19 屋敷潜入
俺は今、全く人がいない汚れた薄暗い路地を走っている。ちょっと変装してるからいつもより走りにくいけど、すぐ慣れるよな。
光の差さない、僅かに異臭がする苔とゴミと謎の液体にまみれた路地。最近の生活からは縁遠いけど、かつては俺の『いつもの』環境だったような場所だな。
走るたびに長い黒髪がチラッチラと視界に映り、ばさばさとはためいてはまたなびく。若干走りにくい理由は更に、白いワンピースだからってのもある。
足も黒いタイツだし…普段はないピッチリ感が走っているとなおさら気になる…。
…つまり。ぱっと見れば、俺は完全にオンナノコと間違えられるであろう姿だ。
…あのな。前にも似たようなことあったけど、俺はぜーったいに女装癖ないからな!このヅラも王都出た頃に変装としてかぶってたのを使いまわしてるし、服も宿の備品を拝借してるだけだ!
まさか俺がフルセットでしっかり準備してたなんて思うなよ…!
こんな恰好になるのも、もし俺が目撃されてしまった時にシルとニコラたちと無関係の盗人であると周りに思わせるためだ。
ニコラはあの通り朝の戦闘で目立ってるし、シルの容姿端麗な姿や真っ赤具合もいくら異国の旅人が集まりやすいとはいえ、十分に目を引く。
そんな目立つ二人と一緒にいるんだ、もし事がまずくなればシルとニコラと行動を共にする『もう一人の少年』が疑われるのは当然!
さらに残念ながら、とっても残念ながら俺の身長ならちょっと背の高い女の子としてフツーに紛れ込めてしまう…。つまりこの変装は仕方なく!仕方なくだ!
と、誰に聞かせているのだという俺の言い訳を繰り返すこと数分、いよいよ屋敷が見える道まできた。俺は細路地に隠れ、辺りを窺がう。
この路地を出ると大通りに出る。目の前にはもうドーン!と『例の屋敷』が見えるから、あとはどうやって人目につかないように忍び込むか、だ。
時間帯もそろそろ町の人たちが起きて活動し始める頃。この辺りは町の議員たちが住む居住スペースだからそんなに人通りはないけど、当然衛兵とかいるし。
どうしようかな。テキトーに人が少なくなったら衛兵ぶっ飛ばして入ろうかな。
けどそれだと後で面倒だな。もう少ししたらシルたちもこっちに来るんだし、できるだけバレない方向で行かねーと。裏口とかあんのかな。裏に回ってみるか。
俺はまた路地をこそこそしてぐるっと遠回りする。屋敷は鉄格子の門と高い壁に囲まれてて、確かに入りづらい。
それでも裏に回ると、勝手口がポツンとあるだけで、あとはもう壁。あれぐらいなら登れるか?屋敷の裏にはもう建物はない。ただ、ほそーい道が繋がってるだけ。
この勝手口を使って買い出しとかに出る人たちが、通ったりしてるんだろうな。ここから入れないか…。
そっとドアノブに触れようとして、俺は手を引っ込めた。ダメじゃん、ここを開けてもどうせすぐにキッチンとか使用人が多そうな部屋に出るだけだろ。
だったらやっぱり上るか?壁。まぁ、跳べば越えられそうだけど…。
恐いのは壁を飛び越えて侵入したときに誰かに見つからないか、だ。でも他にいい手はないし。しゃーねぇな。俺は足に力を籠め、少し屈んで跳びあがった。
ヒュオッと勢いよく俺の体が空へ打ち上がる。ワンピースの裾がはためき、長い髪がふわりと風に持ち上げられる。んー、やっぱ跳ぶこの瞬間はいつも楽しい。
