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ルキスの剣  作者: 夜津
第二章 トルメルの子
38/131

35 荒れ地の岩


 朝早くから俺たちは道を黙々と歩き、歩き、歩き……だぁぁぁーっ!


 「疲れたあーっ!」

 「ひ弱だな」

 「頑張れ少年ー!」


 もう嫌だ!この景色!この天気!この何一つ変わらない全部が!嫌だ!なんだよ、歩けど歩けどひたすら続く一本道に長閑な風景!飽きた!

俺の心からの叫びに、騎士青年組二人は涼しい顔でさくさくと前へ進んでいく。ニコラは後で刺す! 

 

 俺も慌てて足を引きずりながら言った。


 「もう休憩しようぜー!朝からずっと、昼からもずっと…歩きっぱなしと戦いっぱなしじゃねーか!」

 「知っているだろう、魔物は人の気配が少ないところほどよく湧く。こんなところで休めば魔物の格好の餌だ」

 「知ってるけど!」

 「また休んでる間に大勢の魔物に奇襲されたらどうするんだ」

 

 うぐっ。そうだ、昨日の夜襲は酷く苦いものだったんだ…。ニコラの単調な冷静さ溢れる声に俺は言葉の続きを失った。助けを求めるようにジャッテを見る。


 「なぁ、ジャッテは疲れないのかー?」

 「言ったろぉ、俺は体力だけは無駄にあるんだなぁ。それに、昼飯食って結構時間も経ったんだし、もうすぐ次の町が見えるはずさぁ」


 はぁ。もう足がじんじんする。いいか、俺は持久力タイプじゃねぇんだ!一瞬で風の如く、さながら雷光の如くシュバババッと素早くあっという間に仕事を終わらすのがモットー!のーんびりコツコツってのは性に合わない。

立ち止まっては足を揉み、また気力で動かすのをずっと続けてる。ぐあああ、もうやだ。

 

 「言っておくが、渓谷はこんなふうになだらかな草原が続いてるのとはわけが違うぞ。足場も悪く、上りも下りも飽きるほどあるんだ」

 「うぐぐっ…想像はしてるけど…あーあ。なんでハニはそんなところに手がかりを残したんだろう…」


 呆れてがっくりとうなだれる俺に、ぴこーんと口で言いながらジャッテが話す。


 「だからこそ、じゃないのかぁ?本当に見たいのなら苦労を乗り越えてでも来い!みたいな」

 「それも一理ある気がするんだよな…ふぅ。頑張るしかないか」


 道のりには諦めよう、と俺が頭を上げたとき。草原の果てに何かが見えた。…あれは、町か!?


 「お、おい!あそこに見えるの…町か!?」

 「…そうみたいだな。お待ちかねの町が見えて良かったな、ひ弱」

 「るせぇ!体力が少ないだけだ!俺が回復したら覚えとけよてめぇ…!」


 にやっと笑みを浮かべながら言うニコラに秘技・膝かっくんをしかけようとしたけど、身長が合わなかったから背中を殴っといた。…かったい背中だな…こいつ…!

ま、いいか!町が見えたんだ、もうさっさと着きたい!俺は少しだけ歩くペースを速めた。それに合わせて歩くニコラとジャッテにちょっとだけ悔しい思いをしながら、俺たちは町へ急いだ。


 

 

 ラシマの町。大きさはけっこう小さく、農業を営むと言いつつもその地面はところどころ、赤い土の地面が見えている。ちょっと乾燥してるのか?

俺たち一行は町に足を踏み入れながら、その静まり返りように首をかしげていた。おかしいな、まだ昼間なのに人の姿がねぇぞ…?


