25 知るべきこと
タペストリーをくぐり、奥の部屋に足を踏み入れる。すこし埃っぽい匂いがもわっと溢れるのに俺は顔をしかめた。
そこには、生活感あふれる木の少し大きな机がドンとある。周りには丸太椅子が6個ほど備えられていた。
しかも、その机の上になんかワインとかパンとかあるし。パンなんかかじりかけだし。ちらっとエリネヴィステさんを見ると、さりげなくパンを手に取り口に放り込んでいた。
あ…食べかけ…エリネヴィステさんのやつか…。
「もぐもぐ……あ、お気になさらず。どこでもいいので、お座りになってくださいまし」
あの、頬がリスみたいなことになってんですけど…!とは言えない。ニコラは真剣な表情のまま、シルは穏やかな表情にどこか心配そうな影を宿して椅子に座った。
俺は一番近くにある椅子に座った。うお、ニコラが隣か…。うっかり。
しばらく棚をがちゃがちゃといじっていたエリネヴィステさんが、何やらたくさんの道具を持ってきた。
なんだろ、占いに使うのか?鏡やら、コップやら、お札みたいなのとか、鍵とか、虫眼鏡とか…何かの薬っぽいのまであるし、アヤシイ感じがする。
どん、と机の上にそれを置いて、エリネヴィステさんが近くの椅子にゆっくりと座る。そして、俺たちを一通り見回した。
「さて!お待たせいたしましたわ。まずは何から話しましょうか…ええ、ステイト。あなたが聞きたいことからお話ししましょう」
俺が、聞きたいことから。俺はその金の目に見つめられ、思わず息をのんだ。やっぱり星でも浮かんでるみたいな輝きだ。気圧されちまう。
だけど、俺が一番最初に聞いておかないといけないこと…。俺は横目にニコラを見た。ニコラは俺の方を少し向いて、口元をすこし緩めた。
好きにしろ、か。だけど、お前が言わんとしてることと俺が言わないといけないことは、多分一緒だ。
「俺が本当に聖剣を盗んだのか、教えてください」
「ええ。…ああ、そうでしたわ。占いも魔力依存なんですの…あなたは、魔力を受け付けないのでしたわね」
平然と、まるでちょっと忘れ物していたというようにエリネヴィステさんが手をぽんと叩いた。全部分かってる、って言ってたから俺の体質には当然気づいてるんだ。
シルが、不安そうな表情で俺とエリネヴィステさんを交互に見つめた。エリネヴィステさんは、そんなシルにも俺にも問題ないように微笑む。
「…それでも知りたいのでしたわね。あなたは魔力を持たない代わりに、魔力とは別の力を有していますわ。ですけれど、私はその力から『あなた』を解読できない。
少しあなたに無理をさせれば、…といっても、後でとてもつらいことになりますが…あなたを占うことができるのです。覚悟はおありかしら」
無理をさせれば、かー。何だろう?腹痛?頭痛?やだなー…ってのは本音だけど、まさかそんなことで俺はお断りなんかしねぇぞ。
むしろ、それくらいで済むならまだ幸せだ。…だいたい、占いは魔力依存だからシエゼ・ルキスの占い師が変なことを言い出すんだ。普通の占い方じゃ俺を占えないのはなんとなく気づいていたさ。
魔力依存で占うのなら、俺の体質そのままじゃ無理。エリネヴィステさんの手に握られた小瓶の中身がユラユラ揺れる。
…。透明な小瓶、だけど…中に入ってる液体、真っ黒じゃねーか…!一瞬俺の覚悟が揺らいだのはナイショだ。…いや、だって!アレ!墨かよ!?
せっかく覚悟を決めて、いつでも『お願いします』と言い出しそうだった俺の表情は多分素直に揺れていると思う。正面に座るエリネヴィステさんがにっこりしていたからだ。
ニコラとシルも、目を見開いて小瓶に視線を向けた。そして、俺を気の毒そうに見てくる…やめろよ…決意揺らぐ…!
