第三十二話:渚に重なる唇
花村美穂:二十六歳。会社員四年目。総務部総務課所属。何事にも一生懸命で、誰に対しても親切。裏表のない性格。
真壁悠人:二十九歳。キャリア採用で入ってきた年上の後輩。美穂に一目惚れして、告白し、付き合った。四月の人事移動で本社に移動した。
氷室玲奈:二十六歳。悠人と同期の中途採用。営業部所属。凄く綺麗で仕事も出来、男性から凄くモテる。とても純粋な性格。外見ではなく自分自身を見てくれる渉を好きになり、告白して、時間をかけて関係を築いていき、付き合った。
明石渉:二十六歳。美穂の同期。営業部営業課所属。美穂とは仲の良い同僚。美穂への気持ちに気付いて告白したけれど、断られ、その後、玲奈に告白された。
「じゃあいくぞー!」
まず、四人は砂浜でビーチバレーをする事にした。
美穂と悠人、玲奈と渉がペアになり、コートを挟んで向かい合った。
渉の掛け声と同時にビーチボールが高く舞い上がった。悠人が素早くレシーブをして、美穂がトスでボールを返す。そのボールを玲奈がトスで返す。
あまり運動が得意ではない美穂は、意外と続くラリーに感動しつつ、ボールを必死に追いかけて、転びそうになりながらも腕を伸ばした。
「わ、わ、きゃあっ!」
砂に足を取られ、バランスを崩す。
「美穂!」
悠人がすぐに駆け寄って、彼女の事を抱きとめた。悠人の胸に飛び込むように支えられて、美穂の顔が一気に赤くなる。
「だ、大丈夫?」
「う、うん……。ありがと。でも、恥ずかしい……」
悠人は安堵したように息を吐き、額にかかる彼女の髪を指先でそっと払った。
「無茶はしないで。俺の心臓に悪いから」
その低い声に、美穂の胸はさらに高鳴った。その光景を見ていた渉が苦笑する。
「おーい、試合中だぞ。イチャつくのは後にしろよ」
「イチャついてないもん!」
美穂が抗議の声を上げると、玲奈がふふっ、と楽しそうに笑った。
試合を再開しようとした時だった。
ふいに強い波が打ち寄せ、玲奈の足元をさらった。
「きゃっ!」
バランスを崩し、倒れそうになる玲奈の腕を、今度は渉が咄嗟に掴む。
「危ねぇ!」
強く引き寄せられ、玲奈の身体は渉の逞しい胸にぶつかった。
抱き留められたまま、玲奈は息を呑む。
至近距離で見上げた彼の顔は真剣そのもので、心臓が跳ね上がる。
「……大丈夫か?」
近距離で響く声に、玲奈は思わず視線を逸らす。
「う、うん……ありがとう」
頬が熱くなるのを隠せず、甘い空気が二人の間に流れた。
その様子を見ていた美穂が、楽しそうに声をかけた。
「明石くん、流石!玲奈ちゃんのこと、よく見てるよね」
「なっ……!」
美穂の言葉に、渉は思わず頬を赤くする。
そのとき、玲奈がそっと彼の腕を掴み、小さな声で囁いた。
「……もうちょっとだけ、このままでいてもいい?」
玲奈の囁きに、渉は驚いたように目を瞬かせ、それから照れ隠しのように彼女の頭をぽんぽんと撫でた。
ーーー
結局、始終甘い空気に包まれ続けたバレーを終えた後、少し休憩したい玲奈と、せっかくだから海で泳ぎたい美穂は、それぞれの彼氏と一緒に、別行動をとることにした。
玲奈と渉は砂浜を歩き、人の多いエリアから少し離れた。
波打ち際まで来ると、人気が無く、ぐっと静かになる。遠くでは子どもたちの歓声が響くが、ここはまるで二人だけの時間が流れているようだった。
玲奈はサンダルを脱いで、裸足で水際を歩いた。
白い砂に小さな足跡が連なり、打ち寄せる波がさらりとそれを消していく。
「……気持ちいい」
海風に揺れる長い髪を押さえながら、玲奈はそっと笑みを浮かべた。
その横顔に渉の胸が熱くなる。衝動のまま玲奈の手をそっと握って、そのまま指を絡めた。
「……玲奈、綺麗だ」
その途端、玲奈の頬がぱっと赤く染まった。
「……渉は、かっこいいよ」
そう言って、繋いだ手をぎゅっと握り返した。
二人は寄り添いながら波打ち際に腰を下ろした。
