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ルキスの剣  作者: 夜津
第一章 聖剣の喪失
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番外編2 キャロルという名の少女

*オマケ第二弾です。

アストックと幼いエリネヴィステのお話。若干NLです。

 10歳だというのに、少女は泣き虫だった。アストックはため息をつく。こんな子、オレに任されても困るんやけど。


 「ほらほら泣かんといて、エリネ。ちゃーんと勉強して、いい大神官になるんやろ?」

 

 できるだけ口元をにっこりさせて、アストックが泣き止まない少女に優しく言った。それでも、ソファの上でへたりこんでいる少女は泣き止まない。


 「やだやだやだ!お母さんのところに帰る!お父さんに会いたい!それに、キャロルだもん!エリネなんて名前じゃないもん!」

 「そ、そうやな。エリネって名前やないのは知っとるで。キャロルやな、なっ」


 わあああ、と世界の終りでも告げそうな少女の泣き声には、この少女の何倍も生きているアストックでさえもすっかり困惑させられた。

小奇麗な部屋で二人きり。アストックは、泣く少女をどうしていいのか分からず途方に暮れていた。



 キャロル・リングベルは普通の少女だ。聖都の隅っこで、優しい両親に育てられたちょっと泣き虫で占いの好きな少女。

この春に神託がこの聖都エリネヴィステに下りなければ、彼女は今も両親とともに聖都の隅っこで平和に暮らしているはずだ…そう思うと、アストックも少しだけ胸が痛んだ。


 現在の聖都エリネヴィステの大神官へ下った神託は、次の大神官を名指したものだった。聖都に暮らす少女、キャロル・リングベルを次の大神官にせよ、と。


 大神官になることを告げる神託は、年齢性別にかまわず、聖セレネ王国に暮らす誰かに下りるものだ。それが、こんな無邪気な少女に下りるなんて、と誰もが心の中でうなだれた。

少女に占いの才があることは神官たちも認めたが、それもとびぬけたものではなかった。


 本当にこの子でいいのか?と何度も相談がなされた。子供が次期大神官に選ばれて涙を流して喜ぶかと思われた両親は、涙を流して悲しげに問う。


 「本当にキャロルじゃないとダメなんですか?まだこの子は…」

 「最近やっと友達ができたと喜んでいたんです、それなのに…」


 それでも神託が覆ることはなく、またそれに逆らうことも伝統が許さない。幼いキャロルは神殿に引き取られ、20歳になって大神官になるまでは両親と会えないことを告げられた。

毎日キャロルは泣いた。世話係の神官もどうしようもないくらいに泣いた。毎晩泣き疲れて眠り、悪夢にうなされて日々弱るキャロルに、どうにかできないのかと聖王さえ嘆いた。


