リタは森で儚げ美人(男性)を拾う
朝起きた時、小鳥……いやヴェルデはいなくなっていた。リタはしょんぼりと項垂れる。勝手にヴェルデはぷっぴぃたちと同類だと思っていた。
「そうだよ……ね」
野生動物たちが自分から人間と一緒に暮らそうとするのは極めて稀だ。毎日のように畑に現れる動物たちだって、食事が済めば森へと帰っていく。ぷっぴぃたちが特別なのだ。
それに、あまり仲良くなりすぎても良くない。彼らの世界は弱肉強食。今は食料が安定しているから互いを襲ったり、リタに襲いかかったりはしないが……いつまたその均衡が崩れるかは分からない。肩入れしすぎて傷つくのは自分だ。
――また顔を見せてくれたらいいな、くらいで十分。
自分の中でヴェルデへの気持ちを昇華させたリタは、気分転換に出かけることにした。といっても向かうのは森。今日のお供はいつもどおり、マロンとアズーロだ。
お留守番組は、リタが家を出るのを見届けてから集まった。
『ねえ。どう思う?』
ぷっぴぃがネロとロッソに問いかけた。主語がない問いかけに、いつもならネロは小言の一つでも口にするところだが、今日は真剣な表情のぷっぴぃを見て止めた。
『どう思うって聞かれてもね。こうなることは、分かっていたでしょう?』
呆れたように言われ、ぷっぴぃは言葉を詰まらせた。そう、分かっていた。分かっていたから皆、彼との契約を避けたのだ。
『で、でも……アタシたちはともかくシルフはなにも知らなかったわけだし』
『俺らが教えなかったからな』
ロッソが言えば、ぷっぴぃは『そう!』と頷き返す。けれど、ロッソは鋭い目でぷっぴぃを見やった。
『だから手を貸してやりたいって?』
『それは……』
『それじゃあ意味がないでしょ?』
ネロのもっともな指摘に、ぷっぴぃは悔しげに口を閉ざす。
『じゃあ……ただ黙って見ていろっていうの?! あの子みたいにシルフも消えてしまうかもしれないのに?』
『……消えないかもしれないでしょ』
そう言いつつもネロは視線を逸らす。ロッソが溜息を吐いた。
『そもそも過剰に反応しすぎじゃね? アイツが疲弊していたのは確かだけどよ。まだそこまで切羽詰まったようには見えなかったぜ? それに、まだアイツは大精霊になったばかりのひよっこだろ』
『だからこそ心配だって言ってるの!』
『だーかーらー。俺らが直接手を貸すんじゃなくて、未熟なアイツに力の使い方や限界の見極め方、……人間とのやり取りの注意点を教えるくらいは先輩としてやってもいいんじゃねーかって言ってんだよ!』
珍しく正論を口にしたロッソ。おかげで、冷静さを欠いていたぷっぴぃもネロも正気に戻った。
『たしかに……それくらいならいいかも! シルフはあの子と違って素直に聞き入れてくれそうだし』
『そうね。未熟なのは確かだから、助言くらいなら他の精霊たちも納得すると思うわ。それに、シルフのおかげで私たちも皇族の動きを把握できる。万が一、リタに手を出そうとするなら……』
『その時はアタシだって容赦しないわよ。仮契約とはいえアタシの主はリタだもの』
ぷっぴぃの力強い言葉に、ネロもロッソもホッとしたように頷き返した。
『どうせならシルフも俺らの方にくればいいのになー』
『それができないのは分かっているでしょう。契約相手を変えられるのなら説得くらいはしたわよ』
『そうだけどよー』
『あ。そういえば二人とも聞いた?』
ぷっぴぃの横入りにロッソが首をかしげる。
『なにをだ?』
『マロンとアズーロから情報共有があったんだけど、今皇城では……』
話を聞いた後、ロッソが吐き捨てるように呟いた。
『またかよ』
『二人もまた同じことが起きると思う?』
『可能性は高いわね。本当人間って懲りないんだから』
『リタが巻き込まれることはないんだろうな?』
『今のところは大丈夫だと思う』
『警戒しておくに越したことはないってことね。ロッソ、日中は頼んだわよ』
『ああ。ネロ、夜は頼んだぞ』
『ええ』
絶対にリタは守ってみせると三人は頷き合った。ひと通りの話し合いが終わってくつろいでいた三人。そんな平和な時間は終わりを迎えた。リタが思いがけないモノを拾ってきたせいで。
「ただいまー!」
帰ってきたリタの声にお留守番組が反応する。早速かまってもらおうとぷっぴぃが飛びつこうとした。が、リタに止められる。
「ごめん。今は無理。後でね」
「え」と固まったぷっぴぃをよそに、リタはせわしなく動き回る。リタの布団の隣に、離れの倉庫から持ってきた布団を敷く。三匹は邪魔にならないように端に寄り、リタの行動を見守っていた。
「さて、こんなもんかな」
パンパンと手を払い、外に出て行くリタ。