なんなく壁の上を越えて、俺は柔らかい芝生の上に着地した。壁と屋敷の間であるここは、やっぱり日が差さず芝生もグッテリしてる。
とりあえずこれで敷地内には入れたな。さて、次は屋敷。俺はまた跳んで、赤い屋根に上る。
それから音をたてないようにそっと歩き、どこか入れそうな部屋がないか探す。あー、めんどくせ。だいたい、屋敷に入れたってどこに魔玉があるのかも分からないってのに。
ちょうど、倉庫みたいな部屋を見つけた。2階の、おそらく屋敷の隅っこの部屋。窓から覗くと、なんか木箱とかボロくなったソファとか衣装棚とか、いろいろ置いてあるみたいだ。
この辺なら多分、普段から誰も来ないだろう。このへんにしとくか!胸元から針金を取り出し、窓の鍵穴に突っ込んだ。
少しいじるとカキ、と音がして窓が開く。ふっふっふ、楽勝!さっすが俺、鍵開けの技も鈍ってない。…よい子は真似しちゃだめだぞ。ちなみにこの技が普通に役立ったのは一年ぐらい前のこと。
王都で平和に暮らしてた時、アリシアが自分の宝物を入れている鍵付きの小さな宝箱を俺の元に持ってきたときだ。鍵を失くしたアリシアはもう涙目。俺はススッと開けて見せ、すんごく喜ばれた。
あのときのアリシアってばもう…にこって、ふわって、笑顔!天使の屈託のない笑み!『スティ、ありがと!すごーい!』ってね、もうね、分かるかこの気持ちが。ああアリシアぁぁぁ!
「お、お姉ちゃん…だあれ…!?」
……?お、お姉ちゃんだと?どこにお姉ちゃんがいるんだ?
俺は窓から半分体を入れたまま固まった。…えっ?さっき声がこの部屋から聞こえたよな…。…んなまさか。こんなカビ臭そうな物置っぽい部屋に誰かがいるなんて…。
「お姉ちゃん…?」
俺のふらふらする視線が部屋の隅に映る。…と、目があった。衣装棚と壁の隙間に、小さな男の子がいる……。
「…!?」
「お姉ちゃん、僕を探しに来たの…!?」
お、男の子いるじゃねぇかぁあああああっ!だ、誰だお前!けど誰だお前は俺だな!そうだな!どうする俺!誤算過ぎる!こんなとこにスミッコクラブがいるなんて知らねーぞ!?
一瞬の間に、俺の頭にさまざまな考えがよぎった。
1、男の子を黙らす。力ずくでも黙らす。
2、ごめんなさいして逃げる。
3、お姉ちゃんっつーか今はオネエちゃんですゴメンナサイ…あっコレ関係ない。
けど俺はとっさに、『しー!』のポーズをとって静かに男の子の反応を見た。
薄暗い部屋の隅っこにいるからよく見えねーけど、しっかりした生地の服に、手入れがしっかりされているのだろうふわふわの金髪クセ毛。年の頃はアリシアより少し小さいぐらい。
10歳くらいか?男の子は怯えたように、涙でその綺麗なオレンジの目をうるうるさせてる…あー、泣かないで!俺、ちっちゃい子に弱いんだってば!
思わず俺は少し上ずった高い声で答えていた。
「大丈夫!おま…君を探しに来たわけじゃね…ないからね!」
おっと危ない。小さい子には優しく接しよう。こんな今にも崩れ落ちそうな子にいつもの調子で話しかけられない。男の子は俺の方を不思議そうに見て、首をかしげた。
「ほんと?」
「ほんとだ!」
「じゃあだあれ?」
「……じ、実はカミサマからのお使いでやってきたんだよ」
自分で言っておきながら無理がありすぎて笑いそうになる。けど俺、いたって真面目に任務遂行、俺なりに優しく微笑んでみせる。すると男の子の顔がパァッと輝いた。
えっ、いいのかよ!納得しちゃうのかよ!
