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ルキスの剣  作者: 夜津
第一章 聖剣の喪失
27/131

26 優しい人



 俺の顔、どんな顔になってんだろう?俺の真正面にいるニコラからは、それを探ることはできなかった。


 俺が重大決意をした、というよりは、弾みのようにポンと飛び出したその言葉。…こんなに沈黙が続くと、さすがに俺も不安になってくる。

今、俺もしかして噛んじゃったとか…?いや、さすがにそれは…もしそうなら俺もテイク・ツー撮るぞ。


 ……ほんとに何か喋れよバカニコラ!空気が重い!お前が何か言わないとどうしようもねーだろうが…!

俺が一発怒鳴りつけようと口を開いたとき。ニコラがふっと力を抜いた。


 そして、俺の手を取って跪く…って、お前何やってんの?俺の手を、こつんとニコラは自分の額に当てた。び、ビビることすんなよ!

びっくりして動けない俺に、ニコラは初めて、俺の目線の下から俺を見上げて優しく、だけどいつもの意地悪な色を残して微笑んだ。


 「本当に、似合わねーな」


 あ。それって、昨日の野宿の時の。そうだ…俺がトルメルの民なら、こいつは俺のことを似合わねーって思うって言ったんだ。

確かに似合わないだろうけどさ。…俺は思わず笑ってしまった。ぷすっと小さな音が俺の口から漏れた。


 「お前こそ似合ってねーぞ!なんの真似だよバーカ」

 「…そうだな」


 俺の手をぱっと離して、何もなかったようにニコラは再び椅子に掛けた。けど、俺に背を向けて顔を見せなかったのは、どうせ照れてんだろう。

じゃあすんなよ、かっこつけ!もしかしたらニコラは、俺よりもかっこつけなのかもしれないな。



 エリネヴィステさんが、にこにこして俺に言った。


 「まぁ、良かったですわ、丸く収まって。ここであなたが一緒に行きたくないと言っていれば、もうあなたたちは二度と会えなかったでしょうね」

 「へっ?」 

 「私の勘ですわ。でも、占いより当たりますの」

 「え、エリネヴィステ様…僕はまた、ステイトとニコラさんに会えるでしょうか…?」

 「もちろんですわ。勘ですけれど」


 シルがエリネヴィステさんの答えを聞いて、はぁーっと大きく息をついた。何だよ、シル。当たり前なのに。俺、暇がなくてもシルに会いに行くって!

と、そのとき。ばさーっとタペストリーが揺れて銀髪のモサモサが入ってきた!って、アストックか!


 「たっだいまーっ!アレ?なんや、相談中?オレ、タイミング悪かった?」

 「あらっ、今日は珍しくいいタイミングだと思いますわ。お帰りなさい、アストック」

 「エリネー、もうちょっとオレに優しい物言い、できひんの?」


 本当に前髪切っちまえばいいのに。楽しそうにエリネヴィステさんに言いながら手持ちの紙をくるくる巻くアストックは、口元をにやにやっとさせている。

そして俺に、そやそや!と言いながらバシッと肩を叩いた。


 「朗報やで!超・朗報!なんとなんとなんと!それもすっごい驚き!よーっく聞いてや、あのな、あのなー!