「これは、大昔の資料に載っている秘薬ですわ。呪いなどによって魔力を空っぽにしてしまった者が、一時的に魔力を取り戻す薬。
魔力を取り戻す、というよりは、魔力をためていた器が呪いで壊れたから、代わりに別のを作るといったところですわね。
つまり、魔力の器を何一つ持たないあなたの中に、勝手に魔力を受け止める器を一時的に作り出しますの」
「けど…俺は、魔力じゃない力を持ってるんですよね…?」
さっきのエリネヴィステさんの言葉にあった、俺が魔力とは別の力を持つ…ということ。あの氷漬けの力、リウのことは…その力だと思う。
そのことはまた詳しく後で聞こう。それより、まずはこの薬だ。これを飲めば一時的には占いを受け付けるようになるってわけだな。…飲んで死んだりしねーだろうな…。
俺の不安そうな表情を見て、エリネヴィステさんはそっと小瓶を机の上に置いた。
「飲んだらとーってもマズいそうですけれど、それは問題ではありませんの。この薬、体に合わないと副作用が後になって出ると言われておりますわ。
しばらくは体調不良の嵐、おまけにきっと、あなたがもともと持っている力もしばらくは使えなくなりますわ。
すぐには副作用は出ません…個人差があるそうですけれど、飲んで2時間は大丈夫ですわ。ですから、覚悟がお決まりになれば」
俺は、目の前で沈黙を貫く小瓶を見つめた。量はほんとに、コップ一杯もない。その半分をさらに半分にしてもういっちょ半分にした、ぐらいの少ない量。
だけど…これ…真っ黒…しかも、すっげぇまずい、だと…!?
正直、泣きたいところだ。てか、逃げたい。けどこれを飲めば、ちょーっとだけ我慢すれば俺は本当のことを知ることができる。
当然、そんなもん秤に乗せるまでもない。俺は小瓶をひっつかんだ。シルが息をのみ、ニコラが目を見張ったのが分かったけど、俺はエリネヴィステさんの前で勢いよく小瓶を開けて呷った!
―――…うぐぐっ!?おおおお!お!?な、何だこれうわわわわ!苦い、いや、抉るような痺れる酸っぱさ、うーん渋み!?わ、分からん!形容しがたい!
こんな地獄の空気を集めて液体にしました、みたいな味どうやって説明できるんだよ…!なんか視界がキラキラしてきた…!や、やべ…。
と。突然ぱし、と音がした。両頬があったかくなる。な、なんだ?キラキラもやもやする視界で、なんとか俺は焦点を合わせる。も、もうちょっとだ、なんだか黒いのがはっきり見えて…。
…ニコラだった。隣に座っていたニコラが、両手を伸ばして俺の両頬に当てていた。俺はどうやらガックンガックン揺れていたらしい。両手を添えられた俺の顔は、ニコラの顔にまっすぐ向けられていた。
「おい、ステイト!大丈夫か、聞こえるか!?」
「あ、に、ニコラ…大丈夫、戻ってきた…。うっへー、まずいってどころじゃねーな…しばらく絶食できそう」
ひ、ひええ…まだクラクラしてやがる…!目の前のニコラの顔がぼやけたり歪んだり、すっげぇ愉快なことに…!けど笑う元気がない…!
つかこの後味に耐えきれんわっ!水とかねーのか!?
「な、なんか水とか…!」
「だめですわ。薬が薄れてしまいます」
「う…嘘だろ…」
やがてグワングワンと揺れる世界が少しずつ治まってきた。やっと目の前のニコラの表情をしっかり見ることができるぐらいには。…て、こいつ…なんちゅー顔を。
ニコラは別人みたいに、すっごく安心したという情けない顔をしていた。へ、変なの。お前がそんな情けない顔してんの、初めて見るぞ。
俺は自分の両手を、ニコラが俺の頬に添えている手の上に乗せた。
「もう大丈夫だって。ニコラ、鏡で顔見て来い。すんげー変な顔してるぞ」
「…だ、誰のせいだ…」
はっとしたようにニコラが慌てて手を放した。気まずげに顔を逸らされたけど…なんだ、こいつ結構…いやなんでもねぇ!ほんとになんでもねぇ!俺までおかしくなりそうだ!