 「…ここ、廃墟じゃねーよな?」

 「違う。田舎だから余所者を嫌がっているのかもな」

 「それだったら昨日のサミラの町も同じだろ。けどあそこは普通に人がいたし…」


 俺が廃墟かと疑うほどに、この町は静まり返ってる。来た道の反対側には、さっきまで茂る草原を歩いてきたとは思えないほどの岩がゴロゴロで赤土の大地が広がる荒野が見えるし。

『ラシマ』と書かれた町の入り口の掲示も錆びて、なんか…そう!不気味なんだ。


 そこで俺は、サミラの町を出るときに町のおばさんに言われたことを思い出す。『不吉な噂』…ま、まさか!


 「あのうわさって、人がいなくなるとかかぁ?」

 「あぁっ、ジャッテ!俺が言おうとしたことを!」

 「俺は人がゾンビにでもなってるのかと」

 「ニコラ、笑えない冗談は止めろ!」


 も、もう…!こいつら…!どっちにしても不安だ。ビュウ、と乾いた砂交じりの風が吹き、枯草がコロコロと転がっていくのが見える。…おいおい、ほんとに大丈夫なのか?

俺たちがこれだけ騒いでも人の気配は全くないしさ…。とりあえず、宿へ行こう。そこに誰かいないのなら…うわぁ、恐いことを考えるのはだめだ!


 カラーン、と宿の入り口のベルが鳴る。木造の小さな宿にずかずかと入り込んだ俺たちは、カウンターに誰もいないことに顔を見合わせた。


 「おいおい、宿も主がいないなんてどうかしてるって…」 

 「おかしいな。ドラゴンの目撃の報告がこの町の人間から送られてきたのは数日前のことだ…そのときは無事だったはずなんだが。何があったんだ?」

 「変だなぁ。…ほら、これ。このテーブルの上の飲みかけのコーヒー。湯気立ってるから新しいと思うんだけどなぁ」

 「分かった!…集団でトイレだな!」

 「馬鹿かお前」

 

 バカ呼ばわりとは失礼だな、と思うけど、俺も自分で言っといてさすがにそれはないかと思うから敢えて何も返さない。けど、このコーヒー。人はいるみたいだな?

ニコラが宿の中へ向かって叫んだ。


 「シエゼ・ルキス王都より来た!誰かいないのか!」


 と、そのとき!奥からガタン、と音がした。そしてゆっくり、ぎ、ぎ…と足音が近づいてくる。な、なんだよ…!緊張した俺たちが真剣な表情で廊下を向くと…!


 「…おや、お客様ですかな。失礼、お手洗いにおりましてな」


 じ、爺さん出てきたー!トイレ行ってたー!俺の推理ちょっとだけ当たったー!こんな状況だけどドヤ顔してたら、宿の店主らしい爺さんからは見えない位置で俺はニコラにひっぱたかれた。こいつ!

ジャッテがはぁーっ、と息をつく。


 「よ、良かったぁ。町の外に、こんな明るい昼間だってのに誰もいないからびっくりしましたよぉ」

 「ああ、びっくりされたか…すみませんな、今は少し、町の皆も怯えとるのです」

 

 小柄な爺さんがのそのそとカウンターに入って、飲みかけのコーヒーをずずっとすすった。


 「怯えてるって…ドラゴンに?」

 「おお、ご存知でしたか。その通り…。黒いドラゴンが渓谷から飛び立つのを数日前から町の者が見かけましてな。その夜、見慣れぬ怪しい何者かが町へきて、こう言ったのです。

  『私は渓谷のドラゴンである。誰か私の元に、人間を一人以上連れてくるのだ。誰でも構わぬ。一月待とう、誰も来ないのなら私が攫おう』と。

  全身を黒い服に隠し、その素顔は謎のまま…。当然、誰もドラゴンの元へ行きたいなど思いませんのでな、町の人々は争ったんじゃ。お前が行け、お前のところの娘をやれ、など…酷いもんじゃった。

  そして疑心暗鬼になった人々は今、家にこもって必要なとき以外は外に出なくなってしもうたのです」


 あ、あらま…。ドラゴンが人間を欲してる…って、つまりその…あれか?生贄ってやつ?皆、家族がいるもんな。誰も死にになんて生きたくないはずだよな…。

それで、うっかりと誰かがドラゴンに攫われるのを待ってるってわけか。不吉なうわさはこのことだったのか。


 町の中に人がいなかった真相が分かり、俺はほっとした。な、なんだ…突然魔物にすんげぇ襲われたとか、謎の集団失踪を遂げたわけじゃねぇんだな…!

