第二十九話:二人きりの休日に
花村美穂:二十六歳。会社員四年目。総務部総務課所属。何事にも一生懸命で、誰に対しても親切。裏表のない性格。
真壁悠人:二十九歳。キャリア採用で入ってきた年上の後輩。美穂に一目惚れして、告白し、付き合った。四月の人事移動で本社に移動した。
玲奈との飲み会を終えた次の日の朝。遅めの時間、美穂はベッドの中で目を覚ました。
瞳を開けると、そこは美穂の部屋ではなかった。
けれど、もう何度も通ってすっかり見慣れた悠人の部屋の寝室だとすぐに分かる。
隣を見ると、悠人は既に起きていて、優しい表情で美穂を見つめていた。
「おはよう。悠人。あれ、でも、私……なんで」
「おはよう、美穂。……昨日のこと、覚えてない?」
そう言われて、記憶をたどり、思い出した。
「ううん、ちゃんと覚えてる。……悠人、昨日はお迎え、ありがとう」
そう言って笑う美穂に、悠人は微笑むと、そっと額にキスを落とした。
「ううん、どういたしまして。氷室さんとの飲み会、楽しかった?」
「うん。凄く楽しかったよ」
「そっか。良かったね」
そう言って、二人でふふっと笑い合う。
悠人が作ってくれた朝食を美味しく食べたあと、ソファに並んで座る二人。
悠人が優しい表情を浮かべて美穂を見る。
「ねえ、昨日の話、……帰りがけに氷室さんから聞いたんだけど。……美穂がした話、すっごく可愛かったって」
「えっ……っ!?ほ、ほんとに……?」
美穂は一気に赤面した。
「……何話してたのか、教えてほしいな」
「え……。でもあれは、お酒が入ってたから言えた事だし、本人を前にして言うのは……恥ずかしすぎるよ……」
美穂の頬はもう真っ赤で、顔を両手で隠して下を向き、最後の方は声もほぼ出ていない。
「……教えてくれないの?」
寂しそうな彼の声。美穂がパッと顔を上げると、しょんぼりした表情で。
美穂はぐっと喉を詰まらせた。
「悠人、ずるい。……そんな顔されたら、言うしかないよ」
すると悠人がパッと表情を明るくした。
「じゃあ、教えてくれる?」
そう言いながら、悠人が美穂にそっと身体を寄せる。
熱の籠った瞳でじっと見つめられ、咄嗟に目を逸らした。けれど、意を決して目線を悠人に戻すと、
「うん、いいよ」
と頷いた。
すると悠人は、美穂が大好きな、蕩ける様な笑顔で微笑んだ。
美穂はキュンとしながら言う。
「まずね、その笑顔……、すっごく好き。……でも、その顔は他の人には見せないで欲しい」
そう言うと、悠人の唇が美穂の唇を奪った。
「……ん」
声が漏れる。
「……悠人、これじゃ話しにくいよ」
少し熱のこもった声で、美穂が言う。今、絶対に顔が真っ赤になっているのが自分でも分かる。
すると、悠人が嬉しそうに笑った。
「……だって、美穂可愛いから。俺も美穂のその顔、大好き。絶対他の人には見せないで」
そう、耳元で囁かれて、美穂の心臓がドキリと跳ねる。
「他には?」
ほぼゼロの距離でそう聞かれて、美穂はゴクリと唾を飲んだ。けれど、逃げずに言葉を選ぶ。
「……凄く優しいところ。笑った顔も、穏やかな話し方も、全部好き」
悠人の顔が美穂に近づく。ちゅ、と言うリップ音がして、離れる。
「俺も、美穂が誰に対しても優しくて親切なところ、すごく好きだし尊敬してる」
そう言って、もう一度キス。そして続ける。
「可愛い笑顔も、優しい話し方も、全部好き」
そう耳元で言って、またキス。美穂の表情が蕩けてくる。少し熱を帯びた声で美穂が囁く。
