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Fairy's children  作者: 夜々里 春
第一章
6/27

 大宮凛の生活はまさしく適当の一言だった。

 もちろん状況に適した行動を取っているという意味ではなく、いい加減という意味合いの方が強い。


 淡い月明かりが落ちる中、凛は海内学園の敷地内を当てもなく歩いていた。

 片手には煙草を持っているが、咎めるような視線はどこにもない。

 時折見かける警備員は全員、凛の息がかかっている。


 海内学園は全寮制だ。

 時刻は九時。

 既に門限は過ぎ、生徒は寮から出られないようになっている。

 はずなのだが。

 学園が誇る温室庭園のすぐ近く。

 一本の樹の下に、怜が仰向けに寝転がっていた。

 電灯はなかったが、月明かりが(おぼろ)げに怜の姿を現していた。


 神秘的に映るのは、怜の端麗な容姿のせいか。

 はたまた月明かりのせいか。

 柔らかな笑みを浮かべながら、怜は誰かと喋っているようだった。

 だが傍には誰もいない。

 常人離れした力を持つ怜のことだ。

 凛には見えないなにかが見えているのかもしれない。

 そんなことを思いながら、凛は怜に近づいた。


「おい、なにをしている」

「なにをしてるって言われても。ただ涼みながら、月を眺めてるだけですよ」


 怜の視線の先は、月ではなくどこか違うところに向いている気がした。

 やがて寝転んだまま、こちらに顔を向けてくる。


「ちょっと考え事をしてて」

「お前がなにを考えようと勝手だが、とっくに門限は過ぎてるぞ」

「ていっても俺の場合、いつでも抜け出せるじゃないですか」


 夜間でもBMSPの出動要請がかかるときはある。

 そのため門限を過ぎても怜と刹が寮を行き来できるように寮監には説明……もとい指示していた。


「あれは出動の要請がかかったときだけだ」

「凛姉さんだって、歩き煙草なんてマナーがなってませんね」


 言われ、右手に持った煙草に視線がいく。

 思わず舌打ちしてしまった。

 上着のポケットから携帯灰皿を取り出し、煙草を入れる。


「ここはわたしの庭なんだがな」

「そんなこと言いながらも、煙草をちゃんと消すあたりがなんとなく凛姉さんぽいです」

「なんだそれは」


 断りを入れることなく怜の隣に腰を下ろす。

 タイトスカートのせいで女々しい座り方になる。

 癪に障ったが、かといって粗暴な形にする気はなかった。


「で、なにを考えてたんだ」

「大したことじゃないですよ」

「言ってみろ」


 互いに目線を合わせることはしなかった。

 怜はどこを見ているかはわからないが、凛はやはり自然と存在感のある月に目がいく。

 綺麗な形の半月がこれからゆっくりと変化していくのかと思うと、どこか寂しさを覚えた。


「なにか、イベントをできないかなって」

「学園でか?」

「はい。俺、会長らしいことなにもしてないから。それにうちの学園ってイベントみたいなものなにもないじゃないですか。だから、みんなが楽しめるような、そんなイベントができたらって思って」