俺が胸をなでおろす隣で、ジャッテがさも興味深い!という顔で爺さんに聞く。


 「そのドラゴン、どこに人間を連れてくるように言ったんですかぁ?」

 「渓谷の最奥にある洞窟だと聞いておりますよ。そこには大昔の宝が埋まっているとも噂じゃが、あの厳しい渓谷を抜けて行くのには盗賊も諦めているらしいですな。

  まして、今はドラゴンの棲み処…。渓谷はおろか、もうこの町から出たがるものさえおらんのです。旅人もこの話を聞けば、すぐに帰ってしまわれる…」


 商売あがったり、とばかりに爺さんが長いひげを触りながら首を横に振った。へぇ、ドラゴンってば随分奥に引きこもってんだな……えっ?


 「さ、最奥…って」 

 「…ステイト、諦めるなら今の内だ。命あってこそ、というものだろう…手がかりなら他を探せば何かあるかもしれない」


 ニコラが小さい声でぼそっと言う。…そうですね。ここで一度、ハニの日記を思い出してみよう!


 ―――『グラーバス渓谷という場所の最奥に洞窟がある。そこに俺は手がかりを残そうと思う。寂れた荒地だが、もし求めるなら訪ねてくれ』―――


 …オワタ。渓谷の最奥の洞窟に手がかりを残してくれたハニさん。俺はあなたに問いたい。何故そんなところに手がかりを残した。殴るぞ。


 俺の真顔っぷりにジャッテも事態を把握したらしい。あぁ、と声を漏らしながら頷いた。


 「さ、さすがにこればっかりは…なぁ…。目的を達成する前にドラゴンの腹の中…かぁ…」

 「うっ、実際に口にするのはやめてくれ!ど、どうしよう!他に手がかりなんて…もう俺の知る限りじゃどこにもねぇんだぞ!」

 

 どうしようどうしようどうしようどうしよう!ドラゴンに道中会わなかったら大丈夫☆とか考えてたけど甘かった!目的地がドラゴンさんのホームになってるなんて…ふっざけんなよ!お引越しをおススメします!!

慌てすぎて目が不思議な光を放つ俺に、ニコラとジャッテが同時に首を振った。


 「今回はさすがに手を引こう。ダメだ」

 「ここまで来たけど、なぁ…。俺も…これは無謀かなぁと思うなぁ」

 「け、けど!ほんとに他の手がかりとか無いんだぞ…!」


 俺だって分かる、というかこの俺だぞ!この、危機からは真っ先に逃げ出す俺だ!どんだけ無茶で無謀で滅茶苦茶かも分かってる!こんなの、仮に渓谷の魔物を倒せて進んでもドラゴンの餌になりに行くだけ!

どうやらドラゴンは知性や心があるみたいだから、死ぬ気でお願いして、食べられる前にハニの残したトルメルの手がかりを見て、そして潔くパクッチーン…だだだダメだぁぁぁっ!


 死ぬんだったら俺が手がかりを探す意味もない!あったりまえだ!よ、よぉし今回は仕方ねぇな!ドラゴンが引っ越してから来てやるよ!せいぜい待ってろ!


 ―――と、言えたら良かったんだけど。


 俺の心に反して、俺の口は動かなかった。そうだな、やーめた!帰ろうか!そう言って、さっさと帰ってまた王都で暮らせばいい。もうトルメルなんて忘れて、普通の王都市民として…。

トルメルの力で聖剣を取り戻すことができるかもしれない、そんな可能性も捨てて…。魔族が攻めてくるまで、俺は平穏を楽しめばいいんだ。そうだ、そうなんだ…。さあ、言うんだ。


 「いやだ」


 あ、間違えた。そうじゃないんだ!俺は、平和に暮らして…。…俺は、どうしたいんだ?なんでこんなにモヤモヤするんだよ…?


