第十八話:おうちデートで肉じゃがを
主な登場人物紹介
花村美穂:二十五歳。会社員三年目。総務部総務課所属。何事にも一生懸命で、誰に対しても親切。裏表のない性格。
真壁悠人:二十九歳。キャリア採用で入ってきた年上の後輩。美穂に一目惚れして、関わっていくうちにもっと好きになり、告白し、恋人になった。
風が少し肌寒く感じる様になってきた、十月中頃の夜の事。
美穂が仕事を終えて帰宅して、やるべきことを片付けて後は眠るだけと、ほっと息をついたその瞬間、LINE電話の着信音が鳴った。
《 真壁悠人 》
着信者の名前に、心臓がドキッと高鳴る。
付き合い出して四か月ほどになるが、悠人からかかってきたり、美穂からかけたり、もう何度もこうしてビデオ通話をしているのに、やっぱり通知がくると、その度に嬉しくてドキドキしてしまう。
美穂は嬉しい気持ちいっぱいで、画面をタップした。
画面に映った悠人は、九月中旬頃に衣替えしてから、部屋着としてよく着ているのを見るようになった黒めのスウェット姿だった。
『美穂、今日はお疲れ様。今日、なんかずっと忙しそうだったよね』
「ありがと。ちょっとここのところ仕事立て込んでるよね。悠人も疲れてない?」
『ううん、俺は平気。美穂こそ、大丈夫だった?』
「うん、なんとか無事に乗り切ったよ」
最初の頃と比べると、ずいぶんやり取りも砕けてきているのを感じる。画面越しの彼の視線が優しくて、心がとろけそうになる。
(ずっと見てたい……なんて言えないけど)
少しだけ間があって、悠人が言う。
『あのさ、……実は今日は、美穂にお願いしたい事があって』
悠人の口から出た「 お願い 」という響きが、なんだか無性に可愛くて、心臓がキュンとなった。
「え、お願い?」
悠人は少し照れながら言った。
『肉じゃが、作って欲しいなって』
「……え?」
『前に美穂が弁当に作ってくれたの、凄く美味しかったから、また作って欲しいなって思って』
初めてのドライブの時に作ると約束して、後日作ってお弁当に入れて、人目の無い所でこっそり渡した事を思い出す。
あの時、本当に嬉しそうに受け取ってくれて、夜、電話で美味しかった事を伝えてくれて、作って良かったと心から思った。
『……あれ、ほんとに嬉しかったから』
画面越しでもわかるくらいに頬を赤らめながら幸せそうな顔でそう言う悠人に、なんだか美穂も照れてしまった。
「……そ、それならまた作るね」
『うん、嬉しい。せっかくだから、出来立て食べたいな。……そうだ、今度、俺の家に来る?』
「え……」
『家だと、出来立てが食べれるでしょ?』
その言い方が、あまりに自然で、やっぱりちょっと可愛くて。また胸が高鳴った。
「行っても……いいの?」
『もちろん。来てくれたら嬉しいよ』
シンプルな言葉なのに、彼の声が心に深く染みた。
「えへへ、……嬉しい」
ぽつりと漏れたその一言に、悠人がふっと微笑んだ。
『来週の土曜、予定空けておくね。スーパー、うちの近くでいい?』
「うん、大丈夫」
少し照れ臭くて、美穂は頬を赤く染めながら悠人を見る。すると、悠斗も頬を赤くして、嬉しそうに笑った。
『楽しみだな』
「私も、楽しみ」
その夜、通話を終えたあとも、美穂はしばらくスマホを胸に抱えてベッドの上で転がっていた。
彼の言葉が、ひとつひとつ、あたたかく体の奥に残っている。
(早く会いたいな……)
明日もまた会えるのに、そんな気持ちがこぼれるほどに、彼のことが好きでたまらなかった。
十月の風が、ほんのりと冷たさを帯び始めた土曜日の午後。
美穂は、待ち合わせ場所である悠人の家の最寄駅に降り立った。
二人で並んでスーパーへ向かうと、店内には秋の食材がずらりと並び、栗やさつまいもの甘い香りがふわりと鼻をくすぐった。
「美穂と一緒にごはんの買い物するの、なんかすごく幸せだな」
そう言って微笑む悠人の横顔に、思わず胸が高鳴る。
「うん、そうだね」
美穂もそう言って、ふわりと微笑んだ。
並んでカートを押しながら、じゃがいも、人参、玉ねぎ、そして豚肉の細切れをかごに入れていく。