「天使さんなんだね!だから2階の窓から入ってきたんだね!」
「あ、ああ!そうだよ!だ、だけどね、俺…いやワタシは君以外に姿を見られたら消えちゃうんだ。だから、ね?」
「うん!ナイショ!」
物わかりが良くて大変よろしい!つか俺の声とかで怪しむモンじゃねーのかよ、ピュアだな…!そんな純粋無垢を利用する俺にはいつか、マジでカミサマからツケを払わされそうだ。
そんときはそんとき…。ごめんな男の子よ…。と、もそもそと男の子が隅っこから出てきた。俺もそっと部屋に入り、窓をそっと閉める。何もなかったように鍵もかけといた。
男の子は俺の近くまで来て、じろじろと俺の姿を見る。ちょ、ちょっと。ボロが出たらどうしよう。けど、男の子は照れながら、小声で自己紹介を始めた。
「僕はエッダ!エッダ・ザッツヘイネだよ。お父さんとお母さんは今は遠くでお仕事だから、おじいちゃんとおばあちゃんが一緒にいるんだよ。天使さんは?」
「え、えっと…、ス、ステイシア!ステイシアっていうんだ!」
女の子らしい名前ー、と焦ると前のシャハンとの会話を思い出して、とっさに名乗っちまった。ま、まあいいか!今回限りだ…。
ステイシアお姉ちゃん、と繰り返してる男の子・エッダ。なんだか嬉しそうに見える。もしかしてこの子、寂しかったのか?両親が仕事で、祖父祖母か…。仲いいんだろうか。
あと、多分そのおじいちゃんだな、今回問題になってる『魔玉』を持って行った議員は。ザッツヘイネ氏と呼ぼう。
案の定、エッダがぽつりと言った。
「僕、おばあちゃんが厳しくて怖い…。おじいちゃんも厳しくて、いっつも難しいお話ばっかり。魔物は恐いぞー、って毎晩脅かすんだよ。だからおじいちゃんは恐い」
「あらま…。もしかしておじいちゃんさ、最近何か宝物見つけた、って言ってなかった?」
あまり仲良くないんだな。これは情報が貰えるかも、と思うとすぐにエッダが頷いた。
「言ってた!ガラス玉?おっきくて、こんなぐらいあるんだよ」
エッダが両手で大きさを再現する。あ、それぐらいだ。大人の握りこぶしぐらいの大きさ。アタリだな!俺は身を乗り出して、エッダに聞いた。
「実はね、カミサマがそれを返してほしいって言ってるんだ。エッダはそれがどこにあるか分かる?」
「おじいちゃんのお部屋!本棚がいっぱいで、勝手に入ったら怒られちゃうよ…!」
俺の嘘八百にエッダはこくんこくん頷いてくれる。うぅ、騙してごめんな、けどほっとくとこの町全部が危ないから…。
魔玉があるのは書斎か?俺が『おじいちゃんのお部屋』について考え込むと、エッダは突然泣きそうな顔をした。俺のワンピースの裾を引っ張り、ダメダメと首を横に振る。
「おじいちゃん、怒ったら恐いんだよ!僕が本に触れたって怒るんだから、宝物持ってったら大変だよぅ…」
「わわ、泣いちゃダメだって」
エッダがまた涙目になって、うるうると俺を見つめてくる。おいおい、どんだけ恐いんだよザッツヘイネ氏!孫から嫌われてんぞ!俺はしゃがみこんで、泣きそうなエッダと目線を合わせて頭を撫でた。
「よしよし、おじいちゃん恐いんだな。まさか、エッダ、この部屋に閉じ込められてるの…?」
「違うよ、僕のお部屋は落ち着かなくて…。ここなら先生もお医者さんもメイドさんも来ないから、こっそり隠れてるんだよ」
「そ、そっか…」
エッダはいかにも引っ込み思案で内気で弱気、だけどすごく純粋な男の子だ。俺とは反対だな。俺が10歳ぐらいの頃なんてもうバリバリで悪さしまくってたし。
けど、こんな子をこんな暗い部屋に自ら閉じこもろうと思わせるなんてなぁ。どんな人なんだろう、ザッツヘイネ氏。
しょんぼりするエッダを撫でながら、俺もそろそろ動かないとだめだと思い始めた。
エッダのおかげで、魔玉が確かにこの屋敷にあることは分かった。部屋まで特定済み、だけどその部屋、どこにあるんだ?