け、けどこれで魔力の器を作れるってことは占いを受けられるんだな、そうだな、そうだよな!俺はエリネヴィステさんに向き合った。
「も、もうこれで占えますよね!?」
「え、ええ。早速だけど、あなたのこと…見させていただきますわ。こちらに片手を」
言われるままに片手を出す。エリネヴィステさんは机に一つの大きな丸い盆を置いた。そして何かを詠唱するわけでもないのに、突然盆に水がなみなみと現れた!
そっか…大神官にもなると、単純な魔法なら詠唱がいらないのか。
エリネヴィステさんの白くて細い手が、俺の手を取る。その手の冷たさに少しびくっとしたけど、エリネヴィステさんはそのまま俺の手を水盆の上で固定する。
「掌をしっかり開いて、そのままゆっくりと盆の水に手を浸して…目も閉じて。私がいいと言えば、目を開いて水から手を引き上げてくださいまし」
ご、ごく。思わずつばを飲み込む音が…。俺はぎゅ、と目を閉じてゆっくりと手を下へ…そしてヒヤッとした水にそれがつかると、しばらくそのまま固まった。
水の冷たさに慣れてきた頃にエリネヴィステさんが合図をくれた。そっと手を引き上げ、目を開く。…うわぁ、なんだこれ!
シルとニコラも水盆を身を乗り出して覗き込んだ。エリネヴィステさんが小さく頷く。
水盆の表面には、何かよくわからない文字、いや…形?シンボル?のようなものが、白い絵の具でも落としたみたいに浮き上がってた!
「これは…?」
「あなたの真実ですわ。これに質問いたします。そしてこれは、質問の答えを形であらわすのです」
そういうなり、エリネヴィステさんが大きく目を見開いて水盆を見つめる。うわっ、これ傍から見てたらホラーみたいだな…なんて言っちゃだめだ!
静まり返った部屋の中で、俺もどきどきして水盆を見つめる。っても俺じゃその形から意味を解読できないんだけど…。
「教えてくださいまし。ステイトは聖剣を盗んだのですか?」
―――フォンッ
水盆の中から上がったとは思えないような音が、部屋に巡った。白い渦を描き、やがてその『真実』が…うーん、やっぱ何とも例えがたい文字みたいな形に変わる。
首をかしげる俺たちに、エリネヴィステさんが静かに告げた。
「…安心してくださいまし。ステイト、あなたは犯人ではありませんわ」
――――…本当に!?本当の本当だな!
「いよっしゃあああっ!!聞いたなニコラ、シル!シエゼ・ルキスのでたらめ占い師め、ぜーったいに許さないからなっ!」
ガタッと丸太椅子にぶつかりながら俺は立ち上がって叫んだ!やった、もうアストックから宣言されてたから喜びは薄れてるけど…ほらな!ほーらーなー!
だいたいこの超善人・一般市民・人畜無害の俺が!聖剣なんて!盗むと思うのがまず間違い!何、金目当ての犯行の可能性!?ごめんそれはアリかも!
どやーっ!と、胸を張っていると、シルが立ち上がって俺の傍に走り、どんっとそのまま抱きついてきた!
