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第二話:このドキドキはなんだろう

主な登場人物紹介

花村(はなむら)美穂(みほ):二十五歳。会社員三年目。総務部総務課所属。何事にも一生懸命で、誰に対しても親切。裏表のない性格。


真壁(まかべ)悠人(ゆうと):二十八歳。キャリア採用で入ってきた年上の後輩。美穂に一目惚れした。美穂を前にするといつもの様な余裕のある行動が取れない自分に戸惑う。

 静かなオフィスに、キーボードを打つ音が淡々と響く。

 午後の少し眠気を誘うような時間帯、美穂は資料整理に集中しようと、コーヒー片手に気合を入れていた。


 隣に座る真壁はというと、手元の業務マニュアルをじっと見つめている。


(あれ……?)


 ふと目を向けると、彼の眉がわずかに寄っているのが見えた。


「……真壁さん、何か分かりにくいところ、ありましたか?」


 声をかけると、真壁は顔を上げた。少し戸惑ったような表情でページをめくりながら、


「この備品管理のシステムなんですけど、ここの入力ルールがちょっと複雑で」


「あ、そこ、最初みんな引っかかるところなんです。よければ、ちょっと見せてもらってもいいですか?」


 彼のデスクに身を乗り出すようにしてマニュアルを覗き込む。真壁はページを開いたまま、美穂にそれを差し出した。


「このあたり?」


「ああ、そうです。ここ、ちょっとややこしくて……たとえば、」


 指をのばして、対象の箇所を示そうとしたときだった。


 ふいに、真壁の指と美穂の指が、とん、と触れた。


「っ……」


(わっ……!)


 それはほんの一秒にも満たない、かすかな接触だった。

  でも、その瞬間、美穂の心臓が跳ねる音が、自分にだけはっきり聞こえた。


「ご、ごめんなさいっ……!」


 思わず手を引っ込めて、小さな声で謝り、距離を取る。

 隣にいる真壁の顔を見ることができず、焦って視線を机に落とした。


(ちょっと触れただけなのに……なんで、こんな……)


 少し気まずい気持ちになる。

 それでもなんとなく気になって、ちらりと彼の方を見てみた。

 すると真壁は、どこか熱を帯びた瞳で、美穂をじっと見つめていた。

 目が合った瞬間、そのまっすぐな視線に胸がギュッと締めつけられた。


 逃げたくなるような、でももう少し見ていたいような、不思議な感覚。


(……なんでそんな顔で見てるの……!)


「……すみません。ちょっと、近すぎましたね」


 真壁がふっと目を伏せて、少し照れたような微笑みを見せた。


「……い、いえ!私の方こそすみません……」


 顔が熱い。今、自分が赤くなっているのが分かる。


(なにこの空気……こんなのおかしい。いつもの私なら、もっと冷静に説明できるのに……)


 ぎこちない笑みを浮かべながら、マニュアルを指さして説明を再開したけれど、指先は少しだけ震えていた。


 それ以降の説明中、なぜか真壁の顔を見ることは出来なかった。



ーーー


 昼間のドキドキがなかなか収まらない中、午後も終わりに差しかかるころ、美穂は慌てて机の中の書類を探していた。


「えーっと、申請書の控え……どこ入れたっけ……」


 デスク周りをごそごそと探しているうちに、ふと気がつく。

 出さなきゃいけない申請用の資料に、日付の記入ミスがある。


(やば……!)


 今ならまだ間に合うと、急いで修正しようと立ち上がり、プリンターに向かって歩き出そうとした瞬間、


「花村さん、これ……探してるやつじゃないですか?」


 背後から差し出されたのは、修正済みの申請書。

 見れば、誤って記入した箇所はすでに正しい日付で直されていた。


「えっ……!」


 驚いて顔を上げると、真壁が軽く微笑んでいた。


「さっき見えたので。たぶん焦ってるかなと思って、先に印刷しておきました」


「……っ、ありがとうございます……!」


 一瞬、本気で泣きそうになった。

 小さなミスとはいえ、上司に説明する時間が取れないほどギリギリのタイミングだったのだ。


「真壁さん、ほんと助かりました……!」


 心からの感謝を込めて頭を下げると、真壁は少し照れたように笑う。


「どういたしまして。……あ、でも」


「?」


 言葉を止めた真壁に、美穂はどうしたのだろうと、きょとんとした顔で見つめる。


「俺に、ちょっとでもいい印象持ってくれたなら、それだけで嬉しいです」


「えっ……」


 まるで何気ない一言のように、さらっと言って微笑む真壁に、美穂の思考が止まった。


(……なに、今の……)


 心臓が、また跳ねた。


 言葉の意味が分かってしまった瞬間、顔が一気に赤くなる。


「そ、そんな……い、印象なんて、もともと悪くないですし……!」


(そりゃ、初日はもしかして嫌われてるのかな、とか思ったけど、今は全くそんなことないし、むしろ好印象なほどで……)


 さすがにそれは口に出しては言えないから、必死に言葉を取り繕うけれど、口調がどんどんしどろもどろになる。


 真壁はそんな美穂の様子を見ながら、静かに笑って、


「やった。……じゃあ、もっと良くなるように、頑張りますね」


 そう言って、すっと席に戻っていった。


(……ちょっと待って。今の、どういう意味……?)


 顔を両手で覆いたくなるような感情が胸を占めていく。


 嬉しい。でも、戸惑う。だけど、嫌な気持ちは全くない。


 むしろ、胸の奥がじんわりと熱くて、くすぐったい。


(……このドキドキは、なんだろう)


 恋なんて、まだ意識していなかったはずなのに。

 少し前までは、仕事の後輩としか思ってなかったのに。


 真壁悠人という存在が、今日、一気に自分の中で大きくなった気がする。


ーーー



 仕事を終えて、帰ろうと玄関を出た時、営業部の同期で、同期の男性の中では一番話しやすい存在でもある、明石(あかいし)(わたる)がタイミングを合わせたように声をかけてきた。茶色いツンツンとした髪が軽やかに揺れている。


「花村、お疲れ。今日も残業?」


「明石くん、お疲れさま!ううん、今日は早く帰れそうだよ」


「じゃあ、帰り飯食いに行かね?最近話してなかったしさ」


「……あー、ごめん。今日ちょっとキャパオーバーなんだ。だから今日はまっすぐ帰るね」


「え、大丈夫かよ。なんかあったのか?」


「ううん、仕事は順調なんだけどね。……あー、ごめん、まだ今は自分でもよく分からなくて、うまく言えないや」


「そっか。……ま、いつでも話聞くし、じゃあまた今度どっか行こうな」


「うん、それじゃあね」


 明石と別れた後、ふと思い浮かんだのは、真壁の熱のこもったあの瞳だった。


(私……また、あの時のこと、考えてる……)


 思い返せば、今日一日、自分でも気づかないうちに、真壁に視線を向けてしまっていた。

 真壁の言葉の一つ一つに、反応してしまう。

 

(もしかして、私……恋、してる?)


 答えはまだ出せないけれど。


 だけど確かに、彼の存在は、今日も美穂の心を大きく揺らしていた。



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