エドワード・ハミルトンの場合~ジェシカと拓海~
佐伯悠馬は胃が痛いのエドワード叔父さんの話です。エドと拓海の話もいずれ出したいんですけどねー・・・
Ⅰ:置いていかれた未来
爵位を継いでからのエドワードの生活は、
静かで、忙しかった。
朝から晩まで続く決裁。
人の名前より数字が先に出てくる会話。
屋敷は広く、整っていて、
何一つ不足はないはずなのに、
ふとした瞬間に、足元が空白になる。
拓海と最後に顔を合わせてから、
もう随分と時間が経っていた。
大学を卒業した彼は日本に戻り、
刑事になったと短い連絡を寄こした。
それからは、互いに忙しく、
連絡は途切れてはいないが、
並んで何かを語る距離ではなくなった。
それでもエドワードは、
どこかで当然のように思っていたのだ。
――いつかまた、同じ現場に立つ。
――肩を並べて、仕事をする。
言葉にしたことはない。
だが、頭の中では、
そういう未来が自然に組み上がっていた。
ある日、久しぶりに拓海から映像通信が入った。
画面に映る彼は、相変わらず落ち着きがなく、
だがどこか柔らかい表情をしている。
「なぁ、エド」
唐突に、拓海が言った。
「お前さ、結婚とかしねぇの?」
エドワードは一瞬、言葉に詰まった。
視線を逸らし、机の書類に目を落とす。
「……最近、爵位を継いだ。そんな暇はない」
自分でも分かるほど、
少し冷たい声だった。
(お前がいれば、時間はいくらでも作れるのだが)
考えが浮かび、すぐに打ち消す。
言うべきではない。
言えば、彼の人生を縛る。
「そっか」
拓海は軽く頷き、少し間を置いたあと、
まるで思い出したように続けた。
「俺さ」
声の調子が変わった。
エドワードは、無意識に背筋を正す。
「今度、結婚するんだわ」
一瞬、思考が止まった。
「……えっ?」
自分でも驚くほど、
間の抜けた声が漏れる。
「幼馴染と」
拓海は笑っていた。
照れも、迷いもなく、
それが自然な選択だという顔で。
エドワードは数秒、何も言えなかった。
胸の奥で、
何かが静かに崩れる。
「……へえ」
ようやく、そう言った。
「……よかったな」
声は、思ったよりも小さかった。
拓海は気づいた様子もなく、
「ありがとう」
と短く返す。
通信が切れ、画面が暗転する。
広い執務室に、一人分の静寂が落ちた。
エドワードは椅子に深く腰を下ろし、
天井を見上げる。
――ああ。
彼は、もう戻らない。
自分が思い描いていた未来へも、
自分の隣へも。
佐伯拓海は、自分の人生を前に進めた。
それだけのことだ。
そう理解するのに、
それほど時間はかからなかった。
それでも、胸に残った空白は、簡単には埋まらなかった。
エドワードは、書類に視線を戻し、
何事もなかったように、
次の決裁に手を伸ばした。
置いていかれた未来は、声を上げることもなく、
静かに、そこにあった。
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Ⅱ 第二話:既視感
拓海の結婚報告から、季節がいくつか過ぎた。
エドワードは変わらず忙しく、
変わらず淡々と日々をこなしていた。
何かが欠けた感覚にも、少しずつ慣れつつあった。
拓海からの連絡は続いていた。
式は無事終わったこと。
仕事は相変わらず忙しいこと。
そして、、、、
子どもが生まれたという報告。
> 元気な男の子だ。
短い文章の向こうに、確かな生活があるのが分かる。
エドワードは端末を伏せ、一瞬だけ目を閉じた。
――遠くなったな。
距離ではない。
時間でもない。
もう、同じ速度では歩いていない、という実感。
その頃、親から引き継いだ事業の関係で、
アメリカ行きが決まった。
吸収合併の交渉。相手は、
ここ数年で急成長を遂げたIT企業。
資料に目を通しながら、
エドワードは淡々と情報を整理する。
企業理念。
経営方針。
財務状況。
そして、
CEOの名前。
『ジェシカ・ブラウン』
年齢、経歴、どれも申し分ない。
だがその時点では、
彼女はただの「相手企業の代表」にすぎなかった。
初対面は、広い会議室だった。
形式的な挨拶。
握手。
その瞬間、