帰ってきたリタの背中には大きな荷物があった。その荷物をリタは布団の上に下ろす。きちんと寝かせた後、リタは一仕事終えたとでもいうように「ふーっ」と息を吐いた。
布団に集まってきたぷっぴぃたちは、その荷物を覗き込む。ぷっぴぃの瞳がひときわ輝いた。
多少砂埃で汚れてはいるが、艶やかなサラサラ銀髪。目を閉じていてもわかる整った顔立ち。ぱっと見は女性か男性か区別がつかないが、体格からしておそらく男性。
綺麗なモノ好きのぷっぴぃは、謎の美人に興味津々だ。
一方、ロッソは警戒心をむき出しにしてリタの肩に移動した。
旅人のような格好をしているが、持ち物や身につけている物の仕立ての良さからそれなりの身分の者だと窺える。旅人の正体を怪しんでいるのだろう。
ネロはというと、リタと一緒にいたアズーロとマロンから経緯を聞いていた。
二人の話によると……
リタは森へ散歩にでかけ、ついでにいつものように木の実や果物をたくさん採っていた。その時、静かなはずの森で人の声が聞こえてきた。それだけならリタも動かなかっただろう。けれど、人の声に混じって動物たちの鳴き声や、鳥が羽ばたく音が聞こえてきた。
――なにかあったんだわ。
リタの考えを肯定するように、声がした方からウサギやリスといった小動物たちが駆けてきた。
「なにがあったの?!」
小動物たちは答える代わりに、必死に逃げてきた方向を示した。――やっぱりそっちでなにかあったのね。
できるだけ音を立てずに示された場所へと向かうと……そこにいたのは、顔を隠した黒づくめが五、六人。と、旅人のような格好をした人物が一人。そして、見覚えのあるクマがいた。
黒づくめのうち数人が旅人と剣を交え、もう数人がクマと対峙している。
クマ……くまじろうは見た目は厳ついものの、中身は怖がりで臆病なクマだ。もしかしたら襲い掛かってくると思ったのかもしれないが、くまじろうに限ってそれはない。恐怖に怯え固まっているだけだ。それにくまじろうは血が苦手だから野菜しか食べない。そんな繊細なくまじろうに殺気を向ける黒づくめたちを見て、リタの頭に血が上った。手に持っていた袋の中を取り出し、その中に石を大量に詰める。深呼吸をした後、
「くまじろうに手を出すなら私が相手よ!」
と黒づくめとくまじろうの間に躍り出た。黒づくめが動く前にリタが袋を振り回す。側頭部を狙って勢いよく当てると、黒づくめは脳震盪を起こしたのか倒れた。他の黒づくめは驚いたものの、すぐに攻撃に転じようとしたが、マロンの力によって地形を変えられ足をすくわれた。その隙をリタは見逃さず、再び袋を振り回す。アズーロも水鉄砲で加勢した。そうして、くまじろうと対峙していた黒づくめは全員地面に伏した。残ったのは旅人と残りの黒づくめ。けれど、劣勢と感じたのか、黒づくめたちは倒れた黒づくめを背負って逃げていってしまった。その場に残ったのは旅人ただ一人。旅人はリタとくまじろうを見た。
リタがくまじろうを庇うように前に出る。くまじろうに手を出すなら容赦はしないと袋を持ち直した。けれど、旅人は慌てて持っていた短剣をしまい、両手をあげた。被った帽子が深すぎて顔はよく見えない。が、先ほどの戦闘を見た後ではただの旅人には思えない。というか、そもそもただの旅人があんないかにも怪しい連中に追われているわけがない。怪しい人物には近寄らない。これは母から教えてもらった教訓の一つだ。後ろに足を引いた瞬間、「待ってください!」と声をかけられた。
「私はあなたに手を出すつもりはありません。助けてもらったお礼を、と思っただけです」
「……本当に?」
「はい!」
「そう……ですか。なら、お礼は受け取りましたので、それでは」
旅人を警戒しながらも、くまじろうとマロン、アズーロを連れてその場を離れようとした。が、背を向けた瞬間、後ろでドサッという音が聞こえた。振り向けば、旅人が倒れているではないか。リタは恐る恐る近寄った。そして、息を吞む。倒れた拍子に帽子が外れたのだろう。帽子の下から出てきたのは色白美人。銀髪と顔色の悪さのせいか、今にも消えてしまいそうな儚さがある。先ほど、声を聞いたので男性だということは分かっているが、黙っていれば女性にも見える。
――綺麗。まるでお姫様か王子様みたい。
ぽーっと顔を眺めていると、アズーロがリタの目の前で飛び跳ねた。「ハッ!」と我に返る。次いで、マロンに促され、男の外装をめくると今度は別の意味で息を吞んだ。
「ひどいケガ!」
男の脇腹には切り傷があった。そこから血がたくさん流れている。このままではまずいと直感した。なにか止血できるものをと見回した時、ちょうど男のカバンが目に入った。申し訳ないがそのカバンの中を勝手に物色する。幸いにも旅人の持ち物の中には応急手当に使えそうなものがあった。けれど、これは気休め程度だ。あまり効果がないように思える。この場ではまともな治療はできない。悩んだ末、リタは自宅に旅人を連れ帰ることにした。