 ……そっか。俺、…。


 俺は顔を上げた。俺の心の中でささやかれ続けていた言葉が、氷が割れるように砕けて融けていく。あぁ、めんどくさい道を選んじまった。俺はジャッテとニコラを見つめ、首を重く横に振った。


 「もしかしたら、ドラゴンが見過ごしてくれるかもしれない。もし見つかっても、俺を食べる期間を延ばしてくれるかもしれない。…俺、行かなきゃ。絶対に行かなきゃ!」


 バッ、とニコラとジャッテが顔を上げた。俺は思わずびくっとする。ニコラが今まで俺が見た中で一番怖い目をしていたから。…その視線だけで、俺は足が震えてしまう。情けねぇな…!


 「本物の馬鹿か!そんなことあるわけがない!」

 「そ、そうだスティ!こればかりは俺も止める!無駄死にだ!」


 にこにこと冗談をとばすジャッテばかりを見ていた俺は、そのニコラに劣らない迫力と剣幕にまた肩を震わせた。二人の反応は当たり前だ。どうやって納得してもらえばいいんだろう。

俺はきっと、ここで帰ったら一生後悔する…そんな気がしていた。二人には俺のワガママは関係ない。俺が失敗してドラゴンに食われても…二人のせいじゃないし、俺は後悔しない。


 バシッと強い音が響いた。俺はその強い音が、ニコラの渾身の平手打だとゆっくり気付いた。口の中切れたな…鉄臭い味が口の中に広がった。そしてニコラが、雷が轟くような声で俺に叫ぶ。


 「命があってこそだ!何が手がかりだ、そんなものがなくてもお前は生きていけるだろうが…っ!!」


 今度は俺の視界が突然赤くなった。パン、と乾いた音が聞こえる。俺がニコラを引っ叩いたのか、とじんわり理解する。けど、俺は踵を返して宿の扉を荒々しく開き、外へ飛び出した!

無心で走る。ひたすら、この苛立ちとモヤモヤと、どうしてかすっごく寂しい心を糧にするみたいに俺は走った。遠くでバターン、と宿の扉が閉まる音が聞こえる。知るもんか!


 そりゃ、俺は酷いさ。わがままだ!お前らの反応は誰よりも正しいよ、そして誰よりも優しい!俺がバカなんだ、最悪にバカなんだ!



 こんなに寂しいのに、俺は一人になりたかった。小さな町を飛び出して、俺は渓谷へと荒地を駆ける。誰も追いつけない速さで、風も俺を追い越すのを躊躇うほどに。

空の果てが少しずつ夕暮れに染まって行く気配を見せていたけど、構うものか。俺は走る、走る!追ってくる魔物も、全部全部置き去りに。


 そして、とうてい普通の人じゃ登れなさそうな大岩を見つけた。ドシンと、赤く寂れて広々とした荒野に存在感を主張するその岩に、俺はガツンとナイフを突き立てながら駆け上がる!

建物3階建てくらいはありそうな、ごつごつしてる大岩のてっぺんに俺はすぐたどりついた。岩の窪みに小さな枯れかけの花がへばりついてて、俺はそれを潰さないように隣に座った。


 ヒュオウ、と風が吹いて流れてく。見渡す限り広々とした赤い荒野。少し向こうには大地の裂け目が見える。あれがグラーバス渓谷だ。…随分広そうだな。俺が飛び出したラシマの町はもう、眼下遠くに見える。


 「あーあ!俺、馬鹿だよな!怒らせちまった…あったりまえなのにな」

 

