オツカイ 3
「…………」
岬おばさんの痛い視線に僕は目を逸らしてしまう。
その小悪魔的な微笑みと合わさり、大気圏に突入するぐらいの緊張感が僕に圧し掛かってきていた。
「雪ちゃーん、コッチ向いてよー。お願い聞いてくれないの?」
うん、とすぐ言えたら楽だけど……後が恐い。
だけど此処で、僕はなけなしの勇気を奮う。
幾ら親しき仲だとしても、断る権利ぐらいはある筈だ……よね?
心を強く持つんだ僕――勇者とは勇気ある者のことなんだ。
決して、昨日の晩は楽しめましたか? と宿の主人に言われるだけの名誉職でない筈だ。
「ええと――」
「ま、さ、か、雪ちゃんと私の仲で、駄目なんて言わないよね?」
岬おばさんは先手を打つように僕の言葉を封じ、そればかりでなく僕の小さな両手を自分の両手でガッシリ握ってきた。
まるで、「うん」と頷かない限りは離さないように見えた。
はぅ、どうしよう……
さり気なく目をウルウルさせてオネダリしているし……
岬おばさんの歳でこれは反則――
と思った瞬間、
「ゆーきーちゃん! 今何を想像したのかな?」
握られていた手に力を込められる。
岬おばさんの顔は笑っているが目は笑っていない。
接客業の為爪は伸びてないが握力は強く、手が軋んで――
「い、い、痛いですって! 何も考えてませんから!」
「本当にそう?」
岬おばさんはその言葉でやっと力を抜いてくれはしたが、僕の手を放そうとはしなかった。
ううう、拘束は続くのね……
「ええ、岬おばさんって綺麗だなと思っただけですよ――」
決して年齢詐欺とは言わない。
母さんまではいかないけど、岬おばさんも十分オカシイのだ。
「あらあら、雪ちゃんたら本当のこと言ってもお世辞にならないのよ?」
「……そうですよね、あはははは」乾いた笑い声が出てしまう。
そこは、謙虚になる場面だと思うんだ。
「もう、雪ちゃんのせいで話が飛んじゃったないの。メッよ!」
可愛らしく文句を言う岬おばさん。
どうあっても僕のせいにしたいのね……
さっさと本題に入った方がマシな気がしてきた。
「はぅ……それで、何のお願いなんですか?」
諦めた僕は大人しく用件を聞く。
うん、あれだよ。ひょっとしたら大したことじゃないかもしれないしね。
負け惜しみじゃないよ!
「そのね――」
岬おばさんは暫くもしもじしていた後――仕切り直すようにコホンと間をとる。
「たーくんのお嫁さんにいつなってくれるの?」
「……はい?」目を丸くしてしまう。
大気圏とか言ってたのが懐かしく、宇宙に飛び出すぐらいのとんでもない内容だった。
「誰が、たーくんのお嫁さんになるんですか!?」
「勿論雪ちゃんじゃないのぉ!」
断言されたよ……
幾らたーくん(岬おばさんは太一のことをこう呼ぶ)が親友でも、結婚する気なんてサラサラ無い!
というより、男と結婚して……僕が純白のウエディングドレスを着るの?
想像してすぐに首を左右に振る。妙に似合ってるけど無いね絶対!
だったら女と結婚するのか? と質問されても困るんだけどね。
実際見た目が之だもん……
うーん、僕は将来どうなるんだろう?
何故か氷兄のにやけた顔が浮かんできた。
ふっ、一番無いね。
さっさと彼女でも作って僕を安心させて欲しいよ。
西条さんとかお似合いだと思うんだけどなぁ。
しかし、握られた手からは岬おばさんの熱意が確かに伝わってくる。
溶けちゃいそうだ。
――困った末、
「ほら、僕は15歳ですし、結婚とか無理ですよ」
我ながら完璧な言い訳を閃いた。
この時ばかりは12月生まれでラッキーと母さんに感謝したね。
「うーん。そういえばそうだったわね。でも女の子は16歳から出来るし、婚約しとくって手もあるよ!」
……あくまでも諦めないつもりなのか。
そもそもって、あっ!
大事なことが抜けていた。
「ほら、太一の気持ちだってあるでしょ? うん、太一は僕となんて嫌に決まってるよ!」
「たーくんなら全然問題無いと思うなぁ。それにたーくんの気持ちなんてこの際どうでもいいのよ。わ、た、し、が雪ちゃんのママになりたいの! 可愛い娘と一緒に家事とかお買い物とかしてみたいのよね。その点雪ちゃんは性格も容姿も問題なし、正に私の理想とする娘そのものだわ」
岬おばさんは両手を顔に当て、ポニーテイルを揺らしながらるんるんと夢模様を語っている。
おかげで久方ぶりに手が開放された。
二度と握られないように、膝の上に置くのも忘れない。
――それにしても困ったよー。
チラリ、サラリーマンの人に、コーヒーのお替りでもして貰おうと目配せしてみたが、全く役に立ちそうもなく、此方を気にもせずマイペースに新聞と睨み合っていた。
これだけ岬おばさんが喚いているのだから、少しぐらいは注目してもいいんじゃないのかな。
……八つ当たりをしてても仕方ないよね。
だけど、今の状況で唯一救いなのは、結婚は現実に出来ないことだ。
岬おばさんのお願いがそれでホッとした。
ビバ、日本の法律だよね!