エドワードはわずかに違和感を覚えた。
――近い。
距離感の話ではない。
言葉を交わす前から、妙に間が合う。
会話が始まると、
その感覚は確信に変わっていく。
ジェシカは感情的ではない。
だが、冷酷でもない。
数字だけを見ず、
しかし情に流されもしない。
判断が早く、
責任を引き受けることを躊躇しない。
沈黙の使い方。
相手の言葉を遮らない姿勢。
エドワードは、
自分でも驚くほど、
彼女の話を「聞いている」ことに気づいた。
会議が一段落した頃、
ふと、頭の奥で言葉が浮かぶ。
――誰かに、似ている。
既視感。
それは懐かしさではなく、
もっと実務的な感覚だった。
この判断。
この立ち位置。
この、前に立つ姿勢。
(……拓海だ)
はっきりと、そう思った瞬間、
エドワードはわずかに息を呑んだ。
もちろん、
顔立ちが似ているわけではない。
性格も違う。
それでも、
同じ場所に立つ人間だと、
直感が告げていた。
会議が終わり、人がはけていく。
窓の外には、見慣れない街の夕暮れ。
ジェシカが、書類をまとめながら言った。
「長引きましたね」
「……ええ」
短いやり取り。
それだけなのに、不思議と居心地が悪くなかった。
エドワードはその場で、
ある感情に名前をつけることを、
まだしなかった。
ただ一つ、確かなことがある。
『自分は、この人を失いたくないと思っている。』
それが何を意味するのか、
まだ分からないまま。
エドワードは、
静かに次の会議の予定を確認した。
既視感は、まだ言葉にならないまま、
胸の奥に残っていた。
その日の会議は、当初の予定よりも長引いた。
数字のすり合わせ。
条件の微調整。
どちらも譲れない部分があり、
だが決裂する気配はなかった。
エドワードは、
相手の焦りを感じ取っていた。
そして同時に、ジェシカもまた、
こちらの立場を正確に把握していると分かる。
「ここは、こちらが引きます」
ジェシカが、淡々と言った。
周囲の役員が一瞬、視線を向ける。
だが彼女は動じない。
「その代わり、
この部分は明文化してください」
条件は明確で、
感情は一切混ざっていなかった。
エドワードは頷く。
「合理的だ」
その言葉に、ジェシカはわずかに笑った。
「よく言われます」
会議が終わり、
人がまばらになった部屋で、
二人は少しだけ言葉を交わした。
「長い一日でしたね」
ジェシカが言う。
「あなたも、
かなり無理をしているように見える」
エドワードは一瞬、
その言葉の意味を測った。
評価か。
牽制か。
「……無理をしなければ、守れないものもあります」
思った以上に、
率直な言葉が口をついて出た。
ジェシカは驚いた様子もなく、
ただ静かに頷いた。
「そうですね。私も同じです」
それだけの会話。
だが、そこに駆け引きはなかった。
エドワードは、
初めて彼女を
「交渉相手」ではなく、
「同じ場所に立っている人間」
として見た。
ふと、拓海の言葉が脳裏をよぎる。
――現場に立つなら、
覚悟のあるやつじゃないと意味がねぇ。――
その覚悟を、
今、目の前の女性は持っている。
「……あなたは」
エドワードは、
言葉を選びながら続けた。
「人を使い捨てにしない」
断定ではなく、確認に近い声音。
ジェシカは一瞬だけ視線を逸らし、
それから答えた。
「嫌いなんです。そういうやり方」
短い言葉だった。
だが、その奥に、
長い時間と選択があるのが分かる。
沈黙が落ちる。
不思議と、その沈黙は重くなかった。
エドワードは、
胸の奥で何かが
ゆっくりと位置を変えるのを感じていた。
既視感の正体が、
少しだけ形を持ち始める。
――拓海ではない。
――だが、
同じ覚悟で前に立つ人だ。
会議室を出る前、
ジェシカが振り返って言った。
「次の打ち合わせ、
食事を挟みませんか?」
業務上、
ごく自然な提案。
エドワードは一拍置いて、
頷いた。
「……ええ。そうしましょう」
その返事に、ジェシカは微笑んだ。
その笑みは、
交渉のためのものではなかった。
エドワードはその時、
まだ気づいていない。
自分がすでに、
彼女と”同じ速度で歩き始めている”ことに。