 わざと大きな声で独り言を叫んでみても、当然返事はない。温かく乾いた風が吹き付けるだけ。ばさばさ、と俺のはねた茶髪が揺れる。


 「命があってこそ…そうなのに。なんで俺、あんなこと言ったんだろう」


 ―――『いやだ』『絶対に行かなきゃ』


 そんなの分かってる。行かないと後悔するからだ。…ドラゴンが引っ越してくれるはずがない。俺はこのまま進むか、諦めるか…その二択に迫られてるんだ。

進めば、きっと死ぬ。ヨーウェンさんたちに、シルに、もう会えない。けど俺は後悔しないだろう。少しでもトルメルの事実に近づける可能性があるんだから。

そして、諦めたら俺はきっと抜け殻になる。皆に会えても、もう俺は俺じゃないかもしれない。自分に嘘ついて、ごまかして、やるべきことから逃げて。

 

 命があれば賢明なのか?もう、新しい手がかりはない。唯一にして最上級の手がかりは、でっかい壁の後ろで俺を待ってる。壁はもしかしたら崩れるかもしれない。きっと、万が一、もしかしたら、だけど。


 だったら俺は前へ進もう。誰が反対しても知るかよ、バカで悪かったな!生まれつき頭は悪いんだ、気持ちに素直なのが取り柄なんだ!

この先へ行けばきっと死ぬから誰も巻き込まない。俺を憎めよ、嫌ってくれよ、守られるのは俺の気持ちだけっていう最悪な結果になっても…俺が嫌われてニコラとジャッテが生きてくれるならそれでいいからさ。


 風がふいに止んだ。俺はごろんと、寝心地の悪い岩に横たわる。寝返りしたら落ちて死ぬかも。そうなったらお笑いだな!…降りるのもちょっと不安だ。俺、なんで登っちゃったんだろう。ほんと馬鹿だな。


 そのとき。あららっ、と剽軽な高めの声が聞こえた。


 「全然呼んでくれないから久しぶりに会いに来たらー…随分いい所で寝てるんだっ、ステイシアちゃん!わいるど~」

 「お、お前!」


 独特の弾んだような声に俺は慌てて飛び起きた!目の前にふわっと浮かぶ、黒猫を抱えた黄緑の髪の少年が俺ににかっと歯を見せて笑う。


 「よーぅ!風がおかしかったから来てみたんだ!あと暇だったから!おいらのこと、覚えてる?」

 「…シャハン!久しぶりだな…!」

 

 風を操る魔族の少年、シャハンがそこにいた!ピカピカ光る大きな目をぱしぱし瞬いて、自由に宙を舞いながら嬉しそうにブイサインを作る。


 「良かったー、もうおいらのことなんて忘れてるかと!何々?ステイシアちゃん、もしかして凹んでたのっ?」

 「べ、別にへこんでなんて……悪い。ちょっとだけへこんでた」


 力なく俺が笑うと、シャハンは無邪気ににまっとして俺の隣に座った。頭に一周だけ巻きつけてあるターバンもどきの白い布がバサバサと風にあおられている。


 「おいら、諸国漫遊中で。最近はシエゼ・ルキスに留まってる!いい国だねぇ。ラフィークもそう思うだろっ?」

  