「おめでとう、ステイト!これでちゃんと帰れるね…!」
「ありがとな、シル…!なんかもう俺、感動薄れてどうしていいか分からねぇけど…!あああすっげぇホッとした!だから俺じゃねーって言ったのに!」
「良かった、良かった…!」
ぎゅーっとシルが俺の背に腕を回す。その強さにびっくりしながら、俺も勢いでしっかり抱きついた。シルの髪の匂いがふわっと漂う。
けど、俺の肩に顎を乗せていたシルが、あっと声を出した。
「で、でもステイト…もっと知らないといけないんだよね…」
「あ、そうだな…でもこれで俺の大きな肩の重荷が取れたってもんだ!喜んだって怒られねーよ!」
俺の方はもう半泣き。目が勝手に湿ってくるのを笑顔でごまかしながらシルとじゃれていると、ニコラがすっと立ち上がる。
俺はシルをそっと離し、ニコラの前でえっへんと胸を張った。
「だから言ったろ!俺じゃねーって!俺、あの日爆睡してたし!さんざん色々言ってくれたなバカニコラ…!…ひゃあっ!?」
突然、ニコラが俺の頭に腕を回し、自分の方へと引き寄せた!俺はその勢いに負けて引き寄せられ、見事に鼻をニコラの胸のあたりに打ち付けた。
「いって!突然何を…」
「疑って、悪かった。…ステイト」
「ったく!どいつもこいつも!俺の前科があるからって押しつけやがって…!」
「…ああ。俺が今度は詫びる番だ。…俺にできることなら、お前の気が済むまでなんでもしてやる。だから…」
「…なんだよ」
俺の悪態は、安心半分でニコラにちょっとだけ仕返しをしようと思ってただけ。だから半分笑いながら俺はガッスンガッスン頭をニコラの胸にぶつけていた。
けど、ぎゅ、と頭に回された腕の力が強くなって俺は動くのをやめる。な、なんだよいきなり。ゆっくりとニコラがうなだれて、俺の耳元で優しく囁いた。
「今は、安心して俺に怒っていいんだ」
「…っ、もとからそのつもりだっての!てめぇには遠慮なんかしねぇ!」
なんでだ?俺の目は壊れたらしいな。ニコラの胸にうずめたままの顔は、次々に目を湿らせて零していった。
シルが俺の背中をさすり、エリネヴィステさんに声をかけていた。
「エリネヴィステ様、…」
「ええ、分かってますわ。私、暇人ですの。いつまででも待っていられますわよ」
その言葉が聞こえる頃には、俺の目は完全崩壊。ふつふつと浮き上がっては溢れかえって落ちる涙を止められなくなっていた。酷く客観的に感じながら、俺は頭の中で問いかけ続ける。
なんで泣いてるんだ?泣く要素あったか?分からない。俺にもさっぱり。なのに理由も置いてけぼりに、俺の目はずーっとわがままをし続ける。
そして、なんとも言えない気持ちがぐっと喉に熱く押し寄せた。いちいち言葉になんてできないそれが、俺の心の問いかけと静止要請も無視して強く飛び出した。
「う、う、ぅ、…うわぁああああっ!!」
ニコラはただ黙って、俺の背にももう片手を回した。ニコラの服の胸辺りは、俺の涙を吸ってびしょびしょになってるだろう。顔に当たる柔らかい布に、さらに俺は顔を押し付けた。
止まない雨みたいで恐くなる。けど、ときどき背に触れるシルの手と、俺を支えて抱きしめるニコラがもっと俺を安心させて泣かせ続けていた。
…ごめんな、シル、ニコラ。俺、最後まで甘えっぱなしだったな。卑怯者だからこっそり思わせてくれ。
大好きだ。シルも、ニコラも。俺は本当に、本当に…。
ガキみたいに泣いていた、…いや、ガキのときもこんな風に泣いたことはなかった。泣けなかった。なのに俺はすっかり泣きはらした目で椅子に座っている。
もう17だぞ。いい歳してんだぞ。こんなことってあるか?よりにもよって、ニコラに泣きついていた、なんてさ。年下のシルに慰められた、なんてさ。
今はシルたちも椅子に座って、エリネヴィステさんの水盆を見つめている。俺が泣き止むまで待ってくれたエリネヴィステさんは、俺が黙ってニコラから離れたときにこう言った。
『あなたは何より大切なものに気づくことができたのですわね。それさえ分かったのなら、もうあなたは大丈夫ですわ』
