◆プロローグ
とあるビルの屋上に、二つの人影があった。
一方は黒のジャケットとパンツをパンクに着こなした少年。
短い黒髪に整った容貌。身長は高めで、男の割りに体の線は細い。
右腕には鉄の光沢を持つベルトのようなチェーンを幾重にも巻きつけている。
もう一方はふくよかな胸の膨らみや、腰まである長い髪が特徴的な少女。
先の少年と同様、こちらも端整な顔立ちだった。
赤基調の袖なしジャケットにデニムのショートパンツ、といった動きやすさを重視した格好をしている。
飄々と風が吹く中、二人の視線は揃ってある場所に向いていた。
片側一車線の道路を挟んだ向こう側、そこに銀行がある。
二階に受付があるらしく人が溜まっているのだが、なにやら様子がおかしかった。
マスクを被った六人の男が、手に持った銃を銀行員や客に向けている。
手軽な拳銃から機関銃など、マスク男たちが持っている銃の種類は様々だ。
銃を持っていないマスク男が一人だけいるが、その腕の中には小学生と思われる幼い女の子が抱かれていた。
女の子の首筋にはナイフの刃が当てられている。
様子から察するに、銀行強盗の事件現場だ。
「きなさい。リヴァイド――」
突然、ビルの屋上にいた少女が声をあげた。
同時に、右手で引き抜くようにして左掌からあるものを取り出す。
五十センチを優に超える刃を持ち、陽光に照らされ銀に煌くそれはまさしく刀だ。
すべてを掌から抜き取ったあと、少女は血糊を払うように刀を振う。
どういう意図があるのか、少女が隣にいる少年を見やった。
すると少年は、チェーンを巻きつけた腕を軽く上げて答える。
二人は胸ポケットからサングラスを取り出し、装着した。
「それじゃ、行こうか」
そう言ったあと、少年が助走なしに地を踏み切った。
ふわり、といった形容が似合う軽やかな跳躍。
しかし、確かな勢いを持って二車線の道路上を超えていく。
やがて胴体と頭を守るように腕と足を丸め込んだあと、爽快な音と共に銀行二階のガラス壁を突き破った。
あちこちで悲鳴があがる。
突如現れた少年の姿を、唖然として見つめる視線も多くあった。
地に身体がつくほんの数瞬、少年は肩を回すように右腕を一回転させた。
巻きつけていたチェーンが緩み、腕との間にわずかな空白ができる。
少年が後方に思い切り右腕を引くと、鞭のように撓りながら宙を踊る。
チェーンと繋がっているのは、根を巻きつけた手首だけだ。
後方に下げていた腕を、少年は素早く前に突き出す。フックすらないチェーンの先端が、人質の女の子に突きつけられたナイフを捉え、射抜いた。
ナイフが宙を舞う。
流れるような一連の動作後、煌くガラス破片と共に床に落ち、少年は転がるように着地した。
少年と同様に少女もビルの屋上から跳躍していたのだ。
間を置かず少年に続く。
ほんの僅かな間、互いに背を向け合った直後、二人は駆け出した。
人質を抱いた強盗犯の方に少年が向かう。
未だ宙に浮くナイフに強盗犯は気を取られているようだった。
少年は急停止する。
その勢いを流すように、体の外側からチェーンを振り出した。
先端が強盗犯の左足首に巻きつけられる。
ナイフが床に落下したのと同時、少年はチェーンを握った手をスナップさせた。
不恰好に左足を蹴り上げる形で、強盗犯の体が後ろに傾ぐ。
「う、うぉおっ!?」
抱かれていた女の子が宙に放り出される。
すかさず少年は走り出した。
一瞬にして間合いはなくなる。女の子を抱きかかえたあと、すぐにその場に下ろす。
「いってぇ……。この野郎ッ」
強盗犯の損傷は軽微だった。
ゆらゆらと立ち上がる強盗犯が懐に手を入れる。
体の内側から、少年はバッグハンドでチェーンを振り出す。
捕縛目的ではなく、ただ攻撃するために放つスタイルだ。
強盗犯が取り出そうとしていた拳銃を、チェーンの先端が弾く。さらに強盗犯の両肩、両膝に向けて容赦なく打ち込む。腰を入れてはいないが、すべてにおいてスナップを利かせたそれは鈍い音を鳴らす。
最後に、強盗犯の心窩に追撃する。
声にもならない呻きを上げ、強盗犯はその場に崩れ落ちた。
「く、くそっ! なんだコイツは!」
そう声をあげたのは、少年が倒した強盗犯ではない。
少女が対峙していた強盗犯のうちの一人だ。
五人の強盗犯は既に二人しか立っていなかった。
少年が人質を救出している間に、少女は三人もの強盗犯を倒していたのだ。
強盗犯から少女が銃口を向けられる。
距離は大よそ七、八メートル。
少女の瞳に怯えの色は窺えない。
その姿に狼狽する強盗犯が、引き鉄にあてた指を引こうとした瞬間――。
少女が、右手に持った刀を下から上に振り上げたあと、即座に左から右へと薙いだ。
女が所作を止めてから一拍間を置いたあと、強盗犯が持っていた拳銃の先が十字に切り裂かれる。
無様に破損した拳銃を見ながら強盗犯はあんぐりとしていた。
意識が戻ると即座に拳銃を捨て、ナイフに持ち替え少女に切りかかる。
紙一重のところで攻撃をかわし、少女は跳躍する。
そのまま体を捻り、長い髪を追随させながら強盗犯の側頭部に踵をめり込ませた。
弾かれるようにして強盗犯は床を転がっていく。
「――この化け物がっ!」
残った強盗犯が叫びながら少女に銃口を向ける。
そのとき、傍から見ていた少年が近くにあった皮製の長椅子を蹴った。
平行に滑った長椅子は強盗犯の膝に命中する。
長椅子に体を横たわらせ、強盗犯は廊下を滑っていく。
やがて鈍く重い音が遠くで鳴る。
恐らく長椅子が壁に激突した音だろう。
「残念。あいつはわたしがやりたかったわ」
「ごめん、つい」
侵入してからほとんど時間は経っていない。
事態を呑み込めていないのか、銀行員や客たちは未だ唖然としている。
いつの間にか、人質に捕らわれていた女の子が少年に歩み寄っていた。
じーっと少年を見上げている。
「頑張ったね」
優しく微笑んだ少年が、女の子の頭を軽く撫でる。
くすぐったそうに、女の子が目を細める。
しばらく撫でていると少女から声がかかる。
「早くしないと警察がくるわ」
「あぁ、すぐ行くよ」
女の子に背を向け、少年が立ち去ろうとする。
と、女の子の明るい声が聞こえてくる。
「ありがとう、お兄ちゃんっ」
少年が、目をぱちくりとさせた。
嬉しそうでもあるが、どこか悲しさも窺える。
女の子の一言は少年にとって救いの言葉だった。
救ったのは自分であるのに、少年は救われたと感じたのだ。
誰かを救うことができるのは力があるおかげだ。
しかし、自身の力に少年が感謝することは、この先一度たりとてない。
なぜなら、少年は――。