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Ⅲ:並び直す
結婚を決めたのは、劇的な瞬間ではなかった。
交渉がひと段落し、
互いの立場と責任を把握し合い、
同じ速度で歩けると確認した、
その延長線上にあった。
エドワードにとってそれは、
「選んだ」というより
「気づいた」に近い。
ジェシカと並んでいると、
説明がいらなかった。
言葉を飾る必要もなく、
決断の重さを一人で抱え込む必要もない。
――この人となら、判断を誤らない。
それだけで、十分だった。
式は大きなものではなかった。
必要な人間だけを招き、
余計な演出は省いた。
それでも、
英国の屋敷に集まる顔ぶれは、
自然と重みを持つ。
拓海は、
招待状を受け取ったとき、
一瞬だけ迷ったあとで、
「行く」と返事を寄こした。
当日、
久しぶりに顔を合わせた拓海は、
少しだけ大人びて見えた。
父親になったからだろう。
あるいは、
守るものが定まったからか。
式が滞りなく進み、
祝福の拍手が収まった頃、
人の輪が緩む。
その隙を縫って、
拓海がエドワードに近づいた。
昔と同じ距離。
だが、立ち位置は違う。
「なぁ、エド」
声を潜めて、拓海が言う。
「奥さんさ……
俺に似てねぇか?」
一瞬で、
エドワードの表情が変わった。
「馬鹿なことを言うな」
即座に、強く否定する。
それ以上を許さない口調。
拓海は肩をすくめ、
それ以上踏み込まなかった。
エドワードはそのまま踵を返し、
ジェシカのもとへ歩いていく。
祝福の中心へ。
自分の選んだ現在へ。
背を向けたまま、誰にも聞こえない声で、
しかし確かに、呟いた。
「……そうかもな」
ジェシカが、
何かを察したようにこちらを見る。
エドワードは微笑み、何も説明しなかった。
説明は、必要ない。
彼はもう、
置いていかれる側ではない。
過去を否定せず、
しかしそこに留まらず、
自分の足で、並び直したのだから。
祝福の声の中で、
エドワードは静かに息をついた。
人生は、
思い描いた通りには進まない。
だが時に、
思い描いていなかった形で、
ちゃんと回収される。
彼はその事実を、今、受け入れていた。
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後日談:数年後
電話が鳴ったのは、午後の静かな時間だった。
エドワードは受話器を取り、
名を告げる前に相手を察した。
「……どうした」
『エド!!ヘルプミー』
即答だった。
状況の説明は簡潔だった。
少し、いや、かなり厄介なやらかし。
安全の確保が最優先。
家族がいる。
エドワードは視線を上げ、
向かいで書類を確認していたジェシカを見る。
「……日本からだ」
ジェシカは一瞬で理解したらしく、
顔を上げる。
「家族?」
「妻と子供三人がいる」
「来れる?」
「来させる」
会話は、それで終わった。
「ハミルトン邸を使うわ。
動線と警備、こちらで手配する」
ジェシカは淡々と言い、次の予定を調整し始める。
「ありがとう」
「当然よ」
一週間後、屋敷に車列が入った。
拓海は、
相変わらず落ち着きがなく、
だが以前よりも、
守る側の顔をしていた。
その隣には、
妻と、子どもたち。
「すまん……世話になる」
拓海がそう言うと、
エドワードは短く頷いた。
「当然だ」
子どもたちは、広い屋敷に目を丸くし、
すぐに走り出す。
ジェシカはその様子を見て、
柔らかく笑った。
「にぎやかになりそうね」
「……ああ」
エドワードはそう答えながら、
ふと、胸の奥が静かに満たされるのを感じていた。
言えなかった未来は、
もう戻らない。
だが、
形を変えた現在が、ここにある。
同じ屋根の下で、
同じ優先順位で、
家族を守る。
それで十分だった。
エドワードは、
屋敷に満ちる足音を聞きながら、
紅茶を一口含んだ。
人生は、
思い通りにはならない。
だが時に、
思いがけない形で、
きちんと回収される。
彼はその事実を、
静かに受け入れていた。
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