリマからお誘いがかかって結構強引に連れてかれてた。
俺もついて行こうかなー、って思ってたんだけどさ。酒臭い酒場を想像するとあまり行く気がなくなった。…酔っぱらいに絡まれんのも嫌だしな。うん、面倒事は関わらないに限る!
そんなわけで俺は一人、明かりもつけずに窓を開けて外を眺めていた。まだ町が明るいから星も見づらいし、あちこちから賑やかに声や音楽が聞こえるからしんみりもできない。けど、これはこれで楽しいぞ。
宿の前を通り過ぎるいろんな人たちは、武器を抱えてたり市場からの帰りだったり、そりゃもう色々!すっかり夜なのに静まり返る気配を見せない。
うーん、ダメだ。いつまでも見てられそうなんだけど、眺めてるだけじゃ退屈だ。かと言って散歩に行ってまた魔族に見つかるのも嫌だし…寝るしかないか。そうだぞ、普段ならそろそろ寝る時間だ!
もそもそとベッドに入って目を閉じる。…がやがや、ざわざわ。ぴーひょろぴーひょろ…デンデケデン…ジャカジャカジャーン、ざわざわざわざわ…。
「…うるさすぎる」
いざ目を閉じてみると、今度は音がやたら耳に入ってくるよな。いやー、不思議!全然寝れそうにない!耳栓作ろうかな、と思いながら上半身を起こすと、ふいに窓の外が一瞬輝いたように見えた。…気のせいか?
いや、確かに何か光った。ベッドから降りてまた窓辺へ寄り、カーテンを開ける。町の人の反応を見ても、…いや、変わりない。じゃあ何かが爆発したとか、そんなんじゃないんだ。
だったらさっきのは何だったんだ?…まさか。
俺は窓から身を乗り出し、空を見つめた。うっすらと星が見える夜空の中に…あった。見るたびに色を変える、強い光を放つ星が。あの妙な幻聴が聞こえた夜に見えたやつだ…!
そのとき、またカローン、と軽やかな鐘の音が聞こえた。連動でもしてるのか、同時にあの新緑と花の匂いを乗せた風が吹き抜ける。…なんだよ、いったい。
けど、この匂いは…どうしてだか懐かしい。俺がぼんやりと星を眺めていると、またあの声が頭の中に響いた。
『やあ、今日も綺麗な星空だね』
「…やっぱりか。何なんだよ、お前は」
『私は君であり、君ではない者。そういうものなんだ。名前ももう、重なりすぎて分からない』
相変わらず姿のない声は、やけに落ち着いた様子で俺に話しかけてきた。うーん、本当にこいつは何者なんだろう。敵でもないような、味方でもないような…。
俺はさっきの『そいつ』の言葉に首をかしげた。
「名前が重なるってどういうことだ?」
『そこが私が君であり、君ではないということ。君は自分の名前を持っている。テレステイア、君の名前はとても綺麗だ』
「はぁ?だから、俺はテレステイア?とかじゃねぇよ。俺はステイト」
『君は私と同じ、楽園の種の子供だろう?君はたまたま知る由がなかったんだよ、君の本当の名前を。君を残した花は君があまりにも幼い時に枯れたから』
本当の、名前?俺の?じゃあ、楽園の子供っていうのは…トルメルの子供ってことか!?
