第十一話:夜の電話で(花村美穂視点)
この話は『第十話:夜の電話で』 を美穂視点で書いたお話です。
主な登場人物紹介
花村美穂:二十五歳。会社員三年目。総務部総務課所属。何事にも一生懸命で、誰に対しても親切。裏表のない性格。
真壁悠人:二十九歳。キャリア採用で入ってきた年上の後輩。美穂に一目惚れした。美穂を前にするといつもの様な余裕のある行動が取れない自分に戸惑う。
明石渉:二十五歳。美穂の同期。営業部営業課所属。美穂とは時々帰りに飲みに行ったりする仲。同期の男性の中では一番仲が良く、美穂のことを気にかけている。
職場から帰った美穂は、アパートの鍵を回して扉を開けた。
「ふぅ……」
今日はなんだか一日、朝からいろいろな事があった。
しかも、この後も更にある。この後の事を考えると、胸がドキドキとしてくる。
ソファーにカバンを投げ出すと、ほんの少しの静寂が部屋に降りた。
でも、その静けさは長くは続かない。
(……真壁さんのこと、明石くんのこと)
考えだすと胸の奥で、何かが焦げつくように熱を帯びる。心が全く落ち着かない。
帰り道、明石からの突然の告白。
突然すぎて、ただ驚いた。
ずっと仲の良い同期という認識だった彼に「好きだ」とまっすぐに言われて、目を見開いてしまった。
(断った、けど……)
心の中に残ったのは、告白された事への驚きと、嬉しい気持ちと、だけど真壁の事が好きだから断る以外の選択が無くて、なのに勝手に持ってしまう、断った事に対する罪悪感。そして……。
「真壁さんから、電話……、いつくるのかな」
スマホをチラリと見ながら、ご飯を炊き始めた。今日は冷蔵庫の残り物で簡単に済ませる。手は動いているけれど、やっぱり心は落ち着かない。
そわそわしたまま食事を終えて、お風呂に入った。髪の毛を乾かしながらも、心はスマホの通知音に集中してしまう。
ようやくドライヤーのスイッチを切り、ソファに座り、スマホを手に取る。LINEのトーク画面を開く。
(気になって仕方ないな。もういっそこっちから、かけちゃう?)
迷いながら通話ボタンに指を伸ばしかけたその時。
《電話しても大丈夫ですか?》
まるで見ていたかのようなタイミングで通知が届いた。
「ひえっ……!」
思わず声が漏れる。指が震えながらも、すぐに《大丈夫です》と返信すると、ビデオ通話の着信音が鳴った。
ビデオ通話でかかってくるのは予想外だったけれど、顔見れるんだ、と嬉しくなり、ドキドキしながら、応答ボタンをタップした。
画面が切り替わり、スマホの向こう側にいる真壁の姿と、右下の方に小さく自分の姿が映し出される。
『こんばんは』
いつものきちんとした真壁の姿とは違う、ラフなグレーのTシャツ姿。
その姿に、心臓が大きく跳ねる。
「こんばんは。お疲れさまです」
『今、大丈夫でしたか?』
「はい。あの……、真壁さんは?」
『はい、今日は早く帰れたので。花村さんと早く話したくて』
その言葉に胸がキュンと鳴いた。
「なんか……、雰囲気、違いますね?」
思いきってそう言うと、真壁が少し驚いた顔をして笑った。
『そうですか?』
「……はい。なんか、柔らかいというか……、オフって感じ」
『そっか。花村さんも、いつもよりリラックスしてるように見えます。あれ、でもなんか……、』
そして少し心配そうな声音で聞かれた。
『もしかして何かありましたか?』
そう聞かれて驚いて、そしてさっと視線を逸らしてしまった。
あった。ついさっき。
けれど、わざわざ言いふらす様なことでは無いし、それに、この事はどうしてか、真壁だけには知られたくなかった。だから咄嗟に否定した。
「……何もないですよ」
なのに。
『何か、ありましたよね』
もう一度、今度はさっきよりもはっきりした口調で言われた。これ以上否定できないと思い、おずおずと聞いた。
「分かりますか?」
すると、
『はい。すぐに分かりました』
そう言われた。
(私って、分かりやすいのかな……)
そういえば以前にも、明石に顔に出やすいと言われたことを思い出した。
「私って、顔に出やすいんでしょうか……」
そう聞くと真壁は少し考えて、
『まあ、花村さんが顔に出やすいのは否定しません』
そう言ってから、続ける。
『だけどそうじゃなくて、……花村さんの変化だから気づいたし、気になるんです。他の人だったら、そもそも気にすらしません』
胸がきゅっと苦しくなった。
『隠されたら多分、俺はずっと気にし続けると思います。だから、何があったのか教えてほしいです。もちろん、強制はできませんけど……』
切ない声で、そんな事を言われて。心臓がバクバク鳴って、胸が苦しい。
(……そんな風に言われたら、言うしかない)
絞る様な小さな声で、言った。
「……あの、……実は、今日……明石くんに、告白されまして……」
次の瞬間、画面の向こうの空気が、変わった。
『……は?』
思わず、ビクッと肩をすくめた。低く、冷たい声だった。
『それで、なんて答えたんですか?……付き合うの?』
どこか切り捨てるような声音。さっきまでの柔らかさは、影も形もない。
「い、いえ。断りました」
(だって……私が好きなのは……あなた、なんです)
続く言葉は、言えずに心の中でつぶやいた。
どうして、こんなにも緊張するのだろう。声が震える。目の奥がジンと熱くなる。
画面の向こうで、真壁が明らかにホッとした表情を見せた。肩の力が抜けて、少し目を伏せてから、ゆっくりと顔を上げる。
『……そうですか。良かった』
その言葉に、胸がきゅぅっと締め付けられた。
(ねえ、なんで、そんな嬉しそうなんですか。なんで、そんなこと言うんですか……)
聞いてしまいたいけれど、言葉にはできなかった。代わりに、黙ってしまう。
けれど、その沈黙を破ったのは真壁だった。
『……今度の休み』
「はい」
『一緒にドライブしませんか?俺、車出すんで。それで、時間の許す限り、たくさん話しませんか?』
一瞬、理解が追いつかなかった。けれど、じんわりと胸の奥の方から嬉しさがこみ上げてくる。
「行きたいです!真壁さんとお話ししたいです!」
真壁が、優しく笑う。
『うん、良かった。じゃあ、楽しみにしてますね』
その笑顔が、眩しくて、
「はい!私も楽しみです」
そう返していた。
ふと時計を見て、名残惜しいけれど明日もあるし、そろそろ終わらないと、と思った。
「……えっとそれじゃ、明日もあるのでこの辺りで。真壁さん、おやすみなさい」
『おやすみなさい、花村さん』
言いあって、電話を切った。
けれどそのまましばらくソファの上でぼーっとしてしまう。
「……これって、夢じゃないよね」
嬉しさが胸いっぱいに広がって、息が苦しいくらい。
電話をする前にあったもやもやした感情は、嬉しい気持ちに塗り替えられていた。