  あっ、待ってや。ほんまに聞く準備できとる?ええか?話すで?ええやんな?いくで?えっとな、」

 「長いですわっ!」


 パシーンッ!うわーっ、小気味いい音だな!見事にエリネヴィステさんの平手が炸裂し、アストックは大げさにも倒れて見せた。すぐに手をついて起き上がり、もう!と叫ぶ。


 「エリネ!暴力やめろって言うとるのに!教えへんで!」

 「前振りが長すぎて寝てしまいますわ!いいからさっさとお話しなさい!」

 「もうー。これやからエリネはー。ま、ええわ。すんごいんやで。とうとう聖剣の行方を追うことに成功したんやー!ヤッター!パチパチ!」


 …えっ?前半の漫才に気を取られてた。なんか、さっきすごいこと言ったよなアストック。シルもニコラも、はい?みたいな顔してるし。


 「…も、もう一回どうぞ」

 「ええで何回でも言ったるで。なんとなんと!聖剣の行方を追うことに成功したんやー!やっほー!パッチパチィ!」

 「…ええええっ、ほんとに!まじで!えええっ!!」


 き、き、きたーーーっ!俺は思わずアストックの目の前に立ち、ずいっと迫った。


 「本当の本当に本当だろうな!どこだ聖剣!誰だ犯人!」

 「ちょ、ちょい待ってや、落ち着きぃ。えっとな、この紙!地図やねんけど、各地の情報をもとに経路ルートを書いて、さらに今も各地に魔法を張り巡らしてその『勢い』を追跡中や。

  その『勢い』こそが聖剣とそれを持ち去る誰かや。犯人は特定できてないんやけど、場所ならもう丸わかりや!もう、研究棟と聖堂の皆、頑張りすぎて目が死んでるわ」

 「これ、量産できんの?」

 「できるで!これが試作1号目!もうほぼ完成品やから、エリネにあげるってことで貰ってきたんや」


 い、いよいよきたな!聖堂の神官さん、研究棟の学者さん、うちのシエゼ・ルキス城のザル警備が引き起こした事件のために数日寝ずに働いてくれたなんて…!ありがとう…!

エリネヴィステさんが、その地図を受け取って机の上に広げた。俺たちもそれを、身を乗り出して覗き込む。

 

 大陸地図。世界全てを載せたわけじゃないけど、俺たちが暮らす大陸の地図だ。大陸中心に、シエゼ・ルキス王国がある。面積は大して広くないのに、世界の中心の王国だ。

その周りにこの聖セレネ王国や、シルの出身国であるアルギーク王国、その他さまざまな国。


 けど、その地図の上の方…北の方に一点、ピカピカ光るマークがある。それを指さしながらアストックが言う。


 「これが、データに基づいて推定された聖剣の位置。今はこの聖セレネよりずーっと北の国、ネーディヤ帝国やな…うわ、厄介。あそこ、今鎖国中やで」

 「鎖国?」

 「ああ、そうやねん。何でも、新しい帝王になってからというものの、去る者逃がさず来る者拒む、って感じみたいで不気味なんよなぁ。

  諜報も帰ってこんし、帝王さんへの手紙も届いてないみたいやし、どうなってるんやろな」


 そんな国、あるのか。ニコラを見ると、ああ、と頷いた。


 「シエゼ・ルキスも接触を試みているが、失敗している。音沙汰も何もない、ただ静まり返っている。ネーディヤ帝国の情勢がどうなっているかも全く分からん。

  どことも同盟を結ばず、かといって強大な軍や騎士団などの戦力を持っているわけでもないが…そんな虚を誰も掴めずにいるんだ」

 「じゃあ、すぐにそこに追いに行くってのは無理か…あっ、でもエリネヴィステさんは瞬間移動魔法、使えるんですよね」


 俺はエリネヴィステさんを見上げた。けど、ゆっくりと首を横に振られる。


 「テレポートは実際に自分で行ったところでないとできないんですの。私はネーディヤには行ったことがありませんし、そうでなくても立場上不可能ですわ。

  もし私がネーディヤ帝国に誰かを無断で送ったところで、他国あるいは帝国が『侵略』と見なすでしょう」

 

 うぐぐ…大変なところに逃げ込んでくれたな…!むしろ、よくそんなとこに逃げ込めたな…!聖剣に足が生えて勝手に帰ってきてくれりゃいいのに。

エリネヴィステさんの言葉を聞いて、シルが困ったようにうつむいた。


 「かといって自力でネーディヤ帝国に行こうとするのも無謀だよ。この辺りの温暖な気候とはわけが違うし、…」

 「他にも、何かあんの…?」

 「…なんだか不気味なんだ。さっきニコラさんも言ったけど、まだネーディヤ帝国が他国に開かれていたときは大して戦力を持たない、面積があるだけの弱小国だったんだ。

  なのにどこにも侵略されない。あの土地は恵まれてないけど、面積と人民の力はどこの国でも欲しがるはずなのに。…いや、侵略されても見事に追い返してるんだよ。

  だから皆、ネーディヤ帝国には見て見ぬふりって感じなんだ。放っておいても害はないし、さわらぬ神にたたりなし、ってことで」


 わわ。シルがこんなに他国情勢に詳しいなんて…って当たり前か。俺が疎いんだな。今まで王都だけが俺の世界だったんだし、世界を見つめる王族や騎士、旅人でもなかったんだからさ。