 そして、アストックは彼女の専属の医師として研究棟から派遣されたのである。彼の持ち前の飄々とした明るさが彼女に光をもたらすのではないか、と期待されて。


 まず、アストックの前髪の長さにキャロルは怯えた。これだけは切られへんねん、と本当に困ったように言うアストックにキャロルはようやく怯えるのを止めた。

少しずつアストックが優しく接したおかげで彼女の体調も回復に向かい、医師として必要がなくなった後もキャロルはアストックに傍にいてほしいと頼んだ。


 「アスがいないとやだ。アスだけだもん、キャロルって呼んでくれるの…」

 「…ほんまはエリネって名乗らなあかんって言ってるやろ?オレも、二人きりの時だけこっそり呼んでるだけやねんから」

 「分かってるけど…。アスは呼んでくれるんだもん」


 家族から引き離されてからだいぶ時が流れていたが、ようやくキャロルは初めて神殿側の人間に心を開いたのである。


 それからは、アストックは改めてキャロルの世話係になった。学者としても優秀なアストックは彼女の家庭教師としても勤め、また良い遊び相手にもなった。

アストックもこんなにキャロルに慕われるとは思わず、久方ぶりの心の穏やかさを感じていた。


 それでもまた彼女はホームシックで泣く。寂しさで泣く。ああもう、泣き虫さんやな!と何度言ってもキャロルは泣いた。


 「やっぱりやだやだ!帰る!アスも一緒に来てよぉ!」

 「せやからな、それは……、それよりもゲーム!カードゲームしよか!それかお菓子がええやろか?」


 しばらく家に帰ることはできひんのや、とは言えなかった。アストックは、自分の顔を普通の人のように見せられたらどんなにいいだろうか、と思う。

自分の顔では、少女を怖がらせてしまうことが分かっていた。でも、この前髪を分けて、にっこりと目を細めて微笑んであげられたらいいのに、といつも考える。


 毎朝鏡を見て、目のあるべき場所に真っ暗な闇の虚しかない自分の顔が、アストックは恨めしかった。


 

 

 「ねぇ、アスはどうして目を見せてくれないの?」


 なんや、今日はご機嫌やな。ある日の午後、窓辺で本を読みながらふとキャロルが顔を上げた。向かいの机で書類を片付けていたアストックはいつものように口元をにっこりさせる。


 「やから、前も言うたやろ?俺の目を見たら、キャロルは石になってまうねんで」

 「前は、目を見たらアスが泡になって消えちゃうって言ってた」

 「うっ。そうやったっけ。ちゃうねん、ほんまは石になってまうんやって!」

 「その前は、目を見たら私が魔法を使えなくなるって言ってた」

 「ううっ。そ、それはなー…」


 キャロル、どんだけ覚えとるねん。ちなみにどれも嘘である。キャロルをできるだけ怯えさせて、絶対に彼女がイタズラでも顔を見ないようにするためだ。

彼女が本当に怯えて、自分のもとからいなくなってしまうのが寂しいだけだとアストック自身は気づかないふりをしていた。


 この子は将来の大神官。オレの仕えるべき人。いつまでもちっちゃなキャロルやない、皆のエリネヴィステになるんやから…。

けれど、自分を慕ってくれた嬉しさをもう少し抱えていたいとアストックは思ってしまった。


 オレの真っ暗な『目』なんか見たら、またキャロルは怯えてオレから逃げて、一人ぼっちになってまう…。


 この目はアストックが魔族である印。尖った耳もモサモサの髪で隠し、未だにキャロルは彼を変わった人間だと思っているはずだ。

さらにこの目は、しっかり物も見えているが、その空っぽな暗闇の虚は別の力も持っていた。


 その力が何であるかは誰にも語っていない。こんな力、誰も知る必要なんてないんやから…。  

 

 それでも今日のキャロルはしつこかった。本を閉じて机の上に置き、作業をするアストックの傍に駆け寄る。


 「見たいの!ずっと嘘ばっかり!いじわる!」

 「あかんの。嘘ついたのは悪かったけど、ほんまにあかんの。コレほんまやで、絶対見たらキャロルはびっくりする」


 むっ、とキャロルが頬を膨らませた。目だけは強く開かれ、アストックをまっすぐ見つめている。どないしたんや、いきなり。いつもはあきらめるのに。


 小さく息をついてアストックはペンを置いた。くるっと椅子を回転させ、キャロルに向きなおる。


 「オレもかっこ悪いから言いたくなかったんやけどな。オレの目、ちょっとキャロルには恐いかなって思うねん。

  そしたら泣き虫キャロルや。すぐ泣いて、オレのこと嫌いになってまうで?」


 あはは、と笑う。するとキャロルがぽかんとしていた。あれ、変なこと言うてもたか?驚いて反応に困るアストックに、キャロルは首をゆっくり横に振った。


 「…私、アスのこと、嫌いにならないもん。…アスが隠し事して、私を嫌ってるんだと思って…」

 

 今度はアストックがぽかんとした。今の自分の顔は、この長い生きてきた時間の中で一番オマヌケだっただろう、とアストックはずっと思い続けることになる。

風が窓から舞い込み、少しアストックの髪を揺らした。キャロルの珍しい真っ白い髪は、風も届かなかったのか全く揺れない。


 アストックは椅子から立ち上がり、かがんでキャロルと視線を合わせた。キャロルのまっすぐな視線が前髪越しにぶつかる。


 「…そやったら、約束や。オレの目、そんなに見たいんなら見せたる。けど、代わりにキャロルが約束してや。…自分のやること、ちゃんとやるって」

 