 優しい声だった。

 生徒からの圧倒的な人気で当選した怜だ。

 もし会長らしいことをしていなかったとしても、誰も文句は言わないだろう。

 それでも怜はなにかをしたいと言う。


「ちょっと前までは自分のことで一杯一杯だったやつが……生意気なことを言うようになったな」

「そうでしょうか」

「ああ。変わったよ」


 スーツが汚れることなど考えなかった。

 芝の上に寝転んだ。

 視線の先は月だが、見えるものは頭に入っていない。

 怜と出会ったときのことを自然と思い出していたのだ。



 あれは、雨の日だった――。

 三年前。

 新海内市でのBMSPの地位は、確固たるものではなかった。

 いくら富裕層がパトロンとはいえ、新設の自治体なのだ。

 世間の評価は警察の方が上だった。

 BMSP創設者――大宮宗司。

 その娘である凛は、自他共に認める俊才だ。

 欲しくもない幹部の地位を宗司から与えられ、市内を奔走する。

 そんな日々が続いていた。


「あ、ありえませんね……」


 恐怖と嫌悪が入り混じったような声が隣から聞こえてきた。

 凛の目には、無残な姿をした幾つもの死骸が映っている。

 白かったのだろうテーブルクロスは無数の紅い斑点に彩られ、赤い絨毯にはさらに濃い赤が染みを作っていた。


「凶器は、銃じゃないみたいですけど……刃物、でしょうか。でもこれは――」


 北区のあるホテルのパーティー会場にて、惨殺事件が起きた。

 死体は、胴体を上下に切断されたものや、まるで体内に爆弾でも仕込んでいたかのように肉片が四散しているものなど、大よそ人の手で行なわれたとは思えないほど凄惨な形をしている。


