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年上の後輩社員に毎日ドキドキさせられています  作者: 陽ノ下 咲
番外編

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34/40

幕間その1:一歩先に進みたい

※美穂と悠人が付き合い初めてからまだ三週目の時期のお話です。

※話数的には、十四話と十五話の間のお話です。


主な登場人物紹介

花村(はなむら)美穂(みほ):二十五歳。会社員三年目。総務部総務課所属。何事にも一生懸命で、誰に対しても親切。裏表のない性格。


真壁(まかべ)悠人(ゆうと):二十八歳。キャリア採用で入ってきた年上の後輩。美穂に一目惚れして、関わっていくうちにもっと好きになり、告白し、恋人になった。



【悠人視点】


 美穂と付き合い始めて、三週間が経った八月上旬のこと。


 この時期は会社の繁忙期で、連日仕事が山のように積み上がっていた。日々の業務に追われて帰りが遅くなることも多かったけれど、美穂が隣で働いていると、それだけで元気がもらえた。


 付き合う前から美穂は、悠人の心を掴んで離さなかった。

 けれど、恋人になった今は、以前にも増して愛おしくて仕方がない。ふと見せる笑顔や仕草に、胸が高鳴り、同時に温かな気持ちが広がっていった。



 そんなある日のこと。

 他部署に書類を届け終えた悠人が、総務のフロアへ戻ろうとしたちょうどその時、昼休みのチャイムが鳴った。

 この後も忙しいし、わざわざ総務に戻るのはやめて、職場のすぐ近くのコンビニでパンでも買って、デスクで手早く昼を済まそう。そう考えながら廊下を歩いていた時。


 廊下の向こう側から、美穂が歩いてきた。


「真壁さん」


 呼び止められて立ち止まると、彼女は一度周りをキョロキョロと見回して、二人以外に人気が無い事を確認してから、嬉しそうな笑顔で駆け寄ってきた。


 可愛いな、どうしたんだろう、と美穂の姿を見ていると、彼女はぐっと身体を寄せ、背伸びして悠人の耳元に唇を寄せた。


「ゆ、……悠人、ちょっとこっち来てくれる?」


 密やかに、少し緊張した様な可愛い声でそう耳打ちされ、ドキッと心臓が跳ねた。

 言われるままに付いて行くと、美穂は人気のない階段の踊り場で足を止めて、聞いてきた。


「お昼、もう買った?」


「まだだよ。コンビニに行こうと思ってたところ」


 そう言うと、美穂がホッとしたような可愛い笑顔を見せた。

 その姿にキュンとして、コンビニじゃなくて、外に食べに行かないかと誘おうとした瞬間、彼女が、手に持っていた紙袋をおずおずと差し出してきた。


「これ、……作ってきたの。良かったらお昼ご飯に食べて?……最近、仕事すごく忙しいから、少しでも悠人に何かできたらって思って」


 紙袋の中には、巾着に包まれた弁当箱が入っていた。


「え……」


 思わず声が漏れる。


「ほら、前にドライブしたとき、肉じゃが作るって話したの覚えてる?あれ、作ってお弁当に入れてきたんだ」


 少し照れたように微笑む彼女の顔が、あまりに可愛くて、胸が熱くなる。

 手作り弁当というだけでも信じられないほど嬉しいのに、約束していた肉じゃがまで入れてくれたなんて。泣きそうになるほど嬉しかった。


「……もちろん覚えてるよ。ありがとう、美穂。すごく嬉しい」


「えへへ……良かった。お口に合うといいんだけど」


 その笑顔だけで、もうどんなことでも頑張れると思った。


「お昼、良かったら一緒にどう?」


 そう聞くと、美穂がパッと嬉しそうな顔をした。けれど、すぐに残念そうな顔になって言う。


「凄く嬉しいんだけど、午後一で会議があって、その準備しなくちゃいけないから今日はやめとくね。また今度一緒に食べよう」


 せっかく誘ってくれたのにごめんね、と残念そうに去って行く美穂を、今度は一緒に食べられたら良いな、と思いながら見送った。


(せめて貰った弁当はしっかり味わって食べよう。急いで食べるなんて勿体無さすぎる)


