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第六話:酔いと本音

主な登場人物紹介

花村(はなむら)美穂(みほ):二十五歳。会社員三年目。総務部総務課所属。何事にも一生懸命で、誰に対しても親切。裏表のない性格。


真壁(まかべ)悠人(ゆうと):二十八歳。キャリア採用で入ってきた年上の後輩。美穂に一目惚れした。美穂を前にするといつもの様な余裕のある行動が取れない自分に戸惑う。


明石(あかいし)(わたる):二十五歳。美穂の同期。営業部営業課所属。美穂とは時々帰りに飲みに行ったりする仲。同期の男性の中では一番仲が良く、美穂のことを気にかけている。


 夏の夜風が、少しだけ涼しさをまとってビルの谷間を吹き抜けていく。


 七月初旬、金曜日の夜。人事部主催の社内親睦飲み会が、駅前の和風居酒屋で開かれた。


 この会は、本来もう少し早くやる予定だった入社して三ヶ月になる新入社員の歓迎会も兼ねていて、参加者は部署も年次もばらばらで、にぎやかな笑い声があちこちから響いていた。


 美穂は会場の奥のテーブルで、持っていたグラスのビールを見つめながら小さく息を吐いた。


(……すごいなあ)


 視線の先では、他部署の先輩や同期の人達と笑いながら談笑する真壁の姿があった。


 入社してたった三ヶ月とは思えないほど、誰とでも打ち解けていて、場の空気に自然と馴染んでいる。隣には同じく中途入社で営業部に配属された女性社員の、落ち着いた大人の雰囲気を纏った人が座っていて、真壁と楽しげに話していた。


(お名前、確か氷室(ひむろ)さんだったよね……)


 凛としていて、仕事が出来るオーラが全身から溢れている、とても美人な人。真壁と並んでいると、二人は凄くお似合いに見えた。


 その光景を目にして、胸の奥がちくりと痛んだ。


(なに、これ……)


 恋を自覚した途端、こんな風に気になってしまう自分が、少し情けなくて。思わず、手にしていたビールをぐいと煽った。


「おい、花村。お前、酒弱いんだからあんま飲みすぎんなよ」


 隣から声をかけられ、美穂は驚いて顔を上げた。同期の明石だった。


「え、私そんなに弱くないよ。それにビール苦いから、言われなくてもあんまり飲めないし」


「酒弱ぇやつはみんなそう言うんだよ」


「むー、そんなことないってば。……でも明石くんはお酒強いよね」


「まあ営業は付き合い多いからな。自然と強くなってくんだよ」


 そう言って明石は、軽くグラスを傾けてビールを喉に流し込んだ。


「ふーん、そうなんだ」


 何気ない会話。それだけなのに、気持ちが少しだけ軽くなる。

 そうこうしていると、向こうのテーブルの営業部の先輩が明石を呼んだ。


「ちょっと行ってくる。……やばくなる前に水も飲めよ」


 そう言い残して立ち去った明石を見送り、美穂は再び一人になった。手持ち無沙汰にもう一口ビールを飲む。……やっぱり苦い。


 グラスを置こうとしたそのとき、隣の席にふと気配がした。


「お疲れさまです」


 驚いて振り向くと、そこには真壁がいた。


「えっ、あ……お疲れさまです……」


 急に胸がどきんと跳ねる。


「お酒、苦手なんですか?」


「え?」


 美穂は一瞬、意味がわからず戸惑う。


「いや、全然減ってないから」


 そう言って、真壁は美穂のグラスを指差した。


「あ、いえ、ビールが苦くて苦手なだけで……。カシオレとか甘いのは結構好きなんですけど」


 そう説明すると、真壁はふっと口元を緩めた。


「それ、頼めばよかったのに」


「いや、でも最初の乾杯って一気に注文とるから、言いにくくて……」


 少し恥ずかしそうに笑うと、真壁はくすりと笑って言った。


「貸してください」


「えっ?」


 何が起きるのかわからずに固まっていると、真壁は美穂のグラスを取って、残っていたビールを一気に飲み干した。そして、ふーっと息を吐いて、


「なくなったので、花村さんの飲みたいやつ頼んでください」


 メニューを手渡してくる。


(か、関節キスだ……)


 美穂の思考は一瞬で停止する。


 言えるわけがない。


「あ、ありがとうございます……」


 頬をほんのり染めながらお礼を言い、慌ててメニューからカシオレを選んだ。


 その後、真壁と二人で会話が始まった。

 会社のこと、この前見た映画のこと、最近あったクスッと笑えた話、そんなたわいもない会話をしながら、どんどん緊張がほぐれていく……はずだったのに、酔いのせいか、いつもよりずっとふわふわしていた。