エッダに案内してもらうのは、あの反応から見て酷だし絶対に誰かに見つかる。ここは天井裏からゴソゴソ行くしかないか。それでも、屋敷の何階のどの辺、とかは分かっとかないと。
悪いなぁ、と思いながら、俺はエッダをできるだけ優しい表情で覗き込んだ。
「エッダ。どうしても、その宝物を持ち主に返さないとダメなんだ。それに、本当はおじいちゃんのものじゃないから、困ったことになる。
おじいちゃんは怒るかもしれないけど…正しいことをしなくちゃ」
「…おじいちゃん、怒るのやだ…」
「…でもな、カミサマが怒ったほうが怖いよ」
そうだ。カミサマが怒って魔物が押し寄せる方が恐い。あ、カミサマとやらのせいじゃなけど。魔物には町の皆が困ってるんだ。俺がなんとかしてエッダを説得しようとしたとき。
『エッダ坊ちゃま!そろそろお勉強の時間です!』
おお!?外から声が!と思った瞬間。エッダが俺を素早く押して、入り口の扉からちょうど隠れる棚の裏へ押しやった。同時にガチャ、と扉が開く。俺は黙って気配を殺し、成り行きを見守る。
エッダがぴょんと飛び出して行った。それから、おそらくメイドであろう女の人との会話が聞こえてくる。
『分かったよ!もうすぐ行くから!』
『まぁ、今日は素直にお勉強なさるんですね!私も嬉しいです、それでは』
…普段はダダこねるんだな。ほほえましく会話を聞いていると、ちょうどリーン!とベルが聞こえた。メイドさんが慌てたように声を上げる。
『来客ですわ!ああ、坊ちゃま、分かってると思いますけれど…』
『うん、一階のお客さんがいるお部屋に近づかないようにする!僕、知ってるよ!』
『はい!それではお勉強、頑張ってくださいね』
パタン、シーン…。
ふぅ、とため息が聞こえ、エッダがぴょこんと棚の後ろに姿を見せた。そして、誇らしげに微笑む。
「ステイシアお姉ちゃんを隠したよ、これで消えちゃわないよね…!」
「あ、ああ!ありがとう、エッダ」
うっ、可愛い!アリシアの『えっへん、誉めて!』に似てる…可愛い…!ってハッ。そうじゃない。さっきの来客は多分ニコラたちだ。
そろそろ行動を始めないと…。と、俺が立ち上がろうとすると、エッダが意を決したように真剣な目で俺の両目を見つめ、言った。
「おじいちゃんが怒るの、我慢するよ!だから、お姉ちゃんにお部屋、教えてあげる…!」
…!エッダ、…すごく助かるけど、ごめんな。きっとザッツヘイネ氏は、お宝がなくなっているのを見たら屋敷の人を疑うだろう。そうでなくても八つ当たりするはずだ。
けどほんとに、魔玉がある限り魔物の襲来は止まらない。くっそ、魔族の野郎め、迷惑な話だ!一発殴りたい!