 そう決めた悠人はデスクではなく、会社の外にあるベンチでゆっくりと昼食を取る事にした。


 そっと巾着を広げて弁当箱を開ける。美味しそうに並ぶ具材に、食欲が一気にそそられた。


 ジーンとしながら「いただきます」と手を合わせて、早速肉じゃがを一口食べた。


 瞬間、思わず声が漏れた。


「……美味しい……」


 甘くて優しくて、心にまで沁みる味だった。

 こんなに美味しい料理を、美穂が自分のために作ってくれたのだと思うと、胸がいっぱいになって、その日の昼休みは身も心も凄くリフレッシュ出来た。



 その日の夜。

 美穂にLINEでビデオ通話をして、弁当のお礼を伝えた。


「今日、本当にありがとう。弁当、めちゃくちゃ美味しかった」


『ほんとに?よかったぁ……!肉じゃがも大丈夫だった?』


「大丈夫どころじゃないよ。甘くて優しくて……、食べてて幸せな気持ちになったよ」


『……そんな風に言ってもらえるなんて、嬉しいなぁ』


 画面越しの表情も声も、心から嬉しそうで。

 悠人の胸も、じんわりと温かくなった。



 その日以外も、忙しい中でも恋人の時間が少しでも欲しくて、二人の時間を重ねていった。


 夜はしょっちゅうビデオ通話をしたし、一緒に帰れる日は車で送った。

 そして、車で送った日は必ず、別れ際にキスをした。


 美穂の唇が、柔らかくて甘くて、触れるだけで理性を揺さぶられた。

 彼女が恥ずかしそうに微笑んだり、戸惑ったように身を震わせるたびに、どうしようもなく可愛くて、そして、もっと深く触れたくなってしまう。


 けれどまだ付き合って三週間。

 身体目的だなんて、絶対に思われたくなかった。


 だからこそ、正直に言えば、苦しかった。

 彼女を恋焦がれるほどに好きだから、自然と「その先」を求めてしまうのは避けられない。


 弁当の時だってそうだ。


 悠人は、美穂がはにかみながら可愛い仕草で紙袋を渡してくれた時の事を思い出して、しみじみと思う。


 あの時、衝動に任せて美穂に手を出してしまわなかった自分は、本当に偉かったと。


 もし車の中とか、悠人のプライベート空間で渡されていたら、……我慢なんか絶対出来なかったと思う。


 場所が職場で、本当に良かった。


 だけど、「その先」をほしいとは思っても、どこまで踏み込んでいいのか、全く分からなかった。


「……美穂に、どう思われてるんだろうな」


 ふとした夜、ひとりベッドに横たわりながら、そんなことを考えてしまう。


 彼女の気持ちを大切にしたい。

 でも、この滾る想いを、いつまでも抑えられそうにないのもまた事実で。


 そして、やがてその答えをくれる日がやって来る。


 それは、約一ヶ月後。


 九月上旬に一緒に行くことになるブックカフェで、美穂の方から、その一歩を越えてくれることになるのだった。




【美穂視点】(お弁当を渡した、前日の話)


 悠人と付き合い出して、あっという間に三週間が過ぎた。


 丁度会社の繁忙期の真っ只中で、毎日が慌ただしく過ぎていく。ようやく家に帰りついた瞬間、ふぅっと大きく息が漏れた。


 毎日残業に追われて、気づけば頭も身体もへとへとだ。

 そんな中でも、隣に悠人が居てくれるだけで、頑張ろうと思える。

 好きな人が隣に居て、しかもその人は自分の恋人で……。本当に凄い事だと毎日実感していた。


 けれど、悠人も確実に疲れているのが分かり、そんな彼に何かしてあげたい気持ちが日々募っていた。


 だから、今日はどうしても作りたいものがあった。


 肉じゃがを入れた、お弁当。


 付き合い始めた日のドライブで、悠人の車の中で肉じゃがの味の話をした。

 その時、美穂の家の家庭の味の肉じゃがを、今度作ると約束した。


 約束したからには、ちゃんと作りたい。

 大切な人との、大切な約束だ。心を込めて、美味しい肉じゃがを作りたいと思った。


 肉じゃが以外の具材は明日の朝に作るとして、肉じゃがだけは、朝作るには時間がかかるから、前日の方が都合がいい。

 一晩寝かせて、朝に水分をとってからお弁当に詰めようと決めていた。


「よし……」


 エプロンを身につけて台所に立つ。

 まな板の上に玉ねぎと人参とじゃがいもを並べると、不思議と気持ちがしゃんとした。


 包丁を入れる手が自然と丁寧になる。じゃがいもを少し大きめに切りながら、頭の中には悠人の顔ばかり浮かんでいた。


(「美味しい」って言ってくれるかな。あの優しい声で)


