第十九話:ご褒美の日
主な登場人物紹介
花村美穂:二十五歳。会社員三年目。総務部総務課所属。何事にも一生懸命で、誰に対しても親切。裏表のない性格。
真壁悠人:二十九歳。キャリア採用で入ってきた年上の後輩。美穂に一目惚れして、関わっていくうちにもっと好きになり、告白し、恋人になった。
年の瀬が迫る十二月。どの会社もそうだが、悠人と美穂の職場のも例外ではなく、年度末の慌ただしさに包まれていた。
そんな忙しい日々の中、悠人は抱えていた大きな仕事を一つ、無事に終えた。社内でも注目されていた案件で、張り詰めていた日々をやっと乗り越えてほっとした。
そんな悠人に向かって、美穂が笑顔でこんな言葉をかけた。
「今週の金曜日、悠人の“ ご褒美の日 ”にしない?仕事終わりにご褒美のご飯 、ふたりで食べに行こ。予定、空けておいてね」
そうして迎えた、金曜日の夜。
仕事終わりに美穂に連れてこられたのは、職場の近くにある、個人経営の洋食屋。以前、初めて二人でドライブした時に話していた、美穂が、頑張った時のご褒美に食べに来ているお店だった。
外からは想像もつかないほど落ち着いた雰囲気の店内で、二人掛けのテーブルに案内される。メニューにはいろんな種類のオムライスや、ハンバーグプレートなど、豊富な洋食メニューが並ぶ。
二人のお目当ては、美穂のおすすめのチーズデミグラスソースオムライスだった。
「ここのオムライス、本当に美味しいんだよ。ずっと悠人に食べて欲しいって思ってたから、やっと一緒に来れて嬉しい」
注文を終えた美穂が目をキラキラさせてそう言う。
(……可愛い)
自然と頭の中に言葉が浮かぶ。その笑顔を見ているだけで、心が癒されて、疲れがどこかへ行ってしまった。
やってきたオムライスは、ふわふわの卵の上にデミグラスソースがたっぷりとかかり、さらにその上にトロトロに蕩けたチーズが乗っていて、美味しそうな香りを漂わせていた。
「やっぱり何度見ても、美味しそう……。悠人、本当にお疲れ様!それじゃ、早速食べよっか」
二人揃っていただきますと挨拶して、美穂が口元をほころばせながらスプーンを手に取る。
一口、そしてもう一口。頬をふくらませて、幸せいっぱいにオムライスを頬張っている。
「ん〜っ、ほんとに美味しい……」
幸せそうにそう呟く美穂の顔を、悠人はずっと見つめていた。
「ん?どうしたの?」
不思議そうに首をかしげる美穂に、悠人は少し照れたように笑った。
「……可愛いなと思って」
その一言に、美穂の手が止まった。顔がみるみる赤くなっていき、視線を少しだけ逸らす。
「恥ずかしい……」
真っ赤になって照れる美穂を、悠人は幸せそうに見つめた。
そして、自分のオムライスにもスプーンを入れ、一口食べて、目を細めた。
「美味しい?」
「うん。すごく美味しい」
本当に心から美味しいと思う。でもきっと一人で食べていたらここまで美味しいと感じないんだろうな、と悠人は思った。
「オムライス自体も凄く美味しいんだけど、美穂とご飯食べると、全部、いつもより凄く美味しくなる」
思った事をそのまま口にすると、美穂が少し驚いた顔をして、その後幸せそうに微笑んだ。
「……私も、悠人と一緒に食べると、すっごく美味しい」
美穂の言葉に目の奥がジンとしてくる。二人で少し照れながら、目を合わせて微笑み合った。
「……ね、美穂。もう一つご褒美もらってもいい?」
どうしても、欲しくなった。出した声が、さっきよりも少し低く、甘い声になってしまったのが自分でも分かる。
「うん、もちろんいいよ。何がいい?」
美穂が嬉しそうに聞いてくる。
「……美穂から、キスして欲しい」
その言葉に、美穂は一瞬固まった後、頬を赤く染めてコクンと頷いた。
ーーー
オムライスを食べ終えた二人は、悠人の車で美穂のアパートに向かった。
駐車場までの道中、自然と手を繋いで歩く。一人の時は寒さにかじかむ手のひらが、今は互いの体温を確かめ合うように繋がっていて、暖かかった。
アパートに着くと、悠人はいつになく積極的な美穂に手を引かれて、ソファーへと向かった。
「悠人、こっち来て。……今日はご褒美に、悠人の事いっぱい甘やかすんだから!」
やる気に満ちた、キラキラした瞳。
「え、……う、うん。じゃあ、お願いします」
キスのお願いはしたけれど、美穂から「 いっぱい甘やかす 」なんて言われるとは全く思っていなかった悠人は驚いて、でもかなり期待をしながら、美穂の隣に座った。
「じゃ、まずここに頭をどうぞ」
そう言って、美穂は自分の太ももを叩いた。悠人はおずおずと頭を美穂の太ももに乗せ、寝転んだ。
美穂の柔らかい手が、悠人の髪の毛に触れる。そして優しく撫でられた。
「美穂の手、あったかくて、気持ちいい」