 カシオレが美味しくて、話していると自然に笑顔になれて、それが嬉しくて、ついついペースも早まって、気づけば、美穂はかなり酔っていた。


「そろそろお開きですって」


 誰かの声に、名残惜しさを感じながら席を立つ。


 ふらり、と足元が不安定になったとき、真壁がすっと腕を貸してくれた。


「大丈夫ですか?」


「だいじょうぶです……えへへぇ……」


 頭がぽわぽわして、隣に真壁がいて、嬉しくなって、勝手に頬が緩んでしまう。

 真壁はそのまま、美穂のためにタクシーを呼んでくれて、一緒に乗り込んだ。


 タクシーの車内。夜の街を流れる灯りが、窓の外で遠ざかっていく。


「花村さん、眠いでしょ」


「むぅ〜、眠くないです……」


 眠気に抗うように、むにゃっと目をこする。


「寝ていいですよ。家ついたら起こしますから」


「やだ……もっと、話したい……」


「え……」


 美穂は、ぼんやりと真壁を見上げた。


「もっと……真壁さんのこと、知りたいもん……」


「は、花村さん……」


 真壁の声が、少しだけ震えていた。


 もっと話したい、そう思う気持ちが強いけれど、結局眠気に勝てず、そのまま、彼の肩にもたれかかり、うとうとして、いつの間にか寝てしまった。


 ふわふわしていて、あたたかくて、心地いい。

 美穂はその温もりに包まれて、結局ずっと真壁に肩を借りたまま、家に着くまで眠り続けてしまった。


 タクシーがアパートの前に到着し、優しく肩を揺らされる。

 車の揺れが心地よくて、ぽわんとした頭のまま、ぼんやりまどろんでいると、


「花村さん、着きましたよ」


 耳元で、優しい声がした。


 ゆっくり目を開けると、真壁の顔が近くにあって、思わず胸がどきんと跳ねる。


(……あれ、夢かな。違うかな)


 ふわふわとした足取りでタクシーを降り、真壁に支えられながら、アパートの階段を登り、自分の部屋のドアの前まで歩く。夜風が少し涼しくて、頭がほんの少しだけ冴えてきた。

 でも、胸の奥のぽわぽわした気持ちは、全然消えなくて。


「じゃあ、おやすみなさい」


 真壁が、少し名残惜しそうに微笑んで背を向けたそのとき、気づけば、美穂は彼のシャツの裾を、ぎゅっと掴んでいた。


「……帰っちゃうの……?」


 自分の声が、思ったよりも小さくて頼りなくて、恥ずかしくなった。

 けれど、彼は立ち止まって、ちゃんと振り返ってくれた。


「……帰りますよ。花村さんはちゃんと休んでください」


 静かで、優しい声だった。けれど、すごく遠く感じた。


「やだ……」


 気づかないうちに、唇が勝手に動いていた。


「せっかく一緒にいたのに……なんですぐ帰っちゃうの……?」


 まるで子どものわがままみたいだと思った。でも、本音だった。

 真壁といると、楽しくて。安心できて。まだ、そばにいてほしくて。

 言葉に詰まった美穂に、真壁は少し困ったように笑って言った。


「いや、でも。夜も遅いし、酔ってるし……俺がここにいたら、花村さんがちゃんと休めないでしょ」


「ちゃんと……休めるもん……」


「ほんとに?」


「……ほんと。ちょっとだけでいいから……もうちょっとだけ、居てほしいな……」


 本心からの言葉だった。隣にいてくれるだけで、安心して眠れそうだと思った。


 沈黙が少しだけ流れたあと。


「……じゃあ、」


 彼がほんの少し低くなった声でそう呟いて、

 けれど、すぐに声音がいつもの調子に戻り、言った。


「せめて、連絡先、交換してくれませんか」


「……えっ?」


 思わず、顔を見上げる。


 視界がほんのりぼやけていたけれど、真壁の顔がすぐそこにあって、ちゃんと笑ってくれていた。


「それなら、いいでしょ? あとで……ちゃんと話しましょう。今度、酔ってないときに」


 その言葉に、胸がじんわりあたたかくなった。


(……また会える。ちゃんと話せる……)


「それ、いいかも……」


 うれしくて、自然と笑顔になった。


「じゃあ……交換しよ」


 ごそごそとバッグを探って、スマホを取り出す。

 ふわふわした指先で操作するのがちょっと難しくて、何度か画面を押し間違えた。


「むむ……なんか……操作むずかしい……でも交換したいもん……」


 そう言って創作を続けている間、真壁は心配そうな顔をしながら、美穂の手元も確認してくれていた。

 やっと連絡先の交換が終わって、画面に彼の名前が表示されて、幸せな気持ちで胸がいっぱいになった。


「えへへ。これで……真壁さんに、いつでも連絡できる……嬉しいな」


「……俺もです」


 静かに返されたその言葉に、心がくすぐったくなった。

 何かもっと言いたかった。でも、言葉が見つからなくて。だから代わりに、にっこりと笑って言った。


「じゃあ、またね……お休みなさい」


「おやすみなさい。ちゃんと鍵、かけてくださいね」


 うなずいて、ドアを開けて家の中に入った。


 部屋に入って、ベッドに倒れ込むように横になると、さっきの出来事がふわっとよみがえった。


(夢じゃないよね……)


 少しの不安と、大きな幸福感。


 思い切って、スマホを触り、真壁とのトークルームを開く。


《 おやすみなさい 》


 とメッセージを送った。


 数秒後。


《 おやすみなさい 》


 すぐに既読がついて、返ってきた言葉に、美穂は胸の奥がじんわりあたたかくなる。

 ふわふわしたまま、心地よい眠気に身をゆだねながら、美穂はそっと目を閉じた。


(……もっと、もっと真壁さんのこと、知りたい)


 そんな小さな願いを胸に夏の夜は、静かに更けていった。



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