「エッダ、本当にありがとう。君にいいことがあるように、カミサマに祈っとくよ」
俺の言葉に、エッダがにっこりして頷く。そしてザッツヘイネ氏の書斎と、ついでに客間の場所も教えてもらった。
エッダが言い終わったとき、外から声が聞こえた。
『いやー、旅人の客人のお方!よくぞこんな辺鄙な場所までいらっしゃってくださったな!どうぞこちらへ』
『突然押し掛けて申し訳ありません。どうしてもお話したいことがあり、参上いたしました』
『何でもお聞きいたしますぞ』
…ニコラたちだな。なんだ、ザッツヘイネ氏は外面がいい系か。ニコラもいい勝負だな。シルはきっと、ニコラの話の助けになってくれるだろうし。
エッダもそわそわ、とドアの向こうを見て、名残惜しそうに俺を見た。
「じゃあ、僕…行かなくちゃ。ステイシアお姉ちゃん、また会えたら…遊んでね」
「うん、約束する。ありがとうエッダ、君のおかげで町の皆が救われるんだ!君はすごく勇気があるよ」
「ううん、僕もきっと…お父さんやお母さんみたいに立派になるんだ…!頑張るね!」
ばいばい!とエッダが笑顔でドアを開け、出て行った。パタン、と寂しい音がする。うん、大丈夫。エッダはまだ頼りない小さな男の子だけど、きっと根はしっかりしてんだ。
しっかし、年下の成長を見守るのは楽しいな。アリシアといい、ユハの双子といい…シルも年下だけどそうは見えないからノーカン。
孤児院とかでガキンチョの世話するのもいいかも、とまた俺の未来のリストに新しく項目が追加された。さて。その穏やかな未来のためにも、今すべきことがある。
ザッツヘイネ氏の書斎は2階。だけど、真っ先に盗みに行くんじゃなくて、ワンクッション置こう。部屋だけ確認しといて、何もせずに1階の客間近くへ行ってみたほうがいい。
もしニコラたちの交渉でザッツヘイネ氏がアッサリ納得してくれれば万事綺麗に解決!俺が出る幕でもない。
けど、残念ながらザッツヘイネ氏が手放すのをためらえば俺の出番だ。すぐに盗みに行って、窓を割るなりして騒ぎを起こし、ニコラとシルが犯人だと思われないようにして俺は逃げる。
あとはかなりの高確率で、その途中に人に見つかることがある。もちろん、ちゃんとナイフも持ってきてるし装備は万全!俺はまず、天井裏へ入り込み、書斎の位置だけ確認することにした。
積みあがった家具を上って天井にある小さな扉を開け、真っ暗で埃っぽい天井裏を音をたてないように移動する。ここでハクション!とかやらかしたらとんでもない。
あらかじめ持ってきていたハンカチを口周りに巻きつけて慎重に動く。しばらく進み、エッダの話ではここだろう、という場所を見つける。部屋に通じる小さな天井裏扉。
これで間違えたら恥ずかしいぞー。あっ、間違えました…じゃすまねぇぞ。…こ、ここは俺の勘を信用して…!
さて。俺はまたあの物置部屋に戻り、今度は床下へ通じる扉にもぐりこんだ。もうやだカビ臭いしチュウチュウとネズミっぽい声聞こえるし。あっ、蜘蛛の巣かかった!くそっ!
そうこうしながらこそこそ進むと、やがて客間の天井ぐらいだろう場所に着いた。下から声が聞こえる。
「…ですからなぁ、それはワシが正式に掘り出し市で購入したもので…」
「仮にそうだとしても、その玉に問題があるのです」
「それをどうやって証明なさるのですかな、旅人のお方よ。魔物を呼ぶなんて…どこからそんな情報を得てきたのか、分かりませんな」
「ですが、数日前…その玉を見かけた日ぐらいから、魔物の襲来が増えていると耳にしていらっしゃらないのですか」
「ワシは議員ですぞ。魔物など、自警団に任せておけばよいのですからの」
……あー。ダメっぽいか。のらりくらりとかわすザッツヘイネ氏に力強くニコラが説明し、シルが丁寧に、本当に心から困っているという声で尋ねている。
けど何かとザッツヘイネ氏は宝物を譲りたくないみたいだ。これ以上やってると、ニコラが強硬策に出そうだな。
…ごめんな、エッダ。おまえのじーさん、怒らすぞ俺。それ以上のザッツヘイネ氏たちの話を聞いていられず、俺はまた物置部屋から2階の天井へ移動し、ナイフを構えて扉の上にかがんだ。
ここを蹴破って下に降りれば、きっとザッツヘイネ氏の書斎になる。見張りや使用人もいるだろうし、一歩間違えれば、隣であるばーさんの部屋に突撃しちまうかも。
できるだけこれ以上、人に関わりたくないし巻きこめない。あたりめーだ、逃げ道狭くなる!