しっかし、そんな不気味なとこに逃げ込まれてどうするんだか。

 

 「じゃあ、聖剣は今のところ追いかけられないのか?」

 「…ほぼ、不可能ですわね。さらに、魔族の世界の入り口…人間と魔族の世界の境界に広がるという、バームス砂漠にネーディヤ帝国は面していますの。

  もしこの地図の上で光るマークが、ネーディヤ帝国を通ってバームス砂漠へ向かっているなら…、それこそ聖剣盗難の犯人は魔族で決定ですわ」

 「バームス砂漠…!」


 それって、あのシャハンが住んでた砂漠か!やっぱりシャハンを呼び出すべきか?俺の頭に、長い布を頭に一周だけ巻きつけた黄緑の髪の、やたら光る目を持つ少年が思い浮かぶ。

けど、ここでシャハンを呼び出して何を聞けってんだ?…うーん、シャハンを呼んだところで解決しないよな…。


 なるほど、八方ふさがりだ。アストックも頭をポリポリと掻いている。


 「けど…何か方法が見つかってなんとかできるかもしれへんで。とりあえず、この地図…欲しい?」


 アストックが俺の方を見た。も、もちろんだ!俺は勢い良く頷いて、机にこぶしを打ち付けた。


 「いる!俺なんかがどうこうできなくても…情報があれば、なんとかなるかもしれねぇだろ」

 「まぁ、そう言うと思ってたんやけどな。これは試作品やからちょっと未完成。今、大聖堂で神官とかが頑張って完成品を量産しとるからちょっと待ったってな」


 お決まりの口元ニヤッを見せて、アストックが銀髪をモサモサと動かした。なんだろうな…これは絶対、前髪上げたらイケメンフラグだな…。つか、今更だけど気になるな。


 「なぁ、アストック…前髪、上げてくれね?」

 「えーっ!?何、どないしたんいきなり!でもあかんで、あかん!びっくりして泣いてまうで!」

 「ふざけんなっ、気になるもんは気になるじゃねーか!」


 慌てて両手を胸の前で振って、ついでに首も激しくシェイクするアストックに俺は怒鳴った!だ、だって気になったらもう確かめるしか!

ふらふらっと俺がアストックに近づこうとすると、俺にエリネヴィステさんが穏やかな声で言った。


 「ダメですわ。本当にびっくりしてしまいますわよ」

 「え…エリネヴィステさんがそう言うなら…」


 引き下がるしかない…ちぇ、めっちゃくちゃ気になるじゃねーか。アストックは俺の興味を逸らすように、パンッ、と手を叩く。


 「そや!しばらく聖剣探知機になる地図ができるまで時間かかるし、エリネもこの件を聖王様に話しに行かなあかんやろ。

  ルカも今、聖都の中を遊びに行ったし、皆で遊びに行ったらどうや?オレ、暇やしついてくで」

 「だってさ。シル、ニコラ、どうする?」

 「僕は…そうだなぁ、ルカが何をやらかすか分からないし…行ってみようかな」

 「俺はここで休む。それよりステイト、お前も副作用が起きるんだったら町には行けないと思うが」

 「…あっ」


 ニコラの言葉に、俺は動きを止めた。そ、そういえばそうだった!副作用が出るのは2時間後くらいって言ってたよな、今は何も異常がないから忘れてた!