 な、約束。


 そっと片手の小指を出すと、驚いたことにキャロルはすぐ、大きく頷いた。上げた表情は今までで一番しっかりしている。…成長するもんやな。アストックは小さく口角を上げた。


 「びっくりしても知らんからな」


 今まで誰にも、自分から見せたことはなかった。アストックはゆっくりと、銀のくせ毛を掻き上げた。前髪に遮られても問題なく見えていた視界が、さらに明るくなる。

キャロルはただ、黙って視線を合わせてきた。悲鳴を上げることも、息をのむこともなく。表情を変えず、黙って見ていた。


 「…驚かんの?」

 「…ううん、びっくりしてる。けど、どうして見せようと思わなかったの?」

 「…へっ?…恐く、ないん?」

 「どこも恐くないよ?真っ黒。綺麗」


 にこっとキャロルがほほ笑む。泣き虫な彼女は、ときどきとても可憐な笑顔を見せた。いつもと変わらない笑顔で、キャロルがけろっと言う。


 アストックは言葉を失った。やっぱり、キャロルは不思議な子や。何十年も、下手すりゃ百年以上も恐がられ続けたオレの『目』を、綺麗なんて表現する。

おかしい。絶対おかしい。


 そんな思いと沿うのか反るのか、口からは笑い声しか出てこなかった。


 「あっはっはっは!さすがキャロルや!…あはは!」

 「なぁに、アス。普通だよ」

 「普通、な。そやな、キャロルの『普通』にオレがあるんやな」


 涙が出たのは笑いすぎたからだ。改めて少女を見つめる。夜になったら寂しそうに、家に帰りたいとばかり言う少女。まだ自分の未来を受け止めきれない小さな背中。

誰かが汚すことなんてできないと感じさせる真っ白な髪。


 今まで生きてきて、最も綺麗な存在だと思った。同時に、この小さな少女に、自分の全てを託してみようかという思いが現れる。


 「なぁ、キャロル」

 「うん?」

 「…明日からは、ときどきしかキャロルって呼ばんで。二人の時も、エリネって呼ぶ。…けど、ええやんな?」

 「…でも、ときどき呼んでね」


 少女が頷く。アストックが彼女に約束させたのは、『自分のやることをちゃんとやる』ということ。決して大神官になるために頑張れ、と言ったのではない。

けれど彼女は頷く。自分だけじゃない。一つ、彼女もまた未来へ向き合ったのだ。


 「エリネビステ、って言いにくいよね」

 「エリネヴィステ、や」

 「どっちでもいい!」


 珍しく、少女がからっと太陽のように晴れた笑いを響かせた。ふぅ、とため息をついてからアストックも一緒に笑った。


 ―――今日までも、これからも、オレはこの子の右腕になろう。


 ふざけて跪いたアストックに、彼女はまた笑って銀髪のくせ毛をわしゃわしゃと撫でた。下した前髪越しに、彼女の目の光が強くなったことをアストックは穏やかに見つめていた。





 **


 「…はーぁ」

 「なんですの、アストック。暗いですわ、カビかキノコでも生やすつもりですの?」

 「いーや。あんな泣き虫がどうしてこんなになってもたのかなーって」

 「あなたが甘やかすからですわ」

 「…否定できひん!あーもう!教育し直したろか!」

 「あぁら?なんですの?今の私に文句がありまして?あなたの過去に文句をお付けなさいアホトック」

 「アホトックって何や!また勝手にあだ名作って!」

  

 おっほっほと高笑いをしながら彼女が部屋を掃除する。すっかり立派になっちゃって、とアストックは笑んだ。


 甘やかしたオレが悪いか。


 こうして今日も、彼女に一つずつ折れながらアストックは彼女の背を見守り続けるのである。


 「キャロル」

 「何?」

 「…いや、なんでもないわ」


 彼女が振り返り、文句言いたげに頬を膨らませた。変わらんな、と呟いて、口の中だけで何度も彼女の名を転がす。


 この名はオレが大切にするわ。


 彼女には今日も、そう言えないままだ。 



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