 ニャア、とシャハンの腕の中でおとなしくしている黒猫が俺を見ながら鳴いた。こいつも久しぶりだな。俺はさっきまでのもやもやが少し落ち着き、はぁ、と息を吐いた。


 「それでそれで?ステイシアちゃんはこんなところで何してるの?」

 「ステイシアじゃなくて、ステイト!…ちょっとさ、喧嘩してイライラしたから…町を飛び出して岩に登ってみた」

 「なにそれー!人間技じゃないねー!もしかしておいらみたいに、風魔法使えたり?」


 ぷっはー!と大げさに吹き出しながら言うシャハンに、俺は首を横に振った。自然と俺の表情が柔らかくなる。


 「俺、魔法使えないんだ。トルメルって知ってるか?」

 「砂漠に引きこもりのおいらだって知ってる!…えっ、まさかまさか?」

 「そのまさかだ」

 「きゃー!ラフィーク、聞いたかー!?トルメルですってよトルメル!あの伝説の!ステイシアちゃんすっげー!」

 「…ノリ軽いな」

 「むっ!おいらの最上級の驚きの表現だよ」


 ちっともびっくりしてないみたいな、忙しく激しいシャハンの反応に俺と黒猫が同時に呆れた声を出した。シャハンがまじまじと俺を見つめ、その大きな目が光る。


 「そっかー。おいらあんまり、風以外の魔力を探知できないからなー。飛びぬけて風のエキスパートだと思ってくれたら嬉しい!…そんでトルメルってさ、魔力を持たないってやつだよな!」

 「ああ。ついでに身体能力もいいみたいだな」

 「じゃないとこーんな大岩登れないって!あっ、おいら、ステイシアちゃんがトルメルってことヒミツにしとくね!恐ぁい魔族ならステイシアちゃんをとっ捕まえちゃうから!」

 「あ、ありがと」


 突然真剣に、びっと親指を突き出してシャハンが言う。やっぱりトルメルの存在は魔族にとっては大きなものらしい。シャハンってハイテンションだけど、けっこう良い奴だよな。

俺の肩をどん、と抱きながらにこにこしてシャハンが続けた。どこか異国の匂いがする風が頬を掠めていく。


 「そんでそんで?トルメル絡みで悩んでたのっ?なんかさ、さっき風が悲しそうにしてたから…。ステイシアちゃんの匂いもしたし、変だと思って来ちゃったんだよねー」

 「に、匂いって!…ま、いいや。…暇なら、聞いてくれるか?」

 「おいらとラフィークは気ままな旅人だからね!ほらっ、このシャハン君に話してみなさーい!」


 どんっ、とシャハンが胸を叩くとラフィークが不満そうに鳴いた。それに思わず笑ってしまいながら、俺は事の全部を話すことにしてみる。…今はこのシャハンの人並み外れた明るさが、すっごくありがたかったから。



 一通りの話を終えた頃には、大地も空も真っ赤に染まっていた。風も少しずつ熱を冷まし、涼しくなっていく。

シャハンはふむふむ、とかなるほど!とか、あぁー、とか、それはもう種類に富む豊かなリアクションをしながら話を聞いてくれた。話してる俺もだいぶ気楽になる。


 「…それでさ。どうしても俺、行かなくちゃって思うんだ」

 「ふーむ。ステイシアちゃんは自分に素直なんだなー。おいら、好きだよ!そういうところ。だけど、ステイシアちゃんを心配してくれてる人も本気なんだね」

 「うん。だから…俺、あとで荷物を取りに行って、こっそり一人で渓谷に行こうと思うんだ。シャハンはドラゴンのこと、何か聞いてないのか?」

 「なーんにも。今聞いてびっくりした!」


 ケロッと言うけど、ほんとにびっくりしてんのかぁ?無邪気にさらりと言って、アッハッハと笑うシャハンに俺は目を半開きにする。こいつの本音が読めねぇー。


 「ま、それだけ。だいぶ落ち着いたぜ、ありがとなシャハン。ラフィークも」


 一方的に俺が語るだけだったけど、なんだか落ち着いた。あのときは頭に血が上ってたんだな…。そうでもなけりゃ、こんな岩登ろうなんて思わないだろ。

シャハンがにっこり笑ってラフィークの前足を上げる。ミィ、とまた不満そうな鳴き声が聞こえた。


 「いやいや!おいらからできるアドバイスはないよ。だって、もうステイシアちゃんの結論と心は決まってるから!だったらそれでいいんだ。おいらは邪魔しない!

