オツカイ 1
ジー、まとわりつくような嫌な視線を感じる。
だが僕は敢えて気付かなかったことにした。
朝ご飯を片して一休みとばかりにリビングのソファに座ると、対面のソファでTVを見ている筈の人が僕に意味あり気な視線を送ってきた。
これが、冬耶や氷兄ぐらいなら気にしないのだけど――相手は母さん。
係わってしまったら、僕の平穏な夏休みの時間が減るのは明白である。
折角海から帰ってきたのだし、今日は一日ネトゲ三昧したいのだ。
昨日、疲れ過ぎてた為にすぐ寝てしまい、まだエリオンネックレスすら受け取ってないのだからね。
ジー、しつこく見てくる視線が邪魔くさい。
まだ男子連中の張り付くような視線の方が可愛いような……いやどっちも嫌だよ!
母さんの好きな朝の情報バラエティがやっているのだから、そっちに注目しといて欲しいね。
でも、このままでは拙いと僕の本能が告げている。
座って、まだ5分も経っていなく、すぐ立つのは業とらしいのも問題だ。
それはつまり、何か理由を作らないと抜け出すのは困難ということでもある。
ううう、困ったものだよ。
――仕方ないので対策を考えることにした。
その1、お手洗いに行く。
いや無理だと即否定した。
そんなの休憩する前に行くものだし、明らかに故意な仕草に見えてしまう。
母さんなら勘付いてしまいそうだよね。
その2――寝る?
自分で考えておいて、これは尤も無いと首を左右に振りたくなった。
あの母さん相手に、寝たフリを通せる自身は無いし、一番の問題は無防備な仕草をさらしていると、変態が発動する危険性があるではないか。
僕だって我が身は可愛いよ!
では残ったのは何だろうか?
先程同様、没案が大量に浮かんでは消えていった。
そして……初心に戻ったところであることに気付いた。
部屋に戻ればいいじゃないか!
なんでこれを思いつかなかったのだろう、苦笑いが出そうになる。
灯台下暗しとはこのことだね。
僕は主婦向けの番組に興味なんてないのだから、部屋に戻っても何の疑問も沸かない筈なんだよ。
うん、そうと決まれば膳は急げだね。
この蛇に睨まれた蛙状態からさっさと脱却しなければ!
「うーん、このテレビツマラナイや!」
多少業とらしく聞こえるけど、問題ない。
実際ツマラナイのだ。
僕は母さんと目が合わないように立ち上がり、速やかに逃げるべく背を向けようと――
「ゆー、きー、ちゃん」
した瞬間、母さんに地の底から這いでたような声で呼び止められてしまった。
ひぃー、遅かった。舌打ちしたいのを何とか堪える。
此処で、無視をするという行動は僕には出来ない。
何故なら家に居る以上、無視をしても追いかけてくるだろう。
そんなことをしたら最後、女帝の機嫌を損ねることに……
僕に残されたのは被害を最小限に食い止めることしかなかった。
「な、なーに?」愛想笑いを浮べながら振り向くと、
うわっ! 母さんの表情に思わず腰が引けそうになる。
目が暗く底光りしており、まるで今にもダークサイドに引き込まれそうなのだ。
「な、ん、で、ママを、無視するのぉ?」
母さんは一言一句に力を込めながら問い質してきた。
とても嫌な感じがするよ!
「ぼ、僕がそんなことする訳無いじゃない……」
「本当に、そうなのかしら? ママが雪ちゃんに親愛の視線をずっと送ってたのを、気付かなかったとでも言うのかな?」
あれが、親愛の視線……絶対嘘だね!
「し、知らないよ。だって、テレビを観てたし、ママの方を向いてないしね」
「ふーん、てっきり面倒なことに巻き込まれそうだから、気付かなかったことにしようとしてるのかと思ったわ」
ギク、体が僅かに震えてしまった。
鋭いね……
母さんはまだ疑ってるらしく僕をジト目で見ているから気が抜けない。
こういう時こそ――
助けて、アン○ンマーン(ふやけてない状態で)!
――来ないよね、うん、期待もしてなかったけど……
「大好きなママにそんなことする訳無いじゃないか、あはははは」
「雪ちゃんたら……そんな本当のこと言うなんて――ママ嬉しいわ!」
ツッコミどころは満載だがこの一言で機嫌は治ったらしく、母さんは頬に手を当てて喜んでいる。
うん、単純でよかった。世の中には嘘も方便ってあると思うんだ。
それに、実の親だから嫌いじゃないし、母さんにはダークよりはお花畑のようなピンクの方が似合ってるよ。
妥協のような気もしなくもない。
「そういうことで、僕は部屋に戻るね」
「待ちなさい!」
「う……なーに?」
てっきり絶妙な話題のすり替えだと自画自賛したかったのに、通用しなかったか……
「雪ちゃんにね、お願いがあるのよ」
ほらきたよ! こうなると思ったから放置してたのに――
「うん、僕には無いかな、ということで後は若い人達で楽しんでもらおうよ」
「……それはお見合いの席の時でしょ? ひょっとして、雪ちゃんお見合いしてみたいのかしら?」
「え? 何で僕がそんなのしないといけないの! 嫌だよ!」
「あらあら、雪ちゃんだったら選り取りみどり、どんな男性でもイチコロよ? 玉の輿も夢じゃないわ」
「玉の輿とか要らないからね……」
「そうなの? 勿体ないわねぇ」母さんは心底残念そうだ。
軽い冗談の筈が、僕が追い詰められているのは何故だろう?
