儚げ美人は早々に本性を現した
リタはいつもよりちょっとだけ早く起きて朝食の準備をしていた。
机の上には焼き魚と採れたて野菜のサラダ。焼きたてパンとリンゴジャム。ふわふわたまごも。いつもよりも豪華? 盛り付け方がキレイ? そんなことはない。気のせいだ。
決して、森で拾った男のためではない。いや。怪我人のためという意味ならば、そのとおり。アルのケガはかなり深かった。血もたくさん出た。傷口はリタの薬のおかげで塞がったものの、まだ痕は残っていて、貧血症状も出ている。完全回復するにはやはり食事と睡眠が必要だ。
大事なことなのでもう一度言っておこう。決して、初めて見た極上のイケメン相手に少しでもいいところを見せたかったから、ではない。
――『近づいてくるイケメンには気をつけろ』っていうお母さんからの教えを忘れたわけではないもんね!
「よしっ。ぷっぴぃ! そろそろアルを起こしてくれる?」
寝息一つ立てずに寝ているアルをちらりと見て言う。リタが起こしてもいいが、面倒くさがりのあのぷっぴぃが朝から早起きして野菜の収穫などのお手伝いをしてくれたのだ。おそらく、アルのために。ならば、このくらいのご褒美はあげてもいいだろう。
ぷっぴぃはしっぽ……というかお尻を機嫌よくぷりぷり振りながらアルに近寄って行った。そして、じっと顔を覗き込んでいる。心なしか鼻息が荒い。まるで母に下品な視線を向けていたあの行商人のおじさんのようだ。
リタは慌てて視線を逸らした。
――ダメよリタ。かわいいぷっぴぃをあんなおじさんと一緒にするなんて。
ダメダメと心の中で繰り返していると、ぷっぴぃが「プピィィィィィィィ!」と叫んだ。驚いて視線を戻す。どうやらまたネロにお尻をひっかかれたらしい。けれど、今回はその理由がなんとなく分かってネロを怒るに怒れなかった。
アルもさすがにぷっぴぃの叫び声で起きたらしい。
「うるさい。そいつを黙らせ……ぶた? ……ああ、ぷっぴぃか。……おはよう」
「プピッ!」
数秒前までネロに対してプリプリ怒っていたくせに、今は寝起きのアルにすり寄り甘えている。
上半身だけを起こし、ぷっぴぃに乞われるまま撫でるアル。表情は『無』なのだが、そんな顔も美しい。朝日がいい具合に差し込み、銀髪は透けて見え、伏し目がちなことで憂いを帯びた表情になり、儚さが増している。本当に同じ人間なのか疑いたくなるくらい神々しい。――ぷっぴぃが見とれるのも仕方ない……。
「リタ?」
「……あ。えーっと……ご飯できてるけど食べる?」
「ああ。いただこう」
無表情で頷くアル。口調も昨日に比べてかなりぶっきらぼうだ。
リタは二人分の飲み水を用意しながら、内心落胆していた。
――やっぱりアレは夢じゃなかったのか……。
昨日、アルはしばらくの間リタの家に泊まることが決まった後、態度を急変させた。
うっすら浮かんでいた笑顔はすとんと抜け落ち、言葉遣いが変わった。丁寧な口調はそのままだが、失礼な物言いも増えた。
あの時の衝撃といったら!
――出て行くまでの間くらいそのままでいてくれればよかったのにっ。
しかし、そんなリタの気持ちを見透かしたようにアルは言った。
「いきなり態度を変えた理由? 変な誤解をされても困るからに決まっているだろう。君はこの顔に弱いようだからな。それでは困るんだ。この顔に弱い女性は少し優しくしただけで、勝手な妄想をする傾向があるからな」
溜息を吐いたアルの顔を殴らなかった自分を褒めたい。
あの瞬間リタの脳裏に母の言葉が蘇った。
――――やっぱり、お母さんの言うとおりイケメンはクソだったわ!