(なんかまるで、新婚みたい……)
美穂は心の中でそう呟いて、こそばゆくなった。
そして悠人のマンションの部屋に着いた。
清潔でシンプルな、落ち着いた雰囲気の空間。
「わあ、……本物だ」
「ん?本物って?」
「だって、いつも画面越しだったから……。こうして来てるの、なんだかちょっと新鮮で」
「新鮮なんだ」
そう言って悠人はクスッと笑った。
美穂が、悠人らしい部屋だなぁ、と思いながら部屋を眺めていると、ふいに、後ろからぎゅっと抱きしめられた。
「……家に彼女がいるの、すごく嬉しい」
美穂の鼓動がトクンと跳ねる。
「えへへ……私も、呼んでくれて嬉しい。……結構、家に人呼んだりするの?」
「んー、男友達はたまに。でも、女性は……美穂が初めてだよ」
「初めてなんだ……」
思わず笑みがこぼれた。
「彼女以外、家に呼びたくないから。……逆に、美穂は?男の人、呼んだりするの?」
少し、探る様な声音。
「ううん。一度もないよ。女の子は来る事あるけど」
「だよね。……良かった。もし呼んでるって言われたら、どうしようかと思った」
どこかほっとした声が可愛くて、美穂は、ふふ、と微笑んだ。
「……悠人が嫌がる様な事はしないよ」
すると、悠人が嬉しそうに笑って、抱きしめている腕の力が少し強くなった。
「……うん。信頼してる。でも、嫌がる事じゃなくても、男は家に入れないでね。男は皆、狼だから」
「狼なの?」
「そうだよ」
「悠人も?」
そう言って振り向くと、
「うん、狼だよ」
悠人はそっと囁く様に、熱を宿した低い声でそう言った。そして美穂に顔を近づけて、そのまま唇を奪った。
その後、甘い空気の中、二人で肉じゃが作りを始めた。皮をむき、野菜を切る音、煮込まれていく香り。キッチンに立つ彼の横顔が、こんなにも優しくて、頼もしくて。
みりんと砂糖を少し多めに入れてぐつぐつと煮込み、しっかりと味が染み込んだ甘めの肉じゃがは、どこか懐かしい匂いがした。
肉じゃがと、炊き立てのご飯とお味噌汁を並べて、ふたりで並んでテーブルに座る。
いただきます、と二人で挨拶をして食べ始める。
「……やっぱり、すごく美味しい。美穂、ありがとう」
幸せそうにそう言う悠人。美穂も幸せな気持ちに包まれる。
「ふふ、どういたしまして。って言っても一緒に作ったからね、私の方こそありがとう。……すごく美味しいね」
頬を緩め合いながら、向かい合って肉じゃがを食べた。
心までぽかぽかになってくる、とてもあたたかな時間だった。
食後、片付けを終えたふたりは、ソファーに腰掛けて、まったりした時間を過ごしていた。
美穂の視線は自然と、隣に座る悠人の横顔に吸い寄せられていた。
(……キス、したいな)
ご飯の前に交わしたキス。その余韻が、まだ唇に残っている気がした。
そして同時にそれ以上も欲しくなってくる。
一ヶ月前の悠人の誕生日の日に知った、彼の体温、肌に触れた時の感触、息づかい、香り、それらに包まれる安心感と幸福感。
(どんどん欲張りになる……)
「美穂?」
悠人に名前を呼ばれても、目を逸らせなかった。
気づけば、手がそっと彼の頬に触れていた。
そして、彼の唇に、そっとキスをした。静かなキス。だけど、唇の感触が気持ち良くて、胸の奥がじんわりと熱くなる。
悠人は一瞬驚いたように目を見開いたあと、すぐにたまらないような顔になって、ぽつりと呟いた。
「……そういうの、ずるい」
そう言いながら、彼は戯れるように唇を重ねる。ちゅ、ちゅ、と繰り返されるキスが気持ちいい。次第にキスが深くなり、熱を帯びていく。
気づけば、美穂は悠人にそっと押し倒されていた。見つめ合う距離が、近すぎて、呼吸が乱れる。
「ね、美穂、いい?」
その問いに、美穂は小さく頷いた。
「うん……してほしい」
悠人の瞳が、少しだけ鋭く光ったように見えた。けれどその目には、確かな優しさも宿っている。
美穂は両手を差し出して、彼の身体を抱きしめて、そのぬくもりの中で、静かに目を閉じる。
ゆっくりと、ふたりの時間が重なっていった。




