95 霞む夕焼け
次に気が付いたときには、荘厳な玉座の間の景色はなかった。代わりに、俺は聖剣を握ったまま…白い砂浜に立ち尽くしていた。
ここが島、なのか?砂浜はずっと続き、青色の美しい波が打ち寄せている。今はかすかに朱に染まる空を映し、不思議な色あいで輝く。風の音と波の音以外は何もない。
振り返れば豊かな森が広がっている。緑の中には色とりどりの花が咲き、吹き抜ける風がその香りを運んでいた。…まるで、物語の中の…楽園のような穏やかな場所だ。
少し屈み、砂浜の砂に触れる。熱を持つ白い砂が指と指の間からこぼれた。ふと強く押し寄せた波が足元を濡らしていった。
果てなき海。コットリアのロロターナで過ごした日々を思い出す。…あのときも、あいつと過ごしていた。忙しかったとは言え、俺は確かに…あの時間を楽しんでいた。
この海も、ロロターナに繋がっているのだろうか。風は大陸までこの香りを運び、空は同じ色を大陸にいる者に見せるのだろうか。
―――考えている暇はない。…ここを、探さなければ。
聖剣をもう一度強く握ると、海の輝きと同調するように聖剣の刃が煌めいた。その刃に何かが映ったような気がして、俺は静かに森を振り返る。
…風が吹く。その風と共に、何かの息遣いが聞こえた。…野生動物か?俺がゆっくりと聖剣を構えた時、突然声が聞こえた。
「ここから去れ」
「…誰だ」
剣を構えなおす。威嚇する声音はどこか聞き覚えがあった。森の木が一本揺れ、ひらりと鮮やかに声の主が姿を現す。その姿はまるで、精霊のようだった。
木製の仮面には何かの模様が描きこまれている。古そうな民族衣装は何枚もの布を重ね合わせたもので、一見すると動きにくそうに見えた。特徴的なのは、あんな形でよく身軽に動けるなと感心するような木靴だった。
体型は小柄。衣服と仮面のせいで性別は分からないが、先ほどの声からして…少年だろう。肩より長い茶髪が風に揺れている。その手には錆びたナイフと木の棒が握られていた。
「俺はこの島を守っている。誰だか知らねぇけど、ここはお前みたいな奴の来る場所じゃない。帰ってくれ」
「…俺はこの島に用があってきた」
「どんな用でもお断りだ。…ここは楽園だ……、それを乱す奴に容赦はしねぇぞ!」
この口の悪さには覚えがある。あの錆びたナイフにも見覚えがある。そうだ、ナイフの握り方、構え方、足の踏み出しから…跳びあがるときの癖まで。…何から何まで、酷く懐かしい。
俺は思わず聖剣を振りかぶっていた。目にも留まらぬ速さで、少年の木の棒が剣とぶつかる。力負けして弾かれた木の棒を気にせず、少年は錆びたナイフで再び俺に飛びかかった。
そうだ、このクセだ。右足で地を蹴り、重力を無視するように軽く飛ぶこの姿。人間技とは思えない身のこなしで、宙から浮いているように…精霊が踊るように戦うこの姿。
―――俺はよく…知っている!
少年の長い髪がなびく。錆びたナイフは意外にも頑丈で、俺が剣を幾度とぶつけても壊れる気配はなかった。それでも力で勝るのはこっちの方だ。
―――お前が知らなくても、俺を忘れていようと。…俺はお前を覚えている。
次は右から飛び込んでくる。それを察した上で、俺は右に手を伸ばした。ナイフが俺の腕を裂く直前、すばやくかわして少年の腕をつかむ。チ、と舌打ちが聞こえ、俺は勝負をかけた。
―――次にこいつは、俺の腕を凍らせにかかるだろう。
その前に。俺は持っていた聖剣を地面に投げ、開いた左腕で少年の仮面を思い切り引き剥がす。同時に少年が叫んだ。
「凍てつけ!リウッ!!」
ビキ、と音がする。痛みは後からゆっくりと訪れた。…笑いたくもなるな。右腕がまるごと氷に包まれているのだから。それでも俺の全身を凍らせるまでに至らなかったのは…こいつが動揺したからだろう。
タン、と身軽に跳んで少年が後退する。森を背に、長い茶髪がゆらゆらと揺れる。しかし、仮面の裏にあったその顔は…見間違うはずもない。
強気に俺を睨むそいつは、確かに俺が探していた少年だった。
「…探したぞ、馬鹿が」
「……俺はお前なんか知らない!…誰も、知らない!ここから去れ!どっか行け!」
「…死んだとどこかで思っていた。俺のことを忘れていようが、お前が生きていたならそれでいい」
「うるさい!うるさい!うるさい!!…何だよお前、何なんだよ、ここは楽園なんだ…俺を、俺を乱すな!!」
長い髪が揺れる。まっすぐに少年が錆びたナイフを突き出す。俺の胸を目がけてまっすぐ。…まだまだだ、ガキが。あと何年訓練すりゃ気が済むんだ?
俺は左腕で、叫びながら突進してくる少年をそのまま抱きこんだ。少年のナイフは軌道を反れ、俺の腕と体の間をすり抜ける。凍って動かない右腕を無理に動かして、俺はこいつを受け止めた。
「離せ!くそ、この、離せ!!」
「もういい。迎えに来た。…本当にすまなかった」
「知らない!お前なんか知らない!俺はずっと一人でここにいた…お前なんか……お前は…」
少年が俺の腕の中で顔を上げる。その目は戸惑いと怒りの炎に揺れていた。凍らせた次は燃やす気だな、と俺は苦笑する。そのままこいつが炎の呪文を叫ぶ前に、もう一度強く抱いた。
「思い出せ、テレステイア」
ガキン、と音がする。俺の右腕を包んでいた氷が割れて砕けていた。ぴたりと少年が動きを止める。目から怒りが消え、一度光さえも消えたように見えた。
…そして。砂の地面に錆びたナイフが落ちる。震える小柄な体。だらりと少年の腕が下がる。大きく見開かれた目が澄み、…一滴の涙がこぼれていった。それは、流星のように頬を伝っていった。
「……俺、…俺…長い夢……見てた…ずっと一人で…ここにいた…」
「あぁ」
「俺は俺以外のこと知らなくて…名前も分からなくて…」
「…そうか」
「……帰りたい。…俺、…帰りたいよ、…ニコラ………!」
俺の世界も、霞んでいた。滑稽に歪んで見えた目の前の馬鹿の表情に、俺は笑うしかできなかった。…半年待った結果だ。今なら…すべてが許されるだろう。そう、自惚れていたかった。
「おかえり、ステイト」
「ニ…コ……ラ……にこらぁ…っ!!」
霞んだ視界の端、空は夕暮れに染まっていた。
*




