海に来たよ 3
更衣室から出て水着姿になった僕と母さんは、一路皆の待っているキャンプに向けて進んでいる。
だけど、その歩みは主に僕のせいでとても遅かった。
砂に足をとられているのは勿論のこと、気がとても重いのだ。
「はぅ……」
「なーに、雪ちゃん、もういい加減覚悟を決めなさいな」
胸元に巾着袋を抱えてトボトボ歩いている僕に対し、母さんが腰に手を当てて呆れたように声を出した。
「だってさぁ、こんな格好慣れてないし、胸とか出てるから恥かしいよ」
「気にしすぎなのよ、ママを見習いなさい。この理想のスタイル、後30年はいけるわね!」
30って言ったら……何歳に、でも母さんの赤いビキニ姿は3人の子持ちとは思えない程であった。
黙っていればそのハリとツヤのある肌から普通にOL辺りに見えるのではないだろうか。
年齢詐欺だよね。
「でもさぁ……」
「デモも革命も関係ありません、冬君とプールに行ってその姿を披露してるのでしょ? 今更じゃないの」
その駄洒落はツマラナイと思うんだ……
「あの時はね、周りが赤の他人だから何とかなったんだよ。でも、今から向かうところには知ってる人が居るから嫌なの!」
「ふーん。なら、さっきから見られてるこの視線には問題ないわけね」
母さんに指摘されて急に顔が赤くなってしまう。
四方八方から僕を見る男の視線を感じていたのは確かなのだ。
折角意識しないようにしてたのに酷いよね。だから水着になんてなりたくなかったのに……
視界の片隅では――あ、今1人殴られた。
彼女みたいな人が右手を上げて怒っているよ。
男って馬鹿だよね。僕ならそんなことしないのに。
「やっぱり、他の人の視線も恥かしいかも……」
「ママが断言するけど、雪ちゃんがこの浜辺で一番の美少女だと思うわよ。少しは目の保養をさせてあげても罰は当らないわよ」
「そんなのしたくない。だって僕には何も得が無いもん」
「だ、か、ら、女は見られて魅力を上げるのよ。快感だと思いなさい」
「うう、それなんか嫌……」
「はいはい、さっさと行くわよ!」
「ちょっ、待って――」
母さんは僕の煮え切らない態度に堪忍袋の尾が切れたらしく、僕の背中を押すようにして、前に進ませていく。
危うくこけそうになったけど、なんとか恥をかくことはなかった。
それに、逃げようとしたら今度は1人になる訳で、この格好のまま1人になるのは心細いから、結局は母さんの思うままに進むしかないのである。
ううう、誰か助けてヘルプミー!
僕が葛藤している間にも時は流れている訳で、目的地であるキャンプにすぐ到着することになった。
更衣室から5分も無い距離なのだからそれも仕方ない。
「お待たせ! 雪ちゃんよ!」
早速、母さんが僕の肩に両手を置いて皆に突き出すように披露した。
いちいち強調する必要無いよね!
「いい!」
「うわ」
「綺麗……」
「流石です雪くん!」
男性陣4人は呆けたような顔をしている。
なんとなく視線がいやらしく感じるね。
僕は更に巾着袋を握る力を強めた。
こんな野獣の前で胸を見せるなんてとんでもないよ!
本当なら、スースーしている下半身も隠したいぐらいだね。
「ほら、そんなに雪ちゃんをジロジロ見ないの! これから好きなだけ見れるのだから安心しなさいな。それより――私には何かないのかしら?」
母さんの咎める口調に、4人はハッと気付いて慌てだした。
「母さん、美人じゃん。ほ、誇らしいなぁ……」
「うん、僕もお母さんが、き、綺麗で嬉しいなぁ……」
「桜子おばさんは、え、永遠の20代ですわ……」
「桜子さんは何時見ても美しいですねぇ」
父さん以外の3人がきょどっているのは何故だろう……
しかし、僕もそれに触れるほど愚かじゃないよ。
「まぁ皆正直なんだから! それじゃ、私と雪ちゃんどっちが可愛いかしら?」
ピキ!