善は急げだ。俺はガツン、と扉を蹴っ飛ばして下の部屋にヒラリと落ちる。
ふわっと黒髪が背中に触れたとき、着地の成功を感じる。瞬間、二つの驚きの眼差しにさらされ、俺は反射で両手にナイフを滑らせた。あとはもう、考える前に体が動く。
突然、館の主の部屋に天井を突き破って現れた侵入者に、使用人の中年男二人は驚くしかなかった…俺なら後でそう付け足すね!ぽかんとした二人の燕尾服中年男を俺は鳩尾キックと首チョップで沈めた。
素早く隠し持っていた縄で両手両足を縛り、その辺に転がす。気絶してるのも数分、早くしねーと!
でかくてやたら光る、黒い机が部屋の奥にドスンとある。その上にはいくつもの書類が山積み!仕事しろよ!さらにソファにもやったらフワッフワしてるクッションがあるし。ここはベッドか。
部屋の壁は全部本。本棚でビッシリ。なんだよー、小難しい本ばかりじゃねーか!俺の頭じゃ多分理解できないようなものばっかだな。
けど。その本棚の下の方に、まだ本を置いていない代わりに重々しい宝箱があった。鋼鉄製のゴテゴテした金庫みたいなやつ。うっ、やっぱ鍵かかってんな。でも舐めんなよ!
また針金をかちゃかちゃして、ガタンと宝箱を開ける。おし!発見!
そこに、赤いビロードに包まれた透明な玉があった。魔玉!もうめんどくさいからビロード布ごと持って帰ろう。俺はビロード布をくるくると袋にし、それをひっつかんで部屋の奥に走った。
この奥の窓から派手にサヨナラバイバイだ!窓が割れる音がすれば、客間の3人も『何事だ!?』ってなるはず!と、そのとき。
「き、貴様動くな!」
同時に俺の頬を針が掠めた。あぶね、毒針だったかも!見るとしばりつけた男の一人が目をさまし、俺を睨んでいた。あの状態から針投げるとか鍛えてんな!
その大声に気づいたのか、突然部屋の外が騒がしくなる。げー、バレんの早くね?
俺は胸元に手を突っ込んだ。んなっ、と男から声が上がる。だよね!これが本物の女の子だったら俺だって『んなっ!?』ぐらいは言ってやるよ!残念、男でした!
胸元から引き抜いた手の指の間には細い投げナイフ。牽制な、まさか強盗殺人なんて物騒な。俺だってびびるぞ。
ガチャ!と部屋の扉が開くのと同時に俺の手から投げナイフが3本離れる。まっすぐ飛ぶ一本は転がる男のそばの床に突き刺さり、もう一本は入り口近くの壁にトスッと刺さる。
そしてもう一本は、俺があてを外して投げた。それはあのフカフカソファの上のクッションにサックリと刺さり、見事にその布をはいだ。
視界の端で、クッションが羽毛を吐き出す!うわっ、あんなに詰まってんのかよ、とそれはもうびっくりするくらいに!けど、俺は羽の舞い上がるのを呑気に見てられない。
部屋が羽でヒラヒラになる後ろで、俺は窓をガシャン!と激しく蹴破って外に飛び出した。突然舞い込む風はきっと、部屋の羽をさらに舞い上げただろうな。
けど、俺は最後に思わず笑った。俺がとびだしたのと同時に、『天使さんだ!』と叫ぶ幼い声が聞こえたからな!でもどうだろう、果たして。
窓を蹴破って出て行く上にナイフを投げるようなアブネー奴が、いくら羽が幻想的に舞い上がる中で消えたとしてもそれは天使なんだろうかね?
カミサマってば、ほんとに都合がいいんだからな。俺を侵入者から天使に格上げしてくれるんだからさ。
俺はあの後、またピョンピョン跳ねたりヒュンヒュン路地裏を走ったりしてあっという間に姿をくらました。でもこの格好で宿には帰れないし…。路地裏でぽつんとたたずむ。
服を借りる、というなら一ついい手があるけどシルたちを待ってた方がいいか?…まぁ、あいつらは上手くやってくれてるだろうし、わざわざ俺が待たなくてもいいか。
すぐにその足でロザのいた路地まで走ると、やっぱりいた!木箱の上で優雅に足を組み、鏡なんか見てやがる!何してんだアイツ!