  結果って言うのは、信念と信念がぶつかって強いほうが残ったその跡なんだぞって砂漠の長はいつも言ってたからなー。うう、懐かしいー!」

 「思いの強い方が体を動かすから…良くも悪くも、心次第なんだな」

 「そー!…それじゃ、また迷ったり話し相手が欲しかったらおいらを呼んでよ!今回はおいら、ステイシアちゃんの戦いを手助けできないんだ。ステイシアちゃんの覚悟だし。

  いや、ステイシアちゃんがおいらとラフィークに助けを求めるなら手伝うけど、どうしたいっ?」 

  

 ピカピカ光る目が俺を覗き込む。そこには俺を試すような意図も、咎めたりそそのかしたりするような意図もない。純粋な問いに、俺は目を閉じた。


 「いいや。もうシャハンたちは十分俺を助けてくれたからな。…俺、もうちょっとここで風に当たる。それで、また日が完全に暮れるまでには町に戻る。…ありがとう、シャハン」


 俺の静かな答えに、シャハンは首元のアクセサリーをしゃらんと揺らしながら笑って頷いた。ミャ、と声が上がったから、俺はラフィークにも礼を言う。強かな猫だな!


 「ラフィークも!聞いてくれてありがとよ。また会おうぜ」

 「ミャアオ」

 

 シャハンが、やっと満足げに目を細めた黒猫を抱えて立ち上がる。眼下を見て、うわぁお、と声を上げる。


 「今更だけど、ステイシアちゃん本当に下りれる?なかなかの高さだよぅ」

 「だーいじょうぶ!任しとけ、けっこうデコボコしてるから足場はかろうじてあるんだしな!」

  

 言いながら背中に冷や汗をかいていたのはナイショだぞ!シャハンはそれを知ってか知らずか、尖った耳をぴくっと動かしながら空を見つめた。


 「そいじゃ!おいらたちは行くよ!遠くから、ステイシアちゃんに優しくてあったかい風が吹くように祈ってるー!じゃねっ!」

 

 言うなり、シャハンがイヤッホォーウ!と叫びながら岩壁ジャンプ!一瞬ひやっとしたけどこいつは風の使い手だった!地面すれすれでふわっと浮いて、流れ星のような速さでシャハンは飛んで行く。

赤い大地に小さくなっていくシャハンの姿をずっと見送って、俺はまた座り直した。


 俺の心は驚くほどすっきりしてて、これからニコラやジャッテのいる町に気まずい思いで帰らないといけないことも忘れていた。澄み渡る赤の空、寂れてるけど美しい荒地と大地の裂け目…グラーバス渓谷。

どれだけ深いんだろう?ドラゴンの棲み処でもあり、俺が目指す洞窟は、あの渓谷を下り始めてどれぐらいでたどり着けるんだろうか?


 ふわっと風が俺の髪と服を揺らした。両手を広げてみると、まるでこの景色、この世界が俺のものに感じてきて思わず笑う。わっはっはー、俺がここの支配者だー!なんつって。

このまま飛び降りて風と浮遊感を味わいたいところだけど、俺はシャハンみたいな風の使い手でもないから思いとどまる。ゆっくりと立ち上がって、俺はナイフを握りしめた。


 「…帰ろう。日が暮れる」


 そろそろ大地が藍色に沈んでしまう。そうなったら魔物パラダイスだ、それは困るな!…一人でこの先を行くってのに、そんなこと言ってる場合じゃねぇか。

俺は岩壁にナイフをときどき突き刺しながら、跳ねるように岩を降りていった。最後に目に入ったのはあのへばりついていた枯れかけの花で。逞しいな、とか思ったり。


 しゅたっと着地するとまた一陣の風が巻き起こった。砂埃を巻き上げながら渦を巻き、俺を荒地に残したまま風は遠くの空へと吹き抜ける。


 その先を見つめ、俺は視線を町の方角へ戻した。さあ、走ろう。来た時より、少しゆっくりと。乾いた地面を蹴りあげて、俺はまだ藍色の遠い空を目指した。


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