美穂の手が優しく動いて、凄く心地いい。
そっと見上げると、美穂が悠人の言葉に頬を赤く染めていて、無性に抱きしめたくなった。
「美穂、ありがとう。……ね、美穂のこと、抱きしめてもいい?」
「うん」
美穂の答えを聞いて、悠人は上半身を起こした。
そして、そっと美穂の身体を抱きしめる。
すっぽりと悠人の身体に収まる美穂の細く柔らかい身体と、甘くて優しい匂いに、愛おしさが溢れる。
「……悠人、あったかい」
美穂の、安心しきったような穏やかな声が、嬉しい。
「美穂もあったかいよ」
ただ静かに抱き合って、お互いの体温を感じ合っていた。すると、自然とキスをしたい気持ちが込み上げてくる。
悠人はそっと腕の力を緩め、美穂の頬に手を添えた。悠人がゆっくりと顔を近づけ、あと少しで唇が触れそうになったそのとき。
美穂が自分の手を悠人の唇にそっと当てて、その動きを制した。
「……何で止めるの?」
唇を抑えている美穂の手を掴みながら、ちょっとムッとして悠人が美穂を見る。
「キスは私からするの。……ご、ご褒美だから」
その顔が、その言葉が、あまりにも可愛くて、悠人は堪らない気持ちになった。
「目、瞑って」
美穂にそう言われ、悠人は軽く目を閉じた。
美穂の唇の感触が、悠人の唇にそっと触れた。ちゅ、ちゅ、と啄む様に、美穂の柔らかい唇が触れては離れる。
「ん……」
気持ち良くて声が漏れた。
すると、美穂の舌が、おずおずと、口に進入してきた。美穂から舌を入れてくれたのはこれが初めてで、ドキドキと心臓が高鳴る。
不慣れな動きで、そっと悠人の舌に触れられる。悠人も舌を絡め返し、舌と舌が絡まり合って、どんどん気持ち良くなってくる。
そこで、もう、限界だった。
美穂の後頭部に手を回し、強く抑えつける。
舌を激しく動かして、甘い美穂の舌をジュッと強く吸った。
「……ごめん、もう我慢できない」
欲を孕んだ声でそう囁いた。
気付いたときには、ソファーの上に美穂を押し倒していた。
再び重ねた唇は、いつもよりずっと荒く、強く、噛み付くようなもので。
頬を真っ赤に染める美穂を、ギラギラした瞳で見下ろす。
そのまま覆い被さった悠人を、美穂は両手で受け止めた。
ーーー
ソファーの上で重なる体温。悠人の腕の中で、美穂はゆっくりとまばたきをした。
さっきまで激しく重なっていた余韻に、心臓がまだドキドキと早鐘を打っている。
「……美穂、大丈夫?」
先程とは違う、いつもの悠人の声音で優しく問われて、美穂はコクリと頷いた。
「うん……、ふふ、すごくドキドキした」
悠人はホッとしたように微笑み、そっと額を合わせてきた。おでことおでこが触れ合うだけで、また胸がキュンとなる。
「俺さ、美穂のことが好きすぎてたまに怖くなる」
「え?」
「自分がこんなに誰かに夢中になるって、思ってなかったから。美穂の笑った顔見ると、全部の疲れが吹き飛んで……。すぐに触れたくなるし、もっと知りたくなるし、どんどん好きになって……」
言葉の一つ一つが、まっすぐに胸に届く。照れくさくて、でも嬉しくて、美穂は悠人の胸に顔をうずめた。
「……私も。悠人が頑張ってる姿見て、応援したいって思ったし、隣にいたいって思ったし……。今、こうして一緒にいられて、ほんとに嬉しいよ」
美穂を抱きしめている悠人の腕に力がこもった。
そして、見つめ合って、互いの想いを確かめ合うように、ゆっくりとまたキスを交わす。今度はさっきよりも穏やかで、甘くて、ぬくもりがたっぷり詰まった優しいキス。
悠人が美穂の髪に顔を埋めて、囁くように聞いた。
「……もう、今日は帰らなくてもいい?」
「うん、……元々、そのつもりだった」
「……え、本当に?」
ぱっと顔を上げる悠人の目がまるで子どもみたいで、美穂は思わず吹き出してしまう。
「なにその顔……かわいい」
「いや、だって……。そんなこと言われたら、舞い上がるよ……」
顔を赤くしながらそっぽを向く悠人は耳までほんのり赤く染まっていて、美穂はいたずら心を抑えきれずに、耳元に唇を近づけた。
「じゃあ、今夜はたっぷり甘えてもらうから、覚悟しててね」
その声にビクリと体を震わせた悠人が、ソファーに背を預けてため息をつく。
「……美穂のそういうところ、本当に反則……」
「だって甘えて欲しいもん。私もいつも、悠人には甘えてるから、おあいこでしょ?」
「……じゃあ、遠慮しないから。美穂、こっち来て」
再び引き寄せられ、膝の上に座らされる。お互いの顔がすぐ目の前にあって、まばたきする音すら聞こえそうな距離。鼻先が触れ合うほど近づくと、再びゆっくりとキスが落ちてきた。
「ん……」
ちゅっ、ちゅ……と甘い音が繰り返される。
優しいキスが何度も重ねられ、心がとろけていった。