と、俺が来たのをちら、と見てアラ、と声を漏らした。
「お嬢ちゃん。こんなとこにいたら危ないワ、迷い込んだのかしら」
「うるせーよオネエ魔族。俺だ。魔玉ってこれで合ってるのか?」
へっ。真顔できょとんとロザが俺を見つめる。ブフッ、何だその顔!ロザがまつ毛ばさばさの目をぱちくりさせて、数秒フリーズした。…と、そして。
―――バスッ!ってやっぱりかい!
もはやお約束になってきたように、また俺はロザにホールドされていた!もうやめてくれ俺のライフがすり減る!香水くせーよ!
ロザはぎゅーっと強く俺に腕を回し、ああもう!と叫んだ。
「何よアタシより可愛いなんて!許せないワ!ほんとにお嬢ちゃんかと思ったじゃないの、もうほんとにお嬢ちゃんになる!?」
「ウギャーッ、冗談よせ!誰が可愛いんだ、だーれーがっ!つか魔玉!いいのか叩き割るぞ!」
「もういいワヨ魔玉なんて!あああもうアナタ…ほんとに欲しいわぁ…アナタがお嬢ちゃんになるならアタシ、男に戻ってもいい」
「ほんとに一発殴るぞ、いや100発殴る」
恍惚とした声を上げて頬ずりするロザの脛を思い切り蹴っ飛ばすと、『オブッ』と野太い声が聞こえて俺は噴き出した。オブッ!だってよ!なんだそれ!
その隙にサッと離れてもう一度魔玉の入った赤い布包みを突き出す。
やだわぁバイオレンス、と足をさすりながらロザが包みを受け取る。ちら、と布を開いて頷いた。
「そうそう、まさにコレ!でも、よく布に巻いてきてくれたワネ。アナタが素手で触ってたら、その時点でパックリ割れてたワヨ」
「マジか…なんとなくそのまま持ってきたけど、結果オーライだな」
やっぱり魔玉は魔力や魔法の塊なんだろうな。俺が触ればそれを綺麗に無力化して、バキーン!だったわけだ。いやもう、いっそそうすりゃ良かったか。
ロザがパチン、と指を鳴らすとそのビードロ包みの魔玉が消えた。アレだな、ニコラが魔剣を空間に転送してるのと同じ要領だ。
それからロザがもう一度抱きつこうとするのをキックで防ぎながら俺は頼んでみた。
「な、服とかカツラとかあるなら貸してくんね?この服装で宿に戻ったのを見られたら厄介だし」
「アラッ!お任せあれヨ!なんでも貸しちゃう…と言いたいけれど、当然女の子の服しかないのよネ」
にっこりと微笑まれる。赤い口紅を塗った唇が弧を描き、ムフフと声が漏れている。気持ち悪い!けど、今は仕方ない…。不可抗力だ。
「じゃ、あんまり目立たないやつ。返さないとだめか?」
「あげちゃうワ。その代り、アタシが選んでア・ゲ・ル!いいじゃないの、あの赤色ナイトくんとイケメン剣士さんにドッキリしかけたら!」
「あのな!」
「じゃ、貸さない~。アナタが捕まって牢屋で泣いてるのを見るのもステキかもしれないワネ」
「ぐっ…!」
こいつ…!言葉を失った俺に、ニヤニヤともニマニマともつかない蠱惑的な笑みを浮かべるロザ。くっ…ほんとに今回だけだ…!
もう二度と女装なんかしてやらねーからな…!
めんどくさいことになるとは分かってたさ…!けどこれがベストなんだとよーく分かってる自分がいる…!
次々にパチンパチンと指を鳴らして、これでもないあれでもない、と服やヅラを召喚してはとっかえひっかえするロザに、俺は何も言えないままされるがままになっていた。
すんごく楽しそうなロザ。対して、もうこの世の終わりみたいな表情の俺。実際、俺の世界はもうおしまいだぁぁぁっ!
もう絶対許さねーぞ!!俺の心の中の叫び声は、現実世界に響くことなくロザの笑顔に打ち消されたのだった…。