「……仕事してる時の頼りになる姿も、運転してる横顔も、全部……大好き」
美穂が言い切ったと同時に、熱を帯びた顔の悠人から、もう一度、さっきよりも熱いキス。そして美穂を見つめながら囁く。
「俺も美穂の仕事してる姿、好きだよ。……総務で隣に美穂が居た時、いつもドキドキしてた」
「え、悠人、ドキドキしてたの?全然分からなかった。……私だけだと思ってた」
そう言って驚く美穂に、悠人はふっと微笑んだ。ゆっくりと手を伸ばし、美穂の小さな手を取って自分の胸に当てる。
「今も、すごくドキドキしてる。美穂と居る時は、ずっとだよ」
悠人の早鐘の様な心音を聞き、美穂は、もう既に真っ赤な顔が、さらに熱くなった。
そして続ける。
「でもね、一番好きなところは、全力で私のことを愛してくれるところだよ。私も全力で、悠人のことを愛したくなるの。……悠人、大好き」
悠人が、目を少し開いて、そしてとても幸せそうに笑った。
「凄く嬉しい。……これからもずっと、そうして良い?」
「うん。ふふ。私も凄く嬉しいよ」
どちらからともなく、目を閉じて、そっと唇を重ねた。
最初は触れるだけの軽やかなキス。
けれどすぐに、お互いを確かめ合うように何度も、ゆっくりと唇を重ねていく。
柔らかく押し返す唇の感触がくすぐったくて、愛おしさが込み上げるたびに自然と回数が増えてくる。
唇が触れては離れ、またすぐに引き寄せられてしまう。
抱きしめ合った身体の温度が、徐々に熱を帯びていく。
よりそう体温に安心しながらも、胸の奥でくすぶるような甘い熱がどんどん広がっていくのを感じる。
「ん……悠人。好き……」
吐息まじりに美穂が囁く。
「……ね、美穂。今日は美穂のこと、いっぱい甘やかしてもいい?」
悠人が耳元でそっと囁く。その低い声は、優しさに包まれていながら、確かな熱を孕んでいる。
「ふふ、嬉しい」
美穂は、トロンとした微笑みを浮かべて悠人を見つめ返す。
悠人は欲を宿した眼差しで、美穂をじっと見つめた。その視線だけで胸が高鳴り、息が浅くなる。
「逃げられないから、覚悟してね」
「……うん、いいよ。私も……いっぱい甘えたい」
ゆっくりとした速度で、悠人が美穂を押し倒した。
ソファの座面に寝そべる美穂を、悠人が覆いかぶさるように抱き締める。
頬をすり寄せ、額を合わせ、何度も軽いキスを交わす。
唇、頬、瞼、耳。場所を変えるたび、美穂は小さく笑って肩をすくめる。
「ん……。ふふ、くすぐったい……」
「嫌?」
「や……じゃない。むしろ、もっとして欲しい」
頬を赤らめて少し涙目になって、少し拗ねたように言う美穂の表情が、またたまらなく愛しい。
悠人は微笑んで、美穂の髪を指に絡めながら、頬に何度もキスを落とした。
「美穂、可愛い。……想像されたら嫌だから、絶対に誰にも言わないけど、その表情も、すごく好き」
そう言って、またキスを降らせる。
「……もう、ばか。……うそ。大好き」
甘ったるい声で美穂が呟く。悠人は堪らない気持ちになって、愛しさに圧倒されたように苦しげで、それでいて幸福そうな表情を浮かべた。
「……俺も、大好き」
そう囁きながら、美穂の手を取り、指と指を絡める。ぎゅっと握る。美穂は蕩ける様な笑みを浮かべ、幸せそうに微笑んだ。
そして、悠人は美穂に覆い被さった。
柔らかな陽が差し込む部屋の中で、静かに、でも甘く満ち足りた時間が流れていった。




