第四話:同期の明石くん
主な登場人物紹介
花村美穂:二十五歳。会社員三年目。総務部総務課所属。何事にも一生懸命で、誰に対しても親切。裏表のない性格。
真壁悠人:二十八歳。キャリア採用で入ってきた年上の後輩。美穂に一目惚れした。美穂を前にするといつもの様な余裕のある行動が取れない自分に戸惑う。
明石渉:二十五歳。美穂の同期。営業部営業課所属。美穂とは時々帰りに飲みに行ったりする仲。同期の男性の中では一番仲が良く、美穂のことを気にかけている。
昼休みのチャイムが鳴り、美穂はパソコンの画面を閉じると、ふうっと小さく息を吐いた。
「お昼休憩いただきます」
周りに声をかけて、社食へ向かう。
今日の気分は、カレーだった。
社食の定番メニューのカレー。野菜がたっぷり煮込まれたあの優しい味が、今の彼女にはちょうど良い気がした。
トレーを手に取り、カレーをよそってもらい、お茶を汲んで空いている席を探す。
今日は一人でのんびり食べようと思っていたが、席についてスプーンを手にしたところで、誰かの影が差した。
「花村、お疲れ。ここ、空いてる?」
顔を上げると、営業部の同期で、同い年という事もあり、男性の同期の中では一番話しやすい存在の、明石渉がどこか少年っぽい笑みをうかべて立っていた。
「あ、明石くん、お疲れ。うん、空いてるよ」
手を止めて笑顔でそう返すと、明石は頷きながら、向かいにトレーを置いて座った。
彼の今日の定食はA定食。エビフライがメインで、湯気を立てる味噌汁の香りが漂ってくる。
「あ、A定食だ。そっちにするか悩んだんだよね。エビフライ美味しそうだね」
そう言って覗き込むようにすると、明石は箸を止めて、少しだけ意地悪っぽく笑った。
「おー、でもやらねえぞ」
「むっ!いらないよ!そんな意地汚くないです」
そう言って二人で笑い合う。
くだらないやり取りだけど、こういう時間が美穂は嫌いじゃなかった。
明石とは新入社員の頃から何かと話すことが多く、気づけば誰よりも自然体で話せる相手になっていた。
しばらく軽口を交わしながら食事を続けていたが、ふと、明石が箸を止め、少し真面目な顔をした。
「……この前のさ、キャパオーバーってやつ。もう大丈夫なのか?」
美穂は、一瞬きょとんとした顔になったあと、思い出したように目を見開いた。
「あ……ああ、あの時の。うん、大丈夫。心配してくれてたんだ、ありがとう」
そう言うと、明石はどこか照れたようにふと目を逸らす。
「……あー、まあ。心配っつーか……まあ、そうだな。で、どうなの?」
一度逸らした瞳は、どうなの、と言った時には美穂の方を伺う様に見つめていた。
美穂はその視線に気が付かず、目線を机に向けたまま、あの時の事を思い出していた。
あの時、美穂が気にしていたのは、真壁のことだった。
そして、連鎖的に、資料室での真壁との出来事が思い出されて、頬が熱くなってしまう。
あの時の優しい声、まっすぐな眼差し、資料の入った箱が上から落ちてきたところを助けてもらった時に抱きしめられた腕の温もり。自分のものとは全く違った、逞しい腕。
思い出すと、胸の奥がどうしてもそわそわしてくる。
「……あの、真壁って人のことか?」
明石が不意に、聞いてきた。いつもより少し、低い声。
探るようなその声音に、美穂はドキリとした。
「えっ……なんで」
「この前総務に用事あって行った時、見てたらすぐに分かったよ。……お前、顔に出やすいよな」
「……え、そうなのかな……」
思わず手で顔を触る美穂。
明石はそんな美穂の姿を見て、真面目な顔で、ポツリと呟く様に聞いた。
「……もしかして、付き合ってんのか?」
「いや、違うよ!」
食い入る様に即答してしまった自分に、我ながら焦っているのが分かる。
「じゃあお前の片思い?」
冷静に、けれど畳み掛ける様に聞いてくる明石に、美穂は少し焦りながら答える。
「いや、好きとかそういうんじゃないし!後輩だけどキャリア採用で入ってきた年上の人で、すごく頼りになるってだけだよ!」
少し語気が強くなった。まるで、自分自身に言い聞かせるように。
明石はしばらく黙っていたが、やがて少しだけ目を細めて、ふっと笑った。
「……ふーん。まあ、いいけどさ。ま、あんま思い詰めんなよ。話ならいつでも聞いてやるし」
その言葉に、美穂の胸の奥がほわっと温かくなった。
昔から、明石はこういうところがある。無理に踏み込んでこない。でも、必要なときには隣にいてくれる。
「うん、ありがと」
自然と、笑みがこぼれた。
そうして、穏やかな昼休みが過ぎていった。
***
午後の業務に戻り、真壁と軽く言葉を交わす機会があったとき、美穂の心は少し揺れた。
「……花村さん、このマニュアル資料、とても分かりやすくて助かりました。ありがとうございました」
「いえ、私もマニュアル作っていろいろと勉強になりましたから」
今日、真壁がしている業務は、自分が初めてやった時にマニュアルがあった方がいいなと感じたもので。
今後の為に作っておこうと思い自分用に作っていたマニュアルだったが、せっかくなので良かったら、と午前中に真壁に渡していた資料のお礼を、わざわざ言ってくれた。
そのやり取りの間もドキドキしてしまって、真壁の存在が美穂の心を捕らえて離さない。
隣で他の同僚が真壁に話しかけている時でさえ、真壁の声だけが鮮明に耳に残ってしまう。
(好きじゃない、って言ったけど。私……どうなんだろ)
ふと、昼に交わした明石との会話が頭をよぎる。
ー……じゃあお前の片思い?
否定したはずなのに、胸の奥がきゅっと締めつけられるのは、なぜだろう。
まだ名前をつけられないよく分からないこの感情に頬が少し熱くなった。
自分の事に必死だったから、気が付かなかった。
真壁がとても切ない表情で、何かを言いたそうに美穂の事を見ていたことに。