 複雑な事情が絡み合い、BMSPは警察と同じ現場にいた。

 互いに手柄を立てようと躍起になって事態の把握に努めている。

 その光景が、目の前で倒れている人たちを死なせてしまったことよりも凛の心を苛立たせた。

 自分に、BMSPに力がないから、こんな無様な状況になるのだと。


「わたしは先に戻る」

「気分でも悪くなりました?」

「……まあ、そんなところだ。なにかあれば報告しろ」


 事件現場をあとにした凛は、ひとり自家用車で帰路につく。

 運転手は大宮家直属の者だ。

 BMSPとはなんら関係ない。

 後部座席にてドアに寄りかかり、流れ行く景色を窓から眺める。

 アスファルトに打ち付ける雨音は聞こえず、ただただ車が水を跳ねる音だけが耳に入っていた。

 見ているものはなにも変わらない。聞こえるものも変わらない。

 自分の現状を表しているようで、苛立ちが増す。


「停めろ」

「え?」

「停めろと言ってるんだ」


 別に、変わらない景色に嫌気が差したわけではない。

 ふと視界の端に気になるものが映ったのだ。

 走行をやめた車から、傘を差しながら降りる。

 やっと聞こえた雨音よりも、意識は別の方に向いていた。

 通り過ぎた道を戻り、やがて狭い路地に入る。


 そこに、二人の子供がいた。

 幼くはない。

 歳は十四歳前後か。

 壁に凭れ掛かり俯く少年に、もうひとりの少女が寄り添うようにくっついている。

 二人とも恐ろしいほど端整な容姿をしていた。

 長い髪が特徴的な少女の方もそうだが、少年の方はとくにそれが顕著だ。

 大よそ人間であることを疑うほどだった。


 少年たちの、一見してウェットスーツのようなぴったりとした服に、髪を伝って無数の雨粒が流れる。

 憔悴しきった様子からは生きているのかすら疑ってしまう。

 現実離れした存在を前に、凛は声を出せなかった。

 恐怖を感じていたのかもしれない。

 純粋に見惚れていたのかもしれない。

 ただ、流れる時間がゆっくりとしていることだけは感じ取っていた。


「もう、きたのか」


 まだ変声期を迎えていないのだろうか。

 少年の声は高かった。

 俯いたまま少年がゆらりと立ち上がり、凛と対峙する。

 背筋が凍ったように、凛はその場で動けなくなる。

 仕事柄、何度も嗅いでしまう臭いがある。

 強烈で、初めて嗅いだときは食事も喉を通らなかった。

 降りしきる雨が僅かに臭いを消してくれてはいる。

 それでも凛の鼻をつくほど、少年たちには血の臭いが染み付いていた。

 覚える威圧感から、凛はあることを確信する。


「お前たちが……やったのか」


 論理的な問いかけではなかった。

 これ以上の言葉を発せられるほど、思考がまだ整理できていなかったのだ。

 ただ、ホテルでの事件の当事者――犯人であれば通じると思った。

 顔を上げた少年と、視線が交差する。

 綺麗な碧い瞳だった。

 戸惑いの色を見せるその瞳は、凛の言葉が少年の予測していたものとは違うことを示している。

 少年の瞳が泳ぎ、やがて視線をそらされる。


「……もう、殺したくない。あの子が、悲しむから」


 か細く震えた声だった。

 下唇を噛み、少年が拳を強く握りしめる。

 あの子とは一体なんなのだろうか。

 後ろにいる少女のことだろうか。

 犯行を肯定する言葉が放たれたにも関わらず、凛は少年たちを捕縛することなど考えていなかった。

 考えていたとしても、恐らくは無理だろう。

 話が本当ならば、あの残虐な現場を作ったのは目の前にいる少年なのだ。


 普通ならば、子供にできるはずがないと考えるが、そう思わせられるほどの雰囲気が少年にはあった。

 少年は後悔している。

 そして、凛は力を求めていた。

 いついかなるときも、自分の意志を貫くための力を。

 少年には何らかの力がある。

 なかったとしても、それはそれでいい。

 自分には見る目がなかったというだけだ。


「わたしと一緒にこい」


 気づくと言葉にしていた。

 少年の警戒する瞳が凛を射抜く。

 たじろぎ、思わず倒れそうになるが、なんとか堪える。

 ここで引いてはだめだ。

 変わらない日常。

 超えられない力。

 自分の中にずっと燻っていたものが、やっと解放されるかもしれないのだ。

 あくまで気丈に、凛は振り絞った声を出す。


「お前たちに身分をやる。代わりに、わたしの腕になれ」


 恐らく、少年たちには帰る所がない。

 あったとしても、良い環境とは言えないのだろう。

 命令され、無理やり人を殺していたとわかる返答。

 雨の中、路地で座り込むしかない状況から見て明白だ。

 凛の言葉の意味を理解するまで、少年は時間がかかっているようだった。

 後ろにいる少女に目をやったあと、間もなくして意志を持った瞳を向けてくる。

 なにかあれば許さない、と言いたげな目だった。


「誰かを……もう、殺さなくていいのなら」

「わたしは正義の味方だ。殺すんじゃない。救うのが仕事だ」


 ――降りしきる雨の中、放たれた言葉は偽善に満ちていた。



「初めて会ったときのお前の目は、死んだ魚みたいだったな」

「死んだ魚って、酷いですよ」


 保護した怜たちから、凛は様々な情報を得た。

 公開すれば混乱を招きかねない情報は、信頼できるものにだけ明かしている。

 約束通り身分を与える準備はあったが、まずは世俗に溶け込めるようにしなければならない。

 身なりから予測するに、満足の行く教育を受けていないと思っていたのだが、道徳以外は問題なかった。

 寧ろ、俊才とも言うべき頭の良さだ。

 約一年で、一般人と遜色のない振る舞いをできるようになっていた。

 追われる身である怜たちは、できるだけ人目を避けた方がいい。

 そういった意味では、山中に設けた凛の経営する海内学園はうってつけだった。


「あのときの俺は本当に死んでいました」


 隣にて寝転んでいた怜がおもむろに上半身を起こした。

 天上を仰ぎ見る横顔からは出会ったときの鋭さは窺えない。

 草木と共に靡く怜の黒髪に、凛は思わず目を奪われる。


「でも、今は違う。俺にも、ちゃんと命があるんだって実感できます」


 向けられたのは無垢で純真な笑みで。


「これも、あなたに出会えたからです。ありがとうございます」


 胸が痛んだ。

 手放しで怜に“今”を与えたわけではない。

 すべては自分のために自分が力を得るためにそうしたのだ。

 凛は怜たちを利用している。

 どれだけ表面を取り繕おうとも、結果的にただの駒としてしか見ていないのだ。

 聡い怜は、こうした凛の心中に気づいているかもしれない。

 気づいた上で、こんな笑みを向けているのだとしたら、まったくもって嫌味な子だと思う。

 だが、そう思えないのは怜の人柄だろう。


「散歩は終了だ。ほら、お前もさっさと寮に戻れよ」


 居た堪れなくなった凛は、早々に立ち上がった。

 取り出した煙草に火をつけ、燻らせる。

 怜に背を向け、寮とは逆方向に歩き出す。


「おやすみなさい。凛姉さん」

「……ああ。おやすみ」


 どれだけ身体的に化け物じみていたとしても、怜が子供である事実は変わらない。

 そんな怜を、自分は駒として利用している。


「わたしの方が……よっぽど化け物だな」


 誰もいない夜の闇、自嘲する凛の声が寂しげに響いた。

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