確かに、遊びに行ってる間にぶっ倒れても困る。…だったら、俺も残らないとだめか。

 アストックがニコラの言葉に、うん?と首をかしげた。


 「副作用?なんか飲んだん?」

 「ええ、占いに必要で…グレシュデリアの煎じ薬を飲ませましたの…」

 「うえええーっ、なんちゅーもんを!あんなん、死んでも飲みたくないでオレやったら!ステイト、何やらかしたんや!?」


 前髪に隠れて顔色が見えないけど、多分見えてたらその表情は凄まじかった…と思うくらいの勢いで、アストックが俺に叫んだ。げっ、そんなに『あかん』やつなのか!?

しかもごっつい名前だな!グレシ…なんだ?確かにすっげぇこの世を超越した不味さだったけど!

 くらっ、と倒れるふりをするアストックに、俺はジト目で答える。


 「俺、魔力を受け付けないんだよ。でも占いが魔法の一種だから、薬を飲めって」 

 「魔力受け付けへんって……あー、そうか。そうやな。この奇妙な感じは、ステイトやったんやな」

 「わ、…分かるのか?」

 「俺も魔族の端くれやしな。でも、言われてみたらその通りやな。へー、珍しいやん。トルメル?」


 えっ?


 …魔族?アストックが?そ、そういえば、魔族の特徴である耳は、そのモサモサの髪に隠れてる……やっぱり魔族って変な奴ばっかりじゃねーか!

しかも、「彼女いるの?」みたいな感覚で「トルメル?」とか聞くなよ!ぶっと噴き出した俺に代わって、エリネヴィステさんが答える。


 「アストック、言ってなかったんですの?あなたが魔族ってこと…まぁ、この聖都に限っては人間も魔族も関係ありませんけれど…。

  ステイトはトルメルの最後の子ですわ。だから、トルメルの道具を探すのに、あなたにも協力して貰いたいんですの」


 ほー、とアストックが相槌を打ち、俺に向き直った。


 「なんや、そうかぁ。当然、エリネの頼みなら俺も協力するけどな。あ、ステイト、そしたら余計に気ぃつけよ。

  人間はもうトルメルなんて存在、知らん奴の方が多いけど…魔族にとってトルメルってのはもう魔法の言葉やで。

  聖都におる魔族は人間と友好的な奴ばっかりやけど、魔族の大半は人間嫌いやし、まして境界戦争で現れたトルメルなんて目の敵や。

  魔力を察知するのに魔族はすっごい長けとるんやから、トルメルやってバレたら何されるか分からんで」


 や、やっぱり…?…トルメルは、魔族と欲に眩んだ人間に壊滅させられた。もう人間の間じゃその存在は忘れ去られたモンだけど、魔族じゃそうでもないみたいだな。

アストックが気の毒そうに、俺に視線を外して言う。


 「捕まって、殺される。または疲れて死ぬまでいたぶられる。それか、ギリギリ死なん程度に生かされて実験台にされる。…残酷なもんやからな」

 「…それは、分かってる。だからって、この俺が!なんで魔族なんかに捕まるんだ!捕まるもんか、返り討ちだぜ」

 「それを魔族は恐れるんやしなぁ。魔族はトルメルの前では無力やし。オレはずーっと昔から聖都暮らしやから魔界の事情は知らんけど…。

  もしかしたら、対トルメルの武器か何かがあるかもしれへんからな」


 対トルメルの武器…確かに、そんなもんができてたら困る。大昔にトルメルの島が襲われた時、トルメルの民を実験台にして…武器ができてたら?うえっ、気持ち悪。

俺も行動は多少慎んだ方がいいかもしれねぇな…。


 「残念やけど、聖都にはトルメルの資料は少ないし。シエゼ・ルキスならあるやろ、そこで探しんか」

 「そうするつもりだ。…アストックにとって、トルメルってどんな存在なんだ?」


 話が通じる魔族なんて、少ないだろう。ロザは変だし、シャハンは砂漠に引きこもってたんだからそもそもトルメルの存在すら知らないかもしれない。

じゃあ、人間に友好的な暮らしをしてるアストックなら?アストックはうーんと唸り、顎に手を添えた。


 「オレか…。研究対象としては興味あるわぁ。これでももともとは学者やからな。気になるけど、今はエリネの世話で忙しいから研究もできひんな」

 「アストック?そう言いながらあなた、けっこうサボってますわよね?」

 「サボリ性ならエリネのが上やろ…。可哀そうなオレ。暴力的じゃじゃ馬猫かぶり大神官の補佐になるなんてなぁー、ついてへんわぁ…あいたっ!」 

 

 アストックの言葉をさえぎって、エリネヴィステさんが鉄拳制裁…!ゴチッと痛い音が!エリネヴィステさん、すんごい笑顔!


