後日談その1:これから先も、あなたと共に
花村美穂:二十六歳。会社員四年目。総務部総務課所属。何事にも一生懸命で、誰に対しても親切。裏表のない性格。
真壁悠人:三十歳。キャリア採用で入ってきた年上の後輩。美穂に一目惚れして、告白し、付き合った。四月の人事移動で本社に移動した。
氷室玲奈:二十六歳。悠人と同期の中途採用。営業部所属。凄く綺麗で仕事も出来、男性から凄くモテる。とても純粋な性格。外見ではなく自分自身を見てくれる渉を好きになり、告白して、時間をかけて関係を築いていき、付き合った。
明石渉:二十六歳。美穂の同期。営業部営業課所属。美穂とは仲の良い同僚。美穂への気持ちに気付いて告白したけれど、断られ、その後、玲奈に告白された。
悠人が美穂にプロポーズをした翌週末。二人はまず、美穂の実家へと足を運んだ。
玄関先でチャイムを押すと、すぐに美穂の母親が顔を出した。
「美穂、おかえり。待ってたわよ。悠人さんも、ようこそいらっしゃいました」
美穂に似た穏やかな笑みで迎えられ、悠人は背筋を正すと同時に、少し緊張がほぐれるのを感じた。
「本日は、お時間いただきありがとうございます。真壁悠人と申します。美穂さんとのこと、ご挨拶させていただきたく伺いました」
リビングには、母と父、それと美穂の弟が揃っていた。
母親は歓迎ムードでにこやかに座っている一方で、父親は腕を組み、少し厳めしい表情で悠人を見据えていた。
そして、美穂の弟、大学生の颯太は、姉を大好きなあまり、どこか浮かない顔をしている。
緊張した空気の中で、悠人は真剣な表情で言葉を口にした。
「美穂さんと結婚を前提にお付き合いしております。未熟者ではありますが、彼女を一生大切にし、幸せにしたいと考えています。どうか、お許しいただければ幸いです」
母が柔らかい笑顔で頷き、父はじっと黙したまま。空気が少し張りつめる。
けれど母の笑みと、しっかりとした言葉が場を和ませた。
「美穂の事、よろしくお願いします。……悠人さんが美穂を大切に思ってくれていること、よく伝わってきたわ。それに美穂が選んだ方ですもの。ねえ、あなた?」
父は深く、穏やかな声で言った。
「ああ、そうだな。……美穂から話を聞いた時は、どんな男が来るのかと思っていましたが。話してみると、真面目で誠実な人で、安心しました。悠人さん、美穂は私達の大事な娘です。どうか、幸せにしてやってください」
その言葉に悠人は深々と頭を下げた。
ただ一人、弟の颯太だけは、始終不満気な表情をしていた。
彼は居間の隅で黙り込んでいたが、夕食後、廊下に出た悠人を呼び止めた。悠人と美穂が振り返る。
「ちょっと、いいですか?」
緊張した面持ちで、颯太が切り出した。
「……あんた、ずっと姉のことを幸せにできるんですか?」
「ちよっと、颯太。そんな言い方失礼だよ……!」
悠人は弟を嗜める美穂を止めて、颯太の真正面からの問いに迷わず答えた。
「もちろん、全力で大切にして、幸せにするよ。でも、そうすることで、俺のほうが幸せになるから……正直、俺より美穂が幸せになることはないかもしれない」
一瞬、颯太の目が見開かれ、そしてふっと笑った。
「……なんだよそれ。ずるいな」
頬をかきながら照れ笑いを浮かべた颯太の姿に、悠人も思わず微笑み返した。
「姉のこと、よろしくお願いします。義兄さん」
そう言って笑う笑顔が、少し美穂に似ていると思った。
その瞬間、彼は本当の意味で、美穂の家族に迎え入れられたのだと実感した。
美穂はその一部始終を泣きそうになりながら隣で見ていた。
ーーー
その次の週に訪れたのは悠人の実家。悠人の母親が笑顔で門先で迎えてくれた。
「まあまあ、美穂さん。ようこそいらっしゃいました」
優しく手を握られた美穂は、少し緊張しながらも礼を尽くし、挨拶をした。
「こんにちは。悠人さんとお付き合いさせていただいています、花村美穂と言います。今日は、お忙しい中お時間いただきありがとうございます」
母はとても温かく美穂を迎えてくれて、すぐに美穂の事を気に入った様子だった。
奥の部屋へと案内しつつ、楽しげに話を弾ませてくれて、美穂は緊張が解けていくのを感じた。
