元女官長の独白
わたくしの前世は、今生で中興の祖と云われますカクトゥス二世の女官長をしておりました。母が陛下の乳母をしておりました縁で、畏れ多くも幼少のみぎりから陛下とは兄弟のように接していただき、長じてまだ殿下であった陛下が成人を機にお屋敷を賜った際には共に後宮を辞し、おそばでお世話する役目を拝命致しました。それから月日が経ち、国中で黒い悪魔と恐れられる疫病が猛威を奮いました。死者は万を超し、王家の皆様も例外ではありません。事態が収拾する頃にはお父上であった先代陛下や御兄弟の多くも亡くなっており、皮肉にも王位から最も遠いとされていた殿下が王冠を抱く事になったのでございます。
御即位された陛下がまず行ったのは、人々の生活改善と医療の発達でした。今日まで続く医療先進国となったのは、この時の陛下の尽力によるものなのです。真っ先に国民へと手を差し伸べた陛下の御威光は瞬く間に御代の支持へと変わり、それはもう大変なものでした。疲弊した国力を僅か数年で取り戻しただけに留まらず、近隣の小国への援助も惜しまなかった事から、悪化していた国交を回復させ、以前の軍事国家とは違う新たな方針を国政へと打ち出したのです。幸いなことに、頭の固い軍上層部も疫病の影響を免れなかった事が陛下の大胆な改革を可能にしたのでしょう。そうでなければ、数世代先には国の未来が無いことを陛下は見通されていましたから。
話が逸れてしまいましたが、陛下が大幅な人事改革を行った際に、わたくしもまた、陛下の信任深い者として女官長の位をいただくことになりました。幼少時から世話係がわたくしと母の二人だけだったせいか、陛下は大抵の身の回りを御自身でなされます。それ故にわたくしの主な仕事は、各地から集められた王の女が住まう場所、つまり後宮の管理と陛下の執務以外のお世話でした。いわば陛下の“私”の部分を一手に支えていたのです。今思えば、労働法など無い時代でしたから、わたくしの一日はとても大変でした。日の出前には目を覚まし、陛下の本日の御予定を確認、お妃様方が催される宴席の予算や侍女の配分を決め、その書類を持って後宮へ。陛下を起こす傍らで、陛下の体調を確認し厨房へ朝食の指示を出します。お食事なされている間に陛下のその日用意されている衣装を点検し、場合によっては着付けを手伝うこともあります。陛下を執務へ送り出した後は再び後宮へと赴きまして、今度はお妃様方の体調を挨拶がてら一人ずつ確認していきます。その際に申し付けられる要望を聞きながら、その場で応えられることはすぐに返答し、難しい場合は保留にして後ほどお返事を致します。お妃様方の数は先代に比べてかなり少ないのですが、それでも両手では数えきれないほどで御座いますので、後宮を一周し終える頃にはお昼を過ぎてしまいます。軽く昼の休憩を取った後には、今度は侍女や女官達から持ち込まれる報告などを纏めていきます。
これらの決裁をしましてから、今度は侍従長(こちらは陛下の“公”の部分を支えております)と陛下のご様子から 滞在中のお客様の対応に至るまで実に様々な事を話し合います。この間に陛下の翌日の御予定なども決め、晩餐会や夜会の無い日には夕食中に報告することが通例です。ですが、それは侍従長の御役目でわたくしには別の仕事があります。湯浴みの用意をし、日によっては陛下が向かわれるお妃様へと報せを飛ばさなければなりません。自室へ戻ってきた陛下の湯浴みを手伝い、終えれば後宮へとお連れするか、寝酒の御用意を致します。夜遅くまで執務をされることもありますから、何時呼ばれても良いようにお眠りされるまでは隣室で待機するのが常です。陛下が就寝の挨拶をなされ、漸くわたくしの一日は終わります。こうして回想してみるだけでも、わたくしが如何に忙しい毎日を送っていたか分かろうものですが、当時のわたくしは過労で倒れるまでそのことに気付きませんでした。
次に目を覚ました時には、陛下の隣にこの国では見かけない黒髪黒目の愛らしい女性が立っていました。この女性が後に陛下のお后様となられるエマ・サトウ様でした。当初、異世界からやって来たというエマ様は陛下のお客様として迎えられましたが、いつまでも甘えてはいられないと率先してお手伝いくださるようになりました。誰にでも平等に接するそのお人柄と市井とは思えぬ知識量から瞬く間にわたくし達の信頼を得、陛下のお世話を任せるに至ったので御座います。それまで世話係を任せられていた身としては、些か寂しいと思ったのは事実ですが、それ以上に滅多に気を許さない陛下がエマ様には心開いているのがとても喜ばしく、わたくしは全力でお二人の恋路を見守ろうと決心致しました。
このお二人の紆余曲折は戯曲、カクトゥス二世をご覧いただければお分かりになるかと存じますので、今は端折らせていただきます。あの作品は当時の宮廷音楽家の弟子が作ったものなので、知られてはいませんが史実に沿って忠実に描かれているのですよ。多少の創作は否めませぬが、概ね合っております。その中に女官長の描写も御座いますが(わたくしの事で御座います)、実際わたくしは陛下がエマ様と婚姻を結ばれる前に、北の辺境伯カーエルム様と結婚致しました。カーエルム様とわたくしの運命の出会いもまた、長くなってしまいますので割愛致しますが、辺境伯と女官長、王都と北の国境線という、年に一度か二度しか会うことの出来ないわたくし達でしたが、それでも愛し合い、陛下とエマ様のお子様に息子もまた仕えさせる事が出来たのですからこれ程の幸せは御座いません。
もう一度言いましょう、わたくしは幸せでした。陛下に幼少時より仕え、畏れ多くもエマ様に友人と慕っていただき、カーエルム様と愛し合い、殿下方を見守る事が出来たのですから。どの一つが欠けてもわたくしはこれ程の幸せを感じることは出来なかったでしょう。
ですからわたくしは貴方様の運命のお相手では御座いません、殿下!!
有りもしない続編は殿下視点(の予定)です。