大切なもの。もう恥ずかしくて何も思えない。ぷつっと頭の線がちぎれて燃えてしまいそうだ。そんな俺に、エリネヴィステさんは微笑む。
「さぁ。安心したところで、次はあなたの…あなたたちの未来に関わることも告げなければいけませんわ。
ステイト、あなたの知りたいことを教えてくださいまし」
「…俺の、こと。俺って何?俺は…誰なんですか…?」
―――俺のこと。
魔力を持たなくて、受け付けない。魔力じゃない力を持ってる。正直、人並みじゃない運動能力もあるみたいだ。
人間じゃないのかもしれない。それでいて魔族なわけでもない。ニコラの仮説が当たってるのかもしれない。…答えは、水盆の上。
エリネヴィステさんが水盆に問いかけると、また『真実』はくるくると姿を変えて落ち着く。…それは、ちいさな円。マル。中が空洞の。
エリネヴィステさんはもう分かっていたらしい。頷いて、俺たちをゆっくりと見回し、答えた。
「ステイト…あなたはトルメルの末裔。この世で最後の、たった一人のトルメルの民。もうあなたのほかには…誰もいませんわ」
…やっぱりか。…俺も本当は、ニコラの仮説通りじゃないかって思ってた。だから驚けなかった。シルも、ニコラも。変わらない表情で水盆を見つめ続けている。
だってさ。あの指輪はトルメルの民の指輪だった。俺は文字に触れたとき、全く知らないはずの指輪の文字を『読めた』。
そして魔力を持たない。魔力以外の力を持つ、異質の存在。境界戦争の、小さな忘れ物。
「…愛する、島の民」
「…ええ。その通りですわ。…あなたの持つ力も、トルメルの力。だけれど、もうその力の根源である島は…姿を消した、とされておりますわ。
そして、あなたの中の力もとても弱っていたように見えましたの。…おそらくは、体内でこんこんと眠り続けているのでしょう。
けれどあなたのその指輪から力を感じますわ。ですから…この先、トルメルの力を身に着けたいのなら、その指輪のようにトルメルの民の道具を探すといいと思いますわ」
そうだ、この指輪。変な縁。俺がトルメルに渡してやるって思ってたのに、そのトルメルの民が俺で、もう俺しかいなかったなんて…滑稽だ。
ミチテラシはそのことを気付いていたのかもしれない。もしかしたらあの森の中に、トルメルの道具が眠っているのかも。…俺は、どうしてもそれを回収しないといけない気がした。
使命感、というよりは俺の興味。そして義務でもあると思う。
「…トルメルの民は、人間の中でも変わった存在ですわ。実際は、『トルメル』という生き物で、人と魔族でもない者だと思えばそれが正しいとも言えますの…。
けれど、ステイト、それは一つの事実。他人の考えた勝手な区分け。あなたが何者か、それがトルメルであっても、それがあなたの居場所だとは限りませんわ」
俺はそっと顔を上げた。んで、ちょっと慌てた。エリネヴィステさんの金の目に、ゆらゆらと星が揺れていた…いや、涙が見えたからだ。
この人、すっげぇ優しい人なんだな。アストックが『人情派』と言ってたのを思い出した。この人は、俺がたった一人の孤独な存在だと憂えてくれてるんだ。
けどさ。俺、それは大丈夫だ。もう一人じゃ生きていけないのはさんざん思い知らされたしな。トルメルが俺以外にいなくて、なのに俺は人間でも魔族でもないってんなら。
それでも俺は最初からたった一人だ。種族の前に、俺という存在は一つだけ。だから、気にするもんでもないだろ?
「そっか。俺、そうじゃないかって思ってたから。ハッキリして良かったです」
「…ステイト。これは私個人の、『大神官エリネヴィステ』でない『私』から言いたいこと…だから、聞いてほしい」
エリネヴィステさんは、いや、…この人は、俺をまっすぐ見つめてそっと手を握った。あれ、あたたかい。さっきまでは冷たいと思ったのに。
強く開かれた瞳から、力強い意思を感じた。
「私も、手伝うから。きっと、絶対に、…私も私の力で、トルメルの道具を探してあげる」
