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年上の後輩社員に毎日ドキドキさせられています  作者: 陽ノ下 咲
本編

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22/40

第二十二話:嫉妬、そして独占欲

主な登場人物紹介

花村(はなむら)美穂(みほ):二十六歳。会社員四年目。総務部総務課所属。何事にも一生懸命で、誰に対しても親切。裏表のない性格。


真壁(まかべ)悠人(ゆうと):二十九歳。キャリア採用で入ってきた年上の後輩で、恋人。美穂に一目惚れして、告白し、付き合った。四月の人事移動で本社に移動した。


氷室(ひむろ)玲奈(れいな):悠人と同期の中途採用。営業部所属。凄く綺麗で、仕事も出来る女性。


草刈(くさかり)亮介(りょうすけ):二十二歳。新卒で入社した新入社員。総務課に配属され、指導担当の美穂に淡い恋心を抱く。


 六月の雨は、空気をじっとりと重くする。湿った風が人々の合間をすり抜けていく。

 梅雨のジメジメした気配を紛らわせたくて、美穂は社内の給湯室で紙コップにほうじ茶を注いだ。ふわりと立ちのぼる香ばしい湯気に、思わず口元がゆるむ。


 その時だった。


「……あの二人、やっぱ付き合ってるらしいね」


 不意に耳に入ってきたのは、同僚たちの会話だった。


「あー、真壁さんと氷室(ひむろ)さん?」


「そうそう、ほら、同期同士でしょ?営業と本社で職場は違うけど、異動前からよく一緒に居て仲良かったし、LINEで毎日やり取りしてるらしいよ……」


「えー、やっぱり?雰囲気お似合いだもんね。美男美女同士で」


 美穂の手元の紙コップが、カタリと揺れた。


(……え?悠人と氷室さん?)


 その名前を聞いた瞬間、思考が止まった。

 そして次の瞬間には、心の奥からモヤモヤした感情が湧き上がる。


(んん?悠人と付き合ってるの、私、……だよね?)


 会社では、二人が付き合っていることを特に公表していない。少しだけ知ってる人もいるけれど、本当にごく数人で。


 付き合っている事をあえて隠していたわけでもないが、「付き合ってるのは私です」と言い出すタイミングも特になかった。


(……でも、どうしてそんな噂が?)


 氷室(ひむろ)玲奈(れいな)。悠人と同じ中途採用の社員で、社内でも評判の高い、営業部の女性。

 とても綺麗で凛とした美人で、悠人と二人で並んでいるのを見た時にあまりに絵になっていて、美穂はその姿に嫉妬したこともあった。


 その時の事を思い出して、胸がチクチクと痛んだ。

 けれど、メッセージ越しで悠人に事実を聞く勇気は出なかった。



ーーー


 数日後。梅雨の合間の晴れた朝。

 悠人が明日から数日だけこちらのオフィスに戻ってくると知り、胸が弾んだ。

 あの噂のせいで少しモヤモヤはするけれど、やはり直接会えるのは、凄く嬉しかった。


(……久しぶりに、一緒にご飯食べられるかな。その時、直接、話も聞けたらいいな)


 帰り際、勇気を出してLINEを送った。


《 明日、こっちに戻ってくるって聞いたんだけど、もし良かったら夜、一緒にご飯食べられる? 》


 すぐに既読がつき、返信が届いた。


《 ごめん、明日の夜は同期で飲み会なんだ。でも、明後日だったら空いてるよ。どう? 》


(……そっか、飲み会)


 ほんの少しだけ、胸が締めつけられた。


(本当は少しでも早く会いたかったけど、でも、会えるなら……)


 そう思って、返信した。


《 うん、明後日楽しみにしてるね。飲み会、楽しんできてね 》


(うじうじしてたって仕方ない。悠人に会える事は変わらないんだから)


 そう気持ちを切り替えて、スマホを鞄の中にしまって帰宅した。

 



 そして翌日、悠人が飲み会に行っている夜。美穂はその日、遅くまで残業になった。会社を出る頃には、時刻は夜の十時近くになっていた。


(今日はもう、簡単に食べれるものでも買って帰っちゃおうかな……)


 そんなことを考えながら歩いていた時だった。

 駅前の角を曲がった瞬間、視界の端に、人影が見えた。


(……え?)


 居酒屋の前のベンチに二人並んで腰掛けている。

 一人は悠人。そして、もう一人の女性は氷室だった。遠目からだが、氷室が悠人に身を預けているように見えた。

 

 二人ともこちらには気づいていない。けれど、美穂の心には、鋭い杭が打ち込まれた。


(……どうして、氷室さんと二人で……?)


(どうして、あんなに近くに?)


 その場にいられなかった。足が勝手に動き出して、雑踏の中をすり抜けるようにして駅へと走った。見てはいけないものを見てしまったような気がした。


 心がぐしゃぐしゃになって、言葉が出なかった。



 家に帰り着いたときには、何もかもが崩れそうだった。

 電気もつけず、玄関に座り込む。そして、耐えきれず、涙がこぼれた。


(やだ、どうして……。……どうして、二人が……)


 もしも二人が噂通りの関係なのだとしたら……。


 そうだったとしても、もう、悠人の事を諦めるなんてこと、美穂には出来そうに無かった。


(これから先、悠人の隣に居られないなんて、そんなの、絶対耐えられる自信ない……)