「で、何の用なの?」
このまま横道にそれても結局僕に不利になることを悟った。
ならば、さっさと用件を済ませて自由な時間を取り戻すのが懸命ではないだろうか。
決して粘った挙句、更に悪化するのが嫌だった訳じゃないよ。
――おかしい、なんだか涙が出そうだ……
「ああ、そうだったわね。雪ちゃんが変なこと言うから忘れそうになったわ――用件っていうのはね、海に行ったお土産を届けてきて欲しいのよ」
嘘つき! それに、お土産を届ける?
「誰に届けるの? ママの知り合いなら自分で行った方がいいんじゃない?」
うん、僕も友達の分は買ってあるけど、それは次に会った時でいいし、別に今日じゃ無くても問題ないしね。
「そうなんだけど、雪ちゃんが持っていった方が相手も喜ぶと思うのよね」
「ふーん、で、誰に持っていけばいいの?」
母さんの知り合いで、僕が知っている人なんて限られている。
勿体ぶらずにさっさと教えて欲しいね。
「岬さんのところよ、お願いね」
「はい?」間の抜けた声を出してしまった。
それは仕方ないだろう。
岬さんとは、矢神 岬、太一のお母さんのことだからだ。
「なんで昨日帰る時に太一に渡さなかったの? 二度手間じゃない」
僕の疑問は当然だよね。
母さんはふふんと笑って悪戯を成功させて喜んでいる子供みたいな顔をした。
「昨日渡さないで、今日持って行く方が驚くでしょ? なにしろ岬さんの大好物の蠣なんだもの!」
「はぁ……それなら自分で行っといでよ」
理由が理由だけに疲れてくる。
「――って、あれはうちのじゃなかったんだ?」
冷蔵庫の中に白い発砲スロールが入ってたから、なんだろうか気にはなっていたのだ。
「そうなのよ。それに雪ちゃんが持っていくからいいんじゃないの」
「なんで?」
僕にはさっぱり判らない。母さんの悪戯だもの。
「雪ちゃんが相手だと、岬さんも文句も言わずに素直に受け取ってくれるでしょ? 私が持っていったら、意固地になって貰ってくれないかもしれないじゃないの」
「いや、それは無いよ。岬おばさんの大好物なんだから、誰であれ喜ぶんじゃないかな?」
「そうもいかないのよ。うちの旅行に太一君を連れていってるでしょ。それもあって遠慮される可能性もあるのよねぇ」
「ふーん、昔から太一は一緒に行ってたから今更じゃない?」
「それは我が家の感情であって、岬さん達は恐縮する可能性もあるってことなの」
その説明を聞くと、可能性があるかもしれないと思わなくもない。
大人は見栄っ張りだしね。
「あれ? だったら昨日太一に押し付けちゃえば良かったんじゃないかな?」
「だ、か、ら、それだと驚かないでしょ!」
「…………」
結局、なんだかんだ御託を並べてたけど、母さんが相手の驚くところが見たいだけじゃないか。
「めんどくさいから、クール宅急便に運んでもらおうよ! うわ、僕って天才じゃないかな、電話ぐらいするよ!」
「駄目よ。生蠣なんだから鮮度が大事なの。その点、雪ちゃんなら氷を作れるでしょ? 炎天下の中持っていくのに最適じゃないの」
「う……ほら、僕って雪女の末裔だから暑い中歩くの苦手なんだけど……」
「それなら私もそうよ?」
……ですよね。僕が色濃く出てるだけで、母さんも血を受け継いでいるのだから。
「――はぅ、行けばいいんでしょ、行けば!」
ふんだ、いいよ! 諦めたよ! このままごねていたら午前中の内に帰ってこれなくなるし、少しでも涼しい間に持っていった方がマシってものだよね。
どうせ、母さんに逆らうことなんて出来ないんだから……
「ありがと雪ちゃん♪」
母さんは自分の意見が通って満足そうだ。
「それじゃ、準備して行ってくるよ!」
「あ、雪ちゃん待って!」
僕が頬を膨らましてむくれながら再び部屋に戻ろうとすると、再び母さんに呼び止められた。
まだ用事を言いつけるの!
嫌々振り向くと、母さんの右手がすっと出されて、手には何か青白い紙を持っていた。
良くみるとお札だ。
「それは何?」
ついでに買出しをしてこいってことかな? 警戒しながら訊くと、母さんが笑いだす。
「あはは、これは雪ちゃんのお駄賃よ。シュークリームとか、アイスでも買いなさいな」
「本当! えへへ」笑顔が自然に浮かんでしまう。
さっきまでの嫌な気分は消え失せていた。
速やかに母さんの手からお金を回収する。
いつ気が変わるか判らないしね。
そして、金額を調べたら2000円、太っ腹だよ!
届けるだけで2000円なら、良いアルバイトだよね!
太一の家の家業をいまだに迷っていたりします。
どれも一長一短なんですよね。