同じ人なのに。エリネヴィステさんではない口調で、俺に語る。俺はその申し出に、また目が熱くなってしまった。なんだよ。今日はすっかりダメダメだ。
だから俺はまたうつむいて、机の木目を睨むように涙をこらえながら小さく頷くしかできなかった。
「…あなたの、名前は?エリネヴィステじゃない、名前は?」
呼び方に困った俺の問いに、彼女は白い髪をさらさらと揺らして首を横に振る。
「教えられないの。魔力の強い『治めるもの』の名は力を持つから。私の名を知るのは家族だけ」
寂しそうに言う彼女に、俺は言葉を失った。縛られてるのか…立場に。じゃないと、危ないのは彼女だけじゃすまないから…。彼女の身に危険が及べば、聖都は崩れてしまうんだ。
俺だけが悲嘆にくれなきゃいけないわけじゃない。この人も、シルも、ニコラも、皆俺には分かりえない何かを抱えてんだ。
それでも俺を元気づけようとしてくれる周りに、やっぱり俺は感謝しなきゃ。ありがたい、と思えるだけ、俺も成長したんだろうか…。前はそんなこと、考えなかったんだ。
シルも、俺にニッコリと笑ってくれた。いつもの笑顔。すっかり慣れた、本当に見飽きない笑顔だ。
「僕も探すよ。アルギークに帰っても、絶対に探すね」
「ありがとう…シル」
ニコラも、少し考えるように机を見つめていたけど…。まぁ、何か考えてるんだろう。
さぁ、もう一つ。俺が、いや…多分、全世界の人間の皆さんが、耳をかっぽじって一文字も聞き逃さないようにしないといけない、一番知らなきゃいけないこと。
「あと、もう一つ。…聖剣は、誰に盗まれて今どこにあるんですか」
す、と彼女はエリネヴィステの立場に戻ったのが分かった。そして目を伏せて少し黙ると、ゆっくり答えた。
「それは、あなたの『真実』に問いかけても分かりませんわ。ですが、そのことについてはずーっと神官や私たちが今、全力で探っております。今の仮説では…」
「アストックに聞きました。聖剣と同等以上の力を持つ魔族が盗んだんじゃないかって」
「ええ。…きっと、あなたがシエゼ・ルキスの占い師に聖剣盗難の犯人だと間違えられるよう仕向けたのも…相手が魔族だというなら納得できるのです。
一番疑われるような人間を、勝手に犯人に仕立てあげるように幻影を見せることなんてとても簡単なことですわ…。
そして、相手が魔族だとすれば、人間が魔力で勝とうとするのはなかなか難しいこと…。だから普通の失せ物探しのようにすぐには見つからないのですわ」
…うーん。これはもう、魔族でほぼ決定だろうな。でも、そんな力の強い魔族がどうやって王都に来たんだろう。誰か気付けよ…あ、力が強いから誰も気付けなかったのか。
隠れるなんてきっと、すっげぇ簡単だったはず。じゃあなんで今更?力が強い邪の魔族は聖剣で封じられてたし、魔族の生きる世界と人間の生きる世界はしっかり分けられたのに…。
俺のちっちゃな頭じゃ、そんなこと考えたって分かるはずもねーよな。
「それじゃ、聖剣の行方は…」
「直接探せなくても、各地の魔力の揺らぎを察知したり精霊に呼びかけたりして、少しずつ探っておりますわ。あと少しですのに…。
この町には神殿以外にも、大聖堂がありますの。そこに何人もの学者や神官が集まり、必死に情報を集めておりますわ。
今頃、アストックが大聖堂の様子を見に行っていると思いますの。アストックが帰ってくるまで、ゆっくりなさってくださいまし」
ああ、それと!とエリネヴィステさんがはっとする。俺にぴ、と指を向けてにっこりと微笑んだ。
「王都へは私が送って差し上げますわ、ついでにそちらの王様にも私が直々に訴えて差し上げます。数時間のことなら、私がここを離れても影響はありませんし。
それに大神官なんて持て囃されてますけれど、…アストックの言うとおり、まだまだ未熟者ですわ、私も。聖王様にもよく叱られたりしますし」
「い、いいんですか…!?」
ま、まさか大神官が直々に、ってんならもう王様も文句は言えねーだろ…!ニコラの表情も、まさに『!?』って感じだ。ありがたいけど、大丈夫なのか?