玲奈が渉の肩に寄りかかる。玲奈の体温と甘い香りが、渉の胸の奥にゆっくりと沁み込んでいく。
穏やかな声で玲奈が囁く。
「……こうしてると、凄く落ち着くなぁ。……渉といるからだね」
そして玲奈が、渉の方を見る。熱を帯びた視線で、渉をじっと見つめる。
「……渉、大好き」
渉の心臓がドキリと跳ねた。
「……玲奈、俺も、大好きだ」
渉はそう言うと、そっと玲奈の頬に触れた。
玲奈はそっと目を閉じた。波音に包まれながら、二人の唇が静かに重なった。
離れた後、すぐに引き寄せられる様にもう一度。ちゅ、ちゅ、とキスを繰り返す。
最初は触れるだけだったキスが、気持ち良さに抗えず、次第に深くなっていく。玲奈が小く漏らした吐息が、渉の唇にかかる。
純粋な気持ちと抑えきれない欲が混ざり合い、二人は互いを求めあった。
長くそうしていて、やっと唇を離した時、玲奈は恥ずかしそうに笑った。
「ふふ……。キス、気持ちよくて、止められなかったね……」
そう言ってはにかんで微笑む玲奈の顔を見つめる渉の瞳には、確かな欲が宿っていた。
「……もっとしてもいいか?」
渉はそう言うと、玲奈の返事を待つ前に、両手で彼女の頬を包み、強く引き寄せる。そしてその熱い唇が、貪るように彼女の唇を捕らえた。
ーーー
「海で泳ぐなんて、いつぶりかな?」
美穂が浮き輪を抱えて振り返ると、その姿に見惚れてぼんやりとしてしまっていた悠人が、ハッとして慌てて答えた。
「あっ、えっと、……うん、……海ってなかなか来ないもんね。俺は大学以来かも……」
すると美穂が、小さくぷくっと頬を膨らませた。
「悠人、今ちゃんと話、聞いて無かったでしょ?」
怒った顔すらとても可愛くて、悠人は頬を赤く染めた。
「ごめん……。美穂が可愛すぎて、眺めちゃってた」
正直に言うと、今度は美穂の顔が一気に赤く染まった。
「も、もう……。そんなこと言われたら怒らないじゃん。……悠人だって、かっこいいよ」
照れながらそう言う美穂に、悠人はさらに赤くなった。
甘い空気が二人の間をしばし漂う。
「……海、楽しいね」
悠人がポツリと、幸せそうに呟く。
「……うん、そうだね。悠人が来てくれて、すごく嬉しかったよ」
そう言って本当に嬉しそう笑う美穂に、悠人はまた胸が高鳴った。
二人は砂浜を抜けて、波打ち際から海へ入った。
太陽の光を反射してきらめく水面。波に足を取られながらも、美穂は楽しそうに浮き輪にしがみついた。
「わぁ……冷たっ!でも気持ちいい!」
ぱしゃぱしゃと水を蹴る姿が凄く可愛い。
悠人はそんな彼女の浮き輪を後ろから支え、耳元に顔を寄せた。
「落ちないように、ちゃんと掴まっててね」
「うん……」
その時の悠人の声がどこか熱を帯びていて、美穂の胸が高鳴った。
周りに人があまりいないところまで移動して、波に揺られる。
美穂を乗せた浮き輪を支えながら、悠人はそのまま頬を寄せ、美穂の柔らかい唇に、悠人の唇を軽く触れさせた。
「……んっ」
突然のキスに、美穂の声が波間に溶けていく。
少し遠くから楽しげな声が響いているのに、自分たちだけが別の世界にいるようだった。
「美穂、……もっと近くに来て」
そう囁かれ、美穂は悠人の方に身体を寄せる。すると浮き輪ごと身体を抱き寄せられた。
「悠人、……誰かに見られちゃうよ……」
「大丈夫、誰も気にしてないよ」
波に揺られながら、二人の唇が何度も触れ合った。
軽く噛むようなキス、甘く深いキス。美穂の頬は熱で火照り、心臓の鼓動が止まらない。
離れると、悠人の瞳が真剣に彼女を見つめていた。
「……美穂、可愛い」
熱い視線と低い声で囁かれたその言葉に、美穂の胸がきゅうっと締め付けられる。
「……好き」
小さく呟くと、悠人が嬉しそうに微笑む。
「俺も。大好き」
そう言って、どちらからともなく目を閉じて、再び唇を重ねた。
青い海と空の下で、二人の世界は愛しさで満ちていった。