母さんがニッコリ笑顔で放ったその一言により、辺りが急激に凍りついた。
僕的にはとても心地良い、雪女だしね。
「勿論、雪だ!」
そんな中、真っ先に迷い無く答えを出したのは氷兄だった。
勇者だね。でも僕は全然嬉しくないけど。
「ええと、ぼ、僕も雪姉ちゃんかな……」
冬耶も僕か……意外だなぁ。だけど、お前のことは忘れないよ。
「ふむふむその質問でしたら。僕も雪くんだと思いますよ」
父さんまでも僕を推した。
てっきり父さんだけはどんなことがっても母さんだと思ってたけど、これにはちょっと驚くね。
そして、残すは……皆の視線が太一に集中する。
「太一君はどう思うかしら?」
心持ち母さんの声が低いような、うん、気のせいだよね。
それに僕には被害ないし、問題ないよ。
「ええと、その……」
言い辛そうにしてる太一に、
「別にこんなことで怒らないから、気楽に言って頂戴な」
母さんが笑って催促してるけど、嘘臭い。
「そのぉ……雪のほうが可愛いと思いますわ」
「ふむふむ、ということは私より雪ちゃんの方が全員可愛いって意見なのね?」
ジロリと見渡しながら更に確認する母さん。
父さんを除いた3人はゴクリと喉を鳴らしていた。
「…………」
一瞬の沈黙、真夏の筈なのに背筋が寒くなる。
だが、その雰囲気を壊したのは父さんだった。
「ははは、桜子さんその辺りでからかうのは止めてあげて下さい。実際、今の質問は桜子さんだって雪くんに勝てるとは思っていないでしょう?」
「あら、どうして隆彦さん?」
母さんは台詞と違い、どこか楽しそうだ。
変態夫婦だけのテレパシーでもあるのだろうか……
「そもそも、可愛いという単語で引っ掛け問題だと判りますしね。雪くんは確かに可愛いです――それは、可愛い系の見た目だからです。その点桜子さんは、可愛いというよりは綺麗でしょ? つまり、どちらが可愛いと聞かれたら雪くんになるのは決まっていたのです」
父さんは得意そうに説明してるけど、よく人前で奥さんをべた褒め出来ると関心する。
だから夫婦円満なのかもね。
「もぉ、隆彦さんたら、そんな本当のこと言われると照れるじゃないの」
背後で母さんが動く気配がする。きっと腰でもクネクネさせているのだろう。
それに自分で認めてたら世話がないよね。
――そして、このチャンスを逃せないとでも感じたのか、
「確かに母さんは綺麗だと思うぞ!」
「うん、僕も思う!」
「うちの親と比べたら天と地の差ですわ」
氷兄達の掌返しが凄い。
でも、心持ち目が揺れているのは危機感の現われなのかもね。
「うんうん、皆ありがとうね。やっぱり持つべきものは家族だわ!」
僕は何も言ってないけどね!
平和の為には我関せずを貫くのだ。
しかし、僕の計画は、
「さて、雪ちゃんいつまでその格好しているの? 荷物邪魔よね」
母さんのこの一言により終わりを告げた。
何故か、他の皆も首をブンブン縦に振っているのが気に入らない。
「これはね、僕の水着の一部なの。だから、このままかな」
「あら、そうなの? 私が着替えさせた時にはそんなもの無かったけどね……」
母さんはそう話しながら僕の肩を抑えている手に力を込めてきた。
この状況……嫌な予感が――
まるで捕獲されてるような感じがするもん。
「気のせいじゃないかな……」
「あらあら、そんなこと言っていいのかしらねぇ?」
母さんはそこで一旦言葉を切ると、僕の耳元で、
「(雪ちゃんの恥かしいところの話をされたく無かったら、さっさと荷物を片しなさい)」
と素早く皆に聞こえないように言って、パッと僕の体を離した。
「なっ!」僕は振り返って母さんを恨めしそうに睨む。
実の親の言う台詞とは思えないよ!
「あらあら、不満がありそうね。いいのよ別に?」
ニヤニヤしている母さんの顔がムカツク!
だけど圧倒的にピンチなのは僕だ。
「二人だけで何の話をしているだ? 俺も混ぜてくれよ」
氷兄が余計なセンサーを働かせて話に混ざろうとしてきた。
こんなの絶対知られたくないよ!
