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第三話:資料室の片隅で

主な登場人物紹介

花村(はなむら)美穂(みほ):二十五歳。会社員三年目。総務部総務課所属。何事にも一生懸命で、誰に対しても親切。裏表のない性格。


真壁(まかべ)悠人(ゆうと):二十八歳。キャリア採用で入ってきた年上の後輩。美穂に一目惚れした。美穂を前にするといつもの様な余裕のある行動が取れない自分に戸惑う。


 真壁悠人が総務課に配属されて、早くもニヶ月が経とうとしていた。

 周囲の人々も優しくて、職場環境には恵まれていると思う。


 けれど、「花村美穂」という存在が、ここまで自分の心を乱すとは思ってもみなかった。


 生まれて初めて自分から惚れた、三歳年下の先輩の女の子。しかも、まさかの一目惚れ。

 一緒に仕事をしていくうちに、もっと好きになった。よく周りを見ていて、隣の席で困っていればすぐに声をかけてくれて、丁寧で、気取らなくて、よく笑う人。

 まだ出会って二か月だというのに、気がつけばその笑顔に、もう何度も心を掴まれていた。


 今日の業務で美穂と二人で任されたのは、過去の備品データと書類のファイリング作業だった。資料室の片隅で、段ボール数箱分の山を崩しては分類し、棚へと整理していく仕事。


「真壁さん、このファイルはこの分類にお願いします」


 ファイルの山を抱えた美穂が、上目遣いにこちらを見上げてくる。

 その姿に、喉の奥がかすかに熱くなる。


(……落ち着け)


「はい、分かりました、ありがとうございます。花村さんって、仕事丁寧ですよね」


「えっ……そうですか?私、不器用だから心配だったんですけど……。真壁さんこそ、すごい段取り良くて、尊敬します」


 美穂にふわりとした優しい笑顔で褒められると、どうしても照れが先に来る。


(頼むから、そんな顔で見ないでほしい……)


 何でもない仕事のはずなのに、美穂と隣で話しているだけでこんなにも意識してしまう。

 正直、普段の自分らしさを保つのがやっとだった。


 でも、美穂はどこか緊張しているように見える。


(……もしかして、少しは意識してくれてる?)


 そんな淡い期待を抱いてしまう自分がいた。



 午後、作業は順調に進んでいた。

 無駄がなく、美穂の気配りもあり、ペースは驚くほどスムーズだった。


(凄く仕事がしやすい。花村さんはやっぱりよく気が回る人だな)


 そんな事を思いながら、積み上げられた資料の整理に移ったとき、


「あっ……!」


 不意に、美穂の声が上がった。


 見上げた先で、高い位置に無造作に置かれていた資料箱が、ゆっくりと、けれど確実に、美穂の真上に傾いていた。


「危ない!」


 反射的に、美穂の肩を引き寄せて抱き込む。

 その瞬間、背中にドサッと重みがのしかかる。


「っ……!」


「真壁さん、大丈夫ですか!?」


 すぐ目の前に美穂の顔がある。

 心配そうに覗き込んでくるその距離は、五センチあるかどうかといった距離。肌が触れそうなほど近い。


 ドキドキと心臓が悲鳴をあげるなか、必死の思いで平静を装う。


 彼女の身体は思っていたよりずっと華奢で、抱き寄せた腕の中にすっぽりと収まっていた。


「……はい、大丈夫です。花村さんは平気ですか?」


「……あの……庇ってもらったので、全く問題ないです。ありがとうございました」


 小さく震える声。赤く染まった頬。

 その姿に、頭がぐらりと揺れるような感覚に襲われた。


(……可愛すぎる)


「良かった」


 そしてそのまま、離れるはずだった。

 けれど、気づけば、腕に力が入ってしまっていた。


「っ……!」


 美穂がビクッと震えたのがわかった。


(まずい、今のは完全に……)


 やってしまった。


 頭ではわかっているのに、身体が勝手に動いてしまった。


 彼女の柔らかな髪の匂い、ふわっと甘い香りが鼻腔をくすぐった。


 香水ではない、美穂自身の匂い。

 それだけで、くらくらしてくる。


(離れなきゃ……早く……)


「……あの、真壁、さん?」


 はっと我に返る。顔を見上げると、美穂が困ったように目を揺らしていた。


「すみません、大丈夫そうで良かったです……」


 取り繕うように資料を拾い始めた。彼女も気まずそうに黙って手を動かした。


(何してるんだ、俺……)


 落ち着け。彼女の信頼を失いたくない。


 それなのに、隣で頬を赤くして、無言で資料を片付けるその小さな背中を見ていると、また、衝動がこみ上げてくる。


(もう一度……抱きしめたくなるなんて)


 理性が止めようとしているのに、気持ちが暴走する。


 自重するように、自分の手をグッと握った。

 

 怖がらせたくはない。

 だけど、今のこの気持ちを、無視できるほど大人になりきれない。


(三歳も年下の女の子に、こんなにも振り回されるなんて……)


 どこまでも自分は不器用だ。

 こんな風に恋焦がれるような恋をしたのが初めてなら、距離の詰め方もよく分からない。


 それでも彼女に近づきたいと思ってしまった。



 帰り際、エレベーターの中でふと美穂が隣に立つ。


「……今日は、ありがとうございました」


 美穂はおずおずと、でもはにかんだ笑顔で笑いかけてくれた。


「真壁さん、動きに無駄が無くて、おかげで凄くスムーズに仕事が進みました」


 そう言ってふふ、と笑ってくれる美穂の優しさに救われる。


「こちらこそ、ありがとうございました。今日の業務をする中で、花村さんはやっぱりよく気が回る人だなって改めて思いました」


 そう言うと、美穂は照れて頬を赤く染め、可愛く笑った。

 

 その空間に気まずい空気は無く、和やかだった。

 それだけで、少し救われた。


 ドアが開く寸前、美穂が小さく呟いた。


「……真壁さんは……本当に優しい人ですね」


 その言葉に、思わず横顔を見てしまった。

 頬を染めた彼女の表情が、やけに可愛くて、真壁の心臓は、またドクンと跳ねた。


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