 その時、スマホが震えた。画面には《 真壁悠人 》の名前。最近は忙しくてメッセージのやりとりばかりだったけれど、今日は電話がかかってきた。


 けれど、美穂は指を動かせなかった。

 電話が鳴り止んで、すぐに、また鳴る。それでも出ることはできなかった。


 今、声を聞いたら、もっと泣いてしまいそうだったから。


 美穂はスマホを裏返して、目を閉じた。



 翌朝、梅雨の曇り空の下を歩きながら、スマホを見る。

 スマホの画面には、昨夜、出なかった電話の後に届いていた悠人からのメッセージの通知。

 けれど、美穂はそれも開くことが出来なかった。


 もしも、関係が終わってしまったら……。そう思うと、内容を確認するのが怖かった。


(顔、合わせるのかな、……今日)


 久々に同じ社屋にいる。けれど、フロアは違う。席も、もう隣ではない。以前なら、同じ部署で何かしら話す機会が多くあったけれど、今はその機会もない。


 エレベーターがチン、と音を立てて開く。いつもの総務のフロア。椅子に座ると同時に、自分の胸が妙に重いことに気づいた。


 こんな時、仕事は救いになる事を初めて知った。無心に仕事をしていれば、その時だけは嫌な事を忘れられるから。


 けれど、印刷室に入った時。プリンターの前で誰かが歩いてきた気配を感じた。


「……美穂」


 その声で、背筋が凍った。


 顔を上げると、そこには悠人が立っていた。


 昨日まで恋しくてたまらなかった顔が、今は直視できなかった。


「……お疲れさまです」


 一瞬だけ目を合わせたけれど、すぐに視線を逸らした。

 まるで、ただの同僚のように、極力、当たり障りのない声でそう言って、美穂は書類を抱えてすぐにその場を離れた。


(……何やってるんだろう、私)


 逃げるようにフロアの端を歩きながら、自分を責める声が胸に響いた。



 昼下がり、営業部に提出する資料を届けるため、美穂は営業のフロアへ足を運んだ。用件を伝えてから、帰ろうとしたそのときだった。


 ふと、和やかに話している声が耳に入った。

 視線を向けると、ガラス張りの会議スペースの一角に男女の姿があった。悠人と氷室だった。


 二人は一つの資料を広げ、肩を並べるようにして内容を確認していた。時折、顔を上げては視線を交わし、自然と笑みをこぼす。

 氷室が小さく首を傾げながら何かを言って笑い、悠人も頷いて応える。そのやり取りは、まるで長年コンビを組んできたような息の良さだった。

 真剣に仕事の話をしているのは間違いない。けれど、その場に漂う空気はどこか柔らかく、親しみが滲んでいた。


 その姿は、どこからどう見てもお似合いな二人で。

 昨日のあの居酒屋の光景が、フラッシュバックのように蘇る。


 足が止まってしまった。

 胸の奥がきゅうっと縮むように痛み、ドス黒い感情に呑み込まれていく。


(……私って、こんなに嫉妬深かったんだ)


 自分でも驚くくらいの、激しくて、重い感情。


(悠人の全部を、独占したい)


 その思いが、喉の奥に張りついて、呼吸さえ苦しくなる。自分の中に、こんな感情があることを、美穂は知らなかった。


 その場から早く離れたくて、早足にフロアを後にした。



 夕方。業務が終わる頃には、美穂の気力はすっかり削られていた。

 気落ちしている美穂を心配してなのか、同僚の何人かが飲み会に誘ってくれたが、断って早めに荷物をまとめる。


(……今日はもう、誰にも会いたくない)


 悠人に顔を合わせる前に帰ろうと、会社を出て少し歩き出した時だった。


「美穂さん!」


 少し息を切らせた声が、後ろから聞こえてきた。振り向くと、そこに、美穂が指導担当をしている、草刈が立っていた。


「……草刈くん?」


「今日の美穂さん、いつもと違ったから、……心配になって。帰り、駅まで一緒に行ってもいいですか?」


 彼の真剣な表情に、美穂は戸惑いながらも頷いた。


 帰り道、草刈は美穂の顔を心配するように覗き込みながら歩いていた。

 そして、歩道の途中で立ち止まり、言った。


「あの、美穂さん……どうしてそんなに悲しそうなんですか? 俺、美穂さんがそんな顔してるの、耐えられないです」


 その言葉に、美穂の目頭が熱くなり、視界がじんわりと霞んでくる。


(……ダメだ)


 泣いちゃいけない、そう思っていたのに。

 今、誰かに優しくされたら、張りつめていた心が一気にほどけてしまいそうになる。


 草刈がそっと、美穂の手を握る。

 そして、おそるおそる、彼女の顔に手を伸ばした。


「……美穂さん、泣いてる?」


 そして、意を決した顔で、口を開いた。


「あの、美穂さん、俺、」


 その瞬間だった。


 突然、背後から腕を強く引かれた。

 逃げ場を奪うように抱きしめられ、片方の手で視界を覆われる。泣き顔すらも、他の男に奪われることなど決して許さない、というように。


 同時に、悠人の声が響いた。静かで、けれど確かな怒気を孕んで。


「ごめんね。この子、俺のだから」


 驚いた草刈が言葉を失う。


「……悠人」


 震えるように美穂が声を漏らすと、悠人は静かに囁いた。


「行くよ、美穂」


 その声は、今まで聞いたことがないくらい低く、怒りを抑え込んだような迫力で、有無を言わせない強さがあった。

 悠人は美穂の手を強く握り、そのまま引いて歩き出した。


 二人がその場を離れたあと、草刈は何も言えず、ただ静かに背中を見送っていた。


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