「おい!その花って俺の両親のことなのか!?」
『そうだよ。けれど、君が幼い時に君に意思を伝えられないまま…力尽きてしまったんだ。花は上手く咲かなかった。その種に栄養分をやりすぎたんだ。最後の種だから』
「てめぇの言い方は遠回しすぎるんだ!俺の両親は…俺が最後のトルメルの子になるから、その力を俺にほとんど明け渡した…そのせいで死んだってことか…!?」
『…だから君は、今までのどんなトルメルよりも強く可能性に満ち溢れた力を秘めている。島を飛び出した異端者、イハニメレテも君の力には敵わない』
「イハニメレテ…ハニ!ハニのことか…!」
俺の両親は、俺にトルメルの力を託してしまったんだ。…でも、俺が最後。その託された力をまだほとんど目覚めさせることもできてないのに、もう俺はトルメルを残せないのに、俺に何ができるってんだ。
顔も知らない。どんな人だったか、どんな思いで俺を生んで死んだのか。…分からないけど。たった一つ、聞きたい。
「…なあ、俺の両親の名前を教えてくれよ。お前は知ってんじゃねーのか?」
『…私は楽園の子供たちが還る場所。その名も知っている。一番新しく、私に上書きされた名前なのだから。君の父はルアリテレス、母はエミネテイア。共に聡明で慈しみ深い花だった』
「そう…か」
ルアリテレス、エミネテイア。それが…俺の父さんと、母さんの名前なのか。それを聞いて、俺の心の中にずっとあった靄が一つ晴れていった気がした。今まで全く知らなかった両親に…触れられたから、だろうか。
テレステイアは…俺。不思議だな、テレステイアだとしても愛称は『スティ』でいけるじゃねーか。俺はやっぱり、『スティ』だ。
だけど、こいつの目的は何なんだろう。トルメル絡みってことはよく分かったけど…いまいち俺の前に現れる理由が分からない。あの星も、いったい俺にどうしろってんだ。
そんな俺の考えを察したのか、声はあっさりと俺に告げた。
『私は君に、最後のトルメルとしての役目を果たしてもらいたい。…それは、またトルメルを繁栄させること。孤島は滅びたように見えるけれど、君が訪れるのを静かに待っているだけなんだ。
まだ未完成の君が、イハニメレテの残した力に触れたことで…君の本来の力を目覚めへと向かわせている。君が完全に力を目覚めさせ、君が楽園の種となった時…君は孤島へ向かうんだ』
絶海の孤島…それは、かつてトルメルが生きていた島だったな。確かにまだあるんだ。俺は光を放つ星を見ながら聞いた。
「…行き方は、全ての力をそろえたときに自然と分かるようになるんだったな?」
『そう。君が完全になった時、あの星が君に落ちる。あの星は星ではなくて、私が収集しきれなかった…枯れていった楽園の子供たちの力だよ。行くあてもなく彷徨っているんだ。
君が力を揃えれば、その力に引かれて星が落ち、君はそれを吸収する。そうして完全な楽園の種となった君は…』
「…俺は?」
『そこで、最も愛する人に別れを告げてもらうんだ』
カローン、と鐘が鳴る。頭の中で喋り続けていた声が反響し、またあの匂いが吹き抜ける。星が大きく瞬いて俺の視界からゆっくり薄れていき……。…また、さっきのことが夢だったように感じた。
部屋の中に、開けっ放しの窓から海の匂いがする風が吹き込んでくる。床の下からは、一階の酒場で騒ぐ人たちの声や音楽が絶え間なく聞こえてきた。…夢、じゃないんだよな。
俺は両親の名を知り、俺がトルメルで最大の力を秘めていることを知らされ、そしてするべきことを告げられた。
けど…最後の最後に、またあの『声』はよく分からない言い回しを使った。なんだよ、別れを告げてもらうって。島に行く前に別れの挨拶をするとかじゃねぇのか。俺はバカなんだからもっと具体的に言ってもらわないと!
別に俺に力が集まると聞いて、悪い気はしない。そうすべきなら俺はそうすべきなんだし、その為に今、この南国まで来てるんだし。塔でトルメルの道具を探すだけだ。
うーむ、分からねぇ。ニコラが帰ってきてくれたら相談するんだけど…この分じゃ帰ってきそうにもないな。どんだけ酒盛りにつき合わされてんだか…。
―――ダメだダメだ。やっぱり俺は考え事は苦手だ。っつーか、いきなり『最も愛する人』なんて言われても知らねーよ。はいはい、お布団お布団。
だけど。俺はベッドにもぐりこんでしばらく微睡んでいる間に、ふとある考えが思い浮かんだ。別れを告げてもらうってことは、俺が別れを告げるんじゃない。行き過ぎた考えだろうけど…、まさか…。
「…まさか、…俺は、愛する人に殺されろってことなのか…?」
ねーよ、と笑いたかった。けど、それ以外が思い浮かばない。やっぱり別の人に相談しよう、俺の偏った視点じゃこんな物騒な考えしか思いつかねーや。寝よう寝よう!
…そんなことを考えたからだろうか。それを否定したかったからだろうか。
俺はその夜、緑と花に溢れる絶海の孤島の真ん中で、誰かと寄り添って眠る夢を見た。