「氷兄は黙ってて!」
「なんでだよ?」
「いいからいいの!」
「氷君がどうしても知りたいって言うなら、わ、た、し、は教えてあげてもいいわよ? 雪ちゃんがまだ行動を示してないしね」
「ママ! 脅迫は良くないと思うよ!」
「あらあら、脅迫なんてとんでもないわ、しいて言うならば『教育』かしらね?」
「まぁ、なんだか判らないけど、母さんが教えてくれるなら聞くぞ?」
むかっ! これだけ言ってもまだ懲りないのかこの変態は!
「あ、僕も良く判らないけどどんなのか興味あるかも!」
お蔭で純粋な冬耶まで反応したじゃないか。
「まぁ、雪のことならオレも聞いてみたいですわ」
「桜子さん、僕には後で教えてくれればいいですよ?」
太一と父さんまで!
もう、なんでこうなるの!
「雪ちゃんは人気者ね。どうするのかしら、今なら私の胸の中に収めておく事も出来るのだけどね」
母さんは凄い楽しそうだ。
大体初めの段階から圧倒的に僕が不利じゃないか!
それに、余り抵抗していると母さんのことだから本当に言うかも――
此処にいるのは身内だけだしね……って太一も居るじゃないか!
うううう……
「この巾着は、片付けるよ……」
「そうよね。ならさっさと片しましょうね。5秒以内! 5・4・3――」
「あっ! 待って、置くからカウントストップ!」
「1」
僕が慌てて荷物置き場に巾着袋を置くのと
「0」
母さんの数える数字が終わるが一緒だった。
セーフだよね?
見上げるように母さんを見ると、うんうんと満足気に頷いていた。
「はい、それじゃそのまま、皆に見てもらいましょう!」
ほっとしたのも束の間、母さんが更に過酷なことを宣言する。
「それは、さっきの条件に入ってないよ!」
「でももう隠すものは何も無いわよ?」
母さんの言うように、僕を隠すものは両腕と手のみ、その隙間から出ている肢体は全員の視界に入っている。
「見ないでよ!」赤くなった顔で怒鳴る。
「頬を染めている雪ちゃんも可愛いわねぇ」
全然母さんには効果ないよ。
他の男子陣も目を逸らさないでガン見してるし。
少しはマナーってものがあるんじゃないかな!
ふんだ!
「そう怒らないの。私は雪ちゃんの為になると思ってしているのだからね」
「どうだろうね?」
母さんのは僕を苛めて楽しんでるようにしかみえない。
「だから、ずっと言ってるでしょう? 雪ちゃんはね女の子としての自覚が無さ過ぎるのよ。これだけ可愛いと言われているのに、未だに本人は判ってないみたいだし、ショック療法って言うでしょ? 恥かしいことをさせたほうが慣れるのが早いと思うのよね」
本当に? 僕は騙されないよ!
「その手には引っ掛からないからね!」
「まったく、ママが雪ちゃんに不利になるようなことしたなんてある?」
「一杯あったような気もする」
「それこそ錯覚よ」
え? そうなのかな、うーん。
「まだ疑うなら例を出してあげましょう。雪ちゃんはスカートを履くのを嫌がっていたわよね。だけど、今では学校の制服ですら普通に着こなせるじゃないの。私が強制したからよね?」
言われてみると、最近違和感がなくなってるような。
「でも、太ももを見られるのは普通に恥かしいよ?」
「それは、どんな女子でもそうなのよ。でも、慣れてきたでしょ? つまり今回も同じことなのよ!」
むむ、そうなのか……母さんにも考えがあったのかぁ。
僕で遊んでるだけじゃなかったのね。
「ごめんママ、誤解してたよ」
「判ればいいの、水着は女の勝負服なのよ。堂々と胸を張って見せびらかしなさいな。折角そんな可愛く産んであげたのだからね」
「うん、頑張る」
あれ? でも僕って男に生まれたような……
うーん。騙されてる? 気のせいかな。
僕が考えている間に、母さんが皆に親指を突きたてていたけど、それの意味も判らないし。
世の中不思議が一杯だね。
「それでは、雪ちゃん皆に見えるようにしてあげなさいな」
「うん、判った」
僕が手をどけて、普通に男性陣の前に立つと、
「「「おおお!」」」
歓声が上がった。
氷兄なんて涙を流しているし、太一も鼻を押さえていた。
これに慣れろってことだよね?
……でもこれって……凄い恥かしいよ!?