 「あぁーら?ごめんなさい、思わずゲンコツが出てしまいましたわ!」


 ひえぇえっ…ニコラも凍りついたような顔、だけどシルは「またかぁ」みたいな笑顔浮かべてるし!お前のその微笑みカウント、何回目なんだ?

俺がひきつった表情で部屋を見回したとき、エリネヴィステさんが大きく一歩踏み出して笑った。


 「さぁ、そろそろ難しいお話は終わりですわ!今日はもう解散!ゆっくりしてくださいまし!あなたたちの宿泊先は私が手配しますわ」

 「そうやで!長旅に長い話、お疲れ様や!やーっと休憩できるんやでっ!そしたらオレが連れてくから」


 ふ、ふぅーっ。なんか、慌ただしくてゴチャゴチャしてるけど…これでひとまず終わりなんだな!


 「よっしゃ!あーっ、もう疲れたぜ俺!」

 「僕も安心しちゃった。さぁ、ルカを探しに行かなきゃ」

 「俺はシエゼ・ルキスへの報告書か…いつも思うが面倒だな」


 ガタッと俺はまた椅子にぶつかりながら立ち上がる。シルも大きく背伸びをし、ニコラはこれからやらなきゃいけないことにため息をついていた。

エリネヴィステさんたちも、にこやかに俺たちを見ている。これで目標達成!いざ終わってみると呆気ないもんだな。


 なんか、俺もガッツリ疲れてきた。視界ぼやけるし、…あれ?エリネヴィステさんが何か話してるのに、聞こえねーぞ?口パク?

しかも…ぼやけが酷くなってきた。ノイズみたいなのが見え始めたし…なんだ?急に、…?

 

 胸が、くるしくて、あたまが、


 ―――ドサッ


 「ステイト!?」



 ――――――――――――――――――――

 


 「副作用ですわ。こんなに早く出るなんて」


 突然倒れた少年の傍に、大神官が跪く。そっと白く細い手を伸ばし、ぴくりともしない少年の額に当てて顔をしかめた。


 「…まずいですわね。アストック、地下の来客部屋、まだ空いてましたわね?」

 「大丈夫、すぐ使えるで。カギ開けてくるわ」

 「お願いしますわ。騎士様、ステイトを部屋へ運んでくださるかしら。シル、私を手伝ってください」

 

 黙って頷いた騎士と赤毛の少年に、エリネヴィステは柔らかく微笑む。顔を蒼白にして突然氷のように冷えた、倒れている少年にもう一度彼女は触れた。

そして、少しでも暖をとれるように、と首元に柔らかいタオルを添える。


 トルメルの少年。もうこの世にはいないとされてきた、幻。


 エリネヴィステは、その存在の大きさをまだ少年に完全には伝えきることができなかった、と心の中で思う。反省とは違い、後悔とも違う。まだ無知の少年には、教えたところで荷物になるだけだと思った。

そして彼女は初めて、『占いたくない』と感じた。


 少年の未来を。行く末を、その孤独を。生まれ持ったその力がこの先、少年を苦しめることが容易に想像できてしまったのだ。


 騎士が、その屈強な腕に少年を抱き上げた。その体の冷たさに驚いたのか、一度動きを止めてまたしっかりと抱き直す。

少年の中ではきっと、自分の中にあってはいけない力を追い出そうと、本来の力が吹雪のように荒れ狂っているだろう。その痛みを思うと憂えずにはいられなかった。


 「部屋は下ですわ、ステイトをベッドに。シル、奥の部屋に薬棚がありますからこのメモにあるものをビンごと持ってきてください。

  あぁ、治癒術などは絶対にかけないようにお願いしますわ…悪化してしまいますから」


 ばたばたと突然忙しくなる部屋の中で、エリネヴィステもまた机の上にさまざまな道具を並べ始めた。今は少年のために、できることをやらなければ。

しばらくあの子は、もしかすると数日間眠り続けるだろう。そんな副作用を背負ってまで、少年は知りたいことを知って満足なのだろうか?