 それを想像しただけで、胸の奥がふわっと温かくなった。


 鍋に具材を入れて炒めた後、みりんと砂糖が多めの煮汁を入れて煮立ってくるのを待つ。鍋がぐつぐつと沸騰して、甘じょっぱい香りが部屋いっぱいに広がってくる。


 丁度その時。

 リビングで何気なくつけていたテレビから、湯けむり立ちのぼる映像と、楽しそうなナレーションが流れてきた。


『秋のおすすめ温泉宿特集!部屋付き露天風呂で、心も身体も癒されませんか?』


 何気なく視線を向けた瞬間、心が惹きつけられた。


 広い空の下、石造りの露天風呂に澄んだ湯が満ち、ふわふわと湯気が立ちのぼっている。すぐそばの紅葉の木も鮮やかで、風情を添えていた。

 画面の中では、女性たちが湯船に浸かりながら笑顔で語り合っている。

 それを見て、自然に思った。


(悠人と一緒に入りたいな。悠人の誕生日に、一緒に行けないかな……)


 そしてその後、一気に頬が熱くなる。


「……えっ……あ、でも、それって……」


 自分で自分の心に気づいて、誰に聞かれている訳でも無いのに、慌てて言葉を濁した。


 だって、部屋付き露天風呂ってことは、それは、つまり、そういうことで……。


 それに旅行に行けば、一緒に泊まることになる。

 同じ部屋で、同じ布団で。


「わ、わ……!」


 顔から火が出そうになって、思わず手でパタパタと顔を扇いだ。


(けど、全然嫌じゃない。むしろ、悠人となら……)


 そう考えて、心臓が、どくん、と大きく跳ねた。


 美穂はこれまで、恋愛にそこまで積極的ではなかった。友達から「もうちょっと積極的になった方がいいよ」なんて言われることもあったほどだ。


 けれど、悠人と出会ってから、美穂は変わった。これまで知らなかった自分の感情に戸惑うほどに。


 彼となら。他の誰でもない彼相手だから。自分から、一歩先に進んでみたい。


 気がつけば、スマホを手に取っていた。


「ちょっと見てみるだけ……」


 そう自分に言い訳をしながら、温泉旅館のサイトを開く。


 秋のおすすめプラン、カップル向けの宿泊プラン……。どれも魅力的で、どんどんページをめくってしまう。


 カレンダーを見たら、九月中旬の土日がまだ予約できると表示されていた。


「……えっ、まだ空いてるんだ……」


 胸が高鳴った。


(でも、だからって……)


(まだ付き合って三週間しか経ってないのに。いくらなんでも早すぎる?)


(もし悠人に、がっついてるって思われて、引かれちゃったらどうしよう……)


 そう思った瞬間、指が止まりかけた。


 けれど、画面に映る紅葉の温泉露天風呂に、もう一度目を奪われて、気がつけば、予約ボタンを押していた。


「……っ、押しちゃった……」


 画面に「予約完了」の文字が表示されて、心臓が跳ねる。


(どうしよう。本当にどうしよう)


 すぐに伝える勇気は、とてもじゃないけど出なかった。


(もし引かれたら……。もし断られたら……)


 その時、肉じゃがの煮込み時間を知らせるアラームが鳴った。


「ひゃっ!」


 驚いて、小さく叫んで火を止めた。


 けれど、そのおかげで少し気持ちが落ち着いた。


 一度大きく深呼吸をする。


(予約してしまったものはもう仕方ないよね。……とりあえず、悠人に伝えるのはもう少し先でも良いや……)


 そう結論付けた。


 もし断られた時は、キャンセルするのはもったいないし、前から「温泉に行きたい」と言ってた女友達を誘うことにしようと決めた。


(あの子、彼氏いるし、色々相談もできるかもしれないし……)


 そうやって自分に言い訳してみたけれど、内心は分かっていた。


 本当に行きたいのは、悠人と一緒に、だ。


「……よし」


 鏡の中の自分に向かって小さく頷いた。


 旅行まで、あと一ヶ月ある。

 それまでに少しでも綺麗になりたい。肌も髪も、今よりもっと整えて。


 だから、すぐにでもいつもよりちょっといいパックと、ボディクリームとヘアオイルを買おう。当日までに、自分なりに最高の状態で、彼と向き合えるように。


 決意した瞬間、不思議と心が軽くなった。

 不安よりも、楽しみの方が大きくなる。


 ふと鍋に目を戻すと、肉じゃがはちょうどいい具合に煮えていた。味見に一口食べてみる。


「……うん、美味しい」


 きっと、大丈夫。


 そう自分に言い聞かせる。

 美穂の胸の奥には、大きな期待と、やっぱり消えきってはくれない不安が入り混じった感情が、ぐるぐると渦を巻いていた。


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