絶対こんなやつを好きになるもんかと思いつつも、悔しいことにアルの顔がリタの好みなのは事実。その証拠に、アルの口の悪さと、態度の大きさにかーなーりームカつきながらも、その顔の良さで怒りが半減してしまっている。ああ、自分が情けない。
もし、アルが人の良さそうなフリをしたままだったらどうなっていたことか。考えるだけで恐ろしい。
――アルの顔の良さを考えれば、この言動も仕方ないのかもしれない。
そこら中に自称アルの恋人が現れそうだ。修羅場不可避。
「で、どうなの?」
「? ああ、これか……なかなかいける」
「そう」
本音を言うと、「おいしい」という言葉を聞きたかった。大した料理ではないのは分かっている。おそらく貴族様(そうじゃなくてもお金を持っているいいところの坊ちゃんに違いない)のアルからしてみれば料理と言えるものではないだろう。でも、素材の味には自信がある。ここにある食べ物は全てリタが自分で育てたり、採ってきたりしたものだ。
――まずいって言われなかっただけマシか。
気持ちを切り替えて食事を終えたアルを見た。
「アル」
「なんだ?」
「体が大丈夫そうなら、昨日の約束通り手伝ってもらいたいんだけど。いい?」
「それはいいが……なにをさせる気だ?」
警戒するように目を細めるアルを見て、リタは昨日同様にニヤリと笑った。
「ふふふ……ここは自給自足で成り立っている村よ。だから、アルにも自給自足生活をしてもらいます!」
リタの宣言にアルは目を丸くした後、ホッとしたような顔で「分かった」と頷き返した。
――まったく。いったいなにをさせられると思っていたのか。
リタは離れの倉庫からアル用のカバンや日よけ帽子を持ってきた。
が、これが想定内というかなんというか……アルにはまったく似合わなかったのだ。明らかに顔が浮いている!
――――初めてこの村に行商人がこなくなったことを悔んだわ!
「……ま、まあこればっかりは仕方ないよね!」
「なにがだ?」
「なんでもない! アルは気にしないで!」
「さ、行こう」と強引にアルを村から連れ出す。今日のお供はマロンとアズーロ、そしてぷっぴぃ。湖に向かう道中、リンゴやベリーを採ってカバンに入れていく。アルも採っている。が、その表情に違和感を覚えた。
「どうしたの?」
「え?」
「いや……ずっと眉間に皺を寄せてるから」
「ああ。……ちょっと気になることがあってな」
「ふーん。なにが気になるの?」
「……この森はいつもこうなのか?」
「こうって?」
「いや……やっぱりなんでもない。気にするな」
「はあ」
結局なにが言いたいのかさっぱり分からなかった。そのまま湖へと進んで行く。
「アズーロは気が済むまで遊んできていいよ」
湖の岸辺で下ろすと、アズーロは喜んで跳ねていった。そして、残りの面々で薬草を採りに移動する。
「これはツユか? こんなところに群生地が……」
「いいところにあるでしょ。アルの傷に使うから補充しとかないとね~。傷痕は残したくないでしょ?」
「あ、ああ。できれば……」
意外なことにアルはもともと知識はあったのか、きちんと白い花は避けて、葉っぱだけを採っている。
そして、やっぱり一人より二人の方がとるのは早い。あっという間に採集は終わった。
「アズーロはまだ遊んでいるみたいだから、少し離れたところで釣りをしようか。アル、釣りはしたことは?」
「ない」
「え?! ないの」
リタが驚いた声をあげれば、アルの眉間に皺がよる。
「なにが言いたい?」
「いいえ~なにも~」
なにもないと言いつつ、リタの顔はニヤついている。
「じゃあ、アルには釣りは難しいかもね~」
「……分からないぞ。私は大抵のことは教えてもらったら一度でできるタイプだからな」
「へえ……」
白けた目をアルに向けるが、アルは別にそれに対して反応しない。どころか、なにかを思い出したのか、どこかつまらなさそうにも見える。
「ならやってみなよ。はい」
と休憩小屋から持ってきた釣り竿を片方渡す。素直に受け取るアル。
「この針の部分にコレをつけるの」
お手本としてやって見せるリタ。コレと差し出したリタの手のひらにあるのはマロンが取ってきてくれたミミズだ。グネグネして元気がいい。生きのいいミミズを押さえて針につけるというのは初心者にはなかなか難しいはず。特にアルみたいな人はミミズを触ったことすらなさそうだ。勝手な想像だが。そう思っていたのだが、アルは険しい表情を浮かべたものの、黙ってミミズを手に取った。
――おお! アルとミミズ。全く似合わない!
一分後。
「チッ」
三分後。
「クソッ」
五分後。
「ああもうっ」
十分後。
「っ~~~~~~リタッ!」
「はいはい。今回は私がつけてあげるね~」
すまし顔でリタがアルの釣り針にミミズをつける。その様子をアルは悔しそうに見ていた。
「で、これを湖に向かって……こう!」
リタは竿を振って釣り糸の先にある釣り針と石を湖に投げ入れる。後は魚がかかるのを待つだけだ。
「ふんっ!」
「あ、ちょっ、危ないっ!」
アルも真似して投げたのはいいが、その先っぽは湖ではなくリタに向かって飛んできた。慌ててしゃがんで回避する。
「危ないでしょ! そんなに力込めなくてもいいからっ」
「……そうか」
「そうか、じゃなくてここは謝るところ!」
リタが言えば、アルの眉間に皺がよった。次いで溜息を吐く。
――なに? そんなに謝るのが嫌なわけ?