一方で父親は、硬い表情で、どこかむすっとした雰囲気を纏い、座っていた。
その態度に、美穂は悠人と初めて出会った時の事を思い出していた。
「あなた、そんな態度だと美穂さんが緊張するわよ。美穂さん、ごめんなさいね。この人、緊張してるみたいで。こんな態度だけど、怒ってる訳じゃないから、安心してくださいね」
母が穏やかにそう言ってくれる。
「あ、いえ。……初めて会った日の悠人さんを思い出していました」
そう言って懐かし気に微笑んだ美穂に、母が「まあ、そうなの?」と楽しそうにふふっと笑い、父は少し驚いた様な顔をした。悠人も同じ様に驚いた顔をして、そしてその後、照れた表情で、隣に座る美穂を見る。
そんな美穂と悠人を見ながら、父が静かに口を開いた。
「悠人は、私に似て少し不器用なところがありますが、誠実で真面目な男です。……どうか悠人を支えてやってください」
静かながら温かい言葉に、美穂の胸がじんわりと熱を帯びた。
「はい。悠人さんと二人で、これから先もずっと、支え合っていきたいと思います」
そう言って悠人の方に視線を送った。すると美穂の事を見ていた悠人と目が合って、二人でふわりと微笑みあった。
その夜、家に帰って美穂は布団に入ってからも、心の奥がじんと熱くなり続けた。
(良い家族だったな。私、あの人たちと、家族になるんだな……)
ーーー
仕事と両立しながら二人で分担しながら準備に追われる日々が過ぎ、ついに迎えた結婚式当日。
控室で鏡に向かう美穂は、胸の鼓動が速まるのを抑えられなかった。
純白のウエディングドレス。繊細なレースと柔らかなシルクに包まれた自分を見て、少し照れくささを覚えた。
*
一方の悠人もタキシードに身を包み、胸元のネクタイを整えながら深呼吸していた。
(結婚式って、こんなにも緊張するものなんだな……。でも……、これでやっと、俺だけの美穂だ)
そう思って、一人静かに微笑んだ。
チャペルの扉が開いた瞬間、悠人の視線は吸い寄せられた。
ヴェールに包まれた花嫁。無垢な白に身を包んだ美穂の姿を見た途端、心臓が跳ね上がった。
胸が熱くなり、思わず喉が詰まる。
(ああ、……凄く綺麗だ。言葉にできないほどに)
*
一歩一歩、父に手を引かれて歩みを進める美穂もまた、タキシードに身を包み祭壇に立つ悠人の姿に、ときめきを覚えていた。
誓いの言葉。指輪の交換。
家族や友人たちの祝福がチャペルいっぱいに満ち、美穂は涙が溢れそうになるのをグッと堪える。
(この人と、これから一生を歩んでいくんだ……)
胸の奥で固く誓ったその瞬間、涙を堪え切れ無くなり、美穂の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。
悠人はそっとその涙を拭い、やさしく頬に手を添える。
拍手と祝福の声に包まれる中、二人は誓いのキスを交わし、新たな人生の一歩を踏み出した。
ーーー
結婚式が終わった後。
披露宴も全て終わり、玲奈は感動の余韻に浸りながら、渉と並んで近くの公園を歩いていた。
「美穂ちゃん、凄く綺麗だったね」
「二人とも、凄く幸せそうだったな」
そう言って微笑みあった。
ふと、噴水の前で、渉が立ち止まる。
「玲奈」
渉に呼ばれ、玲奈はそちらを見た。すると渉が玲奈を真剣な目で見つめていた。
「……ずっと考えてたんだけどさ、」
そう前置きをして、続ける。
「そろそろ結婚しないか?」
「え?」
驚きに目を丸くする玲奈に、渉は視線を逸らさず言葉を重ねる。
「大事な事だから、ちゃんと言わせてくれ。……俺はこれからの人生、一緒に生きていくなら玲奈がいいって思う。お前はどうだ?」
玲奈の胸が熱くなる。
「……私も、渉がいい」
「うん。……っはは、良かった」
彼はほっとした様な、嬉しそうな笑顔で笑うと、玲奈の手をぎゅっと握った。
「よし、じゃあ今から婚約指輪、買いに行くか」
「って、え、……今から?」
「嫌か?」
「嫌、じゃないけど……」
「じゃあいいだろ。行こうぜ」
「ふふっ、うんっ!行こう」
そう言って笑い合い、街の方へ並んで歩き出す二人。その背中もまた、新しい未来へ向かって輝いていた。