 「…(きっと、導く灯にはなれど…喜ばせるものには、なりえなかったはず…)」


 あの占いの中で、彼女には見えてしまった。少年の今まで…過去の全てが。


 孤独、空しさ、寂しさ、それを押さえつけた心。無にしようとする心、それが当たり前になっていったところ。あんなに元気そうで明るい表情を見せていたけど、まだ少年自身も気づかない闇を抱えている…。

自分では分かることなどできない、そう分かってもエリネヴィステはなんとかしたい、と感じた。


 ガタガタ、と奥の部屋でシルヴェスタが薬の瓶を集めている音が聞こえ、彼女も我に返った。そうだ、早く手を動かさないと。


 そして、地下に通じる階段からアストックが現れた。彼女の幼いころからの世話係、そして今では信頼できる腹心。

ふわ、と揺れたアストックの髪を見ながら、彼女は告げた。


 「見えてますわよ、目。シルが見たら怯えますわ」

 「ありゃ。分け目が…まぁ、エリネの前ならええやろ?」


 エリネヴィステはため息をついた。その視線の先には、目のあるべき場所にただ暗闇の穴だけが広がるアストックの顔がある。耳の傍で銀の髪が揺れた。


 「いつ見ても驚きますわ。その暗い闇の目。…目じゃ、ないのかしら」

 「目みたいなもんやな。見えるんやし、ええやん。これがオレの種族なんやから…まぁ、オレの種族も残り少ないけど。トルメルほどやないしな」

 「…ええ」

 「騎士のにーさん、しばらくステイトを看とくって言うとったわ。なんや、優しい人やな」

 「あの人も不器用なだけ…。トルメル以前に、あの子の孤独を分かってしまったのね。だから放っておけないのよ」

 

 目を伏せて言う彼女に、アストックは前髪を戻しながらぽす、と肩に手を置いた。


 「ほーら、『キャロル』。ちゃんとやりよ。大丈夫、あの薬飲んで死ぬことはないんやし。あとはステイトの頑張り次第や。

  奥でシルが手伝ってくれてるんやろ?やったら、キャロルもちゃんとやり」


 幼いころと同じだ。彼女が不安になるときは、いつもアストックが肩に手を置く。それを思い出した彼女はそっと頷いて返した。


 「…『私の名前』を呼んでくれる、家族以外の人はあなただけね」

 「オレは成り行きで知ってもたんやし、しゃーない!それか、家族になる?オレ、大歓迎やけど?」

 「今日は冗談に付き合ってられないわ。さぁて、私もやらなきゃ!さぁアストック、あなたにもバンバン働いてもらいますわよ!」

 「はいはい、エリネ」

  

 ばしっ、とアストックの背を叩き返しながら、エリネヴィステも奥の部屋に走った。

彼女が奥へ消えていくのを見て、長い前髪の下でアストックは闇の目を閉じる。


 「…キャロルも、ほんまに優しいやつなんやから」


 『アストック!何をもたもたしてますの、さっさとこっちにいらっしゃい!』

 「分かっとるから!あーもう、人使いが荒いやつやで」


 急かす彼女の声に、大げさにため息をついてアストックも奥へと向かう。一歩踏み出したとき、銀のくせ毛が揺れて僅かにとがった耳を見せた。


 ―――さぁ、頑張りよ…トルメルのステイト。


 魔族の彼の小さな応援は、言葉にも形にもならない。ならないまま、彼の心から浮き上がってそっと宙に溶けていった。



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