そんな気前よく……って、聖王さんにも怒られることあんの!?びっくりして、腫れて重くなった瞼を俺は押し上げた。視界の端でシルがほほ笑む。
「エリネヴィステ様は、それでこそだと僕は思います」
「まぁ、シルってば。そんなこと言うと調子に乗ってしまいますわよ、私」
不思議な人だ、エリネヴィステさん。
ユハの町では、精霊のリェンも大神官を頼れと言ったぐらいの実力者。実質、大陸の人間の中では最も魔力に優れた人。なのにその雲の上のような感覚を思わせない、どこか近くにいてくれる人。
シルが姉のような人だと言ってたけど、本当にその通りだ。すっごく美人で荘厳な雰囲気を湛えてるのに、型にはまらないおちゃめで優しい、不思議な人。
さすがだなぁ、大神官って。目の前でシルと雑談を始めたこの人は、とても大神官には見えないけど…。
俺はただ感服してしまった。まるで月と太陽を一緒にしまいこんでるような気さえしてくる。
シルとエリネヴィステさんの雑談を意識半分に聞きながら、俺はちょっとだけこれからのことを考える。
…俺は、王都に戻って。ちゃんとヨーウェンさんに説明して…今度は自分の意思で旅だとう。一人でも。…俺は、トルメルを知りたい。トルメルの道具を探したい。
できれば聖剣を探す役にも立ちたいけど、まだ俺じゃ何の役にも立てないはずだ。
シルは弟たちと一緒にしばらく聖都で過ごし、祖国アルギークの情勢が落ち着くまでここで暮らすのだろう。
ニコラも、王都に戻ったらすぐに各地の魔物討伐に向かうんだろうし。皆、やることがあるんだからな。
このままだとシャハンの紹介とか、いろんなこと忘れたまま忙しくなりそうだな。俺はちょっとだけ小さくため息をついた。
そんな俺に、ニコラが小声で声をかけてくる。
「お前はどうするんだ、この先」
「また旅に出る。トルメルの道具を探すのと、もし聖剣のことで何か手伝えるなら手伝う。お前はどうせ魔物討伐だろ、お疲れー」
魔物なんてもう顔も見たくないけど、俺も旅立つならやっぱり魔物さんコンニチハなのか…!いや、トルメルの道具が秘境にあるなら俺も強くならねーと…!
仕方ねーよな、と俺が白目剥いてると、ニコラがぽつりと低い声でつぶやいた。
「…俺も、お前と行こうかと思う」
「はいはいお疲れ……え…?俺と?お前、だって騎士の」
「辞めたっていい。お前が嫌じゃないなら………、はぁ。俺も何やりたいんだか分からねーよ。さっさとお前を無罪証明させて、いつも通りに戻りゃいいのにな。
だが…さっきの話を聞いて、お前は一人で旅立つと決めただろうと思うと…俺も、ほっておけない気が…ああ、くそ」
変なの。ほんと雨でも…いや、槍でも降るのか?ニコラが、さらさらの黒髪をじれったいようにかきあげながら何度もため息ついてる。
俺と行くなんて、こいつとうとうおかしくなったんだな。あのニコラだぞ?俺のことさんざんバカにするし、俺ばっかりにムカつくこと仕掛けてくるこいつが。
俺と、行こうかと思うなんて。
俺もニコラの様子を見てると、どうしていいかわからなくなって慌てた。い、いや…待てよ。待てよ、俺はどうなんだ?ニコラがついてきて、どう思うんだ?
今回は都合上仕方なくだっただろ。いやいやいや。ニコラが騎士を辞めてまで、俺についてくることないだろ。えーっと、えっと…。ど、どうすりゃいいんだよー…!
「…ステイト、お前に従う。お前がいいなら、俺はお前と行く。お前が嫌なら騎士の仕事をする。…決めてくれ」
…ああもう!結局俺に丸投げかよ!お前の人生かかってんだぞ、どうする、どうすればいい?慌ててあちこち見たり、机の木目を指でなぞる俺に、突然エリネヴィステさんが手を伸ばして頭を撫でた。
「私とシルがお話ししてる間に、あなたはまた決断を迫られてますのね。簡単なお話ですわ。あなたの気持ち通りに答えたらいいんですのよ」
そうだよ、とシルもにっこり笑う。ちょっと傾けた顔から、さらっと赤い髪が揺れていた。
「僕も行きたいな。また3人で旅したい、けど…僕も弟たちをまずは守らなきゃね。また迎えに来てほしいな。だからステイト、自分の思うままでいいんだよ」
そっか。…俺の気持ちか。嫌だな、コイツ相手に開きたくない箱だ。まともに向き合うと、どっか狂っておかしくなるばかりだからな。
チャリ、と首元で鎖の音がする。ペンダント。…俺はその音を聞いたと同時に、しっかりとニコラを振り返って見つめて答えていた。
「来てほしい…ニコラと、一緒に行きたい」