飲酒に関してはもう少し早くてもいいと思うけど……それぐらいは我慢かな。
僕も少しは興味があるんだよ、ふふふ。
「まぁ、そういうお願いでしたら、又今度ということで――今日は折角お土産を持ってきたのですから、これをどうぞです!」
僕は丁度話が切れたチャンスを活かし、真横にある白い発砲スチロールをズズイと差し出した。
「うーん仕方ないわねぇ……それでこれは何なのかしら?」
岬さんは心底残念そうなまま、発砲スチロールを手に取る。
「海のお土産の生牡蠣ですよ。早めに召し上がってくださいね」
「本当に!」
岬おばさんは目を輝かした。
大好物なのは間違いないみたいだね。
「はい、それでは用事も済んだので僕はこの辺で――」
ふぅ、一難さったしさっさと帰るべきだよ――と思った瞬間、
「ああ、雪ちゃんちょっと待って、まだ本当のお願いがまだなのよ!」
「なんですと!」
予想外の声を掛けられた。
「雪ちゃんが可愛いから、遂本音が出ちゃったの、危うく頼むの忘れるところだったわ」 岬おばさんはテヘッと笑って舌を出す。
妙に可愛らしく、やはり年齢が――
うん、今前方から殺気を感じたよ。
何も考えてません! と目で訴えると消失した。
その間、岬おばさんの表情は喜んだままだった。
恐いよー!
てか、お願いって何? もう一杯一杯なのに!
聞かなかったことに出来ないよね?
「そ、それで本当のお願いとは?」余裕の無い僕は声が上ずってしまう。
「あのね、雪ちゃんは商店街のミスコンって知ってるかな?」
「はぁ、確か以前模型屋さんにも言われたような……」
顎に指を当てて考える。
各店対抗のミスコンの出場をお願いされて、まだ返事をしてないんだよね。
そんな僕を見た岬おばさんが慌てたように声を出す。
「な! まさか模型屋さんにもう篭絡されたの! 雪ちゃんが出たら勝てる訳じゃないの!」
「ええと、その……」
凄い勢いの岬おばさんに返答を窮してしまう。
この流れ、明らかに喫茶矢神から僕を出そうとしてるよね?
太一の家には適齢の女の子は居ない、無理やり岬おばさんが出るぐらいのものだろう。
それでいいのかと言われたら、僕は死にたくないからノーコメント。
だけど、もし最悪の場合出ないといけないなら、僕は好きな品が貰える模型屋さんから出たいよ。
ここは心を鬼にするべきだろうね。
恥かしい思いをするには見返りが必要なのだ。
「すいません、先に頼まれちゃったので……」
「むぅ、遅かったか……たーくんが不甲斐ないからこうなるのよね」
「別に、太一のせいでは……」
「ならば――幾らで買収されたの?」
岬おばさんがズズイと迫ってくる。
す、鋭い……
「あはは、この僕が、そんなことの為に出る訳ないじゃないですか……」
「なんで、目が泳いでいるのかしら?」
「き、気のせいですよ。うん」
冷や汗が背中を伝っている。
「ふーん、それで幾らだったのかしら?」
「え!」
全然信じてないね。びっくりするぐらいだよ!
「雪ちゃーん、あんな模型屋の髭親父より私に協力してよー。あの家には娘が居るじゃないのぉー」
「うわっ!」
再び、僕の両手を握ろうとするのを今回はなんとか避けることが出来た。
人間は進化する生き物なんだよ!
「むぅ、雪ちゃんが逃げた……」
岬おばさんは頬を膨らませた。
「あは♪」
こうなったら笑って誤魔化せとばかりに僕は華麗な笑顔を形成する。
お得意の上目遣いも忘れないよ。
「ああ、もう、雪ちゃんが可愛すぎるよーーーー!!」
「岬おばさんが壊れた!」
岬おばさんはブンブン手を振りながら暴れているが、器用にもカウンターのモノには当てていない。
これがプロフェッショナルな仕事という奴かもしれないね。
そして、カウンターを挟んでて良かったと心底ホッとしたよ。
なかったら、今頃……うん、考えないようにしよう。
背筋がぞっとした。
だが、今がチャンス! 僕の実力を見せる時だ。必殺――
「それでは、これで! オレンジジュースありがとでした」
逃げるが勝ち!
「あー、雪ちゃん待って!!」
僕が華麗なターンを決めて喫茶矢神から逃げるように出て行く背後からは、岬おばさんの非難の声が上がっていた。
「うう、熱い」
外に出ると、むわっとした生暖かい空気が纏わりつき、不愉快になった。
はぁ……日本の夏は之だから嫌だね。
僕はそう溜息をつきながら重い足取りで歩こうとした時だった――
「つーかーまーえーたぁ♪」
背後から出てきた岬おばさんに確保されてしまった。
逃げるなら最後まで気を抜いては駄目という教訓を僕は手に入れたよ。
くすん。確かに追いかけるという行動もあったよね。
僕が甘いのか、甘すぎるのか……
そうして僕は再び喫茶矢神の中に連れ戻された――
遅くなりました。
太一ママは可愛いおばさんにしました!