決して旅人の素顔がイケメンだったからではない。
『近づいてくるイケメンには気をつけろ』。これも母の教えの一つだが、今回はそれに当てはまらないと判断した。あちらから近づいてきたわけではないのだから。ただ、目の前で倒れた人を助けるだけだ、とリタは自分を納得させた。
二人から話を聞いたネロは思わずリタを見た。「なんだかんだイケメンに弱いのは血筋ね」と内心呆れる。が、それ以上に弱いのがぷっぴぃだ。今にも涎を落としそうな顔でイケメンの顔を覗き込んでいる光の大精霊。とても今の精霊界をまとめ上げている者とは思えない姿。けれど、あれが彼女のすべてではないこともネロは知っている。不本意ながら。
旅人が目を覚ましたのはそれから数刻後。
「っ!」
という声にはならない叫び声とともに旅人は目を覚ました。まあ、起きてすぐにぶたっ鼻が見えたら叫びたくもなるだろう。普通、寝起きに見ることはない光景だ。
「ぶ、ぶた?」
戸惑いの声を上げる男。ぷっぴぃはその声すらイケメンとでもいうように体を震わせている。
「ぷ、ぷぴぃ~」
心なしかいつもより高めのトーンで声を上げ、ぷっぴぃが男の脇腹を突く。男は顔をしかめて「そ、そこは突かないでほしいのだが」と呟いた。が、すぐに首をかしげる。そして、掛け布団をはぎとると、次いで己の服をまくりあげた。ぷっぴぃは「プピッ!」と声をあげながら照れたように顔を逸らした後、チラチラと繰り返し見ている。その先にあるのは見た目に反して立派な腹筋。
男はそこにあるはずの傷がすでにふさがっていることに首をかしげた。
「あ、起きました?」
ちょうどリタが帰ってきた。男はさっと服を直すと、警戒心を滲ませてリタを見上げた。
「あなたが手当を?」
「はい」
「……本当に?」
「本当です。というか、私以外誰がするっていうんですか?」
確かにこの家には動物はたくさんいるが、人の気配は一つしかない。
「……薬師だったんですね」
ちらりとテーブルの上の傷薬を見る。それは旅人が持っていたものではなかった。
「薬師……ではありません。確かにその傷薬を作ったのは私ですけど。別にそういう仕事をしているわけではないので。それと、申し訳ありませんが、あなたが持っていた薬はあまり出来がよくなかったので、私が作ったのを使わせてもらいました」
さらりと言ったリタに男が顔をしかめる。
「そうですか。それで薬師ではないとは……それならあなたは何者なんですか?」
「何者って……ただの村人ですけど……」
「ただの村人? へえ……」
そんなわけがないという男の反応に、リタは不快気に眉を寄せた。
「すっかり元気になったみたいですね」
「ええ。おかげさまで」
にこりとほほ笑んだ男の顔に一瞬見とれる。が、リタはすぐに我に返った。――いけないいけない。母の言葉を思い出せ。イケメンには注意よ!
「では、どうぞお帰りください」
玄関を示すと男が固まった。
「元気になったんですよね? ならもう大丈夫でしょう。どうぞお帰りください」
さらに近づいて言えば、男は「あ、はい」とよろよろと立ち上がる。しかし、すぐに立ちくらみを起こし、その場に膝を突いた。その姿を見てリタは溜息を吐く。
「冗談ですよ。わざわざ助けたのにそんな鬼畜なことするわけないでしょう。傷はもう大丈夫でも、流れた血はどうにもならないんですから。完全に回復するまではうちで休んでいってください」
「いいのですか?」
じっと男がリタを見つめる。その瞳を見てリタは固まった。
――――まるで湖みたいな綺麗な水色。
「……いいですよ」気づいたらそう言っていた。
「ありがとうございます。では、どうぞこちらを」
男が渡してきたのはお金だ。リタはそれを突き返した。男は困ったようにほほ笑む。
「助けてもらったお礼と宿代ですから、遠慮せずもらってください」
「いりません」
「それは困ります」
「私も困ります」
「はい?」
「ここには行商人や旅人もめったにきません。そして、私が村を出てこのお金を使う機会もない。つまり、私にとってはこのお金はただのゴミなんです」
「ゴ、ゴミ。そ、そうですか。そういうことなら仕方ありませんね。ですが、私には他に渡せる物がないのですが……」
困ったようにほほ笑む儚げ美人。だが、リタはその見た目には騙されない。騙されないように自分に言い聞かせている。リタはキリッとした表情で言った。
「その代わり、手伝ってもらいますから!」
「え? 何をですか?」
戸惑いの表情を浮かべる男に、リタはニヤリと口角を上げたのだった。