「そうだな。すまなかった。次は気をつける」
「……うん。そうして」
思ったよりも素直に謝られて拍子抜けしてしまった。隣に並んで魚がかかるのを待つ。
「あ、きた」
「え」
リタが竿を上げると、釣り針も水面から出てきた。その先にいるのは魚だ。慣れた手つきで魚を専用の袋に入れる。そして、再度餌をつけなおして投げた。そして、数分後。またもや魚がかかる。繰り返すこと数回。ご機嫌なリタに対し、一匹も釣れなかったアルは真顔を通り越して、見るからに不機嫌だった。
「おかしい」
「ふふっ。初めてなんてこんなもんだよ~」
慰めのつもりでアルの背中をたたく。アルはギロッとリタを睨んだ後、はあっと溜息を吐いたのだった。そして、湖を指さす。
「なに?」
「水浴び、していいか?」
「は? ダメに決まっているでしょ! へたをしたら傷がまた開くわよ!」
「ダメか……」
「ダメ! ……家に帰ったら体を拭くタオルを用意してあげるからそれで我慢して」
「分かった」
リタの提案に幾分か機嫌がなおったアルを連れて帰宅する。
今すぐにでも体を拭く気のアルに待ったをかけ、その前に野菜の収穫を頼んだ。どうせなら畑仕事をした後にしてもらいたい。アルも納得して受け入れた。リタは魚の下処理や薬を作る作業もあるため、最初だけ手伝って後はアルに任せる。
「リタ!」
という声が外から聞こえてきて、リタは慌てて外に出る。
「アル! どうしたの?!」
「あれを!」
アルが指さした先には、畑の野菜やリタがとってきた魚や果物の余りものをもらいにきた森に住む動物たちがいた。
「ああ。アレは放っておいて大丈夫だよ。うちに食事しにきただけだから」
「しょ、食事?」
「うん。あ、あのクマ見覚えがあるでしょ? アルと初めて会った時にいたクマだよ。名前はくまじろう」
「く、くまじろうというのか」
「うん」
自分の名前が呼ばれたのに気づいたのか、くまじろうが顔を上げる。リタが手を振ると、くまじろうはどことなく恥ずかしそうに片手を上げ返してくれた。照れ屋な彼らしい反応だ。
「リ、リタ」
「どうしたの?」
「家に帰ろう。少し、頭が痛い」
「え! 大丈夫?! 無理させすぎたかな。……熱はなさそうだけど」
ひとまずアルが持っていた分の野菜を受け取り、早く家に入るように促す。
「はい、これ。頭痛に効く薬」
「……頭痛薬も作れるのか」
「うん。私はそうでもないけどお母さんが頭痛持ちだったからね。今もその時の習慣で作って常備してあるの。痛み止めとしても使えるし」
「……リタの母君は」
「……私のお母さんは私が十歳の頃に亡くなったよ」
「そうか……」
「うん」
詳しくは聞かないアルに、リタもそれ以上は語らなかった。
◇
マルコは祈るように両手をかたく握り、アドルフォが入った精霊殿を見やった。
――どうか、今度こそ精霊と契約できますように。
心からそう願う。
一度目が失敗した時のことを思い出す。
初めて見た。あんなアドルフォを。
正直に言って怖かった。自分の弟なのに。恐怖を感じた。
もともとマルコは人見知り故、兄弟関係も希薄だ。唯一仲がいいと言えるのはステファニアくらい。
だからアドルフォの性格がどんなものかは詳しくは知らない。
ただ、世間一般的な評価は知っていた。『理想の皇太子』。皆が求める次期皇帝。
少なくともあの日まではマルコもそう思っていた。
でも、今は、違う。
本当にアドルフォは皆が思うような立派な人物なのだろうか?
もしかしたら違うのではないか。あの日のアドルフォが本当の姿なのではないか。
精霊が現れないのはそのせいじゃないのか。
もし、精霊に選ばれなかったらアドルフォは……。
そんな疑念と恐怖がずっと消えない。
だからこそ、マルコは『今度こそ成功してほしい』と心から願っているのだ。
ギッと音を立てて扉が開いた。
皆が固唾を吞んで見守る。精霊殿の中から出てくるアドルフォを。
握った手にさらに力が加わり、ミシッと骨が軋んだ気がした。